「劇場公開時、前代未聞の2日前公開延期の謎と共に忘れ得ぬ映画」エクソシスト ディレクターズ・カット版 アンディ・ロビンソンさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0劇場公開時、前代未聞の2日前公開延期の謎と共に忘れ得ぬ映画

2023年8月27日
PCから投稿

今回20数年ぶりに劇場での再鑑賞を果たしたので、改めて感じたことを追加して書き残しておきたいと思います。

最初の制作公開が70年代中期であったこの作品に関しては、恐怖描写やショッキングシーンなどに関しては当然、以降の後発のフォロワー作品にインパクト的には既に凌駕されているであろうし、この作品自体が同系統の先駆的・伝説的作品だったとしても、このジャンルにおいて、現時点で抜きん出て強い衝撃を残すような事は、もはや難しいだろうと思われます。

しかし今になって再鑑賞してみると、むしろ逆にそうしたホラー作品的ショッキング描写に極端に目を奪われるということが抑えられて、映画をストーリー的に客観的な目で見ることができるようになった事により、改めてこの作品の出演者とその演技、それぞれのキャラクターの個性に関して、実によく描かれていることに気付かされ、深い感銘と、作品からの感動を受けました。

それと、この作品の“主演(主人公)”に関しては、次作『2』の主演がマックス・フォン・シドー氏になっているため、以降の印象、存在感が薄れてしまった感がありますが(第3作目も追加撮影で再登場となった)、明らかに、主演はジェイソン・ミラー氏であることに間違いないと思いました。

この映画の“主人公”は若き悩める神父であり、結果としてこの事件に巻き込まれた事により、“悪魔”という存在を通し、また、その実在を突き付けられた事により、己の信仰心が揺いで疑念を抱くようになっていた自分自身とも対自する事で、自身の(神への)信仰の迷いについてを突き付けられ試されるかの状況のうちに、クライマックスを迎える。

ある意味「悪魔の存在を、実在を認めた」ことによって、「神の存在を改めて強く実感する」と言う皮肉な結末である話とも取れるが、終盤の2人の神父による「神に使える者」との確信の元に壮絶な闘いを挑むその姿には、正直、信仰心等を超越して、感動を覚えずにはいられませんでした。

現在、改めてこの作品が50年近くを経過した今も、それでも色あせる事はないと言う事に関して、それはひとえに人間ドラマとしての基礎の部分をフリードキン監督が如何に重視していたか、に他ならないと思います。
フリードキン監督による演出(脅迫?)が、このような現実離れしたストーリーにも関わらず、出演者たちから生々しい人間ドラマの迫力を引き出している事は間違いないでしょう。

そしてまた、今回気づかされたのは、“悪魔”という存在が中心となって、それまではお互いに何らの接点も無かった、それぞれが自身の苦悩やバックボーンを持った人々の運命が、そこで交錯すると言うストーリーの展開の仕方についてでした。

ある意味この手法は、今作の次回作であった『恐怖の報酬(Sorcerer)』(121分版)についても同様に活かされていると解釈しています。
ニトロトラックを軸にして、やはり「それまではお互いに何らの接点も無かった、それぞれが自身の苦悩やバックボーンを持った人々の運命が、そこで交錯する」。
そして、全体のパートが前半の導入部と、後半のクライマックスへと向かう部分とに分けられる印象なども。

これが日本公開短縮版だった『Wages of Fear』では、回想処理にして短縮で嵌め込まれてしまい、完全に台無しにされてしまいました。
これではもはや、フリードキン作品とは言いがたい、単なるアクション・サスペンス作品に成り果ててしまったのは言うまでもないです。

このフリードキン監督の手法について、更に踏み込んで言うなら、やはりそのような展開の原典は「七人の侍」にあるのではないかと。

以下は、DC版初公開時の所感等です。

2000年10月7日日本での公開が決定されていた本作は、既にアメリカでは9月22日から公開が開始されていたにも関わらず公開数日前になって突然にワーナーから公開延期が発表され、前売り券も予め買ってあって初日に行く気満々でいた私は余りの事に唖然という感じでした。

そのような事は、長年の映画人生に於いて、後にも先にも「そんな事態唯一無二」な出来事だっから。

その理由についても、「監督の意向」という事くらいしか伝わって来ず、何だか釈然としないものだったし。

しかし、監督からの「作品をより完璧にしたいから….」というようなメッセージが伝われた事から前向きに捉え、その仕上がりを楽しみに、更なる期待を高めてその日を心待ちにした事を今でも思い出します。

その後公開日の再調整がなされ、結果として約1ヶ月半後の同年11月23日に公開の運びとなり、晴れて無事に鑑賞を果たすことが出来たのでした。

実に、初公開版を中学生時の1974年7月13日(土)の初日に東急文化会館の「渋谷東急」で鑑賞して以来、26年ぶりの劇場鑑賞となり、感無量でした。
今回は同施設の地下の「東急レックス」という、当時のロードショー館としては可成り小規模なクラスの小屋だったのが少し残念でしたが、当時そこはリヴァイバル上映を主にしていた関係上という事と、その当時フリードキン監督の知名度や評価が、今作の4年後に万を期して公開した次回作『恐怖の報酬』のアメリカでの興行的不振による世界的失敗以降で失墜してしまっていた事とも無縁ではなかったのかも知れません。
これはある意味、‘77年同年の先行公開作SW時代の到来による、不当に低い不名誉に甘んじた、時代に泣いた不運作でした。ETに泣いた『遊星からの物体X』と同じ図式です。

ちょっと寂しかったのは、元のバージョンの公開時から比べたら、この時のメディアでの扱われ方は、一部のコアなファン以外からすれば可成りひっそりと公開されたみたいにすら思えたのでは無いかと。

個人的に今バージョンを初見した時の記憶として、事前情報で得ていた例の『スパイダー・ウォーク』部分については可成り意識して注視していたのだけれど、その数年後にDVDで再見した際に「アレっ?」と思ったところが。

劇場鑑賞の際に『スパイダー・ウォーク』部分が暗転して終わる際、リーガンがこちらに向かってきてその血まみれの口がクワッと開いた状態が画面一杯のアップになって終わったように記憶していたのが、そうでは無くなっていた点です。

可成りインパクトのある場面だったので、記憶違いの可能性は低いように思える反面、そのインパクト故に過剰な記憶になってしまってたのかな?とも考えられなくもなく、長年、いまだに謎のままです。

公開延期の理由についてはその後、「フィルムに一部色調等に納得ができない部分があったので」的な事で伝えられていますが、上記のことも何か関連あるとかどうなんだか、大元のアメリカ初公開版が分からず比較不可能なので、確認しようもないですね。

どなたか、当時ディレクターズ・カット版を日本劇場公開時に鑑賞された方が居られたら、是非どのように記憶されて居られるか教えて頂けたらと思います。

今更ですが、作品内容については、原作者の意向も締めくくりなどにも反映され(主人公的に3への繋がりを予感させる)、これまで敢えて削除していたシーンや随所に現れる“悪魔のイメージ”など、敢えて細述を避けて観念的な表現に押さえていた初公開版と比較すると、分かりやすい、イメージの掴みやすい娯楽作品的な要素が増したような印象を感じます。
ある意味、若かりし頃の「これが俺の映画なんだっ!」的だった作品から、26年の時を経てその間の、ある程度鑑賞者の疑問や不明瞭に受け止めれた部分へ、柔軟さ(理解に一助)を示したものに昇華したかのように思えました。

因みに、『エクソシスト』シリーズというか、この関連シリーズというかは、関連する関係者がほぼ皆無の「ビギニング」以外の全作品を劇場公開時に鑑賞していますが、どれもそれぞれに持ち味があって良さを感じています。

だがしかし、いずれのが作品も「相当な難産」というか、曰く付きというか、公開までの経緯に伴って『2作品づつある』状態になっちゃってるところが『呪われてる』ていうよりも興味深いというか笑える(?)というかスゴイです……

まず『2』は、「試写会版(初期プリント)」と劇場公開版で相当違う。詳細は他に譲りますが、試写版=ディレクターズ版→公開版=短縮版、と言えます。
現在にDVDはある時点から何も断りなく、DC版に近い形に戻ってます。

『3』の最初の完成版はジェイソン・ミラー氏抜きで全編撮影して関係者試写されてダメ出しがあり、映画会社からの「ジェイソン・ミラーで追加撮影して再編集するよう」という意向によって大幅に改変され、完成版に至って公開になったということです。
こちらは現在、海外版BDではセットになってます。

『ビギニング』はポール・シュレーダー監督で完成されてますが、『1』との連関性に乏しすぎる事で「全面ボツ」作品になり、レニー・ハーリン監督作として、全く同じ出演者なのに「完全取り直し別作品」で完成から公開になりましたが、あまり評価良くなかったようで、後出しでポール・シュレーダー版も追加で限定公開(アメリカ)しっちゃって、公認で二作という珍事に。
これも海外でDVD二作セット有りで、シュレーダー版は『ドミニオン』とタイトルされています。

ついでに『1』については、現在も手元にある、初公開‘74年版とDC’00年版との間の‘98年に VHS と DVDの豪華限定50000セットという触れ込みで、初めて本物のサウンドトラックCDが同梱された「25th-anniversary special edition box set 」というのが出ており、混乱させます。
ウリとしては当時、「カットされたシーンや別エンディグを収録」とそれらの処遇についてなど原作者と監督の完成作品についての意向のくい違い等に言及したドキュメンタリーなどで、本編自体に変更は施されていなかったようです。
2年後のDCへの繋がりを予感させる前哨戦というか、布石というか、当時としてはとても興味深いものではありました。

そしてこの度、ワーナー・ブラザース創立100周年記念の一環もあって「午前十時の映画祭」により2023年9月1日よりの再上映が決定し、またしても20数年ぶりの劇場でのご対面が出来ると知りそれ以来、その日を心待ちにしている今現在です。

アンディ・ロビンソン
アンディ・ロビンソンさんのコメント
2024年3月11日

登場人物の誰か自身の妄想や思い込みによる幻覚、幻聴等、「実は….」みたいなのってありますね。
『ジェイコブズ・ラダー』というのを全く予備知識なしで劇場公開時に観た時なんか、最後のオチにガーン😨としました。

アンディ・ロビンソン
kazzさんのコメント
2024年3月11日

アンディ・ロビンソンさん、コメントありがとうございます。
最近は名画座がなくなって寂しい限りです。
70年代はソフト販売も配信もないので劇場で見られなかったらTVの洋画番組が頼りでしたね。確かに大作ほどテレビ放映には時間がかかった気がします。
スター・ウォーズは何回もリバイバル公開されたので名画座には落ちませんでしたね。

エクソシストの解釈は、私も本気でレビューに書いたようには思ってないのですが、こんなこじつけもできるかな…といった感じです。
無理がありましたね。

kazz