CROSSING 心の交差点のレビュー・感想・評価
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交差する街
教師だった女性が、行方不明となっていた姪を探しにトルコはイスタンブールに向かうが…と言った物語。
姪のテクラを知っているという青年アチも一緒にトルコに行くが、捜索は困難を極め…。
性問題を取り扱った作品かと思いきや、そこよりも旅を通じた人との出逢いや繋がりがメインと言った印象。
なんやかんやで序盤からアチを可愛がっている感はあるし、段々と本当の親子みたいに見えてきて素敵ですね。
また、住む所も無いのに生き当たりばったりで仕事探し…無鉄砲に見えつつも、逞しくも見える不思議。
エヴリムも白タクの人も子ども達も、皆厳しい世界の中でタフに生きてるんだなぁ〜と思わされた。
なんやかんやで登場人物皆良い人ばかりですしね。奢りおじさんとか絶対詐欺師かと思ったがwそして、リアさんまだまだ乙女(笑)
んで、感動のシーン。まさかなぁ〜なんて思ったけど、やっぱりそう言うことか。それでも、得たものの方がきっと多かったですよね!
あとは兎に角猫たちが可愛かった(笑)
色んな人が出会い別れ、現れては消えゆく東西の境界線、イスタンブールかぁ…ジ〜ンときますね。
全体を通し、寂しさや切なさの中にも生き抜こうとする人々の力強さや一期一会の暖かさに心が震わされた超良作だった。
イスタンブールというまちが持つ力は、第三世界らしく、昔の東京みたい...
イスタンブールというまちが持つ力は、第三世界らしく、昔の東京みたいな。結婚式。トルコの男たちはひげを生やし、男性的。そこで踊るトランスたちは不思議な感じ。弁護士の女性は魅力的だった。昔は美人だったおばさん、あまり魅力的ではなかった。話が全体によく分からない。
イスタンブールの船とその改札、懐かしい。山にせり出していく街の風景。
トルコの感じはわかる。
貧しく猥雑で明るく規範はない。
ロードムービー好きです
旅先での様々な出会いを描いており、飽きずに入り込めた。目的があっての旅。ラストが意味深でしたが、幻想を付加して、主人公の思いを描きたかったのかな?
言葉、世代、ジェンダー、文化的背景など異なる3人の人生が交差するロードムービー
トルコ・イスタンブールの街を舞台に、
言葉、世代、ジェンダー、文化的背景など異なる3人の人生が、
人捜しの旅を通して交差し歩み寄っていく姿を描いたロードムービー。
確かに、元教師のリア、自分探し中のようなアチ、
トランスジェンダーの権利のために闘う弁護士エヴリム、
三者三様で、文化が溶け合うように、彼ら彼女らが、
どうやって混ざり合っていくのか、そして、テクラは見つかるのか、
イスタンブールの魅力的な風景とともに、楽しめました。
ラスト、テクラと出会ったのが、リアの希望的妄想だったったとしても、
そう思えるようになったことが、リアが一歩前に進んだように感じました。
同様に、アチも居場所を見つけられましたし、
エヴリムもステキなボーイフレンドと朝食を食べれるようですし、
未来への希望を感じる作品でした。
リアとエブリムの肝っ玉とセクシーが混ざった感じも魅力的でした!
猫ちゃんがいる人間交差点
個人的に差別なんかないがゴリゴリのLGBTQ映画はしんどいフェーズになっている ほぼクィア不在のこの映画はサラッと心に入り込んでくる LGBTQだけでなく様々な心の動きがテーマ それが優しく丁寧に描かれている 2026マイベストにいきなりはいる予感 傑作かと… 猫ちゃんもかわいい
タイトルなし(ネタバレ)
ジョージアから隣国トルコへ姪のテクラを探しに行く中年女性、元教師のリア(ムジア・アラブリ)。
テクラは、男性から性転換したトランス女性。
彼女が暮らしていた住所を訪ねたリアは、テクラの居場所を知るという青年アチ(ルーカス・カンカヴァ)と知り合う。
アチは、ジョージアの実家から抜け出したかった・・・
といったところからはじまる物語。
埃っぽくゴミゴミと雑多なイスタンブールで人びとが交差する群像劇。
文化の違いに戸惑いながら観はじめる。
リアとアチの道中を描く序盤は、言ってみれば平凡。
ジョージアからトルコのイスタンブールへは、黒海を往復するフェリーが主要な乗り物。
フェリー上での雑多な人々が映し出される。
その中には、物乞いのようなことをしながら食いつなぐ幼い男児と女児がいる。
また、イスタンブールのNGOで弁護士のような役割を務めるトランス女性エヴリム(デニズ・ドゥマンリ)がいる。
リアとアチのふたりから、エヴリムへと話を繋ぐショットには瞠目させられた。
映画が群像劇になっていくのは、このあたりから。
中盤以降は、どんどんと引き込まれて観ていく。
トランス女性となったテクラ。
彼女の辿る道筋はお定まりのものなのだが、それ以外の道がないのが切ない。
エヴリムは、稀有な例なのだ。
リアはテクラと出あえるのか。
終幕は、蛇足かなぁと思ったが、観客に結末を委ねる類の決着なのね、と納得。
いつかどこかですれ違っていた記憶
トランス女性(誕生時に割り当てられた性別は男性だが、性自認は女性であるトランスジェンダー)であるが故にジョージア(グルジア)の故郷に住めなくなり、トルコのイスタンブールに移り住んで消息が途絶えた「姪」を探しに出る叔母の捜索劇です。
イスタンブールのリアルな姿を描きながら淡々とお話が進むのですが、CROSSING というタイトルの意味がジワジワと観る者の胸に染み入って来ます。街ですれ違う殆どの人々は見ず知らずの関係でしょうが、その中には意外な繋がりがある人も居るかも知れません。でも、そんな稀な存在にも大抵気付く事なく通り過ぎてそれっきりです。それだけに、人と人の繋がりは一つの奇跡と言えます。
本作は、そうしていつかどこかですれ違った人をふと思い出させるような作品でした。何かしみじも暖かかったな。
無想花
ジョージア映画は、最近も「蝶の渡り」が素晴らしかった記憶あり、でもって見たかったイスタンブールが舞台の映画でもあるとなれば見逃す訳にはなるまいの一心で駆けつけました。
LGBTQテーマは正直供給過多で食傷気味ではあるのだが、これは当事者からさらにスポットライトを広げてる感じがしたのでまた違った新味が出てました。
姪を捜すリアが私の祖母にけっこう似ていて、若いアチに自分を重ねる感じになり特別に刺さりました。
祖母は、血すじは日本国内のみのはずですが、目元がちょっとコーカサスっぽい感じがありましたw
祖母とは血のつながりがなく、それ以前に自分はかなり気難しい孫だったので、だいぶ余計な思いをさせてしまっていたと思います。一緒に旅行したこともなかったし、リアみたいな、祖母の若はしゃぎとか泥酔しての嬌態なんてのも、当然ですが目にしたことはありません。
祖母がほんとうはどんな人であったかと本気で問うなら、自分が18で家を出たまま永遠に分からないままです。
だからというか、アチとの関係がしっくりと構築された終盤は、見ていてとても清々しい気持ちになれました。
この映画の本筋とはかけ離れた私事書き連ねてしまいましたが、そうしたことで心が占拠されてしまう映画でした。
そういう映画もたまにありませんかね(´;ω;`)ブワッ
猫に優しい国にて
トルコ•イスタンブールで展開される人探しの旅 「旅は道連れ 世は情け」とか「袖すり合うも他生の縁」とかのことわざの意味を噛みしめたくなる
物語はジョージアのバトゥーミという黒海に面しトルコとの国境にほど近い街から始まります。中心人物のふたり、中年から老境にさしかかっている感じの女性で元教師のリア(演: ムジア•アラブリ)と、少年の面影を残し、どこかある種の胡散くささがあり、頼りなさげでもある20代半ばぐらいの青年のアチ(演: ルーカス•カンカバ)のふたりが、リアの行方不明のトランスジェンダーの姪(すなわちもと甥)のテクラを探しに、トルコのイスタンブールへ行きます。そのイスタンブールで展開されるロードムービー兼群像劇みたいな感じの作品です。
別作品のレビューで述べたことがありますが、私、映画鑑賞後に地図を見たくなるような作品が好きで、この映画鑑賞後も自宅にある『ニュースと合わせて読みたい世界地図』という本を手に取って「トルコ•カフカス諸国」のページを眺めてみました(私、このあたり、行ったことないし、地理もあやふやなのですが)。リアとアチは黒海を横切るフェリーでイスタンブールに向かうのですが、この地図はおあつらえ向きに黒海とその周囲の国がよくわかる形になっております。イスタンブールは黒海から見ると南西の方向、時計の文字盤にたとえると8時ぐらいの方向に位置しています。そこから黒海沿岸の国の名前を時計回りに列挙しますと……
ブルガリア−−ルーマニア−−ウクライナ−−ロシア−−ジョージア−−トルコ
となります。12時ぐらいの方向にあるのが黒海に突き出ているクリミア半島です(地図上ではウクライナになっていますがロシアの実効支配が問題となっているところですね)。2時ぐらいの位置にかつて冬季五輪を開催した黒海沿岸のロシアの街ソチがあります。3時の方向(すなわち東)にはジョージアがあります。サイズは北海道を一回り小さくしたくらい、人口は約370万人とのことです。トルコは地図で見ると黒海の南側に位置するけっこう大きな国です。国土面積は日本の約2倍、人口は約86百万人とのことですから、世界的にみても大国です。そして、この映画の舞台になっているイスタンブール。ユーラシア大陸の奥深く内海となっている黒海と、これまた欧州大陸とアフリカ大陸の間の内海である地中海をつなぐボスポラス海峡の両側にまたがる、人口約15百万人の大都会で、海峡の西側がヨーロッパ、東側がアジアという、ヨーロッパとアジアがクロスする街です。また、かつてはコンスタンティノープルと呼ばれ、4世紀から15世紀半ばまで東ローマ帝国の首都で、陥落後はオスマン帝国の首都となった歴史が示すように、キリスト教文化とイスラム教文化がクロスする街でもあります。そんな “Crossing” というタイトルにふさわしい街で物語は動きます。
様々な人々が現れては消えてゆく東と西が交差する大都会イスタンブール。テクラの捜索は困難を極めます。アチは同じく行方不明になっている彼の母親がこの街にいるかもしれないと思ってはいるのですが、なんの手がかりもありません。そんななか、旅人であるふたりと地元の人たちとの交流がなかなかいい感じです。ちょっぴりだけど心と心が交差する感じがあります。やがてふたりの前にテクラ探しの援軍が現れます。テクラと同様のトランスジェンダーでトランスジェンダーの権利を守るために闘う弁護士のエヴリム(演: デニズ•ドゥマンリ)です。この3人、本当に属性がバラバラな感じがして、テクラ探しがなかったら絶対に出会うはずのない3人とも思われますが、いっしょに行動するうちに距離が縮まってくる感があり、ここでも心と心が交差する感じがあります。
そんなこんなが淡々と描かれ、これといった劇的な展開もありませんが、妙に心に残る作品で上記のタイトルに掲げたことわざをふと思い出し、その意味を考えてみたくなりました。たぶん、私、この作品のことはずっと忘れないと思います。特に感動したとか、ストーリーが面白かったとかいうわけではないけど、深い余韻の残る、いい映画でした。
LGBTQにまつわる人生や家族の姿を西アジアの市井の人々の視点で描く
映画冒頭に字幕で示される「ジョージア語とトルコ語には、文法上の性差がない」のメッセージ
品詞に性別があるドイツ語、フランス語、スペイン語などの外国語の文法に少しでも触れたことがある諸兄なら、
「いや、英語も日本語も文法はそう(性差ない)じゃん」
と思われるかもしれませんが、さに非ず
どうやら、本作の舞台となるジョージアやトルコの言葉には、「彼」や「彼女」の区別、つまりそれを示す単語(HeやShe)がないようなのです
つまり、これは
「それなのに、(彼らは)それぞれの立場で、自分があるいはその家族がLGBTQ(彼なのか彼女なのかの問題)について悩み、悩まされ続けている。皮肉な話ですね」
という提示
本作は、ジョージアやトルコに生きるそれぞれの登場人物の、LGBTQや家族・親子関係をめぐるアイデンティティの問題を、旅(人生)を通じて描く、ロードムービー
観る側にとって、この映画の最もいい点だと思うのは、この旅を始める2人の本来無関係なジョージア人(グルジア人)が、LGBTQの問題について客観的な (学問的な、あるいは社会学的な) 知識を持った人たちではなく、単に、そういった家族の問題に否応なく直面させられることになった一般人だ、というところです
視聴者は、この登場人物達の立場で、目線で、このストーリーに没入する。そして、ある人物を当てもなく探すこの旅の状況を理解し、追体験することになります。何気ないけれども、よく練られ、造り込まれたプロット、物語だと思います。劇的な出来事や、あっと驚く展開はなくても、映画を通じて味わい深い体験をすることができます
ラストには、一瞬「えっ!?」と思わせる展開が待っていますが...
あぁ、そういうことかと。
(好き嫌いは分かれるかもしれませんが) 技アリの演出。これによって、映画全体の印象が一層深まることになると思いました
イスタンブールの路地裏にて
ジョージアの国境を超えトルコに入った時、アチがリアに景色は同じだなぁ、。と言っていた。海岸沿いの陸続きの国境であれば当たり前の話だが国が違えば言語も違うし文化も違う。トルコ(とりわけイスタンブールは)は歴史的に多様な民族が行き交い、そしてそれを受け入れてきた。元ソ連の小国であり経済的にも恵まれてはいないジョージアの人々にとっては憧れの地であると思う。
10年以上も前だが、私は大きなM&Aの交渉の為(残念ながら失敗)に3回程イスタンブールを訪れていた。現地エージェントのエスコートで仕事してたので観光はアヤソフィア(改修前)やガラタ塔位しか行ってない。滞在したホテルやレストランを含め綺麗なところしか知らなかったので、この映画でイスタンブールの裏路地や歓楽街の雰囲気が見れたことが少し感慨深い。又ゆっくり行ってみたいと思う、。
邦題のタイトル通り、心と心の人間同士の交差点をLGBTQを背景に淡々と描いている。ラストにリアがテクラと偶然再会するところでジワっとした。それは幻だったが、希望はリアにもアチにもエヴリムにも差し込んでいたように思う。
世界は何処もかしこも自国優先に傾きLGBTQもSDGsも関心は薄れていく。エルドアン大統領もトランプ大統領もプーチン大統領もこのような映画を観ることはないのだろうなぁ、。
なんの関わりもなかった世代・性別の異なる3人の人物がある一点で交わ...
ラストは思わずウルッときた作品
ミモザフィルム配給、ジョージア映画は良作が多い中今回の作品も素晴らしかった。リア先生と青年アチのトルコへ孫でトランスジェンダーのテクラを探すロードムービーだが、ラストは思わずウルッときて感動したし胸に染みた。色々、考えさせられる作品。見事。
相容れぬ3人の葛藤と融和!!
「クロスする現実」と「クロスしない現実」の間でどう生きるか
イスタンブールの喧騒の中で、いくつもの交差があり、交差しないすれ違いもある。
アイデンティティ、ジェンダー、国籍、言語、年齢、過去…。
早朝の静かなイスタンブールの街を歩いたことしかない私には、映像が生々しく迫り、目を閉じると、空から街を俯瞰している自分がいた。
リアルと想像の境界が消え、ゾワッとして慌てて目を開けた。
舞台は、政府がLGBTQ+に否定的な立場を取っているとも言える、社会的な制約や差別が続くトルコ。
ジョージアからトルコへ、消えた姪を探すリアと同行する青年アチの旅。
国境を越えた時の、アチの「何も変わらない」と、リアの「当たり前でしょ」。
国境というものは、人間が引いたただの線なのだと実感させられた。
否が応でも、民族もアイデンティティも無視され、直線で引かれた国境を思い出す。
このセリフの奥に、地図の上に引かれた人為的な線、
男女という二分法の線、マジョリティとマイノリティを分ける線への皮肉が見えたのは私だけだろうか。
アチを同行させた理由を想像してみると、リアは国境を越える前から、境界線を全部取っ払って行動することを決めていたということか。
救えなかった記憶を抱えたまま、それでも他者と共に歩けるか。
他者の尊厳をどう認めるか。
生きる理由を失ったとき、人はどう生き続けるのか。
を問う作品だと感じた。
noteでは、YouKhy名義でアフリカでの「クロスしない現実」の体験と本作を重ねたエッセイを書いています。
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