配信開始日 2025年11月5日

「本心の核心」タイラー・ペリーのジョイを探して R41さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5 本心の核心

2025年12月1日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

『ジョイを探して――吹雪の森で見つけたもの』

ジョイという名前は、皮肉にも「喜び」を意味する。
しかし、彼女の人生は喜びとは程遠い。
仕事も恋愛も失敗続き、畳み掛けるような理不尽な不幸の連鎖。
その底で彼女が信じていたのは、「悲しみの後には喜びがやってくる」という希望だった。
だが、神はサイコロしか振らない。
人生に仕込まれた意味などなく、人はただ、そこに意味を見つけようと足掻く。

絶体絶命のピンチに瀕したジョイをリッジが救う。
しかしそこはスマホもテレビもない世界。
沈黙だけが支配する空間で、二人は互いの本心を吐露する。
母の死、父の再婚、許せない自分。
リッジの悲しみは、ジョイのそれと重なり合う。
人は誰しも、自分自身に対する嘘を抱え、誤魔化しながら生きている。
だが、吹雪の孤立はその嘘を剥ぎ取る。
沈黙は、核心に触れた後に訪れるものだ。

「逃避」という言葉が、リッジの心を突き刺した。
森での孤独は、彼にとって必要な静寂だった。
だが、ジョイはそれを指摘する。
人は他人の逃避を裁く資格があるのだろうか?
それとも、逃避こそが生き延びる術なのだろうか?
ジョイ自身もまた、夢という名の原動力に縛られ、ストレスと喧騒に押し潰されていた。

やがて吹雪が晴れ、別れの時が来る。
一週間の沈黙と対話が、二人に何を残したのか。
それは、人生の意味を探すことではなく、意味を与える勇気だった。
ジョイは夢を叶える。
だが、その選択は、リッジの言葉と、親友たちの行動がなければ成り立たなかった。
偶然か、必然か――それを「天使のいたずら」と呼ぶのは、信心深いリッジの優しさだろう。

森には何もなかった。
だが、何もない中にこそ、すべて必要なものがあった。
沈黙と喧騒、逃避と夢。人間とは、その二面性を抱えて生きる存在だ。
私自身も問わずにはいられない――「私は何から逃げているのだろう?」

R41