「ハントとは?」アフター・ザ・ハント R41さんの映画レビュー(感想・評価)
ハントとは?
アフター・ザ・ハント――秒針が告げるもの
心理スリラーと解説にあったが、まさにその通りだと思う。
哲学や心理学、あるいはそれに類する学問は数多くあるが、名を残した哲学者たちが時代ごとに新しい考え方を生み出してきたように、「真理」は時代によって変わるのだろうか?
そして、未だにこれと断言できるマニュアルは存在しない。
強いて言えば、ブッダが説いた「空」のように、一本のボールペンは石油や金属、太古の元素、そして宇宙の「縁起」によって成り立つ。
すべては関係性の網の目にあり、「因果」はあるが「意味」はない。
この映画は、その不確かさを現実の刃で突きつける。
哲学を教える大学教授アルマに訪れたのは、うわべの学問ではなく、血の通った「現実」からの挑戦状だった。
タイトルにある「ハント」は、銃を持つ狩りではない。
それは、言葉で人を追い詰める現代の狩猟だ。
SNSや記事が、些細な言い合いを炎上させ、第三者のジャッジメントを呼び込む。
この映画は、その攻撃性を冷徹に描き出す。
アルマには過去がある。
かつて愛した人を「自分と同じだけ傷つけたかった」という理由で、彼女は嘘をでっち上げた。
その嘘は、男を死へ追いやり、アルマを哲学へと駆り立てた。
だが、その哲学は鎧となり、やがて穿孔性潰瘍という傷口を生む。
思想は現実に穿たれたのだ。
物語の核心は、マギーがハンクにレイプされたかどうか――その事実が最後まで語られないことにある。
この沈黙は、アルマの過去と響き合う。
「本心を語ることは正義なのか?」
「沈黙こそが正義なのか?」
映画は答えを与えない。
観客に委ねる。
そして、冒頭や節目に差し込まれる「秒針の音」それは、目に見えない時計ではなく、心の奥で刻まれる猶予の終わりを告げる音だ。
アルマが告白へ向かうためのカウントダウン。
最後の審判を待つ音。
現代社会では、「それが私の本心だ」という言葉が権利としてまかり通る。
だが、その本心を実行した瞬間、それは悪になる。
若い世代の「弱さ」と「甘え」、ネット記事による攻撃、事実確認なき言葉の独り歩き――。
この映画は、その混沌に一つの解決策を示す。
告白と懺悔。
宗教やドグマを超えて、人は過去を清算しなければならない。
それが「正義」なのだと、映画は静かに語る。
人は誰もが反省すべき過去を持つ。
その澱を抱えたまま生きるより、勇気を出して告白し、懺悔すること。
それが、人間社会の新しい門出になるのだろう。
