「ほのぼの動物映画の皮をかぶった社会派作品」ペンギン・レッスン ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
ほのぼの動物映画の皮をかぶった社会派作品
ゆるほんわか系の脳みそ休まる動物映画と思って油断していたら、軽くビンタで気合いを入れられたような気持ちになった。この映画は本質的に1970年代のアルゼンチンにおける軍事政権の圧政の苛烈さを静かに訴える社会派の作品であり、ペンギンのエピソードは話のヘビーさを緩和するクッション材のようなものなのだ。
ペンギン周りの展開がゆるかったことは間違いない。そもそも海岸で重油にまみれたペンギンを助けたら、洗った後は海に返すのが当たり前ではないのか。何故連れ帰る義務が発生するのか、ウルグアイの謎ルール。
その後ペット禁止の宿舎に連れ帰り、誰かにバレて大ピンチみたいなイベントが発生するのかと思いきや、なんだかとてもやさしい世界が展開する。
初手から勝手に部屋に入ってくる距離感のおかしい同僚タピオ、メイドの祖母マリア・孫ソフィアのコンビに、トムはあっさりとサルバドールと名付けたペンギンの存在を白状するが、彼らはすぐ好意的に受け入れる。学級崩壊状態だったトムのクラスはサルバドールを連れていくとたちまち聞き分けがよくなり成績もうなぎ登り。ついには校長もサルバドールの魅力に癒されてしまう。
一方で、「汚い戦争」と呼ばれた1976年当時の軍事政権による圧政が丁寧に描かれる。軍が選定した行進曲一色のラジオ、日ごとに悪化するインフレ、政治的に危うい発言ひとつで連行されてしまう世界。
イギリスからやってきたトムは、当初はそういった社会情勢についてどこか他人事で、校長から言われた通り政治的な発言もしなかった。
だが、サルバドールが縁で親交を深めたソフィアが目の前で当局に身柄を拘束されてから、彼の中で何かが変わり始める。彼女が助けを求めて自分の名前を呼んだのに、彼はただ見ていることしか出来なかった。のちに彼が17年前に自身の娘を事故で亡くしていたことがわかるが、彼はソフィアに対し娘の姿を投影し、17年前と同じ無力感と自責の念を覚えたのかもしれない。
だから、その後街で見かけた当局側の人間に、危険を犯しても詰め寄らずにはいられなかった。彼はもう、事なかれ主義の人間ではなくなっていた。
サルバドールを介して広がる牧歌的とも言える繋がりのあたたかさと、発言に自由のない軍事政権下の現実という落差のあるエピソードの撚り合わせを見つつ、登場人物個々の心の傷を知るにつれ、彼らにとって動物の癒しは切実に必要なものだったのかもしれないと想像する。
動物は言葉を解さないが、聞き上手になるのに饒舌である必要はない。私自身ペットを飼育した経験上、動物は言葉で具体的な状況を理解することはないが、「仲間(飼い主)が弱っている」ことは察知しているのではと思ったことはある。そんな時、ただこちらを見て寄り添ってくれることが何より慰めになる。むしろ、言葉が返って来ないからこそ安心して心を開ける、そんな時がある。
だから、サルバドールに気持ちを打ち明けたタピオや校長、トムの気持ちはよくわかる。
唐突に訪れたサルバドールの死は本当に悲しかった。ベタと言えばベタなのかもしれないが、前振りも大袈裟なお涙頂戴演出もなかったのでかえっててきめんに刺さってしまった。洗面台の陰に遺品を見つけて泣くトムを見て、サルバドールとの出会いで彼が変わったことを実感した。死を以て命のはかなさ、尊さを教えることも、サルバドールのレッスンだったのだろうと思う。
軍事政権下の社会の描写はここまでずっと救いがなかったので、ソフィアの帰還という一筋の希望で締めるのは、若干出来すぎ感はあるにせよいい終わり方だった。
ところで本作は実話に基づく物語だとされ、原作としてトム・ミッチェルの「人生を変えてくれたペンギン 海辺で君を見つけた日」がクレジットされているが、原作でのトムの年齢は23歳。映画でのトムの年齢や娘を事故で亡くしたこと、ソフィア拘束にまつわるエピソードなど、割と物語の根幹に関わる部分が映画オリジナルの創作のようである。
だが、時代背景の描写に重点を置いたことで可愛さだけが売りの動物映画とは一線を画す作品になっており、ペンギンの癒しの意義もより生きてくるので、個人的には上手いアレンジだと思った。
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