落下の王国 4Kデジタルリマスターのレビュー・感想・評価
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圧倒される映像美
デジタルリマスター版が公開されたので見に行きました。映画館の大画面の前列で見てあらためてこの映画のすばらしさを感じてきました。
人間の深層意識を増幅して卓越した創造性でビジュアルに落とし込んで表現していて、自然と映像に引き込まれてしまいます。石岡瑛子の衣装も素晴らしいです。数々の歴史遺産をこれだけの迫力ある映像として残しているのはこの映画以外にないんじゃないでしょうか。とにかく画面の端から端まで無駄なく使っていてこれはビデオで見てはいけない作品です。
ストーリーテリングする主人公の頭の中で想像していることが映像化されていきます。これは「ザ・セル」にも通ずるターセム監督の好みなんだと思いました。
ストーリーは映像に負けているという見方もあるようですが、そんなことはなくつらい目にあった無垢な少女と絶望に生きる男の心の交流と再生が大胆な手法で描かれていて心にしっかりと響いてきました。CGでなんでもできてしまう時代にはない素晴らしさが詰まったはずすことのできない作品だと思います。
ビジュアルモンスター、略してビジュモン
余韻よろし
観終わって2日たつわけだがベートーヴェン第7番を聴きたくなる熱が継続中。
映像はすごかった。
愛を感じる武蔵野館で観たことに後悔はないが、もっと大きいスクリーンと高度な音響施設の劇場で観てもよかったのかもしれない。
思い返すと印象的なシーンばかりだ。
冒頭のモノクロスローモーションもだし、フィジーの島もだし、神父の顔からののシーンもだし、解放するシーンもだし(シュナの旅を思い出した)
個人的には観る前からわかっていたとも言えるが、石岡瑛子さんの衣装の美しさは本当に素晴らしかった。
5人➕αの個性爆発でバラバラだけど際立つ衣装は魅力的すぎる。
黒山賊のはある意味一番シンプルなのに、セクシーさが半端ない。二の腕と2丁拳銃、黒地に金の装飾。
彼の、いや彼らのストーリー展開に思うところがあるのは人それぞれだろうが、自分はこういう夢物語があってもいいと思える派。忘れていた児童文学だってこういう感じなのもあっただろう。理路整然としたストーリーを求めたいならおすすめできない。
落ちる、の解釈は色々ありそう。パッと出てきたのは、必ずしもネガティブな意味だけではないということ。地球にいれは物理的にも精神的にも落下は誰でも経験することだけど、落下してからどうするかが大事なのかなぁ、とか。
レビューとは関係ないが、美しい映像を見てると仕事してちまちまとスマホをいじってばかりの生活なんかしてる場合じゃなくて、もっと美しい景色の所に自分も行きたいし行かなきゃなんて気にさせられてしまった。実際の映像がもつ力、かな。
北インドの湖はパンガン湖とかの近くだろうか?
いつか行ってみたい。
あと、最後に、書くと怒られそうたけど、めんべえのお面を思い出して食べたくなった。
期待をしたけど…
白い服の人々が回転するシーンが一番のお気に入り
テレビ放送を録画で観て、あまりの美しさにうっとりしてから年月が経ち、デジタルリマスターで映画館にかかると聞いては、見逃してはならない。ということで、映画館へ、走ったー。良かったー。やはりこの作品は、映画館で観た方が数倍よいと思う。大満足だー。
ストーリーは至ってシンプルで、ある意味おとぎ話と捉えても良い。子役の表情や仕草も自然で、ぷくぷくのほっぺがかわいい。偶然にも入院して出会ったアレクサンドリアとロイは、おそらく退院後に二度と会うことはなかっただろう。しかし、彼らの出会いは、二人の心に刻まれたものだった。こんな短い期間の、淡い交わりが、人を変える。人生とは、交差点でいろいろな人と一瞬目が合うような、そんな小さなことが積み重なってできているんだろうな。
とにかく風景が美しい。構図もこだわり抜いている。衣装も俳優を引き立てて、かつ主張も怠らない。白、赤、黒、青、黃、緑の色の鮮烈なこと。これだけ磨きこんだ美を、見ているだけで幸せを感じる。魔法にかけられたように、ポーっとして映画館を出た。善きものを見た。
予告映像以上の感動は無かった
最大の見どころは華麗な映像美だがそれだけじゃない
「果てしなきスカーレット」を見て以来、他の映画を見るときに共通点があると気になるのですが、この映画でいえば「映像美」と「唐突な場面転換」、「復讐」あたりでしょうか。まあ、こちらはあちらと違って映像に華があるので雰囲気はだいぶ違う気もします。
石造りの建物を背景に複数の人物を配置して見栄えのいい構図を作る、というのは「教皇選挙」にもありましたが、実に隙のない絵作りで大画面で見ると壮観ですね。
復讐を目指す一団の物語はいわば劇中劇で、役者のロイが子供のアレクサンドラに聞かせるための創作話なので、前後のつながりなどが適当なのは一応説明がつきます。なぜか進化論のダーウィンが出てくるところで、たいていの人はこれが架空の話だと想像はつくのではないでしょうか。
子供のアレクサンドラがそんな話でも感情移入して泣いたりするのはわかるとして、終盤はロイ本人までも涙ながらに語るのはなぜだろうと思ったら、自身の経験も入り混じった話だったからなのかと後で気づきました。
ロイは失恋の痛みを乗り越えて役者として大成し、アレクサンドラも家族を失った悲しみから立ち直る、といういわば成長の物語。お互いが相手の痛みをいやすという役割を担っていて、そこには大人も子供も関係ない人と人とのつながりの尊さがあるように思います。
世界遺産と無垢な心を観たい人におすすめ
映像美
やっと大画面で観ることができました。
落下の王国
ベートーベンの7番が流れる冒頭と最後のシーンが好きです。
とても懐かしい映像が見れた
何年も前だが一度観たし「一度でいいかな」と今回の上映は見送ろうかと思ったが「なんか話題になってるし、大画面で見るべきか?」と調べると、「オリジナルの劇場公開版ではカットされた新たなシーンが追加されている」と知る。
確かレンタルDVDで自宅の40インチくらいのテレビで見たと思う。当時の感想は「これは映画館向けで、スクリーンに引き込まれる映像美だろう」と確か思ったもんだ。追加のシーンはもちろん解らない。
今回私が見た福岡のスクリーンは2Kだったが、思い出すシーンと完全に忘れていた描写があって再鑑賞して良かった。
特に少女アレクサンドリアが頭を打って悪夢を見る『ナイト・ウォッチ 』的なシーンは「記憶の片隅に残っていて、この映像は『落下の王国』だったのか!」と繋がって鳥肌が立った。
13の世界遺産、24ヵ国以上のロケーションの効果は絶大で撮影監督の手腕が光っている。
インド出身の映像作家ターセム・シンが2000年に手がけた映画監督デビュー作『ザ・セル』で名を馳せ、これも当時DVDをレンタルして見た。映画の監督作は少なくレディ・ガガの楽曲♪「911」(2020)のMVなども手がける独創的な世界観と映像美で描く監督さんだ。
2012年に他界した衣装デザイナーの石岡瑛子とは、『ザ・セル』から『白雪姫と鏡の女王』(2012)までの4作品で毎回タッグを組んだお方で、お名前で検索すると見事な衣装の数々が出て来る。
私がレンタルした時は『ザ・フォール / 落下の王国』と言うタイトルで、ザコ・ヘスキヤ監督、脚本による1981年のブルガリア映画 『ヨー・ホー・ホー』が原作とされていた。
出演者は誰も知らないと思ってたら、主人公リー・ペイスはM.C.Uのロナン(クリー帝国の将軍でサノスと結託したヴィラン)だった。
あふれるサイレント映画愛。「物語」を紡ぐ敗残の主人公はターセム監督の分身に他ならない。
『ザ・セル』のターセム・シン監督が、ほぼ自主製作映画として自ら資金を集め、4年をかけて作った極私的なカルト・ムーヴィー。
このたび4Kリマスターが完成して、武蔵野館で再上映がかかった。
これは観ておかないとと、土曜日の夜の回に開始直前のタイミングでのこのこ行ったら……上映三週目にして、なんといまだに大入り満員! 残っていたのは最前列左の「最後の一席」だけ! 場内はおおむね若者たちが占めていて、『落下の王国』の斬新で衝撃的な映像センスが、20代の若者にしっかり刺さっているのを確認。いやあ、素晴らしい!
原色を用いたド派手な衣装の色彩美と、実在する衝撃の絶景を用いた壮大なロケーションがウリの、映像センス炸裂の一作。
とにもかくにも絵柄の強烈さとポージングのカッコよさが図抜けているので、それだけを目的として観てもまったく問題ないくらい、ヴィジュアルインパクトは凄まじい。
ストーリーは、面白いといえば面白いのだが、想像以上に根暗だし、難解だし、語り口がとつとつとしていて頭に入ってきづらい。
祖型としては、おねだりされた大人が子どものために語った幻想譚が、しだいに現実とオーバーラップしていくというルイス・キャロルの『不思議の国のアリス/地下の国のアリス』に近い物語構造をとる。
『プリンセス・ブライド・ストーリー』のように「語り聞かせ」から冒険譚が展開していくつくりで、物語の中に現実の登場人物が別の役で出てくる仕掛けは、他の映画でも何回か経験したことがある。
ただ、似たようなナラティヴを愛用するテリー・ギリアムやジュネ&キャロあたりと比べても、圧倒的に戯作味やサーヴィス精神が足りないので(笑)、やっぱり観ていて結構退屈するし、睡魔に襲われる。語られる6人の英雄の冒険譚自体が、きわめて断片的で、思いつきのまま迷走していて、そのまま「人の悪夢を追体験させられている」かのような内容なので、さすがにだんだん疲れてくるんだよね。
ただ、六英雄のキャラ立ちはすごい。
まんま「ゴレンジャー」みたいなんだけど(笑)、衣装デザインの石岡瑛子の脳内で、日本の戦隊もののイメージがあったんだかなかったんだか。
まず、リーダーの「黒い山賊(バンデット)」がめちゃかっこいい。
(容易にテリー・ギリアムの『バンデットQ』が想起される。)
軽くハードゲイみたいな恰好なんだけど(笑)、エッジがきいててスタイリッシュ。
とてもめそめそしているベッド上のロイと同じ俳優が演じているとは思えない。
彼の仲間も濃ゆい。爆弾のエキスパートのイタリアン(どっちかというと顔がコサックっぽい)とか、めちゃくちゃスタイルの良い奴隷あがりの黒人戦士とか、燃える木(旧約聖書のモーゼと燃える柴を否応なく思い出させる)から生まれてきた神秘家(ミスティーク)とか、実在の進化論の学者である「チャールズ・ダーウィン」(&猿)とか、緑の服を着た「インド人」とか。この「インド人」って、ロイは明らかに「アメリカのインディアン」のつもりで話しているのに、アレクサンドリアの脳内では「インド人」として再生されているんだよね。なんて小粋なギミック!
彼らの活躍の舞台となる「絶景」がまたすごい。
6人が出てくる前、ロイはアレクサンドリアに、彼女の名前からの連想でアレクサンドロス大王が「水を捨てちゃう」エピソードを披露するのだが(このシーンはのちに六英雄のエピソードとして再現される)、その背景になっているナミビアのデッドフレイからして、もう声を喪うような絶景ぶり。圧倒的な赤い砂壁と、卑小な人間たちとの対比。こんな風景、ほんとうにこの世に存在するんだなあ。
あと、なんといっても衝撃的なのが、終盤で6人が死闘を繰り広げる「階段造の無限城」みたいな謎空間。あのチャンド・バオリって、インドにある公共井戸なんだってね!! 井戸があんな恐ろしい悪夢の幾何学迷宮に変容するなんて!!
他にも、フィジーのバタフライリーフや、ジョードプルの青い町もビジュアル・インパクト十分。インドのあちこちにある王宮や城が、冒険の舞台として巧みに使用されている。
六英雄が場面ごとに各国の世界遺産を移動していく展開は、さながら「ストリートファイター2」や後発の格闘ゲームにおけるバトルフィールド選択のようで、ちょっと熱くなる。キャラクターの雰囲気は「アサシンクリード」と親和性が高い感じもするし。
そういえば、彼らのスタイリッシュなファッションや立ち姿はどこか『JOJO』っぽくもあるし、アレクサンドロス大王を含む英雄勢ぞろいとか実在人物の英雄化とか、やっていることはちょっと『Fate』感もある。「ミスティーク」の名称なんかも『Xメン』を思い出させるし……。
縁遠いように見えて実は結構、日米のアニメやサブカルチャーから影響を受けている部分もあるかもしれないし、監督本人がゲーム&アニメカルチャーに造詣が深い可能性もありそうだ。
終盤の悲劇的な展開は、かなり中二病っぽくもある。
不肖私も、三匹の子豚がオオカミと殺し合ってみんな死んじゃうような劇台本を、小5のお楽しみ会の寸劇用に書いたことがあった(笑)。
こういう「全滅エンド」みたいな話って、基本「子どもじみた」発想なんだよね……。
本作の場合は、ロイが取り憑かれている幼児退行的な希死念慮と自殺願望の直接的な反映として、物語内の勇者たちにも裏切りと悲劇が訪れることになる。
あるいは、冒険活劇系の夢を見ていて、目覚めかけにどんどん酷い状況になっていく感じともとても似ているかもしれない。あと、本当に目が覚めそうになってくると、多少夢だと頭の片隅でわかったうえで、脳内で無理やりハッピーエンドに持っていこうとしたりしません? 最後の方にアレクサンドリアが「介入」してくる展開って、まさにそういう「明晰夢」の香りが漂っている。
子供じみた自暴自棄と捨てられ男の絶望に囚われて、自分の生み出したキャラクターを虫の如く始末し始めるロイに対して、彼をいさめ、清らかな涙でさとし、遂にはロイの病んだ心まで洗いきよめてしまうアレクサンドリア。
ロイとアレクサンドリアが物語の結末をめぐって壮絶な綱引きを繰り広げる終盤の展開は、本作で最もスリリングなシーンといってよい。
そしてこれは、「物語の創造主なら物語を好きにして良い」とするか、それとも「生み出された物語には自立性があり、読者の願望もまた物語の展開を決める一要素たり得る」とするかという、究極の「作家論」をめぐる対立でもある。
二人の壮絶なせめぎ合いが、結局どうなったかは、ぜひ映画館で確かめていただきたい。
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以下、寸感。
●冒頭とエンディングだけ、ベートーヴェン交響曲第7番の第2楽章が流れる。葬送のイメージをこの曲に抱くかどうかは人それぞれのようだが、少なくとも悲劇的なテイストは感じられるアレグレットであり、この物語におけるロイの心境に寄り添う。
●冒頭のシーンは最初まったく意味がわからず、何かのイメージ映像かと思っていたくらいだが、あとあとロイがケガしているのを見て、ああスタント失敗で救出されているシーンだったんだ、と理解した次第。あらすじも何も見ないで映画を突然観ると、出だしでつまずくことが結構多い(笑)。
シーンとしては、モノクロームによって「過去」であることが明示されると同時に、ある種の「悪夢」であることが暗示される。活人画(タブロー・ヴィヴァン:実際の人間が静止して構図をつくることで絵画を模してみせる)を明確に意識した断片的なシーンの組み合わせは、ロイのなかで伝聞情報をつなぎ合わせてつくられた偽記憶の可能性もあるだろう。
水から引き上げられる馬のイメージは、のちに登場する水中を泳ぐ象のイメージとかぶる。
機関車・鉄橋・馬の取り合わせは、容易にサイレント映画を想起させ、ラストの破天荒な無声映画スタント連発と呼応する。
●病院での娘の可愛さは異常。顔はおかめみたいでファニーな感じだが、とにかく愛嬌と吸引力のあるおそろしい子役だ。
●砂漠で繋がれた六英雄が、顔面に直射日光による火傷を負いながら追い詰められている描写って、そのまま(マカロニ)ウエスタンからのいただきだよね。
一方で、「金持ち」のいる「プール」が最終決戦の場となる展開は、サミュエル・フラーの『殺人地帯U・S・A』など、ノワールの世界観だといっていい。
●神秘家(ミスティーク)と「鳥」の取り合わせは、なんとなく聖フランチェスコを想起させる。また、鳥は「魂」の象徴であり、口から飛び出す鳥の群れは、命が抜けてゆく隠喩に他ならない。奴隷戦士の最期は、殉教聖人である聖セバスティアヌスを思わせる。
●本作のタイトルは『落下の王国』。原題も『The Fall』だ。冒頭のロイの川への転落から始まり、少女の木からの墜落、少女の医局でのハシゴからの墜落と、常に本作における試練は「落下」の形で襲ってくる。栄光からの失墜。愛した女の堕落。語り部としての闇落ち。この映画では、下向きのベクトルが常に物語を動かしていく。物語内の英雄たちにも悪人たちにも、墜死を遂げる者が出てくる。
本作では「作り話」が作品の中核を成しているが、それを生み出すのも、阻むのも、眠りに「落ちた」状態だ(fall asleep)。話はどちらかの眠りで妨げられ、一方で「夢」は次なる物語の供給源となる。
そういや「落下」というキーワードを軸に物語が構成されていた映画が、最近も何かほかにあったなと思ったら『落下の解剖学』(2023)だった。
●この映画のラストで、観客は本作が実は「映画をめぐる」物語だったことに気づく。
実際の製作シーンが出てこないから気づきにくいが、これは『アメリカの夜』や『軽蔑』と同様、「映画に携わる人」を扱った映画であり、1915年という時代設定も含めて、サイレント映画への限りない憧憬と敬慕の念を込めた映画なのだ。
病院での手回しカメラでの、ロイが出演している映画の上映。
そのあとえんえんと流れる、無声映画の「名スタントシーン」集。
今の時代ではちょっと考えられないような身体をはったスタントの数々に、ロイが生きた時代に対する純粋な尊敬の念が湧きだしてくる。
「あれもロイ、これもロイ」と少女のナレーションがかぶる。
(ちなみにここって、最初は「結局ロイも復帰できてよかったね」というハッピーエンド展開なのだが、あの一言で、実は復帰など出来ていなくて、単なる少女の願望がロイの影を見させているだけかもしれないという怖い想像をしてしまう。感動的であるとともに、ぞくっとさせる、映画にとって「楔」となる一言だと思う)
あの怒濤のスタント・シーン集は、僕にとって思いのほか感動的だった。
人が映画にかける情熱。身体をはることの重み。娯楽に「死ぬ」覚悟で臨む心意気。
あれを特撮もCGもなしで全部やってたんでしょ? あの頃の俳優さんたちって。まあまあガチで頭がおかしかったとしか思えない。時代も人も映画にくるってたんだよ。だからサイレント映画には、古くさくとも異様な熱気と吸引力がある。
それをターセム監督は、この映画の最後になって、ひとまとめで観客に叩きつけてくる。
ターセムが示したのは、今はなき映画の先人たちへの深い愛慕の念だ。
あるいは、映画を撮ることでしか生きられない、映画を撮らないと前を向いて生きられない自分の「業」を肯定するために、彼はサイレント時代の先達の覚悟に「すがった」のだ。
この映画の「作り話」だって、その中味は実のところサイレント時代の映画の断片から構成されている。剣戟の仮面の盗賊。インディアン。復讐劇。砂漠。宮殿。すべてはサイレント映画からロイが「拾ってきた」アイテムの組み合わせに過ぎない。
語ることで、客を動かそうとする話。
語ることで、死のうとする話。
語ることで、希望を取り戻す話。
この物語のロイ――語り部であり、敗残者であり、自らの物語を踏みつけにしようとするが、純粋なひとりの観客の力で、闇を祓って再生する映画人――は、他ならぬターセム監督自身の分身でもあるのだ。
評判どおり、ストーリーが有るようで無い、無いようで有る作品
評判どおり、ストーリーが有るようで無いというべきか、無いようで有ると言った方が適切なのか、という作品でした。
個人的には、映画には映像美よりはストーリーの良さを求めてしまいます。そのため、本作品は自分の守備範囲ではないかもとは思いつつも、DVD無し・配信も無しということの方が気になってしまったので、映画館で鑑賞することを選んだのでした。
恐縮ながら、鑑賞後もやはりとても好きな作品にはなってくれませんでした。ストーリーが難解というかついていけなかったためです。見たこと自体は正解だったと思っています。見ないでいたら、いつまでも「見ておけば良かったか」と気になり続けたはずで、どうあれ見るしかなかったわけですので。
天才的な才能がないと作れない作品であるとは感じました。監督さんの思うままが描かれきった作品になっていることは伝わってきましたので、これでいいのだろうと思います。
1度きりではなく何度か鑑賞したなら、印象や理解もがらっと変わる可能性がある作品なのかもしれません。映像を止めてじっくり見たいところもいろいろあったので、可能であれば配信またはDVD/ブルーレイでも見たいところです。
2K上映
公開当時は、壮麗な映像と独創的な世界観が話題を呼んだ、とのこと…。
2006年の公開当時は全く知らず、今回かなりの興味を持って見に行った。
公開当時は、壮麗な映像と独創的な世界観が話題を呼んだ、とのこと…。
話は、
落下して足を負傷して入院しているスタントマンが入院中の女の子に話す物語が、映像として出てくる。その映像が様々な世界遺産などを背景にシュールな映像が続く。全くCGを使わない映像は、耽美的で美しい。
最初は、突飛な話で楽しい。段々深刻になり、すると、物語の中にも話し相手の女の子が出てくる。で、女の子の希望で話は変わって行ったり…。
ただ女の子に話す物語がそんなに面白くない。段々飽きてくる。映像は、非常に美しいけど…。
物語より、話しているの二人の方がだんだん楽しく、温かい話になってくる。結局失意のスタントマンは彼女に癒されて立ち直ってゆくのだけど…。お金をかけたメインの物語の話より病院でのシーンの方が結局は面白い。それは計算なのかわからないけど、背景になっている物語の映像は、壮大な映像の割には話が安っぽく面白くない(結局痴話喧嘩の話だった…)。その点がマイナス。勿体無い。もっと物語が面白ければ傑作になったのかもしれない。
まあ、活動映画へのオマージュや、スタントマンへの敬意を表したところなど、それなりに面白いし(感動するし)、ちょっと尖った雰囲気が面白いのだが、大きく構えた割には思いのほかこじんまりした話なってしまったのが残念。
それに、実写だからすごいわけだけど、イメージが溢れる映画としては宮崎駿の「君たちはどう生きるか」の方がよく出来ているように思ったり…。(そういえば、マントを開くと爆弾が…と「カリオストロの城」と同じようなシーンもあったり、宮崎駿の影響もあるのでは?)
期待しただけに、なんか物足りなかった。「映像だけ」を楽しむためにもう一度見直したい…。
全187件中、21~40件目を表示
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