「いかにもマイケル・キートンらしい凝った作品」殺し屋のプロット あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
いかにもマイケル・キートンらしい凝った作品
クロイツェル・ヤコブ病は異常蛋白が脳に蓄積して起こる病気で、BSEいわゆる狂牛病との関連によって大騒ぎになったのは1996年頃だっただろうか。
確かに進行はとても速い病気だが、認知症に加えて運動障害も起きるのであんなに格闘とかできないような気もする。まあ老いた、ピークを過ぎた殺し屋の話は今までもあったが認知症の殺し屋っていう設定は新しいかもしれないね。
本作をフィルム・ノワール系の大傑作と持ち上げる評もあって、確かに陰鬱な画面や薄くバックにジャズが流れるところ、それにもまして孤高の殺し屋の姿ってところがそう感じさせるのだろう。でも、私にはいかにもマイケル・キートンの作品という印象を受けた。やはり感覚的に似ているのは「バードマン」だろう。主人公は、どことなくということではなく、やはり致命的に、静かに、狂っている。それは同じく彼が演じたブルース・ウェインやビートルジュースもそうだった。
だが、こと「プロット」という意味ではちょっと矛盾が多すぎるという欠点も。まあ原題は「Knox Goes Away」(ノックスは行ってしまう)だから必ずしもプロットのことばかり描いているわけでもないのだけど。でも、ノックスとゼイヴィアだけでなくて、息子がある程度プロットを理解して動かないとああはならないでしょ。もちろん伏線は色々引いてはあるんだけどちょっと無理があるかも。ノックスとゼイヴィアにしても何かおろおろしている感じが痛々しい。まあアル・パシーノももう85歳なんでね。殺し屋の元締めを演じるにはちょっと齢が行き過ぎてるかな。
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