「ネオ・ノアールの指向である思考を覆す!?」殺し屋のプロット Paula Smithyさんの映画レビュー(感想・評価)
ネオ・ノアールの指向である思考を覆す!?
本作とよく似た設定で、ある殺し屋が認知症を患い記憶があいまいになる2022年の映画『Memory』というのがあったけど... あたしからするとその映画は認知症を題材に挙げている割には映画製作者は、認知症というその病に関して漠然とだけで、加齢による物忘れと認知症の違いをあまり把握されてはいなかったと記憶する。あたしは、別の映画サイトでこのように映画の印象を載せていた。
「それよりももっと認知症を前面に押し 出して主人公の混乱ぶりを表し、危機に陥る様子を描くのかと思えば中途半端な一品と言えるかもしれません。」とまぁ~ぁ、いつものように、きつい事を... 失礼
ところで... 婉曲的思考により
"It is a far, far better thing that I do, than I have ever done;
it is a far, far better rest that I go to than I have ever known." (※忘却からの帰還として...カートンのラストの言葉より自分の身を犠牲にしてでも、より崇高な目的を果たすことへの価値観)だから婉曲的に考えればの... お話? そして婉曲的セリフの極みなのが、ノックスのセリフにも現れてもいる。
Knox: As far as you're concerned, I'm Schrödinger's
murderer.
映画を観なければ... いやたとえ観たとしても... 理解の範疇を超えるものとして引用が見受けられる。 ... それは...
量子力学の不気味さを考えさせる思考実験 "Schrödinger's cat" による彼のおかれている状態への比喩的表現となっている。
『Memory』という映画が、"認知症と健忘症" との違いを曖昧にしたことで映画の質があたしから言わせると体たらくと言えるものとなったけれども... 本作に関しては、主人公のジョンの立場、つまり "殺したのか? それとも殺していないのか?" の自覚の曖昧さがこの映画の本質であり、しかもその病質の微妙な変化においても自分の息子を助けるという人としての "最後の砦" を守りぬくところに映画の価値観が見出せるものとなっている。
クレーン役のアル・パチーノのセリフ
He wants to make a change to the list. Take off
the last name, the hooker.(※注意してください。この文章には女性を差別する言葉が含まれています。でもアルパチーノによるもんなので...)
このセリフが後の伏線となり、ネオ・ノアールの退廃的、虚無的、シニカルな雰囲気を和らげる... 映画の邦題『殺し屋のプロット』より "plot twist" でもあってヤコブ病を患っているにもかかわらず、人間性を失わない粋な終わり方をしている。
あたしの持論が初めて違ったというか... 「製作総指揮者が増えれば増えるほど映画の質が落ちる」... でもね、キートンの人柄が我も我もと出資したのに違いないとあたしは思っているって、言い訳として...失礼しました。
最後に不思議に思ったのが何故? アル・パチーノが映画出演を承諾したのかについて
キートンからの依頼なのかもしれないけど巨額の予算によるスリルよりも、登場人物たちによるシーンや物語全体の変化や動き、演技の抑揚などが、観客の関心を引きつけ、感情的な影響を与えるための様々な技術に重点を置いたことで、大規模なスタジオ制作とは異なるクリエイティブな体験が得られるからだと考えられる。(※高次的映画解説参照)
しいてこの映画に難があるとするなら...
日系女性が演じたコケイジョンのしかも男性社会の荒波の中でアジア系の有能な捜査官の女性リーダーが、狂牛病末期の患者にまんまとしてやられるところが... うまくプロットが出来ていても... 天邪鬼なあたいには... どうしても "?" が付いてしまう... 失礼しました。根がわがままなもんで⁉
