「ベルギー発、新進気鋭の監督の描くアクション・スリラーの佳作」ナイトコール 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
ベルギー発、新進気鋭の監督の描くアクション・スリラーの佳作
【イントロダクション】
謎の女性から依頼を受け、とあるアパートの一室の鍵を開けた鍵屋の青年が、マフィアの裏金を巡る問題に巻き込まれていく一夜を描いたベルギー、フランスのアクション・スリラー。
監督・脚本は、本作が長編映画監督デビューとなるベルギーの新鋭ミヒール・ブランシャール。
ベルギーのアカデミー賞と呼ばれる“マグリット賞”にて最優秀作品賞ほか10部門を受賞。
【ストーリー】
ベルギーの首都ブリュッセル。鍵屋の黒人青年マディ(ジョナサン・フェルトレ)は、昼間は学生、夜は鍵屋の仕事で生計を立てる多忙な日々を送っていた。
ある晩、彼はクレールと名乗る女性(ナターシャ・クリエフ)から依頼を受けて、とあるアパートの一室の鍵を開ける事になる。料金は前払いであり、理由があって先に仕事に取り掛かる場合は身分証の提示が規則であったが、クレールは財布ごと家の中に忘れてしまい、鍵を開けてもらわないと料金も身分証も提示出来ないという。
仕方なく、マディは鍵を開けてクレールを中に入れるが、彼女は黒いゴミ袋を持って「お金が無いからATMでおろしてくる。身分証はテーブルの上にある」と言い残してアパートを去ってしまう。テーブルの上を確認するマディだったが、身分証は何処にも見当たらない。そうこうしている内に、クレールから着信が入り、「今すぐそこから逃げて」と指示される。
訳もわからず室内に残っていると、本来の部屋の持ち主であるサムという男(マルコ・マース)が帰宅する。マディの正体を知らないサムは、彼を強盗と勘違いして激しい取っ組み合いになり、命の危険を感じたマディは持って来たドライバーでサムの首を刺して殺害してしまう。
気が動転したマディだったが、警察を呼ばなければと自身のスマホを取り出す。しかし、取っ組み合いで壊れてしまっていた。マディは平静を装ってアパート近くの店の店主から電話を借り、警察に連絡しようとする。しかし、テレビでは市内で行われている人種差別抗議運動“ブラック・ライブス・マター(BLM)”の様子が映し出されており、警官隊が講義に参加している黒人を容赦なく殴打していた。自身も黒人であるマディは、警察に自らの主張を信じてもらえないのではないかと電話を切り、部屋の証拠隠滅を図る。
再び部屋に戻り、証拠隠滅を図るマディだったが、サムを迎えに来た男達を前に逃亡を余儀なくされてしまう。鍵屋の車で逃亡しようとするが、エンストを起こしてしまい、男達に捕まってしまう。
男達に捕えられ、マディは廃墟の中へ連れ去られてしまう。そこには、マフィアのボス、ヤニック(ロマン・デュリス)が待ち構えていた。必死に事情を説明するマディ。女が持ち出したゴミ袋の中身は、サンドバッグの中に隠していた上納金100万ユーロだったのだ。マディの訴えに半信半疑のヤニックは、彼を拷問し、部下であるテオ(ジョナ・ブロケ)に意見を仰ぐ。テオは、マディが嘘を吐いているようには見えないと答え、ヤニックはマディに「朝までに女を見つけ、金を取り返してこい」と命じる。
マディはテオと彼の仲間のレミー(トーマス・ムスティン)に連れられ、サムが通っていた娼館を訪れる。しかし、何処にもクレールの姿はなく、レミーはプレイを邪魔されて激昂した客と殴り合いになってしまう。そんな中、外で電話するテオの姿を目撃したマディは、電話の内容から事件の意外な真相を耳にする事になる。
【感想】
新進気鋭の監督によるベルギー産のアクション・スリラーは、切れ味鋭い佳作として意外な拾い物となった。
監督・脚本のミヒール・ブランシャールは、本作が長編映画監督デビューだそうだが、初監督作にしてベルギー内外で数々の賞を受賞する等、初監督とは思えない確かな手腕を発揮してみせた。
テンポ良く展開され、先の読めない方向へと向かっていく脚本が、最後まで観客をスクリーンに釘付けにさせる。常に「次はどうなる?」という興味を持続させるのは容易ではなく、この“好奇心の持続”を維持させただけでも評価出来るほど。
また、作品を象徴する楽曲であるイギリスのポップシンガー、ペトゥラ・クラークの『La Nuit N'en Finit Plus(夜が終わらない)』の歌詞に対応したマディの成長展開、序盤から丁寧に張られていく伏線、それぞれのキャラクターの抱える事情の提示と、観客に対して非常にフェアな脚本の作りにも好感が持てる。だからこそ、ラストにはもう一捻り(詳しくは後述)欲しいと思ってしまった。
音楽を担当したタンギー・“テプル”・デスターブルの楽曲も素晴らしく、冒頭から一気に観客を物語の世界へ引き込んでくれる。優れた音楽は映画の魅力を一段引き上げる力を持つと改めて感じさせられた。
趣向を凝らしたカメラワークも特徴的で、これには撮影監督のシルヴェストル・ヴァンヌーレンベルへの功績も非常に大きいと思われる。
冒頭、大通りを疾走するマディの車を上空から捉え、やがて画面が回転して映像が逆さまになり、タイトルが表示される。このオープニングシーンの掴み一つで抜群の威力を誇っていた。先述した音楽も相まって「面白い映画が始まった!」と予感させてくれる。
マディがテオ達から逃亡する際に、盗んだ自転車で地下鉄の階段と駅構内を疾走する様子をワンカットで捉えたシーンや、クライマックスでパトカーを引き連れて夜明けのブリュッセルの街中を爆走するマディの車のシーン等、映画的盛り上がりを演出するシーンも印象的で、映画鑑賞の悦びに満ちていた。
キャラクター表現も無駄なく端的に描き出されていき、特に主人公マディと、マフィアの手下テオのキャラクター性が非常に魅力的だった。
マディは母親を亡くし、父親とも連絡を取り合っている様子はなく、恋人とも別れた孤独な青年である。学生生活と私生活を両立させる為に、夜遅くまで鍵屋の仕事をこなさなければならず、食事も仕事の合間に車中で摂らなければならない。気分を上げる為、母の残したお気に入りの曲をコピーしたCDを聴く姿も、彼の根底にある優しさの表現として優れている。
ヤニックに事情を説明しようにも、かつて起こした強盗の前科から素直に信じてはもらえない展開は、脚本的な難関の一つとして機能するだけでなく、彼が「どん底に居る者」という説明にも繋がる。
また、機転の利く姿も印象的で、サバイバル能力も高い事から、変化し続ける事態に臨機応変に対応していき、「常に行動を起こす」キャラクターなのも非常に好感が持てる。そのキャラクター性によって、物語が停滞する事を防ぐと同時に、観客に「次はどうなる?」という興味を持続させるのだ。
だからこそ、彼には自らの命を守る為にテオを犠牲にするような行動を取ってほしくはなかった。その後にジュリーを守る為に覚醒するにしても、別の方法で覚醒させる事は出来たはずだからだ。
彼と行動を共にし、追跡者としての役割も持つテオは、マディと同じく両親が存在しない様子を伺わせ、彼と同じ「どん底に居る者」である事が示される。粗暴なようでいて、マディの主張を「嘘を吐いているようには見えない」と擁護する姿や、妹のジュリー(クレール)を守るべく奔走する姿も好印象。そこには、演じたジョナ・ブロケ本人の悪人には見えないビジュアルも寄与している。だからこそ、彼には最後まで生き残ってほしかった。
混乱の事態を招くクレールことジュリーも、兄想いの妹として「どん底から抜け出してほしい」という願いから盗みを働いた事が明かされる。彼女が、単なるテオの恋人ではなく、妹という設定も意外性の演出と家族というより強固な繋がりの提示として優れていた。
余談だが、クラブ“ブカン”でマディに捕えられた際、彼に強気な姿勢で説教する姿には苛立ちを覚えたので、容赦なく右手にハンマーを振り下ろしたマディはグッジョブである。
他にも、子育てや優雅な生活を維持する為に上納金を納めなければならないヤニックの単なる冷酷な悪人に留まらない人間性、振り回されっぱなしで常に困惑顔を浮かべるレミーと、脇を固めるキャラクターまでそれぞれに見せ場や魅力があるのも素晴らしい。
そんな魅力的なキャラクター達を演じたキャスト陣の熱演にも拍手。
特に、マディ役のジョナサン・フェルトレは、他のキャスト陣より比較的キャリアが浅い中での大抜擢にながら、抜群の存在感を示して見せていた。今後の活躍が楽しみな俳優である。
テオ役のジョナ・ブロケは、3カ国語を話せるトリリンガルな事から、若手ながらも順調にキャリアを積んでおり、原田 眞人監督、司馬遼太郎原作の日本映画『燃えよ剣』(2021)にも出演していた様子。
クレールことジュリー役のナターシャ・クリエフも、ジョナサンと同じくまだまだキャリアの蓄積中ながらミュージカル女優賞へのノミネート等、確実に実力を発揮している様子。ラストで涙を流してアムステルダム行きの列車に独りで乗車する姿だけで、混乱の元凶であるにも拘らず、思わず許してしまいたくなる。
ヤニック役のロマン・デュリスは、フランスを代表するベテラン俳優として存在感を放ち、決して長くはない出演時間ながらも、その風格漂う姿が鮮烈に印象付けられる。
【完成度が高いからこそ感じさせる、クライマックスの“物足りなさ”】
ジュリーを守る為に自らを犠牲にして、警察に撃たれて搬送されるマディ。唯一の肉親である兄テオを失い、持ち出した金を手に独りアムステルダムに向かうジュリー。
マディはヤニックからサム殺しの凶器であるドライバーを押収されており、ヤニックが上納金を納められなかった事から破滅するとしても、マディもまた殺人犯として逮捕される可能性は否定出来ない。
ジュリーもまた、無実の男を巻き込み、兄を失ってまで得た金で、果たして今後の人生を穏やかな気持ちで過ごせるだろうか。
例え、ラストでそれぞれが登る朝日に照らされていたとしても、その輝きを単なる祝福とは受け止められなかった。
また、ヤニック達マフィアと裏で繋がっていた汚職警官のグレッグ(サム・ルーウィック)はお咎めなしである。
このように、彼らの今後の行く末を思うと、決して安易なハッピーエンドとは言えないビターエンドな幕引きとなる。この辺りの結末は、本作がその評価の高さから今後ハリウッド等でリメイクされた場合は、大幅に変更されそうな要素と言える。この鈍い輝きを放つビターな幕引きこそが魅力と言われればそうではあるが、亡くなったテオをはじめ「本来裁かれるべき悪人が、作中でその行為に対する責任を問われない」というのは、非常にモヤモヤとさせられる。
勿論、ヤニックやグレッグをハリウッド的ハッピーエンド演出な勧善懲悪の落とし前をつけさせる必要はない。だが、やはりメインとなるキャラクター達には、本作のテーマが「どん底に居る者」達を扱った「這い上がれるか、落ち続けるか」を描く作品である以上、もっと希望の持てる終わり方をしてほしかったのは間違いない。
というのも、丁寧な伏線描写やマディの機転の利く性格から、ラストはてっきりドンデン返し的な結末を迎えるのだろうと、鑑賞中密かに期待してしまっていたからだ。
贅沢な文句ではあるのだが、やはりエンターテインメントの基本はハッピーエンド(そう見えるだけでも良いので)だと、改めて痛感させられた。
【総評】
ベルギー発の本作は、韓国映画的なジャンルを横断する物語、優れた音楽と撮影と、エンターテインメントとして確かな完成度で、本当に監督は長編初監督なのかと思ってしまうほど。
しかし、だからこそラストの展開にはもう一捻り欲しかったのも確かであり、ビターエンドは玄人向けであると感じた。
とはいえ、出演者や監督の今後の活躍が楽しみである。また、本作はその完成度からハリウッドや韓国で今後リメイクされる可能性もあるので、本作そのものの今後にも注目したい。
