「ホラー版マグノリア」WEAPONS ウェポンズ Tiny-Escobarさんの映画レビュー(感想・評価)
ホラー版マグノリア
外の世界のことを一切忘れられるぐらいに、没入感のある映画でした。
特に最初のナレーションの下りが、ポールトーマスアンダーソンのマグノリアにスティーブンキングの要素をひと振りしたような、絶妙な塩梅。
予告編では「クラスの全員が消えた」としておきながら、実は「ひとりを除いて」とナレーションが被り、さらに期待を高める構成で、これも見事でした。
キャラクターもひとりひとり濃口の性格が与えられていて、キャスティングも見事です。
担任のジャスティン役には「オザークへようこそ」の跳ねっ返り娘だったジュリアガーナー。最初はしおらしかった彼女がストレスに耐えかねて甲高い声を張り上げる場面では、オザーク節が残っており懐かしくなりました。
被害生徒の父であるアーチャー役は「ノーカントリー」のネコババオヤジ、ジョシュブローリン。本作では、行動力がある上に頭の切れるガテン系という、もう実生活がそれでも不思議じゃないぐらいのはまり役でした。
校長先生のマーカス役は「ブラックミラー」の殺意の追跡で役人タイプの警察官を演じていたベネディクトウォン。殺意の追跡のネタバレになるので何も書けませんが、常に同じ体格で同じ表情をしているのに、この人は何をさせても上手いです。
こんな達者なキャストが、一貫した映像美の中フルパワーでキャラクターを演じるわけで、その熱量はすさまじいものがありました。
奇抜なストーリーも、この監督だからこそ。
キャラクターごとに章が分かれており、そのカメラの寄り方は一人称的です。
違う視点だと行動が異なるのも面白いです。例えばジャスティンとポールがバーで落ち合う場面では、ジャスティン目線だとポールがカウンターに座る彼女の前に来るのが、ポール視点だとジャスティンが立ち上がって迎え入れていたり、それぞれの視点でお互いの行動が微妙に違います。
そんな中、時折カメラが三人称目線に切り替わるときがあり、私の目にはこれが不気味に映りました。例えば、ジャスティンが眠っている間に髪を切られる場面は、ジャスティン本人は意識がないので、一人称では描写できないはずです。
各々の主観すら捉えている上位の存在がいるとすれば、それはナレーション役の少女ぐらいです。クレジットでは「Narrator」と書かれていましたが、ナレーションに被るサントラはタイトルが「Maddie」となっているので、これが本名な感じがします。
そんな彼女は、消えた子供のことを語るときにはっきりと「They never came back.」と言っています。
しかし最後には、子供は親の元へ返ってきます。本来の人格を取り戻せなかったという意味の「戻ってこなかった」の可能性もありますが、ここは最初と最後で矛盾しているようにも思えました。
他にも、なんとなく設定がぶれている場面があります。
例えば、アレックスがキメた呪い返しでは、子供たちがナルト走りではなく両手を振って全力疾走していますし、同じ呪いを食らったマーカスは、まず真っ黒なおゲボを吐き散らかすというギミックつきでした。
設定が雑なのかというと全てがそうではなく、悪役MVPグラディスおばさんはどんどん地毛が増えていって、最後はウィッグが要らなくなっているので、生気吸い取りによるアンチエイジング効果の描写は、なかなかの細かさです。
こういうディテールの濃淡というか一貫性のなさには、どことなく子供っぽさを感じました。ナレーターの少女が思いつきで辻褄を合わせながら話すのを聞かされているようで、一人称の揺らぎも相まって、観た映像の何が本当なのか分からなくなってきます。
ただ、この町では2年前に『何か』があって、クラスの子供たちが二度と口を聞けないぐらいの傷を心に負った。それは確かなのだと思います。
そして、本編全てがそのトラウマを封じるために子供が考えた『お話』で、大人である私たちがお金を払って観ている。そう考えても、あまり違和感がない気がしました。
そういう前提で思い返すと、子供の想像力で描かれる劇中の大人たちは身勝手で、かなりグロテスクに描写されています。
結構、冷静な目で見られているんだなと。
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