はだしのゲンはまだ怒っているのレビュー・感想・評価
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考えさせられる
漫画「はだしのゲン」は、子どもの頃によんで、今でも心に残っている。その作品に関するドキュメンタリーということで、観てみようと思った。
前半は漫画の内容や世に出るまでの経緯、作者・中沢さんのことなどが描かれる。NHKなどテレビの特集で観たような感じ。
中盤から、この作品が図書館や教材から消えていっていることにふれ、中沢さんと同じ世代の、この作品の歴史認識を批判する元産経新聞記者や、逆にこの作品を大切にして広げる活動を続けてきた人たちのインタビューが出てくる。
歴史認識の違いについてはさっくりと扱われていて自分にはちょっと物足りなく感じた。
どうすれば核兵器を廃絶し、平和な世界をつくることができるのかを考えるきっかけにはなると思った。
もっと突っ込んでほしかったな〜と思った。
怒りを表現する大切さを知った
怒りを正しく表現できなければ、人の感情はどこかいびつなものになるだろう。(自分は嫌なことをされても、怒ってはいけない人)そんな風に自分を抑圧する人間にしてしまうから。
ゲンの「圧倒的な暴力によって、何の罪のない人の人生はめちゃくちゃに破壊された」という深い悲しみと怒りは、時代の流れとともにまるでなかったかのように扱われようとしている。ゲンは忘れられることに愚痴や文句を言いたいわけではない。自分が受けた不条理な行いに対する思いが正常に受け入れられていないことに対して警鐘を鳴らしているのだ。
アメリカは本来、落とさなくても良い原爆を日本に落とし数十万人の命を奪った。それに対して怒るべき立場にいる日本はアメリカへその怒りを表現せずに水に流そうとしている。
この構造が、メンタリティが末端の日本国民にも浸透し、正常に発露すべき怒りが蔑ろにされたまま消されようとし、いびつな社会へと進もうとしている。
日本が、あるいは世界の国々がそんな未来に突入しないように「はだしのゲン」という漫画は存在しているのだろう。
大人になってもゲンは私に宿り続ける
“はだしのゲン”を初めて読んだのは、小学校の図書室でした。私は小さな図書室でゲンと共に“被爆を体験”しました。ゲンを読んでいた数週間で、私は自分が住む場所に原爆を落とされる夢を見ました。家族が殺される夢を見ました。皮膚が垂れ下がっている人や黒い死体を夢の中で沢山見ました。その戦争の疑似体験は、40年間ずっと私の心の中にあり続けます。
偉い(と呼ばれる)人が、近隣国が危険だとどんなに私を煽っても、外国人が仕事を奪っていると演説しても、歴史認識が間違えていると指摘しても、私は絶対に彼らの話を信用しません。
なぜなら、私は小学校の図書室でゲンから「戦争や差別を煽る人間を絶対に信用するな」と聞いているからです。私がゲンと過ごした時間を舐めないで貰いたい。
平和教材から、ゲンが消えたって?それは、私の様に子供の時からゲンの魂が宿り続ける人間が邪魔になっているからではないでしょうか。描写が残酷だからとか時代に合わないとかは、後付けに過ぎません。
ゲンは中沢先生の分身であり、私の分身でもあり、世界中の庶民の分身なのです。庶民が全員ゲンになったら、戦争なんてできっこない。そう、だから感受性豊かな子供時代にゲンを読んで戦争が大嫌いな大人にならないと。大人はゲンをずっと未来に繋げ続けないと。
込山監督は、ノーラン監督の“オッペンハイマー”で被爆地への言及がないこと、勝者だけによって語られる原爆に反感を持ち、本作を制作したとのことでした。私も全く同感です。
残念なことばかりではありません。ジェームス・キャメロン監督は、「ゴースト・オブ・ヒロシマ」という原爆をテーマにした作品を着想しているとのことです。キャメロン監督は、「観客が原爆投下を体験したかのように感じられる映画を創りたい」「広島と長崎で起きたことを容赦なく描きたい」と話していました。
有名監督が被爆地の現実を世界に公開した時、ゲンの魂は世界中を飛び回ることができると思います。公開されたら、私の中にいるゲンと共に必ず観に行こうと思います。
戦争への“怒り”を忘れないように
まずは、戦後80年の今年、「はだしのゲン」をテーマに、原爆について、戦争について、考える機会となる作品を制作いただいたことに感謝したい。
私は恥ずかしながら今まで『はだしのゲン』を読んだことがなかったのです。この作品を観る前、ネットで1巻だけ読み、そのストーリーのおもしろさ、迫力に驚きました。確かに冒頭からずっとゲンは「怒って」ますね。
作者である中沢啓治さんの思いが強く伝わります。
実際に被爆した方、腹話術で被爆体験を語る方、「はだしのゲン」を英語翻訳された方、講談で「はだしのゲン」を伝える方、「はだしのゲン」ゆかりの地を案内する活動する方、元広島市長など、様々な方のインタビューを、よくぞフィルムに残してくれた、と思います。
私たちは改めて、原爆に対して、戦争に対して、怒りを持って「NO!」と言わねばならない。そのことを思い出させてくれる。
「はだしのゲン」全巻を読み、子どもたちにも薦めようと思います。未来に、同じような惨禍が決して繰り返されないように。
全国の学校で上映してほしい
子ども時代を広島県内で過ごした。
毎年8月6日は平和学習のための登校日。
講堂で「はだしのゲン」の実写版映画を観たり、美しいメロディーに《空に太陽が輝くかぎり 告げよう世界に 原爆反対を》という歌詞が印象的な「夾竹桃のうた」を合唱した。また小学校の各教室の後ろの本棚には漫画「はだしのゲン」が並んでいて、床に座り込んで読んだ。
それらは全国の学校共通の取り組みかと思っていたが、そうでないと知ったのは大人になってから。
子どもながらに、「はだしのゲン」を通じて原爆の恐ろしさ、戦争の悲惨さを痛烈に感じたし、二度と繰り返してはならない、繰り返さない、と心に誓った。その想いは、今も変わらない。
この作品が、作者である中沢啓治さんの実体験をもとに描かれたものだということを、今回、初めて知った。
そう思って読むとますます、作者が伝えたかった想いがリアルに胸に迫るだろう。
そんな「はだしのゲン」が、教育上不適切だとして、広島の学校の本棚から撤去されていっているという。なぜなのか?
世界で唯一、実戦で原爆投下された被爆国から世界へ伝えるべきメッセージが、本作には散りばめられている。
右とか左とか、保守とかリベラルとか、、、そういう次元の問題ではない。
これは、戦時中に生きた一人の少年の眼を通して被曝の実態を知ることのできる貴重な教材だ。
本作を観て改めて、漫画「はだしのゲン」を読み直したくなった。
日本の未来をつくっていく子どもたちの心に、戦争未体験の大人である私たちが、説得力を持って不戦の種まきをすることは容易ではない。
この映画を、全国の小中高校で上映してほしいと、心から思った。
映画の中で、被爆経験者として、「(漫画で描かれていることが)本当と思わない人がいるけど、そんなことはない。事実は、あの絵以上ですから」と証言した方も、もうこの世にいない。
原爆を体験した人の声を聴き、映像に残すことの大切さを痛感した。
余談ですが、講談師の方のセリフの「なにか、白いもんが落ちてるきよるよ」の“きよる”の部分が広島弁のイントネーションとだいぶ違ってて違和感を感じたので、できたら直してほしいな〜と思いました。
日本人としての記憶
原爆は米国の人類史上最悪の戦争犯罪であり、その視点が無いのが残念
はだしのゲン、 暴走した日本の軍部が悪の根源で、だから アメリカに 原爆を 落とされた??
民間人10万人を殺害する目的で計画し実行した。戦争犯罪と知っていながら。
もし日本が原爆を開発していたら、米軍は広島に原爆を使わなかった。
だから日本こそが核兵器を持つ権利が有ると思いました。
じわじわと沁みわたる
強烈に押し付けてくるのではなく、じわじわと戦争の惨さや悲しみ、怒りが伝わってくる。平和な世の中に生きることが当たり前のようになって平和ボケしている今の私たちに「大丈夫なのか?次は自分かもしれないぞ。しわ寄せの最終地点は一般市民なのだから」と訴えている。被爆者の生の声は強烈にせまってくる。戦後80年の今、被爆者の声や反戦を訴え続けている人たちの声に真摯に向かい合わなければ、と思わせてくれたドキュメンタリーだった。後世に語り継がれていくべき内容だった。秀逸な作品。映画のパンフレットも読みごたえがあった。
小学校の図書館には
怪人二十一面相と共に常設されていた漫画
日本歴史物語などの漫画と共に読まない理由がなく
普通に読んでいた。
がこの読書の経験が、広島と言う県にある原爆ドーム
への理解を促し普通に反戦を望む人間へと
育ててくれたと思う。
が、この漫画が続々と棚から外されている。
と本映画では言う
僕は、その理由とその事実を客観的に
分析したく本作を観に行った◎
やはり視聴者の大半は原爆拒否の反戦思考の方だったが
僕はそこに疑問を感じたのである!
戦後もそうだが産業革命以降の教育は
常に刷り込みと一方通行だった。と僕は思っている。
が時代はスーパーフラットを見通せる時代に変わった!
だから、偏りは偏りを支持する人々がその中で
分かち合えば良いと思う。
だが開かれた場所で意見を求める際は、フラットに見つめ
その物事を論じようではないか。それが反戦を実現し
原爆をなくすことにつながると思う。
まぁ、対話で解決をと言う人々こそ思い込みと
価値の押し付けを強いている事実を
確認しただけなんだけどねw
映画そのものはフラットだったよ◎
だから4は付けた(^^)
最後に平和とは平に禾を口にすることと言い換えられる。
これが僕の結論!
込山監督はまだ怒っている
BSの番組も見たが映画化されたことで、さらに進化している。監督自らの語り、黒い画面に爆音だけが轟くのもにくい演出であった。音だけ聞かせることで何とも言えぬ没入感、想像力を掻き立てられる。
戦争体験者の言葉一つ一つがとてつもないリアリティをもって胸に突き刺さるの言わずもがな。中でも一番興味深かったのが後藤氏のインタビューである。このインタビューが入ったことで俄然面白さが増した。歴史観については首をかしげたくなるが、ともすると単調になりそうな作品に良きアクセントになったのは間違いない。元広島市長、江種さんのインタビューも良かった。戦争直後を生き抜くにはきれいごとなど言ってられない。法を犯してしたというのが真実、説得力が半端ない。戦後80年の今こそ、核兵器について真剣に考えるべきではないのか、そうした問いをゲンに突きつけられた気がした。そして、今無性にはだしのゲンを読みたい。戦争を知らない世代こそ見るべき作品。
はだしのゲンはまだ怒っている
本日お昼の会で「はだしのゲンはまだ怒っている」を鑑賞してきました。漫画はだしのゲンは小学校の夏休みに図書館に置いてあるのを見つけて、夢中になって読みました。あの原子爆弾のインパクト、日本で原子爆弾が落とされてどんな状況だったのか?ゲンの純粋な怒りが生々しく描かれていました。終戦後80年がたち、生存者も毎年少なくなってきて、最近は漫画はだしのゲンは描写が過激との事で、学校の図書館から排除されはじめてきています。でも80年前に実際に原爆が投下された事実。これを日本人として絶対に目を背ける訳にはいきません。そんなゲンの純粋な怒りを後生に伝えるべく、この映画ではゲンの意思を受け継いだ人々が登場します。表現は違えどもゲンの魂をなんとしても風化させてはならない、そんな強い意思を持った魂に熱く感動をいたしました。これはみた方が良い映画ではない、日本人として生まれたなら必ず見るべき映画。
はだしのゲンを読み返してみる
はだしのゲンを読み返したくなる映画
はだしのゲンをこれから読みます
今、多くの人に観てもらいたい
東京での公開2日目の日曜日、ポレポレ東中野で観ました。上映後には、制作者、出演者による舞台挨拶もあり、満席でした。観客は、高齢の方ばかりかなと少し心配しましたが、若い方も結構多かったです。
中沢啓治さんが描かれた漫画「はだしのゲン」は、被爆の実態を描いたとても重要な歴史漫画。映画は、この漫画が伝えてくれる内容に関して、様々な関係者へのインタビューや、作者がこの漫画を描くに至った経緯などを深掘りして伝えてくれる内容。
特に、講談師の女性が「はだしのゲン」を題材とした演目を演じる場面は圧巻でした。
インタビューの殆どは、戦争の悲惨さや戦後も続いた被爆者の苦労など、涙なしには聴けない内容でした。
映画の中で、何度か原爆投下直後の何とも言えない爆音(再現音声)が流れるシーンがあり、映像はないけれど、その爆音の下でとても大勢の人間が爆風に吹き飛ばされ、内臓まで熱線に焼かれ、大事な家族、命、人生を破壊されたのだと、実感させられます。
このタイミングで、このような映画を作ってくれた方々に感謝します。ニュースでは、「非核三原則の見直し」などという言葉が踊っていますが、これこそ「はだしのゲンはものすごく怒っている」と思います。
画竜点睛を欠く
反戦・非核漫画「はだしのゲン」が及ぼした影響を追ったドキュメンタリー。ゲンが体験した昭和20年8月6日の広島を伝えるガイドや、『はだしのゲン』の講談をライフワークとする講談師、漫画の外国語翻訳に奔走してきた編集者など、様々な視点からひも解く。
監督は、『オッペンハイマー』に原爆の被害を受けた日本の描写が抜けているのに憤りを感じたのが本作を製作するきっかけとなったと語っている。まあ感じ方は人それぞれだし、何より、不満や憤怒が原動力となって新たな作品を生み出すという流れは実に興味深いものがある。
ただ気になったのが、『はだしのゲン』を規制した当事者の声を直接拾っていない点。漫画を規制した当事者・関係者にこそゲンはもっとも怒るべきではないか。「歴史的事実としての間違い」を指摘するジャーナリストを取材できたのに、なぜそれができなかったのか。もしかしたら関係者にアプローチをするも断られてしまったのかもしれない。でも、それでもドキュメンタリーとしては画竜点睛を欠いていると言わざるを得ない。
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