「懸命に生きる諦念」ホーリー・カウ flushingmainstさんの映画レビュー(感想・評価)
懸命に生きる諦念
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この映画の肝は、ここに登場する若者達の人生における選択肢の少なさだと思う。これは、都会に生まれた者や、地方に生まれてそこから出たことがない者にはかなり気付きにくい感覚だ。それが証拠にここに登場する若者達には閉塞感がない。気付いてないからだ。この社会を割り切って屈託なく過ごしている。それは、いくらかの大人達にもそう言うところが見える。そう言う者達は、縦のつながりでもしがらみや運命を難なく受け入れて、屈託なく関係性を保っていくしかない。
主人公は父親を亡くして、幼い妹を養っていかなければいけないが、恨み言を言うわけでもないし、妹を切り捨てることもしない。恋心を抱きながら簡単に女性を裏切るが、これも屈託なく謝罪して済まそうとする。友人にも同じような事を。それぞれにぶつかり合ったり許し合ったりもするのだが、それは何もヒューマニズムではない。彼等がこの社会で選択肢がないからだ。だから、全てを受け入れていく。いかざるを得ないとも言えるけど。その人間模様が繊細にそして軽快に描かれていて、それが何とも愛おしい!人と人は争い続けることはできないし、慰め合い続けることもできない。受け入れて、ある意味添い遂げるしかないのである。
裏切られた女性が最後主人公に、満面の笑顔であるサインを送る。諦念の映画かもしれないけど、やっぱりその笑顔はホッとさせてくれる。都会の閉塞感を描くケン・ローチ作品とはまた違う澄んだ希望を感じさせてくれるのだ。
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