「地方映画から世界へ――映画作りと物語がシンクロする、熱量の高い青春映画」ホーリー・カウ nontaさんの映画レビュー(感想・評価)
地方映画から世界へ――映画作りと物語がシンクロする、熱量の高い青春映画
フランスの片田舎の青春&成長物語ーーというくらいの理解で観に行った。美しい自然と温かい人々が登場する、いわゆる地域振興映画みたいな感じなのかなという感じで捉えていた。
実際、美しく魅力的なフランスの農業地帯が描かれる。しかし、想像のはるかに上をいく熱量の映画だった。地域振興映画では、なかなか語られない地方で暮らす息苦しさや困難な現実を、理想化せずリアルに描いている。
この場所で生きていくのは苦しすぎる、でも、外に出ていく選択肢なんてない。
未来に希望なんて見えない。
自分はどうにもならないほど未熟で無力だーー。
そうした現実の苦しさを描くと共に、それを受け入れ、そこからの希望の掴み方を描いた、非常に力強く非凡な映画だった。
鑑賞後に監督について調べてみて分かったことは、この映画が監督ルイーズ・クルボアジェさん自身の物語とも重なっていることだ。
彼女は、1994年生まれの31歳。本作の舞台となるフランス・ジュラ地方の出身だ。大学入学で地元を離れ、近隣都市リヨンの大学で映画学を学んだ。映像作家を排出すというより、教養学科に近いところのようだ。卒業後、やはり近隣地域にあるリュック・ベッソンの映画学校で短期間学んでいる。
決して“映画エリート”ではなく、映画制作の現場的経験も乏しい地方出身の若者だ。
彼女はあるインタビューでこう言っている。
「私はあの土地を愛している。
でも同時に、あの世界では息が詰まる」
一時、地元を離れて近くの都市で生活したのは、多くの地方出身者が感じる地元への嫌悪感、息苦しさ、未来の希望の見えなさーーそれらから離れたいという思いからだったようだ。
「都会へ出たのは逃げたかったから。
でも離れてみて、あの不器用さが自分の一部だと分かった」
監督は、大学で学ぶうちに、自分が嫌悪した田舎的なものが自分自身の中にあることに気付いたという。
「ジュラでは、男たちは朝から酒を飲み、女たちは黙って働く。
そんな現実を見て育った。
でも私の中にも同じ沈黙、同じ頑固さがある。」
この映画の中でも(主に男たちの)粗暴さ、荒れた人間関係、吐くまで飲まないとやっていられない日々、奔放で無責任な性、当たり前の飲酒運転……などなどが描かれる。そして、そうせざるを得ないのは、日々が過酷な労働で塗りつぶされているからでもある。
故郷の嫌だと思った面が、実は自分自身の一部であることに気がつく。僕にも心当たりがあるし、多くの地方出身者はそうではないだろうか。スマートな都会生まれの同級生との文化的な教養と能力の差や基盤のなさを思い知らされて、そうした実感は、自信喪失と自己嫌悪に繋がっていく。
そんな中、監督が作った短編映画が学内で受賞した。「業界デビューへの切符」というような華々しいものではなさそうだ。それだけで「さあ監督してください」というオファーが来るわけではない。
「私は賞を取ったけれど、その後は静かな時間が続いた。
次に何を撮るか分からず、ただ村に戻った」
映画を学んだけれど、学生としての時間は終わった。文化の中心パリに出ることなく、故郷に戻った。これには挫折の感覚もあったのではないだろうか。そして、明確な目標もないまま、次の人生の方向を手探りするしかなかった。
彼女は嫌悪していた土地を、再び自分の拠点にした。そして、地域を観察するとともに、内省を深めながら、映画の構想を練った。
嫌悪感を表現の源泉に転換できたことが、非凡である。しかし多くの素晴らしい創造はそのようにして行われるものでもあるかもしれない。
彼女が恵まれていたのは両親がもともと音楽家であり、現在は農場と農業体験施設を経営しているという、芸術と地域生活の接点の価値を理解する人であったことかもしれない。この両親の農業体験施設を拠点に、彼女はゼロから出発した。
「自分が知っている若者たちを撮りたい。
誰も彼らの話をしていなかったから。」
映画作りのプロセスが、自分のルーツである地方の文化の価値を理解し再発見することと同時に、地域の人々との共創関係に繋がっている。そして、この映画に参加する人々にも、自己発見と成長を引き起こし、それが作品に昇華されていったという流れを彼女は作った。
まず構想段階では、地域住民や農家を巻き込みながらアイデアを固めた。
資金面では、国と地域の助成制度を活用している。
そして、この映画の大きな特徴であるプロ俳優ではない役者陣。主役のトトンヌ役は職業的俳優ではなく、養鶏見習いの仕事を休んで撮影に参加した。恋人マリー役は、農業系の学生からキャスティングされた(見るからに牛飼い農家の働き者の娘だが、本当にそうなのだ)。
周辺の役者たちも同様だ。地域で、素人たちから長い時間をかけてキャスティングし、コミュニケーションを重ね相互理解を重ねた。脚本に従わせるのではなく、自然なその人らしさを重視して、臨機応変に撮影したようだ。
これは出来上がりがコントロールできないし、時間がかかる、非常にリスキーな方法だと思う。しかし、こうしたプロセスによって、監督が自分らしさを受け入れて、この映画に臨んだように、役者たちも自分らしさを発見したはずだ。
それがこの映画に、自然でリアルな感覚と、作り物ではないエネルギーをもたらしたのではないだろうか。普通、企画ものの地域振興映画では、こうしたプロセスは取ることができないだろう。
「私はローカル上映で見てもらえれば十分だと思っていた。
カンヌに選ばれるなんて、想像もしなかった。」
この映画は、少なくとも撮影初期は全国公開を予定された映画ではなく、監督自身も限定的な公開にとどまると考えていたようだ。そして実際スタートでは、地域での上映会などを積極的に行ったようである。その映画がフランスでは100万人動員まで成長し、さらにこうして日本人の僕の目に留まるまでへと大きく成長した。
監督は、自分の映画は、世界やフランス映画の主流となるタイプではないことを自覚していた。それでも、世の中の主流に合わせることなどせず、自分自身に誠実に、自分が撮れるものを撮るという姿勢を持ち続けた。成功を狙わなかったからこそ、成功したというのがこの映画なのだ。
観客には中高年が目立った。同じ日に、近くの劇場で「劇場版エヴァンゲリオン シト新生」も観たのだけれど、こちらは30年ほど前の古い映画にも関わらず、若者で満席であった。エヴァもまた監督自身の自分探しの物語が、普遍化されて熱狂的指示につながった映画だ。「「ホーリー・カウ」も観に行っておいで、きっとヒントが見つかるから」と言いたくなった。
31歳の女性、クルボアジェ監督は一躍、世界で注目の存在になった。次回作がすごく楽しみだ。でも、この作品を撮ったことで、「もう十分だ」と次の道に進んでしまうような気もする。それほど、個人的で、かつ普遍的に完成された一作だった。