「善き財を遺す場所は、大海を望む果てにあるのかもしれません」最後のピクニック Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
善き財を遺す場所は、大海を望む果てにあるのかもしれません
2025.9.24 字幕 アップリンク京都
2024年の韓国映画(114分、G)
60年ぶりに故郷に帰った老女とその友人たちを描いたヒューマンドラマ
監督はキム・ヨンギョン
脚本はチョ・チョンミ
原題は『소풍』、英題は『Picnic』で、ともに「遠足」と言う意味
物語の舞台は、韓国のソウル
1人住まいのウンシム(ナ・ムンヒ、中学時代:チェ・ユリ)は、故郷の南海地方平山から60年前に出てきて、今はお金の工面にだけ顔を出す息子・ヘウン(リュ・スンス)との関係があるだけだった
ある日のこと、突然ヘウンが妻のミヒョン(イ・ハンナ)と孫のテウン(オム・ジュヨン)を連れてやってきた
ヘウンはチキン店のフランチャイズ会社を経営していたが、使用していた油の問題で加盟店から突き上げを喰らっていた
逃げるようにウンシムの家になだれ込んだヘウンだったが、そこにミヒョンの母でウンシムの旧友のグムスン(キム・ヨンオク、中学時代:シン・イェソ)までもがやってきてしまう
ウンシムは息子と顔を合わせたくなくて、グムスンを連れてソウルの街に繰り出してしまう
そして、外泊を重ねたのち、生まれ故郷へと帰ることを決意するのである
物語は、南海地方の平山に戻るウンシムが描かれ、そこでかつて自分を想っていたテホ(パク・グンヒョン、中学時代:キム・ギョンビン)と再会する様子が描かれていく
中学時代はウンシムのストーカーのような存在だったテホだが、その時期に色んな火種が生まれていた
ウンシムの父によって地元は発展したものの、従姉妹のメンヒ(イ・ヨイ、中学時代:シム・ジュヒ)の父は海難事故で亡くなってしまう
さらにウンシムの母(チャヒ)の病死も重なってしまい、ウンシムたちは町を出ざるを得なくなっていた
また、どうやらメンヒはテホに気があったようで、彼がウンシムに惚れていたのも遠因となっているように描かれていた
劇中でデモ騒動の渦中でグムスンの息子ソンピル(イム・ジギュ)がリゾート開発賛成派として活動していて、それを咎めたことで騒動が起きてしまう
ソンピルはウンシムを突き倒し、それに怒ったテホと揉み合いになってしまう
そこでテホは後頭部を打ち付けてしまうのだが、その付き添いで病院に行ったウンシムは、テホの娘のユンジュ(コン・サンア)も知らないことを突きつけられるのである
彼は娘のためだけではなく、自分が生きた証を町に残したくて反対運動をしていたが、それも叶わぬ夢となってしまう
リゾート開発によって醸造所がどうなるのかはわからないが、娘と娘を慕う従業員(キム・ヨンジュ)ならば、うまく生きていけるかもしれないし、ウンシムが託したお金で新天地で新しい暮らしを始めるのかもしれない
映画では、ウンシムが息子ではなく嫁の方に財産を遺し、グムスンは息子ソンピルに遺すことになった
ウンシムと息子の最後の会話は「信じる」と言う言葉だったが、これは「罪を償ってやり直せ」と言う意味合いだろう
ミヒョンが彼を支えるのかはわからないが、ウンシムは息子のためではなく「自分のために生きろ」と伝えていて、「支度をしなさい」とまで言い切っていた
そこにはウンシムとグムスンの決意も重なっているので、「発見」によって、その言葉の意味はもっと重いものになるのではないだろうか
いずれにせよ、思った以上に重いテーマで、尊厳死についてどう考えるとか、生き様のみならず「どのように死ぬか」を突きつける内容だったと思う
映画のタイトルは「遠足」と言う意味だが、その場所が「善財庵」と言うのにも意味があるのだろう
最後に2人は振り返るのだが、そこには誰も誰もいなかった
さらにウンシムは、グムスンのカレンダーの詩に言葉を追加していた
そこにはグムスンの言葉で「幼い頃に近所の川にはハマナスが咲いていて、今年もまた咲くだろう」と言うものが書かれていた
そして、最後に「友だちに会いたい」とウンシムが追加しているのだが、これはテホをはじめとした多くの同級生たちに「あの世で会いたい」と言うものなのだろう
グムスンは「生まれ変わっても親友でいたい」と言うが、ウンシムはそう言った考えは持っていない
その対比があるからこそ、2人が肝心な言葉を避けてでも、同じ想いを共有していると言うことに胸が痛くなる
それほどまでに老いた者たちの「自由が奪われる意味」と言うものは重たく、自分らしく死ぬと言うことへのこだわりというものは強いのだろう
それができるのも体が動くうちというところが切なくて、今後の社会では、このような決意がもっと生まれてしまうのではないか、と感じた
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