劇場公開日 2025年10月10日

「リアル・ドクターストレンジラブ」ハウス・オブ・ダイナマイト 蛇足軒妖瀬布さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0 リアル・ドクターストレンジラブ

2025年10月25日
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【逆Dr.ストレンジラブ】

キャスリン・ビグローは、
常に〈エンターテインメント〉と〈社会性〉という二つの軸のあいだで作品を紡いできた監督である。

その軸の均衡がわずかでも崩れると、
彼女の演出は途端に〈ピント〉がボケて、
鋭利さの裏に曖昧な残響を残す、
そんな印象を長く抱いてきた。

『ハート・ロッカー』や『ゼロ・ダーク・サーティ』では、
戦場の現場感覚や緊張の持続において手腕を発揮したものの、

点描的なエピソードが一本の物語線として結実しきれず、
人物の内面と社会的主題のあいだに微かなズレが生じていた。

『ゼロ・ダーク・サーティ』はジェシカ・チャステインの演技力によって作品が助けられ、
『ハート・ロッカー』以前の友情ドラマ的作風はシナリオの骨格に支えられていたが、

いずれも構造的な〈統合〉という意味では、
あと一歩の余白を残していたように思う。

その停滞を打破したのが『デトロイト』だった。
(youtubeでも話してます)

社会的背景を物語の中核に据えながら、
登場人物たちの恐怖・怒り・悲しみといった感情を、
痛切なリアリティをもって掬い上げていた。

正義と【正義】が衝突するなかで、
人間の尊厳と暴力の構造を冷徹に描き出しながらも、
エンターテインメントとしての緊張と速度を失わなかった点において、
ビグローは自身の到達点を更新してみせた。

観客は〈事件を観る〉のではなく、
〈人間を感じる〉体験へと導かれたのである。

そして本作『ハウス・オブ・ダイナマイト』

これはいわば〈逆ドクター・ストレンジラブ〉、
あるいは〈リアル博士の異常な愛情〉と呼んでもいいだろう。

前半は一見、散漫な印象を与える。

いくつかのモチーフや問いが宙に浮き、
焦点が定まらないまま進行する。

だが後半に転調をみせる。

南部のイベントで掲げられるレベル・フラッグ、
北朝鮮の分析、

そして家族をめぐる断片的な描写が、
有機的に結びつき、
一本の情感の線としてジワジワと立ち上がる。

点で配置された出来事が意味を帯び、
登場人物たちの沈黙や逡巡、繰り返される会話が、

社会的な重層性と人間的な共感を同時に喚起していく。

ビグローがこれまで〈現場の臨場感〉として映してきたものが、
本作では確かな人間ドラマの血肉へと変換されている。

結果として『ハウス・オブ・ダイナマイト』は、
ビグローが長年追い求めてきた〈社会性と娯楽性の統合〉というテーマに、

最も肉薄した、あるいは最も俯瞰から見据えた作品となった。

点描が線となり、
線が感情へと転化する、
その運動こそ、
彼女の映画作法の核心である。

もし本作においてその変換が完全に奏功したとすれば、
ビグローは名実ともに〈アカデミー賞監督〉
と呼ばれるのにふさわしいと言えるのではないだろうか。

蛇足軒妖瀬布