ワン・バトル・アフター・アナザーのレビュー・感想・評価
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何歳になっても新しい顔を生み出すディカプリオ
面白い、新しい、あっという間のエンターテイメント!
とにかく出演する役者たちの演技が素晴らしい!
ショーンだけじゃなく皆怪演!そして魅力的!
男性よりも女性が銃を握るアクション映画。
アメリカの抱える移民問題を様々な人種からの視点で写しています。
そしてディカプリオ最高!あんな役でも演技が素晴らしい!流石!
敵役のショーン・ペンがディカプリオを食ってる⁈
ディカプリオも木から落ちる
「トム・クルーズになれ」と言われて上島竜兵になるレオナルド・ディカプリオ
催涙ガスに必死の形相で耐えるレオナルド・ディカプリオ。
普通の乗用車が通りかかっただけで過剰にビビって瞬時に床に伏せるレオナルド・ディカプリオ。
テーザー銃に撃たれて地面に倒れ、痺れ続けるレオナルド・ディカプリオ。
仲間との合言葉が思い出せず逆ギレし、電話相手を罵倒しまくるレオナルド・ディカプリオ。
ベニチオ・デル・トロからトム・クルーズ並みのアクションを要求され、熱湯コマーシャルの上島竜兵みたいになってしまうレオナルド・ディカプリオ。
こんなにディカプリオの演技で笑ったのは、2014年公開の『ウルフ・オブ・ウォールストリート』以来かも。
彼が必死になればなるほど、その姿が滑稽で笑いが止まらなかった。
合言葉の「今何時?」の返しが思い出せずディカプリオは苦悩するわけだが、その正解にも爆笑してしまった。
ショーン・ペン演じる屈強な軍のリーダーが、銃を突きつけられて「立つんだ」と言われても動じなかったのに、「勃つんだ」という言葉には従順に従うのに失笑。
大画面で一体何を観させられているんだと思った。
話は想像していたものと違った。
移民解放をしていた過去から米軍に狙われるようになったディカプリオが、機械オタクとしての知識を武器に窮地を乗り越えていく話だと思っていたが、実際はほとんどのピンチを周りの仲間が解決してくれる展開ばかりで、そこは少し残念だった。
荒野のハイウェイって平坦な道かと思ったら意外と波打っていて、そのことを利用して敵を倒すのは上手いと思った。
この作品で描かれる移民排斥問題は、まさに今のアメリカを象徴。
しかし、移民解放に尽力する人間が品行方正に描かれないのは、フェアな作りに感じた。
そうした活動は、常に国から敵視され、残りの人生で周囲を警戒するような生活を強いられる。
生半可な覚悟でできることではないし、それでも奉仕する人には敬意しかない。
多少まともじゃなくても仕方ないと感じた。
一方で、白人至上主義者たちは、一見上流階級の身なりで品がよく見えるが、彼らの語る理屈は行き過ぎた潔癖症のようで気持ち悪かった。
世の中には「生みの親と育ての親」で苦悩するドラマがよくあるが、この映画だと「生みの親?なにそれ美味しいの?」というスタンスで、そんなことでいちいち動揺しないことに好感が持てた。
〈追記〉
映画を観てから1日経って、この映画についての考えがガラッと変わった。
移民解放を描いていたから、てっきりリベラル寄りの映画だと思っていたが、それは大きな誤りな気がしてきた。
この映画は「リベラルの皮を被った保守映画」だと今は思える。
そう考えると、いろんなことが腑に落ちる。
移民に協力する人たちがただの善人として描かれていないのを、最初は「フェアな描き方だ」と思っていたが、実はそうではなく、「そういう奴らの本性は偽善者なんだぞ」と描きたかったんだと思えてきた。
リベラルな活動はすべて軍に潰され、結局無駄に終わる。
そして、捕まった人たちは全員が仲間を裏切るような行動をする。
一方、極右的でマチズモの権化ともいえる悪役、ショーン・ペンが演じる軍人のロック・ジョー。
彼のラストは、「ざまあみろ」とスカッとするようなものではなく、哀愁が漂う絵で終わる。
さらに、保守の中枢にいるような人間たちは結局はほぼ無傷のまま。
リベラルな思想に対しては冷たく突き放し、保守に対しては実は愛のある描き方をしているように、後から考えると思えてしまった。
映画としてはすごく面白いと感じつつ、どこか乗り切れない部分があったが、個人的にはこう考えれば納得できる。
少し長かったかな
期待度◎鑑賞後の満足度◎ 先ずは見事な娯楽映画であることに拍手👏一部ご都合主義な処もあるが映画好きには堪らない御馳走である。但し、娯楽映画の裏に現代社会の問題(分断、白人社会の崩壊)を孕んでいる。
①題名(“次から次への闘い”、というよりも“闘い終わって、また闘い”の方が本作のニュアンスに合っているかな?)からは、エマニュエル・トッドの最近作『西洋の敗北と日本の選択』の中にある一節“戦争は歴史家から見れば残念ながらありふれた人間的活動”が思い浮かんだ。
実際、本作の背景として(あくまでプロットを機能させる背景ではあるけれども)、現代アメリカ(世界と言っても良いけど)での移民問題(国家間の格差)や未だに残る白人至上主義、その一方での此まで白人中心の世界倫理・秩序の崩壊・終焉と新しい秩序の台頭が垣間見える。
②演出はまことに快調。全監督作を観ているわけではないけれども、本作が一番楽しく観れたと思う。(『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』はいまだに最高傑作だと思う。『ブギーナイツ』は好き、『マグノリア』『ファントム・スレッド』は秀作だとは思うけど個人的にはも一つ、『リコリス・ピザ』はも一つ面白さが分からなかった。)
③演出・脚本・撮影(カメラ)・音楽の上手さもさることながら、主演の3人のオッサン連中(でも私より年下)の巧演が堪らない。
ショーン・ペンが上手いのは当然として(それにしてもブッ飛んだ役、ショーン・ペンにしか出来ないだろうねェ)、レオナルド・ディカプリオが、『ギルバート・グレイプ』(この演技も素晴らしかった)から見始めて『タイタニック』を経て『レヴェナント』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』『キラーズ・オブ・フラワームーン』、そして本作と見観て来て、何と上手い俳優になったものだと実に感慨深い。本作でも緊迫感のあるシーンなのにどこか可笑しい余裕と軽みが有って見ていて飽きない。
ベニチオ・デル・トロも、『ザ・ザ・コルダのフェニキア計画』でも好演であったが、本作でも助演ながらこちらもスリリングなしーんの筈なのに安定感・洒脱感たっぷりで実に上手い。
鬼気迫るような音楽と緊張感のあるシーンと、あからさまな下ネタやジョ...
ディカプリオ扮するダメ親父が右往左往する3時間
世の建前を激しく嘲る
ぶっ飛び&はちゃめちゃ
ぶっ飛んでいて、はちゃめちゃ。ずっとニヤニヤが止まらない。ショーン・ペンが演じるロックジョー大佐が物語のアクセルを踏みまくる。
大佐が調教されるシーンがもう大爆笑。一物をゲッラップと言われて、リスの家族が入れるくらいテントを張ってご主人様の期待に応える。拳銃を突きつけられて、それができるってドMの鑑。これがね、伏線にもなっている。
「クリスマス・アドベンチャラーズ・クラブ」とかいう白人至上主義者の秘密結社が登場するんだけど、白人であることしか誇り持てなくなった哀れな白人たちが悪あがきしている様子が面白くて、くすっとなる。
悪ノリで作ったしか思えない作品だけど、自分はこういうの大好きだからノリノリで楽しめた。終わってみるとショーン・ペンのロックジョー大佐ばかり脳内でリフレインする。
「桐島です」の何たる浅さ。
革命の血とダメ親父の哀愁、そのすべてを笑うアメリカ
ポール・トーマス・アンダーソンがまたしても「やってくれた」という印象。正直に言えばアクション大作の顔をした極めて風変わりなブラックコメディであり、同時にアメリカという国家の過去と現在を皮肉る寓話である。観客の多くが「革命家の娘を救う父の奮闘」という表層のストーリーを追いながら、鑑賞後にじわじわと「この国の病理」を突きつけられるような後味を残すのが本作の最大の効用と感じたのでは?
物語は単純。かつて移民解放を掲げた革命組織「フレンチ75」のメンバーであったパット=ボブ(レオナルド・ディカプリオ)が、16年の潜伏を経て娘ウィラと静かに暮らしている。だが、過去に辱めを受けた収容所長ロックジョー(ショーン・ペン)が再び現れ、娘を拉致する。父は立ち上がり、国境を越えて追走し、最後に娘を取り戻す。表向きはそれだけである。しかし、その背後に潜む「血の真実」が、映画をただの人情アクションからねじれた寓話へと転化させる。
ウィラの実父はボブではなく、ロックジョーである。DNA鑑定というあまりに生々しい小道具で明かされるこの事実は、血縁と時間、記憶と現実の対立を露骨に観客へ突きつける。16年間育ててきたボブは、娘から「あなたは誰?」と問われる。しかし彼は一度たりとも自分が父ではないとは思わない。ここで観客が笑うのは、ディカプリオの間の抜けた演技だけではない。アメリカ社会そのものが「血の純潔性」と「共同体の記憶」という二つの価値を揺らし続けている事実を想起するからだ。トランプ支持層がこの映画を観て「だからリベラルは危険だ」と騒ぎ立てるだろうと危惧されるのも頷ける。
ショーン・ペンのロックジョーは、不死身の軍人でありながら変態的な白人至上主義者として登場し、屈辱の記憶と性倒錯を抱え込んだ悲喜劇の化身である。最後は呆気なく殺されるが、その過程で彼が放つ滑稽さと哀愁は、アメリカの極右運動そのものが孕む滑稽さに重なる。極左的な革命も極右的な人種主義も、等しく「狂気」として提示するP.T.Aのバランス感覚は、皮肉を超えてもはや諧謔の域に達している。
そして何より重要なのは娘ウィラ。彼女は被害者でありながら、革命家の血を受け継ぎ、自ら銃を取り、逃走と闘争を繰り返す。最後に父ボブに抱きつきながらも、選んだのは「普通の生活」ではなく「母ペルフィディアの道」であった。つまり、戦いは終わらない。タイトルが示す通り、バトルに次ぐバトルが世代を超えて繰り返される。ここにあるのは救済ではなく、むしろ「闘争の連鎖」というアメリカの業そのものである。
ディカプリオは『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』に続き、どうしようもないダメ男を演じ切り、ついに「ダメ親父役者」としての境地を完成した。メイクでハゲ散らかした中年を演じながら、娘に小馬鹿にされ、合言葉を忘れ、情けなくも走り続ける。だが、その哀愁にこそ観客は笑い、同時に共感するのだ。ベニチオ・デル・トロ演じる「センセイ」や、革命仲間の断片的な登場人物たちも、どこかで世界の縮図を茶化すスパイスとして機能する。
結局、この映画の問いはシンプルである。「親子とは何か」。血縁か、記憶か。国家とは何か。理想か、現実か。アンダーソンはその答えを提示しない。むしろ「戦い続けるしかない」という不条理を笑い飛ばすことで、アメリカ社会の虚無を描き切った。観終えた後、笑いながらも背筋が冷える。いやはや、いや最高ですね。
エンタメ作品として完成度が高い
面白すぎて脳がバグる
こんなにエンタメに仕上がってるポール・トーマス・アンダーソン作を見れるとは、しかもこんなにずっと興奮が続く映画とはっ!で脳が狂うよ!?となりながら鑑賞しました。
ディカプリオが腰が砕けながら右に左に歩いて走って移動する、ただそれだけと言いきってもいいくらいの映画ですが、とにかくその様、動き、表情が素晴らしいです。
娘の身体の動きの軽やかさ聡明さとの比較で、情けない左翼革命家崩れのディカプリオがとにかく愛おしく、チャーミングですらありました。
ショーン・ペンやデル・トロ、ハイムの!など、他の役者陣も素晴らしかった。
ラスト近く、何故か生きてたショーン・ペンの歩き姿はまじで最高に狂ってて良かったですねー。
カーチェイスの手前←→奥の関係の望遠ショットはもう痺れました。
思い返せば、ファントム・スレッドでの闇夜の猛スピードで飛ばした車のシーン、リコリス・ピザでの静かなカーアクションからして、PTAは車シーンめちゃくちゃいい監督でしたね。
笑えて、興奮して、最後は泣ける、素晴らしい娯楽作でした。
こんな完璧な娯楽作品、次にいつ見れるかわからないので、なるべく何回も劇場で観たい!
全231件中、141~160件目を表示
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