「今なお“空気”に支配され、そして“加害者”が裁かれない国=日本」ヒポクラテスの盲点 スー(ジェーンじゃない方)さんの映画レビュー(感想・評価)
今なお“空気”に支配され、そして“加害者”が裁かれない国=日本
薬害被害がなぜ起きてしまったのか――本作は、その問いに真正面から取り組む医師たちの奮闘を描いている。
映画では、行政の情報開示の不十分さや、調査姿勢の不透明さが繰り返し指摘される。
とりわけ、ワクチンの安全性に疑問が生じても詳細なデータが十分に示されず、都合の悪い情報は黒塗りで出されるという現実が語られる。
死者や後遺症に苦しむ人が出ても、「因果関係不明」として“判断の根拠”が開示されないまま政策だけが進んでいく。
治験が十分に行われていない以上、リスクも安全性も本来は明確ではない。
それでも接種が推奨され、疑問の声は「科学的エビデンスがない」という言葉で片付けられる。
だが映画が提示するのは、むしろ 「安全性を示すエビデンスこそ不十分なのではないか」 という問いである。
私は医療業界ではないものの隣接分野に関わる立場として、“まず害をなさない”という医療の大原則には日頃から強く共感している。
だからこそ、行政が語る「害より利益が大きかった」という説明には、映画を観ながら一層の疑問を抱かざるを得なかった。
そして最も深刻なのは、これだけの被害が語られているにもかかわらず、責任の所在がどこにも定まらない“加害者不在”の構造が今も続いていることだ。
疑問や被害の声が上がっても、その矛先が曖昧にされ、誰も検証の責任を引き受けようとしない。
この構図こそ、日本が長く抱えてきた体質そのものであり、映画はそれを容赦なく突きつけてくる。
胸が詰まる場面の連続で、観ていて怒りややるせなさを感じる作品だった。
だが、目を背けてはいけない現実でもある。
過去、日本は“空気”に逆らえず、誤った方向へ突き進んだ結果、戦争に敗れた。
あの失敗の本質は、誰も責任を取らず、空気に従って流され続けた構造にあった。
映画を観ていると、その体質がいまも変わっていないのではないかと改めて痛感させられる。
その“空気の支配”が、ワクチン政策でも再び繰り返されたからだ。
最後に、ワクチン接種やコロナ感染の影響で今も苦しんでいる方々とそのご家族に、心よりお見舞い申し上げます。
そして、お亡くなりになった方々に深く追悼の意を表し、ご冥福をお祈りします。
