「パンフレットの5ページ目の写真が全てを物語る・・・。」ヒポクラテスの盲点 チャキオさんの映画レビュー(感想・評価)
パンフレットの5ページ目の写真が全てを物語る・・・。
「なるせゆうせい」監督のドキュメンタリー映画「WHO?」を鑑賞し終えた時、「mRNAワクチン」に対する私の「疑惑」は、「確信」へと変わり、そして、この「ヒポクラテスの盲点」を鑑賞して、「確信」から、「怒り」を超えて、「絶望」めいたものへと変貌した。
「なるせゆうせい」監督のドキュメンタリー映画「WHO?」は、国に対してデモを行っている人たちの考えには、一定の根拠があることをデータや論文、専門家の証言などを交えて描写していたが、「ヒポクラテスの盲点」は、「mRNAワクチン」後遺症に苦しむ患者と対峙する医師たちの姿を通じて、主に、国のワクチン行政に対する疑問を表現している。
「ヒポクラテスの盲点」を鑑賞して、ド素人の私自身なりの考え方を整理・解釈すると、「mRNAワクチン」とそれに関する事象には、次のような大きな問題点があるように思われる。もちろん、正解かどうかは分からない。
まず、「mRNAワクチン」を接種すると、当初は、都合よく、注射した周辺に、「mRNAワクチン」は留まっている、と言われていたが、実は、「mRNAワクチン」は脳を含めて全身に回る。そして、これも、都合よく、効果は、数日から数週間で消える、と思われていたが、ワクチンのmRNAを取り込んだ細胞は、比較的長期間にわたって、新型コロナウィルスの「スパイクタンパク」(抗原)を産生し続ける。自分の免疫細胞は、「スパイクタンパク」に「反応」する。
しかし、「スパイクタンパク」だけではなく、「スパイクタンパク」を産生している細胞自体も攻撃してしまうので、「反応」とともに「炎症」も起こる。その「炎症」が「短期間」に「急激」に起これば、「急性炎症」となり、「心臓」で起これば「急性心筋炎」、「脳」で起これば「急性脳炎」、肺で起これば「急性肺炎」、腎臓で起これば「急性腎炎」、ということになる。つまり、全身の様々な部位で発症する可能性があって、重症であれば死亡する。そして、そこまで、重症ではないものの、自己の臓器を免疫が攻撃するという、臓器ごとの「自己免疫疾患」になってしまう場合もある。
また、1回、2回の接種ではなく、多数回、「mRNAワクチン」を接種し続けると、逆に、免疫が「疲労」して、「免疫力」が低下するため、感染者数は増加する。そして、その「免疫力」の低下は、日々、発生している「がん細胞」に対する抑止力の低下にも繋がって、「がん」が見つかっても、「時すでに遅し」の「ステージ4」、いわゆる「ターボがん」となってしまう。「自己免疫疾患」に使用される免疫抑制剤の副作用に「がん」があることも頷ける。
そして、一番の問題は、たとえ、これら疾病を発症して死亡しても、その死因は、あくまで、「個別の疾病」であって、その「疾病」を誘発した「mRNAワクチン」とはならないのではないかと考えられる点だ。劇中でも紹介されていたが、「mRNAワクチン」接種以降の、「平均余命・全死亡率・超過死亡数」の推移と重ね合わせると推論が成り立つ。もはや、「陰謀論」ではないだろう。
「福島医師」をはじめとする、真の「ヒポクラテス」たちは、一つ一つ事実やデータを積み重ねて、その「ヤバさ」を訴えるが、その仲間内であるはずの同じ医師たちからも、「反ワク医師」とレッテルを貼られる始末。
まぁ、多くの日本の医師たちは、「製薬会社」と「ウィン・ウィン」の関係だろうから、そう、簡単に、真の「ヒポクラテス」たちに同調できないことは理解できるが・・・・・。
一方、政府の腰も重い。厚生労働大臣の記者会見における答弁では、相も変わらず、「審議会が~~。」の繰り返し。その「審議会」のメンバーは、ワクチン製薬会社と少なからず、関係のある人たちでもあるし、一体全体、何を信用すれば良いのかと感じてしまう。
「なるせゆうせい」監督のドキュメンタリー映画「WHO?」のレビューにも書いたが、日本は、立ち止まって検証をしようとしない。何故なんだろう?。「陰謀論」では処理し切れないほど問題点が浮かび上がっているのに、何故なんだろう?「薬害根絶 誓いの碑」はただの飾りなのか。アメリカでは、形式的かもしれない、ただ単にパフォーマンスで行っているのかもしれないが、議会で関係者らを証言させて検証している。
「やめた方がいい」と何度も注意した、叔父叔母夫婦2人は、5回目のワクチン接種後しばらくして、時期は多少ずれてはいたが亡くなった。しかも、医師が説明する死亡の原因は、歯切れが悪く要領を得ない。つまりは、「よくわからない」、「不明」と、私は理解したが、適正な「寿命」であったことを願うばかりだ。
この映画を鑑賞すると、医師をはじめとする医療業界、製薬業界、審議会(政府)のガッチリと噛み合った歯車が動いている様がよく見える。そして、その歯車は、決して止まったり、逆の回転はしないのだ。
そのような日本に住む、我々は、もはや、自己防衛するしかない。とかく、「従順」、「素直」であると形容される日本人であるが、「自分の健康に対し、責任を持てる者は、医師ではなく、自分自身。」であるならば、こと、体の中に取り込む行為に関しては、慎重になるべきだ。それは、ワクチンや薬に限らず、日常の食生活においても、そうあるべきだと思う。
「小宇宙」と表現される「人体」は、まだまだ、未知な世界だ。そのような未知なる世界「人体」に、出自がよくわからない「mRNAワクチン」を取り込むという行為は、予期し得ない事態が起こる可能性は充分に考えられる。
「盲点」とは、意味を調べると、「うっかりして気づかず見落としている点」とある。しかし、これが、偽の「ヒポクラテス」に向けた言葉なのであれば、随分と控え目で、気を使った、優しい表現だと思う。「見て見ぬふり」が適切な言葉だろう。そして、この映画「ヒポクラテスの盲点」のテーマは、パンフレットの5ページ目の写真が全てを物語っている・・・・・。
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