劇場公開日 2025年10月10日

「科学行政の視点」ヒポクラテスの盲点 文さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0 科学行政の視点

2025年10月13日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

連休の最後、多くのひとは行楽に行ってこのような娯楽性のない映画はガラガラかと思って行くと満員であったので驚いた。
コロナ騒ぎの中で猛スピードで開発されたmRNA新型コロナワクチンは問題解決の救世主と多くのひとは思った。
政府・多くのメディアによって「接種の推奨」が叫ばれ、国民の多くはそれに従った。
その結果、日本では国民の84.3%が接種し、世界でも有数の「コロナワクチン接種国」となった。
だが、医療機関からの副作用報告によると死亡例は2000件を数え、副作用健康被害制度による死亡認定も1000名を超えている。にも拘わらず多くのマスメディアはこうした被害を報道しない。
この副作用被害をどう見るか。
コロナワクチン接種を推進した人達は、ワクチンには副作用があるのは当然であり、それ以上に多くの人の命を救ったのでワクチンの推進は正しい政策であったと述べる。
その一人長崎大学の森内浩幸氏は、日本では毎日4000人以上の人が死んでおり、ワクチンを接種した人がその中には当然含まれるので、それをワクチンによる被害と見ることはできない、と映画の中で述べていた。
だが、日本の死亡者数が2020年の137万人からワクチン接種後の2022年には157万人へと急増し、ワクチン接種後の死亡率が跳ね上がったことをどう見るべきなのだろう。
この死亡者数増はワクチン推進論者の言うように、新型コロナによる死亡者増が原因(もしワクチンを接種しなければもっと死亡者は多かった)と見るべきなのだろうか。
それとも福島勝典氏の言うように、新型コロナワクチンによる健康被害によるものと見るべきなのだろうか。
あるいはステイホーム政策などにより高齢者がフレイルになり死亡増となったと、新型コロナ対策そのものに原因を求めるべきなのだろうか。
膨大な国費をかけたワクチン事業でこれだけの被害が出ているのだから国はこの事業の検証を行わなければならないはずである。しかし、それは無理だろう。
人々は行政の「無謬性の原則」を前提としており、過去の行政の誤りを認めることは責任論へと発展するからである。ワクチン推進もポピュリズム政治家(河野太郎)が人気取りで勝手にしたことであり、スポットライトを浴びたい感染症の専門家が勝手に推奨し、収入増になる開業医が勝手に打ったことになって誰も責任をとる者はいない。
ちなみに私は一度も新型コロナワクチンを接種していない。
治験をしていないクスリは信頼できなかったので様子をみることにしたのである。
いかに優秀な科学者であろうと将来起きる事態を全て予測できない。使ってみて初めて分かることが多い。そして2021年以降打てば打つほど多くのひとが感染し、死亡者が増えているのを見て、打つのを止めた。
大本営発表を信じてはならず、またマスメディアも信じてはならないのは先の大戦の教訓である。

文
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