ミーツ・ザ・ワールドのレビュー・感想・評価
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相互理解には程遠い死生観のズレ
善良でいて優しさからくる言葉が相手を傷つけてしまうことがある。当たり前だけど、それを映像にして見せられると心が痛いのなんの。死生観の価値観ならなおさら顕著にでる。
原作未読の姉と観に行きましたがちゃんと伝わってた。それが嬉しい。
由嘉里の暴走、アサヒとのやりとり、ライの意思、ユキの過去とやさしさ、オシンのあたたかさ、母親との会話、それによってブーメランを起こす言葉の矛、無機質な鵠沼の声、由嘉里の後悔など言葉以外で色々なことが目で観て、耳で聴いて伝わってくるって凄いことだなと思った。原作読了してたので映画ではやらなかったカットされてしまったところの補足を帰りの車でずっと語ってた。語り合うというよりひたすら語ってしまった。由嘉里のようにマシンガントークをかましてしまった。
原作の世界や登場人物を壊すことなく、ここまで鮮やかに、また豊かに、そして繊細に描いてくれていたことに喜びが先に来る。みんなハマり役だったなぁ。分かり合えない者同士が出会ってしまった悲劇でもあり、その苦しさ、相互理解には程遠い死生観の押し付け、人と人の縁、そして別離。良し悪しについて観る人を選ぶと言ってる人がいるけれど、原作を読んだりこの映画作品を観た人にしか言えないことがたくさんあると思う。肯定的な意見も否定的な意見も話すきっかけにもなる。語れば語るほど安くなってしまうので、ここまで。
あと…あれれ?金原ひとみ先生、映画のワンシーンで食事していませんでした?一瞬だったけどテレビや雑誌でお顔は拝見していたので、先生だ!と思わず心の中で叫んでしまった。その時の由嘉里とライの会話が一時期入ってこなかった。あとラーメンが凄く食べたくなった!
好みではなかった
原作未読。
あまり好きな類ではないと思いつつ、杉咲花を信じて鑑賞。やはり好きではなかったです。
ゆかりがそこまでライに惹かれる理由も、ゆかりとアサヒやユキ、オシンとの距離が急に近づいたのも、よくわかりませんでした。
ゆかりは他人に入り込み過ぎてうざいし、他の人は言葉の揚げ足取りでこちらもうざい。ゆかりがライの元カレの家に行ったのは、マジで気持ち悪すぎました。親への態度も、20代後半で厨二病かよ、と思いました。
何となく見れるが、少し長いから途中でダレました😅
多様な世界観に巻き込まれ、自分の殻を破ってゆく。ライやアサヒとBarの2人との偶然、人生の出会い、キッカケなんてどこに転がっているか分からないのをうまく表現されている。ラーメン屋のシーンがキモの一つだろうがとても良い。アサヒが自虐的に妻のお陰でのNo.1を語っていたのに、まだ昏睡中のアサヒの病室にホスト大集結してるのは実は人望アリに少しほのぼの→ウソくさいけどね😆
とは言えストーリー的には大きな山場なく、ライも謎のままで着地するので少し肩透かし、ライのパートナー菅田将暉?の謎電話(精神科で入院中なんでしょ)も違和感多く、エンドロールで分かった時はサプライズでの話題づくり感エグいと萎えてしまった→最初からキャスト紹介していた方が好印象で減点しました。
意味わからない
「他者の受容」というフィクション
人は、他人を本当に受け入れることができるのか。
この問いに、正面から誠実に挑もうとする映画は案外少ない。松居大悟監督は、本作をその稀有な例として世に送り出した。腐女子、キャバ嬢、ホスト、夜の街。社会の「普通」からわずかにズレた人々が、互いの孤独をそのまま見つめ、静かな化学反応を起こしていく。
主人公・三ツ橋由嘉里(杉咲花)は、焼肉を擬人化した漫画『ミート・イズ・マイン』を愛する27歳の銀行員。推しのマイナーキャラに感情を注ぐ一方、自分を肯定できず、周囲に合わせて婚活を始める。そんな彼女が、歌舞伎町の路上で出会うのがキャバ嬢・鹿野ライ(南琴奈)。ライは、美しく、繊細で、どこかこの世に属していない。彼女は言う――「自分は死ぬの。形も魂もない状態で消えるのが自然だから」。
この“死にたみ”を前に、由嘉里は懸命に言葉を尽くすが、彼女の説得は通じない。だが、ライの部屋での生活が始まると、二人の間に不思議な均衡が生まれる。言葉を交わしながらも、互いを変えようとはしない関係性。そこにこそ、この映画の核心がある。
松居監督は、登場人物たちに“言葉”を与えながら、説教臭さを排している。由嘉里は「普通になりたい」と言い、ライは「生きることに意味を見出せない」と語る。ホストのアサヒ(板垣李光人)は「演じることも自分の一部」と軽やかに言い放ち、バーの仲間は「人が人を変えられるのは四十五度まで」と諭す。彼らは自分の痛みを美化せず、それを他者と共有しようとする。その誠実さが、現代の過剰な共感文化とは異なる“静かな思考の共同体”を形づくっている。
杉咲花の演技は相変わらず圧倒的だが、ここで特筆すべきは南琴奈の存在感だ。ライというキャラクターは、繊細さと破壊衝動の同居する難役。南琴奈はその不安定さを、感情ではなく「体の静けさ」で表現する。目線、呼吸、沈黙――そのどれもが、彼女の“生と死の境界”を映し出す。彼女が何も食べず、何も欲しがらない姿は、由嘉里の“食べる”という生の衝動と鮮やかな対照をなしている。
ラストのエンドロールに響く“足音”を、私はライのものとして受け取った。それは、消えることを望んだ彼女が、それでも世界のどこかを歩いているという証。姿はないのに、音だけが残る――それが、生きるということの残酷な希望だ。松居監督は声高に「救い」を語らず、わずかな音で“世界はまだ続いている”と告げる。
現代社会では、違いを受け入れることが容易ではない。SNSのタイムラインを見れば、他者の意見を“理解したつもり”で否定し合う光景ばかりだ。だからこそ、『ミーツ・ザ・ワールド』の登場人物たちが見せる無理のない寛容さは、現実ではほとんど奇跡に近い。それゆえに、この映画は「気持ちの良いフィクション」なのだ。人が人を変えようとせず、ただ一緒にいることを肯定する。そんな理想的な世界は、現実にはほとんど存在しない。だが、だからこそ、観客は一瞬でも信じたくなる。
本作は、痛みのある優しさを描く映画だ。由嘉里が焼肉を頬張る音も、ライが静かに歩き去る足音も、どちらも“生の音”として等価に響く。その響きに耳を澄ませば、私たちもまた、この世界を少しだけ受け入れられるような気がする。
不幸過ぎない役でよかった
それぞれ違う生きづらさを抱えた人たちが、少しのバランスで一緒にいられなくなる日が来る不安と戦いながら、お互いを思い遣って生きる優しい世界。
みんなとは違う自分を肯定できたら、同じように他者のことを理解まではできなくても肯定はしたいなと思った。
キャスティングが良かった。
由嘉里の腐女子っぷりもなかなかだったし終始上手いのだが、ライの元彼から電話がかかってきたシーンで杉咲花の本領発揮。そしてこの音声だけの出演だった元彼役はクレジットを見て、あ…となった。
最近活躍めざましい板垣李光人も軽快ながら洞察力あるホスト、アサヒがぴったりだったし、ぼくほしで見ていた南琴奈も良かった。蒼井優や渋川清彦も素晴らしい。
南琴奈さん、良いなー
華麗でキレイで、豪華で流暢な感じなのに・・・
率直に、面白くありません。でも、所々笑えましたが、あくまで小ネタといった印象。
華麗で美しい面々が淀みなく流暢にしかもナチュラルな感じで濃密な台詞を絡め合わせるところなど見事だったし、個性豊かなキャラが見事に配役されていて、見応え十分なはずなのに、面白くない・・・見事なワールドが非常にナチュラルに展開している違和感・・・唐突な展開、唐突な話題、唐突な感情とかとか、すべて華麗に流れている感じで、不自然なことまでがごく自然な雰囲気を醸し出していて、言い方悪いけどなんか気持ち悪っていうような─。
そもそもの映像が質も良さも感じないし絵的に自分にはしっくりこなかったし、同じことが音や音響にも感じてしまったので、最初から入り込むことができなかったのですが、キレイなゴミ屋敷?を見た瞬間からもはやダメだったので、途中のオシャレなカット割りとかしゃべりなんかも冷ややかに訳分からんと思いながら眺めていた気がします。ただ、杉咲花のパフォーマンスが唯一の救いで、それが満載だったので最後まで意識を切らさずに鑑賞できたと思います。とまぁ個人的な感想を素直に記録しておきました。
自然な腐女子、いい映画を見つけた感がすごい
南琴奈ちゃん
菅田君はどこに?
息苦しさでもがきながらもこの先の未来への期待も抱かせる若者たちの青春群像劇
普段は自分自身を枠の中に閉じ込めて真面目な銀行員として働きながら推し活で発散している腐女子の由嘉里が、希死念慮を抱えるキャバ嬢のライと知り合うことで「新たな世界と出会う」物語。
舞台は新宿、歌舞伎町の雑踏。こっちの路上で人が倒れていようが、あっちで喧嘩していようが、他人が何をしているかなんて誰も気にも留めない。だからこそいろいろな背景を持った人々や異なる考え方をする人々が共存できるのかも知れない。
誰もが幸せでありたいと思っているに違いないと多くの人は当然のように考えている。しかし、幸せを祈られることを重荷に感じる人間もいる。自分の価値観で他人を変えることなどそもそも無理な話だ。
「水槽」のモチーフが作中あちこちに散りばめられる。それは水中で息ができずにもがき苦しむことの象徴であるかも知れないし、水槽の向こう側を覗いたときに見える歪んだ景色の表象であるかも知れない。
自分は自分、他人は他人と割り切れる人間は意外と少ない。だからこそ人間関係に多くの人が悩んでいるのだろう。
杉咲花、板垣李光人、蒼井優、渋川清彦といった超がつくほど達者な役者陣と伍して演じる新人の南琴奈の演技も光る、息苦しさでもがきながらもこの先の未来への期待も抱かせる若者たちの青春群像劇だ。
「分かり合えない」を痛感させられる
人が生きる根源というのは、なにかを“好き”でいることなのかもしれない。ライは好きなものを見つけられないかわりに生きる目的を探していた。その旅がまだ続いていればいいな。なんでもいいから何かひとつ見つかればいいな。
ゆかりんは、好きなものが泥や泥水で汚されても、服や手をグジャグジャにしながら、大事に守った。好きなものを守り、愛することが彼女の強さ。それが生きる強さにも直結しているように感じた。
人と人の想いが完全に一致していることなんて無くて。分かり合っているようでも「もう無理です」の言葉を聞くこともなく好きな人が自分の日常から急にいなくなる。そういう恐ろしいことが自分の身に起こる可能性も十分にある。そうならないために…の答えはこの作品からは出ない。分かり合えないこの世界で生きるむずかしさを痛感させられるだけ。好きな人やものを思いながら今日を生きているゆかりんをエンドロールでぼんやりと見つめながら泣いていた。キラキラしてて、なんだか眩しかったから。
表現者 杉咲花の実力をじっくり観ることができる。
金原ひとみの原作は、この著者にしてはかなり読みやすく明るい内容である。それはひとえに主人公三ツ橋由嘉里の人物設計による。現世から離れた腐女子で漫画キャラおたく。そして恋愛に憧れ婚活もしている銀行員といった統合失調的な傾向を持っている。でも彼女は常に前向きで一所懸命である。周辺にはライやユキや藤治のように希死念慮の強い人々が現れるが、彼女は引っ張られることなく、関わり合いをより深めていきたいと思う。「救う」というのはひょっとして傲岸ではないかと自問自答しながら。要するに生命力の強いヒトなのである。原作の言葉を借りれば死にみが薄いということになるのか。
200ページほどの薄い小説なので、ほぼすべてのエピソードが脚本に折り込まれている。そして世界観を表現するために重要な由嘉里の言動は筋目正しく再現され、杉咲花に言わせると「原作へのリスペクトを感じる」良い脚本ということになる。
ただ本作は一にも二にも杉咲花である。「市子」「52ヘルツのクジラたち」「朽ちないサクラ」「片思い世界」とここ数年間の彼女の活躍は目覚ましい。これらの作品はすべてテーマも世界観も異なるが、杉咲は表現者として素晴らしい足跡を残した。誤解を恐れずいうと杉咲花という女優は化けない女優でいつも外見は同じである。でも彼女はよく切れる小型ナイフのように、作品のもつ曖昧さや表ヅラを切り裂いてその向こうにある真実をあらわにしてしまう。便利といえば便利な役者ではあるが、映画監督にとっては怖いヒトだろう。作品に何も真実がない場合は彼女はそれも思い切り見せてしまうから。役者としての責任感と想像力が裏目に出ることもあるということである。
この映画についてはギリギリセーフというところか。
人生いろいろ、幸せそれぞれ
■ 作品情報
芥川賞作家・金原ひとみの柴田錬三郎賞受賞作を映画化した日本映画。監督は松居大悟。脚本は國吉咲貴と松居大悟。主要キャストは、主人公・由嘉里役を杉咲花、希死念慮を抱えたキャバ嬢・ライ役を南琴奈、ホスト・アサヒ役を板垣李光人。 その他の出演者に、くるま、加藤千尋、和田光沙、安藤裕子、中山祐一朗、佐藤寛太、渋川清彦、筒井真理子、蒼井優などが名を連ねる。
■ ストーリー
擬人化焼肉漫画「ミート・イズ・マイン」に心血を注ぐものの、自分自身を好きになれない27歳の独身女性、由嘉里を主人公とする物語。彼女の周囲のオタク仲間たちが結婚や出産で新たな世界へと移り変わっていく中、由嘉里は仕事と趣味だけの現状に不安と焦りを覚え、婚活を開始する。しかし、参加した合コンで惨敗し、歌舞伎町で泥酔していた彼女は、美しいキャバクラ嬢ライと出会う。由嘉里は死への願望を抱えるライに強く惹かれ、やがてライと共同生活を送るようになる。由嘉里はライのことが気にかかり、過去の恋人との関係を清算することが、ライの死生観に変化をもたらすのではないかと考える。彼女は、既婚の人気ホストであるアサヒ、辛辣な言葉を放つ作家のユキ、バーのマスターであるオシンなど、歌舞伎町で出会う様々な人々との交流を通じて、ライを救おうと奮闘する。自分とは異なる価値観や生き方に触れる中で、由嘉里は新たな世界へと足を踏み入れていくことになる。
■ 感想
印象的だったのは、主人公の由嘉里がライとの出会いをきっかけに、世界を広げていくその心地よさです。これまでの固定観念や世間的な価値基準に自分を当てはめてきた由嘉里が、その生きづらさから解放されていく様を、杉咲花さんが全身で表現されており、自分もその解放感を共有できたように感じます。また、つかみどころのないライを演じる南琴奈さんの、その容姿と演技が役にこれ以上ないほどピタリとハマっていて、由嘉里とライ、二人の関係をずっと見ていたくなります。
由嘉里がライに対して抱く絶対的な信頼と憧れ、だからこそ、死へ向かうライの気持ちを止めたいと願う心情は痛いほどよくわかります。しかし同時に、本当のライの気持ちは決してわからないのだろう、と感じる由嘉里の葛藤も深く響きます。傍で同じ時間を過ごしながらも、同じ景色を見ているわけではないという歯痒さや、もどかしさ、そして悔しさのような感情は、なんだかわかる気がします。
翻ってそれは、由嘉里の母親が由嘉里に対して感じている感情にも通じるものがあるように思えます。人は誰もが、「あなたの気持ちをわかりたい」と誰かが近寄ってくることを望んでいるわけではないのでしょう。ただ隣で静かに話を聞いていてくれるだけでいいのかもしれない。そう考えると、「わかりたい」という気持ちは、案外おこがましく、時に余計なお世話になってしまうこともあるのではないかと感じます。人生も幸せも人それぞれで、そこに否定も肯定も必要ないのだと思います。
この先の二人がどうなるのかはわかりません。それでも、由嘉里とライの出会いが、お互いの人生に確かな変化をもたらしたことは間違いありません。誰かと深く繋がり、世界が広がる――それは決して悪いことではない、むしろかけがえのない経験なのだと、本作が静かに語りかけてくるようです。
もう一度会いに劇場へ行きます。
登場人物が魅力的。
オタ活している時の杉咲花さんなんて本物の腐女子にしか見えない(良い意味で)
我が家には3人の腐女子がいるので、とてもリアルに感じました。
良く目にする光景や良く耳にする話し方に正直面食らいました。
ホストを演じた板垣李光人さんも良かったです。
可愛いキャラを演じている板垣さんに違和感を感じていたので、本作のホストはバッチリ好みでした。
こうした役が増えてくれる事を願うばかりです。
そんな2人の中にありながらもキョーレツな印象を残してくれたのが南琴奈さん演じるライ。
朴訥に喋る雰囲気も、ベランダでタバコを燻らせる姿も、何もかもがかっこいい!
花さん演じる腐女子が惹かれてしまうのも頷ける人物。
ラーメン屋での「いいよ」にはやられました(笑)
勿論、名脇役たちによる愛すべきキャラたちも心に残ります。
気付く人は気付く菅田将暉さんの登場も良かったですよ♪
生きる世界も価値観も違う者同士が共に生きていく事の「難しさ」、そして「素晴らしさ」が魅力的なキャラによって見事に紡がれていたと思います。
もう一度会いに劇場へ行きます!
焼肉とラーメンとチョコレートフラペチーノを食べたくなる映画
不思議なワンダーランド
歌舞伎町で酔いつぶれていた主人公がキャバ嬢との出会いをきっかけに新たな世界を見出すヒューマンストーリー。生きづらさを抱えて生きる人々の心情を上手く描いている。主演の杉咲花はさすがの演技力で腐女子を見事に演じているが、それに負けず劣らず南琴奈の演技が素晴らしくて見惚れました。
2025-158
セリフが小気味よい
新たな出会いで由嘉里の世界が広がる
主人公由嘉里(杉咲花)が住む世界が異なるライ(南琴奈)
と出会うことで、自らの世界が広がっていく。
ライとの同居生活による由嘉里の変化、
そしてライの変化、
ライがいなかったら出会わない世界の住人アサヒ(板垣李光人)との出会い&推し活旅、
朝のチョコレートフラッペ、
いろんな経験が由嘉里に変化をもたらす。
もちろん由嘉里と関わった人たちにも影響を与えている。
由嘉里は寂く孤独だと劇中はなしているが、
実はそうではないことにだんだんと気づいていくし、
固定観念を拭い去り、自分の好きな生き方をしていい
ということに気づく。
それはライの失踪により加速したと言えよう。
それにしても杉咲花の腐女子へのなりきり感と
鼻水を垂らしながら泣く感情の表現が圧巻だ。
ますます俳優としての演技の幅が広がっていると思う。
さらには、
渋川清彦、蒼井優、筒井真理子による脇の固め方も秀逸。
そして声でまさかの菅田将暉(エンドロールで認識)。
実に奥深く余韻がたなびく秀作だと思う。
全147件中、81~100件目を表示
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