ミーツ・ザ・ワールドのレビュー・感想・評価
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松井監督、いろいろ言って申し訳ありません。
良かったり、よく解らなかったり、作品ごとに感想がまちまちで一概には評価が難しい松居大悟監督作品。前作『リライト』はスケジュール調整が難しかったこともあって結局劇場鑑賞を見送りましたが、今作は金原ひとみさん原作と言うことで興味をひかれ、109シネマズ木場にて劇場鑑賞です。
今回も松井監督作品は若者が主人公。冒頭で松井作品の印象について“よく解らなかったり”と触れましたが、勿論、自分との世代ギャップ、時代ギャップが背景にあることも確か。ただ、それだけではなく作品内であまり“説明めいた”セリフや演出がない上に、時には独自の世界観のまま暴走することがあるように感じ、それが作品によって成功してたり、裏目に出てたり。。今作についても正直「解らない」と感じる言動や感情もありますし、セリフが聞き取りにくい場面も少なくなく、また個性豊かで温度感もバラバラなキャラクターばかりで前半は少々戸惑いながらの鑑賞。ところが、ようやく判別もスムーズに見方が判ってくると、各キャラクターに対する思い入れも出来始めればもう、強めのストーリーに気持ちがグイグイと引っ張られていきます。
合コンで酔いつぶれる由嘉里(杉咲花)に声を掛け、手を差し伸べるライ(南琴奈)。その晩から由嘉里はライの家に転がり込み、二人の“奇妙な”共同生活が始まります。自分とは何から何まで違うライに戸惑う由嘉里ですが、何より彼女が「自身の死」をほのめかすことに気が気でなく、彼女を引き留めようと必死で世話を焼き始めます。
本作、まずキャスティングがことごとくはまっていて、その上に俳優たちの演技、或いは演出が素晴らしい。ライ役・南琴奈さん、アサヒ役・板垣李光人さんについては私の勉強不足で(私にとって)初認識の俳優でしたが、お二人ともグッドルッキングな容姿だけでなく、演技そのものが「大変に良い」と感じました。今後はしっかりと記憶させていただきます。更に贅沢にも脇を固める役回りで若手を支えるオシン約・渋川清彦さん、ユキ役・蒼井優さんの鉄壁のバイプレイ。そして何と言っても本作の主人公・由嘉里を演じる杉咲花さんは、「まだこんなカードを持っていたの?」と“驚愕”と言う言葉が大袈裟でないほどの入り込んだ演技。クライマックスは“感情マックス”で、先に隣席のご婦人が泣いてくれたために私は何とか留まることが出来ましたが、まさに涙腺崩壊は必至のシーンとなっております。
ま、敢えて言えば、カタルシス絶頂のクライマックスが凄すぎるため、その後のエピローグが悪いわけでないのにやや蛇足感があって勿体ない。とは言え、思った以上に見応えを感じるのは、当然ストーリーの強さがあってことだろうと思います。早速明日から金原さんの原作をAudibleで聴くこと決定。それと、今作の“劇中アニメ”はなかなか力が入っていたな。私には良く解らなかったけどw熱さは充分に伝わってきました!
松井監督、いろいろ言って申し訳ありません。今作、良かったです。
ライさんカッコいい
擬人化焼肉漫画・ミート・イズ・マインを愛していて、自己肯定感の低い27歳の由嘉里。同世代の友人たちが結婚や出産で次々と趣味の世界から離れていき、仕事とオタク趣味だけの生活に不安と焦りを感じた由嘉里は婚活を開始した。しかし、参加した合コンで腐女子をバラされ惨敗し、歌舞伎町の路上で酔いつぶれてしまった。そんな彼女を美しいキャバクラ嬢のライが助け、ライの家に連れて帰り、その流れで一緒に生活する事になった。ライとの出会いをきっかけに、歌舞伎町のホスト、毒舌な女性作家、バーのマスターなど、さまざまな人たちと知り合い、関わり、由嘉里は少しずつ自分を変えていき・・・さてどうなる、という話。
なんかみんな個性が有って行動がよくわからなかったが、面白かった。
ライは300万円を由嘉里に残してどこに行ったんだろう?やはり気になった。
由嘉里役の杉咲花はキレ芸やオタク芸など、いつも通り素晴らしい演技だった。
ライ役の南琴奈は鼻筋が通ってて美しくてカッコ良かった。
ホスト・アサヒ役の板垣李光人はチャラチャラした感じで軽くて良かったし、女性作家・ユキ役の蒼井優とバーのマスター役の渋川清彦も存在感有った。
不可侵領域を守るものがアイデンティティだとしたら、その先に行く事は罪になるのだろうか
2025.10.28 アップリンク京都
2025年の日本映画(126分、G)
原作は金原ひとみの同名小説
腐女子とキャバ嬢の邂逅を描いたヒューマンドラマ
監督は松井大悟
脚本は國吉咲貴&松井大悟
物語の舞台は、新宿歌舞伎町
銀行員として働いている由嘉里(杉咲花)には、誰にも言えない「推し活」があって、さらに腐女子としての側面も持っていた
友人たちと合コンに参加しても、腐女子とバラされて空気を悪くされるだけで、現実の恋愛はほど遠くなるばかりだった
ある夜のこと、合コンで悪酔いした由嘉里は、路上でうずくまっていたところをキャバ嬢のライ(南琴奈)に介抱されることになった
ライは彼女を自宅まで連れていくものの、汚部屋に驚いた由嘉里は掃除を始めてしまう
その後、街に繰り出したあと、ライは由嘉里に家の鍵を渡し、「家に帰りたくなかったら、ここに帰ってきたら良い」と告げた
それから二人は一緒に暮らし始めることになり、由嘉里は腐女子を隠すストレスから解放されていく
ライも由嘉里のハマっているコンテンツに興味を示し、その世界を知っていくのだが、その沼にどっぷりを浸かるようなことはなかった
ライは「死にたみ」と言うものを抱えていて、「死を選ぶことができるのはギフテッド」だと言い切る
由嘉里は彼女に生きて欲しくて彼女を理解しようとするのだが、ある日突然、姿を消してしまったのである
由嘉里は彼女を痕跡を辿って、元カレだと言われている藤治(菅田将暉)を探すことになった
だが、両親からは精神病院に入院していると言われ、コンタクトを取ることも難しい状況になってしまう
さらにアサヒは妻(安藤輪子)を慕う男に襲われて、意識不明の重体になってしまう
なんとか一命を取り留めたアサヒは、再び日常に戻ることができたのである
映画は、ライとの生活によって「腐女子でいることに前向き」になる由嘉里が描かれ、恥ずかしがることもなく同僚の恵美(加藤千尋)や万奈(和田光沙)たちにカミングアウトする様子が描かれていく
そして、母親(筒井真理子)と対峙することになり、母親自身も由嘉里を理解しようとしていたことがわかる
そんな中、由嘉里はライの残した300万を元にして彼女のマンションを自分名義に変え、いつでも帰ってきても良いように、インスタグラムに部屋からの景色を毎日アップロードすることになった
映画では、生きづらさを抱えている由嘉里と、生に執着していないライが描かれ、ライがどうなったのかは描かれない
ラストでは、自宅を出ることになった由嘉里の元に藤治から電話が入り、そこでライの居場所を聞こうとする
だが、彼は「僕と付き合っていたのは生きていることを実感するための実験だった」と感じていて、由嘉里との生活は「生きている実感を感じるための時間だったのでは」と続ける
由嘉里はライの本心はわからないままだったが、自分との時間の意味を感じ、そして彼女のマンションで生きていくことを決めていた
自分らしく生きていくことが由嘉里との時間を肯定し、さらにその先を予感させることもあって、彼女はその時をずっと待つことになったのである
ライが彼女の元を去ったのは、ある意味で由嘉里がライの境地に近づいたからであり、自分の助けは必要ない地点まで辿り着けたからであろう
彼女自身は藤治の病気によって自身の責任を感じていたのかもしれないが、相手には伝わらないようにしてきた
そうした中で由嘉里と出会うことになるのだが、彼女にも踏み込まれたくない領域というものがあったのだと思う
それが由嘉里の大阪行きだと思うのだが、それは単にきっかけを探していただけで、そのタイミング(由嘉里が自分から離れる)が重なったから、のように感じた
いずれにせよ、自分自身が誰かと関わりあう中で、他人を変えることはできず、作家のユキ(蒼井優)は、「変えられるのは15度まで」と言っていた
彼女はそれ以上変えようとすると「人は折れてしまう」と言い、それはライと藤治の関係を見てきたことに起因するように思えた
由嘉里の大阪行きはまさに15度を越えようとする行為であり、ある種の不可侵地帯だったのだろう
そう言った意味において、由嘉里はある種の地雷を踏んだようにも見えるし、由嘉里がアサヒとの交流を深めたことに安心したとも言えるのではないだろうか
期待値○鑑賞後の満足度○ 現代の風俗でコーティングしているけれども中身は普遍的な自分探しの物語。
①最初の方は登場人物(特にユカリちゃん)が何を言ってるのか分からなかった(聞こえないということではなく、話の中身が、)けれども、そのうちオタクの話だと分かりました。
まあ、推す(というのですね、最近)対象は変わってもやってることはどの時代でもあまり変わらないということでそんなにGG(ジェネレーション・ギャップ)は感じなかったです。
②また、レイちゃんのゴミ屋敷の部屋を見て、更に親近感増し増し(私の部屋も似たようなもん)。
腐女子のユカリちゃんながら銀行ではちゃんと働いているし部屋の片付けも上手い。
前半はこんなユカリちゃんとレイちゃんとの絡みが面白く、この調子で最後まで行けば佳作になるかもと思ったのだけれども…
③レイちゃんがいなくなってからは失速という程ではないけれども、
居場所を見つけようとする腐女子は尊い
自己肯定感の低い人にありがちなのは、自分が持っていないものに対するコンプレックスが強いってこと。そのコンプレックスを少し和らげてくれるのが恋愛経験だったりする。
本作に登場するゆかりはそんな感じに自己評価の低い腐女子。歌舞伎町で泥酔しているところを助けてくれたキャバ嬢のライと同居するというお話。杉咲花が演じるゆかりの腐女子っぷりがとてもいい。妙にしっかりしていたり、自己評価が低かったり、好きなことについて話す時は早口になったり。杉咲花って本当にオタクなのかなと勘違いしてしまうくらい。
そんなゆかりが美しいライと出会い、自分の居場所を見つけていく。この手の居場所物語はやはりグッとくるものかある。自分にないものを羨むのではなく、自分自身を受け入れることが大事だよな。
ライを演じた南琴奈もとてもよかった。杉咲花よりもかなり年下なのにあのお姉さん感。スクリーンでの存在感がすごい。これからが楽しみな俳優だ。彼女のキャバクラのシーンが描かれなかったのは意図的なものか。とても神秘的な存在として描くための演出かもしれない。もしかしたらあの顔も整形で作ったものだったりしてと想像してしまう。
最後彼女がどうなったのかは明らかでないが、ゆかりの物語として前向きだったので嫌な感じはしない。松居大悟監督を信じて観に来てよかった。
腐女子とキャバ嬢のお話です。
朝焼けはミノ
重い役が多かった杉咲花の、コミカルな演技と聞いたことない声が満載で嬉しかった。
出会いから強引な流れでの同棲開始は、まぁフィクションなので。
そこからは由嘉里とライの交流を描いていく。
ネガティブかと思えば腐女子スイッチが入る由嘉里が面白く、ライは安定してダウナー気味。
このアンバランスさが心地よい。
腐女子やホストは紋切り型で、ライのキャラも含めてやや漫画チックな印象。
奥山譲の“いそう”なウザさ(仕切り直してなおウザい。笑)含め、会話劇が上手い。
ユキの語る「幸せになることが幸せと思えない人もいる」「90度、180度捻じ曲げたら折れる」は至言。
中盤まではいい雰囲気だったが、後半で失速。
いくらなんでも、由嘉里がアサヒと同部屋で泊まるのは違和感が大きい。
鵠沼の実家に突撃するのはまだしも、そのへんの押し付けを由嘉里は自覚したのだろうか。
母から同じ言葉(「幸せになってほしい」)をかけられた後も明確な描写はないし。
また、アサヒが刺される必要性を感じず、鵠沼との電話も長過ぎ。(芝居は凄かったけど)
その後のシーンも蛇足感が強く、もっとスッキリ纏めてほしかった。
序盤で似てるなぁと思ったら、チッチ(CENTとも加藤千尋とも呼ばない)出とるやん。
そしてまさかの鵠沼、顔出しナシで菅田将暉。
渋川清彦のオネェに和田光沙の隠れヲタ、由嘉里や鵠沼の母役なども隙なくいい芝居。
ただ、ラインや書き置きの文字がほとんど読めない…
落とし所は好みだから、終盤にとっ散らかったのだけが非常に惜しかった。
不器用なままでもいい
朝の情報番組で気になり鑑賞しました!
擬人化焼肉漫画「ミート・イズ・マイン」に全力で愛を注ぎながらも、自分のことは好きになれない由嘉里。
27歳になって結婚・出産…と違う世界に次々と離脱する腐女子仲間をみて、このまま仕事と趣味だけで生きていくことへの不安と焦りを感じ、婚活を始める。
しかし参加した合コンで惨敗。
歌舞伎町で酔いつぶれていたところ、希死念慮を抱えるキャバ嬢・ライに助けられる。
ライになぜか惹かれた由嘉里は、そのままルームシェアを始めることに。
やがて、既婚のNo.1ホスト・アサヒ、人の死ばかりを題材にする毒舌作家・ユキ、街に寄り添うBARのマスター・オシンと出会い、歌舞伎町での生活に安らぎを覚えていく。
そんな日々の中でもライのことが気がかりな由嘉里は、かつての恋人との確執が解ければ死にたい感情は消えるかもしれないと考え、アサヒやユキ、オシンに相談する。
だが、価値観を押し付けるのはよくないと言われてしまう。
それでもライに生きてほしいと願う由嘉里は、元恋人との再会を試みるが―。
というのがあらすじ!
ライほどではないですが気持ち少しはわかります
別に人生不幸ではないし嫌なことがあった訳でないけど終わらせたい、死にたいの思うことはあります
前ほどではないですけど…
ライは最後どこに行ったのか気になりますけどおそらく死んではいないかなと思います
ライや由嘉里もお互い出会ったことで少しずつ変われていたように見えました
そしてアサヒ、ユキ、オシンは決して相手を否定する訳じゃないしあるがままを受け入れる
相手を理解しようとしてくれる
こんな人たちがまわりに1人でもいてくれたらいいなと個人的に思いました
あと相変わらず杉咲花さんの食べるシーンはいい!
いろんな作品でそうでしたが観てて美味しそうに食べるしこちらまでお腹が減ってくる…笑
みなさんの演技はとてもよかったです!
生きづらいと思っているならこの映画を観たら少しは楽になるんじゃないかなと個人的に思います
不器用なままでもいいんだとも思えました
いい映画をありがとうございました😊
前半の展開が面白かっただけに、後半の失速が惜しまれる
腐女子の主人公が、路上で知り合ったキャバ嬢の部屋に転がり込む序盤から、キャバ嬢の「死にたい」という気持ちを改めさせようと、彼女の元カレに会いに行こうとする中盤までは、どこに向かって行くのかが分からないような展開に引き込まれる。
妻に愛人として稼がせた金で店のNo.1になっているホストや、幸せを幸せと感じることができない女流作家、客に寄り添うオカマのバーのマスターなど、主人公が歌舞伎町で出会う面々も、皆、キャラが立っていて面白い。
役者達も好演していて、特に、杉咲花の板に付いたヲタクっぷりは見応えがあるし、凛とした美しさと、どこかに消えて無くなりそうな儚さを併せ持った南琴奈の存在感も印象に残る。
ところが、キャバ嬢が300万円を残して姿を消した中盤以降は、ホストが妻の愛人に刺されて入院したり、主人公が一時帰宅して母親と口論したり、主人公のところにキャバ嬢の元カレから電話がかかってきて、キャバ嬢は自分の存在価値を試す「実験」をしていたのだと告げたりと、一体何の話なのかが分からなくなってくる。
キャバ嬢と元彼は、どうして別れてしまったのかとか、その元彼は、どうして精神を病んでいるのかとか、主人公と母親(毒親には見えない)は、どうして折り合いが悪いのかとか、キャバ嬢は、どうして居なくなってしまったのかといったことも、最後まで分からずじまいで釈然としないものが残った。
結局、堅物の銀行員で、ヲタクの自分に引け目を感じていた主人公が、歌舞伎町で暮らす個性豊かな人々との触れ合いを通じて、ありのままの自分を受け入れ、自分らしく生きて行こうとする物語なのだろうが、特に、後半は、余計なエピソードが多い上に、テンポも悪く、冗長に感じてしまった。
それから、ラストは、主人公と同じ趣味を持っているらしい銀行の同僚(主人公は、彼女のために自宅からグッズを持ち帰ったはず)との、ヲタク同士の交流も描いてもらいたかったと思えてならない。
言葉がナイフになる瞬間
ヲタク文化が大分嫌煙されなくなってきた時代になり、多様性があることを知る機会が増えたものの、理解とは程遠い人間同士の出会いのフィルムを淡々と映像化したものでした。
ユカリとライは冒頭の出会いからしてチグハグで気持ち悪いほど噛み合っていない。それを主人公善としたユカリが正義を信じ突き進み、悍ましいが人間の8割は共感を得てしまう。
そして知らない内に人を傷付けていた事を知り、自分も勝手に傷付いて泣きじゃくる。
杉咲花さんのヲタクぶりは、子供の頃から根付いているのが伝わる凄惨な演技っぷりでした。
南琴奈さんの演じるライはミステリアスだけど純真さも秘めてて良かったです。
板垣くん演じるアサヒが良い感じに馴れ馴れしくて新しい一面を観ました。
渋川さんと蒼井優さんのような優しい大人に私はなりたい。
ミーツ ザ ワールド
いい作品だけど残念な点もあり
歌舞伎町をテーマにした作品は個人的に好みではない。しかし、この作品を観るのを決めたのは杉咲花の演技に期待して観た。この作品は杉咲花演じる由嘉里が擬人化焼肉漫画の大ファンだが、友達はみんな結婚、出産に走るが、合コンで惨敗。
歌舞伎町で酔い潰れていた由嘉里をキャバ嬢ライに助けられる。由嘉里もライに出会って変化が・・。よくある設定だが、最後はどこか希望を感じた。この作品は杉咲花の演技が素晴らしく喜怒哀楽の表現が素晴らしかった。残念な点はアニメシーン。アニメシーンはいらない。
杉咲花さんは愛にあふれている。
ひいきの杉咲花さん主演の映画ということで、見に行った。
杉咲さん演じる由嘉里さんは、いわゆる腐女子でかなり狭い世界に閉じこもっている。
現状を変えようと婚活パーティーに参加するも惨敗して落ち込んでるときに、希死念慮をもつ美しいキャバ嬢ライに遭い、ライの部屋でルームシェアすることとなる。
ライの知り合いの歌舞伎町No1ホストのアサヒや、BAR「寂寥」では死ばかり題材とする作家ユキやマスター・オシンらにも出会い、世界が広がっていく。
由嘉里(=杉咲花さん)は、食べるときは思いっきり食べ、泣くときは顔をぐしゃぐしゃにして泣く。またライの死を思いとどまらせようとする時も、本気だ。ラーメンを泣きながら食べるシーンでは鼻水も一緒にラーメンを食べていた。
画面のあちこちで、愛にあふれた杉咲花という俳優を観た。
役に魂を吹き込むとはこういうことか、と感じた。
あと、やたらと水が出てきて監督のこだわりを感じた。
「寂しさ」は消えないけど
杉咲花さん、地味な外見でほぼすっぴんで、そばかすも見えてましたが、十二分にかわいかったです。彼女の熱のこもった演技にすっかり引き込まれ、まんまとユカリに没入してしまいました。まぁ、私は推しに人生を救われた、ユカリ側の人間なので。
歌舞伎町が舞台ですが、育ちのいいユカリの視点で描かれることで、作品全体がどこか明るく、さわやかに感じられました。登場人物たちの過去がほとんど語られない点が、この街らしさなのかなと思います。優しさとは、「寂しさ」から生まれるものなのかもしれません。
相互理解には程遠い死生観のズレ
善良でいて優しさからくる言葉が相手を傷つけてしまうことがある。当たり前だけど、それを映像にして見せられると心が痛いのなんの。死生観の価値観ならなおさら顕著にでる。
原作未読の姉と観に行きましたがちゃんと伝わってた。それが嬉しい。
由嘉里の暴走、アサヒとのやりとり、ライの意思、ユキの過去とやさしさ、オシンのあたたかさ、母親との会話、それによってブーメランを起こす言葉の矛、無機質な鵠沼の声、由嘉里の後悔など言葉以外で色々なことが目で観て、耳で聴いて伝わってくるって凄いことだなと思った。原作読了してたので映画ではやらなかったカットされてしまったところの補足を帰りの車でずっと語ってた。語り合うというよりひたすら語ってしまった。由嘉里のようにマシンガントークをかましてしまった。
原作の世界や登場人物を壊すことなく、ここまで鮮やかに、また豊かに、そして繊細に描いてくれていたことに喜びが先に来る。みんなハマり役だったなぁ。分かり合えない者同士が出会ってしまった悲劇でもあり、その苦しさ、相互理解には程遠い死生観の押し付け、人と人の縁、そして別離。良し悪しについて観る人を選ぶと言ってる人がいるけれど、原作を読んだりこの映画作品を観た人にしか言えないことがたくさんあると思う。肯定的な意見も否定的な意見も話すきっかけにもなる。語れば語るほど安くなってしまうので、ここまで。
あと…あれれ?金原ひとみ先生、映画のワンシーンで食事していませんでした?一瞬だったけどテレビや雑誌でお顔は拝見していたので、先生だ!と思わず心の中で叫んでしまった。その時の由嘉里とライの会話が一時期入ってこなかった。あとラーメンが凄く食べたくなった!
好みではなかった
原作未読。
あまり好きな類ではないと思いつつ、杉咲花を信じて鑑賞。やはり好きではなかったです。
ゆかりがそこまでライに惹かれる理由も、ゆかりとアサヒやユキ、オシンとの距離が急に近づいたのも、よくわかりませんでした。
ゆかりは他人に入り込み過ぎてうざいし、他の人は言葉の揚げ足取りでこちらもうざい。ゆかりがライの元カレの家に行ったのは、マジで気持ち悪すぎました。親への態度も、20代後半で厨二病かよ、と思いました。
何となく見れるが、少し長いから途中でダレました😅
多様な世界観に巻き込まれ、自分の殻を破ってゆく。ライやアサヒとBarの2人との偶然、人生の出会い、キッカケなんてどこに転がっているか分からないのをうまく表現されている。ラーメン屋のシーンがキモの一つだろうがとても良い。アサヒが自虐的に妻のお陰でのNo.1を語っていたのに、まだ昏睡中のアサヒの病室にホスト大集結してるのは実は人望アリに少しほのぼの→ウソくさいけどね😆
とは言えストーリー的には大きな山場なく、ライも謎のままで着地するので少し肩透かし、ライのパートナー菅田将暉?の謎電話(精神科で入院中なんでしょ)も違和感多く、エンドロールで分かった時はサプライズでの話題づくり感エグいと萎えてしまった→最初からキャスト紹介していた方が好印象で減点しました。
意味わからない
「他者の受容」というフィクション
人は、他人を本当に受け入れることができるのか。
この問いに、正面から誠実に挑もうとする映画は案外少ない。松居大悟監督は、本作をその稀有な例として世に送り出した。腐女子、キャバ嬢、ホスト、夜の街。社会の「普通」からわずかにズレた人々が、互いの孤独をそのまま見つめ、静かな化学反応を起こしていく。
主人公・三ツ橋由嘉里(杉咲花)は、焼肉を擬人化した漫画『ミート・イズ・マイン』を愛する27歳の銀行員。推しのマイナーキャラに感情を注ぐ一方、自分を肯定できず、周囲に合わせて婚活を始める。そんな彼女が、歌舞伎町の路上で出会うのがキャバ嬢・鹿野ライ(南琴奈)。ライは、美しく、繊細で、どこかこの世に属していない。彼女は言う――「自分は死ぬの。形も魂もない状態で消えるのが自然だから」。
この“死にたみ”を前に、由嘉里は懸命に言葉を尽くすが、彼女の説得は通じない。だが、ライの部屋での生活が始まると、二人の間に不思議な均衡が生まれる。言葉を交わしながらも、互いを変えようとはしない関係性。そこにこそ、この映画の核心がある。
松居監督は、登場人物たちに“言葉”を与えながら、説教臭さを排している。由嘉里は「普通になりたい」と言い、ライは「生きることに意味を見出せない」と語る。ホストのアサヒ(板垣李光人)は「演じることも自分の一部」と軽やかに言い放ち、バーの仲間は「人が人を変えられるのは四十五度まで」と諭す。彼らは自分の痛みを美化せず、それを他者と共有しようとする。その誠実さが、現代の過剰な共感文化とは異なる“静かな思考の共同体”を形づくっている。
杉咲花の演技は相変わらず圧倒的だが、ここで特筆すべきは南琴奈の存在感だ。ライというキャラクターは、繊細さと破壊衝動の同居する難役。南琴奈はその不安定さを、感情ではなく「体の静けさ」で表現する。目線、呼吸、沈黙――そのどれもが、彼女の“生と死の境界”を映し出す。彼女が何も食べず、何も欲しがらない姿は、由嘉里の“食べる”という生の衝動と鮮やかな対照をなしている。
ラストのエンドロールに響く“足音”を、私はライのものとして受け取った。それは、消えることを望んだ彼女が、それでも世界のどこかを歩いているという証。姿はないのに、音だけが残る――それが、生きるということの残酷な希望だ。松居監督は声高に「救い」を語らず、わずかな音で“世界はまだ続いている”と告げる。
現代社会では、違いを受け入れることが容易ではない。SNSのタイムラインを見れば、他者の意見を“理解したつもり”で否定し合う光景ばかりだ。だからこそ、『ミーツ・ザ・ワールド』の登場人物たちが見せる無理のない寛容さは、現実ではほとんど奇跡に近い。それゆえに、この映画は「気持ちの良いフィクション」なのだ。人が人を変えようとせず、ただ一緒にいることを肯定する。そんな理想的な世界は、現実にはほとんど存在しない。だが、だからこそ、観客は一瞬でも信じたくなる。
本作は、痛みのある優しさを描く映画だ。由嘉里が焼肉を頬張る音も、ライが静かに歩き去る足音も、どちらも“生の音”として等価に響く。その響きに耳を澄ませば、私たちもまた、この世界を少しだけ受け入れられるような気がする。
不幸過ぎない役でよかった
それぞれ違う生きづらさを抱えた人たちが、少しのバランスで一緒にいられなくなる日が来る不安と戦いながら、お互いを思い遣って生きる優しい世界。
みんなとは違う自分を肯定できたら、同じように他者のことを理解まではできなくても肯定はしたいなと思った。
キャスティングが良かった。
由嘉里の腐女子っぷりもなかなかだったし終始上手いのだが、ライの元彼から電話がかかってきたシーンで杉咲花の本領発揮。そしてこの音声だけの出演だった元彼役はクレジットを見て、あ…となった。
最近活躍めざましい板垣李光人も軽快ながら洞察力あるホスト、アサヒがぴったりだったし、ぼくほしで見ていた南琴奈も良かった。蒼井優や渋川清彦も素晴らしい。
全161件中、81~100件目を表示














