劇場公開日 2025年10月24日

「出会いと別れ、歌舞伎町で交差する人生を描く「優しい世界」」ミーツ・ザ・ワールド 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0 出会いと別れ、歌舞伎町で交差する人生を描く「優しい世界」

2025年11月15日
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鑑賞方法:映画館

幸せ

癒される

【イントロダクション】
『蛇にピアス』の金原ひとみ原作。新宿歌舞伎町を舞台に、“生きづらさ”を抱えた人々の出会いと再生を描く。
主人公・由嘉里役に『湯を沸かすほどの熱い愛』(2016)、『片思い世界』(2025)の杉咲花。由嘉里が出会うキャバ嬢・ライ役に、オーディションで選ばれた南琴奈。
監督・脚本に『ちょっと思い出しただけ』(2022)、『リライト』(2025)の松居大吾。その他脚本に國吉咲貴。音楽・主題歌を人気バンド、クリープパイプが担当。

【ストーリー】
夜の新宿・歌舞伎町。慣れない合コンで酔い潰れ、路地裏にて項垂れていた銀行勤めの27歳の女性・由嘉里(杉咲花)は、キャバ嬢のライ(南琴奈)と出会い、彼女の家に泊めてもらう事になる。

ライは出不精で自堕落な生活をしており、部屋はゴミで溢れかえっていた。由嘉里は部屋の掃除をする中で、自分の趣味である“推し活”について熱く語り、擬人化焼肉漫画「ミート・イズ・マイン」の推しカプについて熱弁する。実は、由嘉里は腐女子であり、「ミート・イズ・マイン」の推しカプであるトモサン(声:村瀬歩)とウルテ(声:坂田将吾)のぬいぐるみやアクリルスタンドを持ち歩く程の熱の入れようであり、その事を職場ではひた隠しにして生きてきていたのだ。しかし、27歳になって周囲の友人達は結婚・出産を機に界隈から離れてしまい、過干渉の母(筒井真理子)とはギクシャクした関係が続いていた。

ライはそんな由嘉里を否定する事をせず、由嘉里とルームシェアを始める事にする。だが、ライもまた希死念慮という問題を抱えており、自身の顔立ちに憧れる由嘉里に「どうせ死ぬから、貯金の300万円あげるよ。で、そのお金で整形すればいい」と不穏な言葉を掛ける。ライの人柄に惹かれた由嘉里は、そんなライに「生きる気力」を取り戻してほしいと考えるようになる。

ライとのルームシェア生活を続ける中で、由嘉里はライの知り合いであるNo.1ホストのアサヒ(坂垣李光人)と出会う。アサヒは既婚者でありながら、妻に複数の男と愛人関係を結ばせ、そうして得た妻の財力で毎月末に売り上げNo.1の座に就かせてもらっているという。そんなライとアサヒに連れられ、由嘉里はBAR「寂寥(せきりょう)」を訪れる。そこには、気さくで面倒見の良いオネエ気質のマスター・オシン(渋川清彦)と、常連客の毒舌な小説家・ユキ(蒼井優)が居た。

様々な事情を抱えた人々が、様々な理由でやって来ては去って行き、戻って来る者も居れば、二度と会う事のない人も居る。そんな歌舞伎町での生活の中、由嘉里はライからかつて付き合っていた恋人・鵠沼藤治(くげぬまとうじ)の話を聞き、ライの希死念慮を止める鍵はその元恋人が握っているのではないかと考えるようになる。

【感想】
歌舞伎町という、様々な人が行き交う場所を舞台に、その中で知り合った人々の交流を描いていく本作は、何か特別なメッセージを押し付けるのではなく、それぞれの立場で生きる人々を何処か優しく見守り、背中を押すような作品だ。
推し活に励みながらもそんな人生に滞りを感じる者、世間一般の価値観に迎合出来ない者、煌びやかな生活の裏で他人には見せない葛藤を抱えている者、来る者拒まず去る者追わずのスタンスで人間模様を眺める者等、皆それぞれ抱えているものが違う中で、その時その時のタイミングで出会う人が居る。それはまさしく、我々の現実生活そのものである。

そんな中でも、私は主人公の由嘉里の、30代を前に「このままで良いのか?」という岐路に立たされている姿に共感出来た。周囲が結婚や出産という世間一般的に“幸せ”と定義されている生活に移行していく中で、恋人もなく趣味に生きる自分の姿が酷く惨めに映ってしまうというのは、男女問わず現代社会を生きる若者が抱える問題だろう。

そんな由嘉里をはじめ、原作者が女性だからこその匙加減か、作中に登場する女性キャラクターは誰一人として性的に消費されない。その点が本作で最も素晴らしいと感じた。これが男性作家や一昔前の男性監督ならば、由嘉里に奥山との食事デートだけではなく、キスやSEXといった“先の出来事”までを経験させ、その上で「求めていたものと違う」と感じさせるのではないかと思う。また、自由奔放に見えるライの生き方の中にも、藤治という「忘れられない男性」が居る事に対しての、由嘉里の「恋人(藤治)と別れて以降、SEXはしてないんですか?」という問いに対する、ライの「そこまで純情じゃない」という発言でサラッと流す姿も印象的だ。藤治との関係を忘れられない中で生まれた心の隙間を埋める為に、客とSEXする描写等があっても描写としては不思議ではないのだが、それらは作品の本質には直接的には関わりのない、「省略しても問題のない要素」である為、そうした展開を描かなかった点に好感が持てた。

主演の杉咲花やオーディションで選ばれた南琴奈等の主要キャスト陣の熱演は勿論、脇を支える俳優陣も豪華で、味がある。個人的には、作家のユキを演じた蒼井優の台詞が印象的。
「それ(結婚して子供を産んでという生活)で幸せになれるのは、“幸せになる事”を幸せだって思える人よ」
「人が人を変えられるのは45°までだよ。90°、180°って変えたら、人は折れるよ」

傷付いた由嘉里を抱きしめるのが、ユキではなくオシンというのも良かった。バーのマスターとして、様々な人間模様を見て来た彼だからこその、由嘉里の青臭く不器用な価値観と挫折を優しく包み込む姿が美しく感じられた。

また、短い出演時間ながら、奥山譲(ゆずる)を演じたお笑い芸人・令和ロマンのケムリの演技も良かった。普段の眼鏡姿が印象的だったが、
長い間片思いし、ようやく付き合えたにも拘らず、半年間の交際期間で破局してしまった元恋人の事が忘れられず、由嘉里に思い出話を話す未練タラタラの姿には、「男は女を忘れられない、別れてもいつまでも心の片隅に自分の事を置いておいてほしい」という男性ならではの願望が有り有りと現れており、何処か女性を下に見ているような態度も相まって、「まぁ、そりゃあ別れるよね」と感じさせる。そして、残酷かな、女性は生物としての構造的にも、アッサリと過去の男を忘れられるものなのである。それが自分を満たせなかった不甲斐ない男なら尚の事である。

ただ、初対面の由嘉里をアッサリ部屋へ招くライや、それに乗っかる由嘉里。由嘉里の趣味を引く事も否定する事もなく、むしろその世界に素直に入って来てくれるライやアサヒの姿は、現実味が感じられない印象を受けるのも事実。よく言えば「優しい世界」なのだが、見方によっては「(主人公や物語にとって)都合の良い世界」とも解釈出来てしまう。また、登場人物のバックボーンが見え辛いというのも、そうした都合の良さを感じさせる。
主人公である由嘉里でさえ、母との直接的な関わりが描かれるのは、物語後半である。

少々話は逸れるが、序盤から提示されるLINEのメッセージや電話から、過干渉な母親であるであろう事や、由嘉里のライの抱える希死念慮を払拭したいという「価値観の押し付け」から、ある程度の親子関係は想像出来るのだが。そして、アサヒやオシンに咎められたように、やはり自分の物差しで測った「生きてほしい・生きるべき」という価値観を押し付ける由嘉里の姿は、彼女に世間一般的な幸せを享受してほしいと願う母親譲りである事が判明する。由嘉里が母に抱える感情は、思春期から続いているであろう反抗心であると同時に、実は“同族嫌悪”でもあるのだ。

話を戻すが、脚本術の基本として、「主人公以外のサブキャラクターはバックボーンを描く必要はない」というのがあるが、由嘉里とルームシェアをして“同じ空間で生活する”キャラクターである以上、ライのバックボーンはもっと詳細に描かれるべきであったように思う。
彼女の抱える希死念慮は、ユキの語った「日常に潜む細やかな絶望」によるものであるのかもしれないし、由嘉里のように何かに熱量を注げない冷めた自分の人生への諦めによるものであるのかもしれない。そして、現代では若者が何となく抱える希死念慮は珍しくない。生まれた時から物質と情報に満たされた世界で生きる中で、自分を見失う、自分の生き方を見出せないというのは、至極当然とも言えるし、ある種“現代病”だとも言えるだろう。
しかし、そのように観客の解釈に委ねる“曖昧な存在”に設定した事で、先述した「都合の良さ」を感じさせる要因になってしまっているのは間違いないと思う。

飄々とするアサヒに至っても、やはりその軽薄さの中に潜む葛藤や、そのような人格が形成された要因を何となくでも示してほしかった。途中から、最終的に由嘉里とアサヒは付き合うのではないかとも思ったのだが、そこの矢印が友達以上にならないのは現代的と言えるか。

また、邦画あるあるなのだが、やはり腐女子やオタクといった人物描写は、ステレオタイプ的で過剰に見えてしまう。あんな風に同人誌を読み漁り、コラボカフェやイベントではしゃぐファンも居るのは間違いないのだが、それはごく一部であり、ああした何処か滑稽さを窺わせる描き方は、本作の示す「それぞれの生き方の肯定」のノイズとなってしまっていたようにも感じられた。

最終的に、物語はライの失踪先や生存が判明しないまま幕を閉じる。しかし、由嘉里が彼女の部屋を引き継いだように、一度離れたとしても、何処かで人と人は繋がっているのかもしれないし、あの場所がライにとっての「変わらない帰る場所」である事は変わらない。そして、あの場所は由嘉里にとっての「新しい帰る場所」でもあるのだ。アサヒやオシン、ユキが遊びに来るあの空間は、由嘉里なりのライへの「帰りたくなったら、いつでも帰って来てね」という、人生のセーフティーゾーンなのだろう。

【総評】
都会の喧騒の中で、偶然の出会いを重ね、それぞれが様々な道を辿っていく本作。去る者、新しく来た者、出会いと別れの繰り返しは「人生」そのものであり、不満はありつつも、この「優しい世界」に言い表せない心地良さを感じたのは確かである。

余談だが、本作と同日に、同じく新宿歌舞伎町を舞台にした『愚か者の身分』(2025)を鑑賞した。あちらが歌舞伎町の「闇」を描いていたのに対して、本作は歌舞伎町の「光」を描いていたのだろう。
クリープパイプの主題歌のタイトルにあるように、『だからなんだって話』ではあるが。

緋里阿 純
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