「さよなら、俺。さよなら、私。」君の顔では泣けない ジュン一さんの映画レビュー(感想・評価)
さよなら、俺。さよなら、私。
1979年からの一年間
『小6時代』に連載された〔おれがあいつであいつがおれで〕を嚆矢とする
男女の躰が入れ替わる物語り。
原作とした〔転校生(1982年)〕をリアルタイムで観ており、
当時十七歳だった『小林聡美』がいきなり脱いだのには驚いたが、
今ではムリ筋だろうなと思ったり。
とは言え、以降は似たようなモチーフの作品は作られても、
何れも短期間で元の躰に戻るパターン。
では、長期に渡り戻らなかったらどうなるか?と
攻めた展開にしたのが本作。
高校一年生の時に、一緒にプールに落ちたことで心と体が入れ替わってしまった
『水村まなみ(芳根京子/西川愛莉)』と『坂平陸(髙橋海人/武市尚士)』。
十五年間を互いに別の体で過ごし、イマイマ三十歳。
年に一度は逢おうとの約束を、
地元の喫茶店「異邦人」で果たしている場面から映画は始まり、
以降、記憶に残る年度のエピソードが挟み込まれる。
思春期から青年期にはどのようなできごとがあるだろう。
恋愛は勿論のこと、結婚や出産に至るかも。
或いは、歳を取ってできてからの子供なら、
肉親の死に立ち会うかもしれない。
いずれもが、元の自分の躰で、
他人が体験していることの理不尽さとやるせなさ。
そうした切なさを、
これでもかというほどに詰め込んで、
本人のみならず、観ている方の居たたまれなさも
我が身を斬られるほど。
一方で、この手の作品にお約束のユーモラスさも、
ちゃんと兼ね備える。
先の作品なら、入れ替わった当初の違和感をデフォルメして描く例も、
ここでは、より躰が馴染んでからの「性」を題にとった描写が頻出。
あまりにあけすけに語られるので、
思わずぎょっとしてしまう。
なまじレイティングが「G」の故だろう、
幼い子供を連れて来館の家族もおり、
後でどんな説明をするのやら、と
勝手に気を揉んでしまう。
入れ替わった躰に、それなりに馴染んで暮らしているように見えても、
実際はそれなりの葛藤を抱えているのは後半部で語られるところ。
お気楽に見えて、自身のアイデンティティを保持するのに、
危ういバランスを保ちながら生きている。
なかんずく、今生きている躰は借り物。
何かの拍子に、大病になったり、結果として亡くなったら、
相手は元に戻ることが不可能に。
そうしたひりひりした感覚が常につきまとうのも、
入れ替わりが長期間に渡ることの一要素で新奇な視点。
それを、とりわけ女性にとっての人生の一大イベント
出産に絡めて語るのは、なんとも長けた発想力だ。
もっとも、元に戻るための試みは過去に何度もされており、
冒頭のシーンが、おそらく唯一で最後となる機会へと繋がる。
他方、人生の半分を相手の躰で生きたため
馴染み、それなりに掴んでいる幸せを手放しても元に戻ることに意義はあるのかとの
葛藤も生じる。
それを乗り越えても、新たな可能性を試す決断をするのかと、
結果として元の躰に戻れるのかが、
最終盤部の最大のサスペンス。
鑑賞者は息を止めて、その帰趨を見守る。
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