劇場公開日 2025年10月3日

アフター・ザ・クエイクのレビュー・感想・評価

全48件中、21~40件目を表示

2.5好きな空気感の作品だが、一本の映画としては厳しい

2025年10月12日
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鑑賞方法:映画館

4部構成からなる震災に絡むお話。
後から知ったのですが、NHKのドラマがベースとなっており、原作は村上春樹作品。

第1部は「いかにも村上春樹」的な作品。何かを喪失した男が、謎めいた都合のいい女性に会い、再び人生を取り戻す話。喪失した岡田将生もいいし、都合のいい唐田エリカさんの存在感はやはり素晴らしい。

第2部は地方の浜辺で焚火をするだけの話。では、あるのですが、阪神淡路大震災と東日本大震災を結び付ける話。鳴海唯さんが素敵でしたし、最近の枯れてきた堤真一さんは結構好きです。

第3部は新興宗教二世が自分の出自を疑う作品ですが……。一部キャラクターが受け付けなくて少し苦手です。

そして問題の第4部。
第3部まで多少の好き嫌いはあれど、空気感的には好きなんですよ。最近の作品は読まなくなりましたが、村上春樹はもともと好きでしたし。しかし、最後の最後にアレをそのまま映像化してしまうと、一本の映画としてはリアリティラインがぐんと下がってしまう。
テレビで4週にわたって一話ずつ見ているのなら、問題ないのですが、一つのスクリーンで連続してみていると違和感しかないんです。
しかも、これまでの3部を結び付けるようなセリフや描写がしっかりあるので、完全なオムニバスとしても処理しにくい。
いい感じで紡いできた話が、どうにも安っぽくなってしまい、ダメでした。

P.S. 見はらし世代の直後の本作を見たので、黒崎煌代さんや木竜麻生さん、井川遥さんを連続してみることができたのはよかったです。

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よして

1.5失敗作ですなぁ

2025年10月11日
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複数の短編をまとめて1本の映画に…というのはたまに見る試みだけども、今作は全くまとまっていない。
村上作品だと「ドライブ・マイ・カー」あたりは非常に上手くまとめられていたが、こいつは全然ダメ。
30分の短編映画4本を雑に繋げただけにしか見えず、とても2時間映画とは呼べないゲテモノに。つまり失敗作です。

特に1本目が酷い。登場キャラ全員トンチキ過ぎるでしょ…。
これは文章、特に村上世界だけで許される世界観であって、映像化すべきではなかった。

「村上作品の映像化」以外に全く価値を持たない失敗作。
それは製作者も分かってるはずだけど、村上春樹は銭になるからね、仕方ないね。

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日高雄介

2.0震災絡みの4編のオムニバス

2025年10月11日
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鑑賞方法:映画館

難しい

観に行った方からわけわかんなかったから観て感想を聞かせてと言われて、いそいそと。

震災にまつわる4編のオムニバスなんですね。元々はバラバラな短編の原作を年代別に章立てでみせてくれる。

1話目 阪神・淡路大震災の後にいきなり離婚される若い夫婦の話。旦那の中身が空っぽと振られる。旦那は傷心旅行先の北海道で妖精みたいな女と出会ってすぐセックスする。

2話目 阪神・淡路大震災で家族を亡くして、毎日焚き火してる、たぶん画家の話。いつも行くコンビニの女の子が心中を持ちかける。

3話目 東日本大震災に宗教団体がボランティアに行くが、男の子が拒否する。

4話目 歌舞伎町の満喫で暮らす駐車場の警備員が、カエルと一緒に首都圏直下型地震を回避する。

ひとつひとつの話は、予期せぬ不幸にあった人、合わない人、結局は虚無感や孤独感をもちつつ、生きなければいけない現実を描いているのは理解できる。

ただ、元々バラバラのお話をなんとかつないで1本の映画にする試みがうまくいってない。

特に4話目のカエルの話が浮いてみえるのは、これだけが被災してない東京視点の話だから。当事者意識を持たせる意図はわかるが、実際に被災された方の立場に立つと言い訳がましく見えてしまわないか。

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minavo

3.0まぐわいとかえるくん

2025年10月10日
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鑑賞方法:映画館

村上春樹の小説は好きでよく読むけれども、映像化するとそのトンチキさがどうしてもきわだってしまい、トンチキさばかりが気になってしまう。文章ではぜんぜんゆるせるトンチキさなんだけどな。なんでだろう。
息子と話しているとき「まぐわう」とかいう母親はだいぶトンチキだとおもうが、井川遥さんが非常に上品にさらりと言ってのけていてすてきだった。

それにしても、東京を救うかえるくんはいろんなクリエイターのインスピレーションを刺激し続けているのがすごい。

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kikisava

4.5村上原作を、30年災厄史として再構築した寓話的傑作

2025年10月10日
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鑑賞方法:映画館

公開1週間目の本日、観に行ってみた。星評価があまりに低いので、観るのをやめようかと思ったのだけれど、デビュー当時からリアルタイムで読み続けてきた村上春樹原作である。村上の本は、近年いくつか映画化されたけれど、おそらく著者の意向もあるのか長年映画化がほとんどされなかった。なので、村上ファンにとって貴重な機会である。
映画館の観客は10人程度。平日朝一番にしても、公開1週目にしてはかなり厳しい。あまり期待せずに見始めたのだけれど、最初の1995年では多少の違和感を感じつつ、その先に進むほどに引こまれた。鑑賞後の余韻も非常に強い。
日本の、そして自分自身の30年を振り返り、これからを考えさせられるものであった。また「ドライブ・マイ・カー」に続き、国際的な評価を得る可能性がある作品ではないだろうか。

原作を読んでいるかどうか、それと、村上の(現実と非現実の入り混じる)マジックリアリズム的世界観にうまく乗れるかどうか、その2点によって評価が大きく変わる作品かもしれない。
この映画には、村上の短編4作が入れ込まれている。原作を読んだのはかなり前で記憶が定かでないが、4作目以外は、かなり原作に忠実なプロットのようだ。1作30分程度だから、原作のディテールは再現できず、プロットだけが残ったような映画になっていた。僕は無意識に、原作の記憶で細部を補いながら観たことで、楽しめた可能性はあると思う。

4作のあらすじを組み合わせたような作りにすることで、各作品の寓意性や意味は原作よりも際立っている。
元々は神戸の震災とオウム事件の影響を受けて2000年頃に書かれた短編4作を「30年の日本の災厄史」として再構成したシナリオは見事だと感じた。なので、僕としては星は多くなる。
改めて僕なりの感想と考察をまとめてみたい。

「失われた30年」という言葉がある。1989年につけた日経平均株価の最高値を更新したのが2023年。株価というのは、長期的平均的には上がるようにできているから、30年上がらないというのは世界的に、また歴史的にみても異常事態だ。その間、バブル崩壊、ITバブル崩壊、リーマンショックという経済的災厄が続いた。
僕自身も同じ1989年にある専門職として会社員生活を始めて、今年その専門職からリタイアすることを決めて組織からも離れた。この間、自分なりにそれなりに努力し、達成したと感じたこともなくはないけれど、それでも日本の発展と成長のために、何もできなかったという気持ちが打ち消せないところがある。それはこの日本の30年余の状況と深く関係している。

本作は、「失われた30年」とほぼ同時期の1995年から2025年を「災厄の30年史」として物語化した作品だ。これは原作からの大きな再構築部分だ。
1995年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災、2020年のコロナ禍、そして2025年現在の4つの年に4つの原作を配置している。そして、それは実は、別々の災厄ではなく、地続きの物語なのだということを(確か「ねじまき鳥クロニクル」で村上が描いた)時空を越えるホテルの廊下のイメージで表現していた。

災厄の連続としての時代認識を、登場人物の「世界はどんどん悪くなる」というようなセリフでまとめている。これはある種、監督の所属していたNHKの報道の姿勢でもあると思う。報道には、多くの善良な市民は、無力であり、自然災害や政治や経済、宗教のような大きな外部のシステムの被害者であるという物語作りが基本にある。
僕自身はニュース報道のこうしたナラティブが、自分自身の被害者性や無力さを固定化するもののように感じたこともあって、20年以上前にテレビ報道を見ることをやめてしまった。自分の軸というか、主体をなんとしても確立しないとという危機感があったのだけれど、テレビを見なかったおかげで、それが持てたかどうかは、今もよくわからない。

この4冊の原作(4つの年)を回収する役割を担うのが、唯一大きく原作から改変された2025年現在の4話目(「かえるくん、東京を救う」の後日談)だ。原作では、さえないけれど、誠実に働く信用銀行員だった片桐さんは、無意識下でかえるくんと共に戦い、東京を大地震から救った英雄だった。
彼は、年老いた数十年後の現在、ネットカフェ難民であり、警備員でなんとか生活費を稼いでいる。そして、信用銀行員時代に、金融の論理で多くの人の人生を破綻に追い込んだ記憶に苦しめられている。
片桐さんの誠実さは、金融組織の論理に対しての誠実さだったのだと、組織から離れたことで自覚し、罪悪感に苛まれるようになってしまっている。

片桐さん同様、多くの市民は無力なだけではない。例えば、企業組織という大きなものに所属し、それと一体化することで、力を持つことができる。企業や経済、金融の論理は、それ単独では、非人道的で、非倫理的な側面がどうしても含まれている。
だから、組織の論理にどっぷり浸かってしまうと、無力な個人であるだけではなく、知らず知らずのうちに、力と加害性を持った権力者になってしまうということが起きる。それを自覚するのは本当に難しいことだと思う。自分の悪の側面は、合理化という心理的作用で消し去られてしまうからだ。

大きな物の論理に乗っ取られてしまう一つの原因が、この映画のテーマとして、何度も登場人物から口にされる「空っぽな自分」という自己認識だ。これは、明治期の夏目漱石以来の日本文学の系譜でもあるし、現在の日本人の課題でもあると思う。この映画でも「空虚な自己」の認識を、この映画の4つの時期の4人の主人公に与えている。
1995年の主人公(岡田 将生)は、現代の普通のサラリーマンの「空虚な自己」への無自覚を体現している。
2011年の主人公(鳴海 唯)は、空虚を自覚し、同じく空虚を自覚する人物と、一緒に海での焚き火という小さな祝祭的な行為に熱中し、その炎の向こうに何か大事なものを見つけ出そうとしているようだ。
2020年の主人公(渡辺 大知 )は、やはり空虚で未熟でちっぽけな自分を自覚しているが、宗教2世でありながら、宗教という大きな物語に自らを託すことを拒絶している。
そして2025年の主人公の片桐さん(佐藤 浩一)は、空っぽな自己の空白部分に、組織システムの論理が入り込んでしまった。そして、その論理に従って生きてきたことに気づき、晩年となって、大きな後悔と罪悪感を抱えることになった。片桐さんは、そう自覚したからこそ、世界の片隅で、誰も見ていないかもしれないけれど、誠実にコツコツと日々を生き抜いている。

この「空っぽな自己」の認識こそが、村上春樹が世界的に評価される理由でもあると言われる。村上自身も、厳しい状況にある国、価値観が大きく変わった後の国で、特に読まれているようだと語っていた記憶がある。そうした状況では、これまで頼りにしていた判断基準が一度リセットされるから、空虚にならざるを得ないからだろう。
そして、それはVUCAと言われる変化の時代、そして多様な価値観を認めるというリベラルな時代においては、空虚な自己は、世界的な課題だ。状況が変われば、それに対応して価値観も変えざるを得ない。価値観は人それぞれであることを認めるなら、自分の価値観は自ら構築しなければならない。だからどうしても空虚を抱えざるを得ない。

このしんどい現在の世界を、「空虚な自己」の物語、同時に30年の災害史として再構築した物語は、日本人の今を語りつつ、同時にそれは世界の人々とも共有できるものになっていると思われる。
現時点での観客評価は厳しい。だけど、30年の日本の歴史を寓話として再構築し、「空虚の自覚」と「誠実な生き方」を描いたこの作品は、今後、再評価されていくのではないだろうか。今のうちに、この「空虚な自己」の物語を、静かな空洞のように空いている劇場で見ることで、最も深く響く鑑賞体験を味わえると思う。もちろん、本作に共感する人が増えて、劇場が混雑したらうれしいけれど。

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nonta

3.0知性は高いが刺激は少ない作品

2025年10月9日
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難しい

この映画は人間の概念の塊がガラポンのようになって表現されてます。
特に心の奥底にある不穏な闇をむき出しにして煽るようなところは魅入ってしまいました。
が、しかし、かえるくんのエピソード以外は刺激が薄く、睡魔との戦いでした。
焚き火とか宗教とか個人的に興味が湧かないものをひたすら観せられてるのは、ちょっとねえ・・・
村上春樹ワールド好き限定映画ですね。

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ちゆう

2.0難解

2025年10月9日
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鑑賞方法:映画館

難しい

1995年、阪神淡路大震災の後、妻が突然姿を消し、失意の中で後輩に頼まれた小包を後輩の妹に届けるため釧路を訪れた小村(岡田将生)は、UFOについての不思議な話を聞いた。成り行きでその妹と一緒にいたシマオ(唐田えりか)と寝て、小包はあなたの中味だと言われ、始まったばかりと言われた。
2011年、家出した少女・順子(鳴海唯)は、海岸で流木を集めてたき火する男との交流し、自身を見つめていた。
2020年、信仰深い母のもとで神の子どもとして育てられた善也は、父について疑問を持つ。
2025年、警備員の片桐(佐藤浩市)はゴミ拾いをして、漫画喫茶で暮らしていた。そして、かえるくん(声:のん)と会い、ミミズくんの話をする。

良くも悪くも村上春樹原作だなぁ、と感じた。
この4編が繋がってると見るかどうかは鑑賞者次第なんだろう。
喪失感の繋がり、と言われれば確かにそうかもしれ無いが。岡田将生の話は、男が妻にあんなこと言われたら傷つくなぁ、と思ったが、夫に求めるものが地震で変わった、という訳でも無さそうだし。
唐田えりかはやっぱり魅力的だった。
焚き火と地震、あまり関係なかった様な、あの流木が東日本大地震のものって事?順子役の鳴海唯が存在感あった。
善也の話はよくわからなかった。カルト宗教に悩む息子かな?地震に関係あったっけ?
佐藤浩市の話はどうなんだか。かえるくんの声役ののんはやっぱり良かった。かえるくんとみみずくんはどう関係するのかわからなかったが、すずめの時もミミズって言ってたし、地震に関係あるのだろう。
ファンタジーの様な、何やってんだかわからない作品はどうも苦手です。

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りあの

3.0村上春樹の日本人論

2025年10月8日
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ノーベル文学賞の発表が迫る中、村上春樹先生原作の小説を映画化した本作を鑑賞しました。原作は未読ですが、六編から成るオムニバス形式の短編集とのことで、映画は四編で構成されていました。そのあたりの事情を知らぬまま観始めましたが、第一話は岡田将生演じる小村を主人公とする物語で、舞台は阪神淡路大震災直後の1995年。妻(橋本愛)が突然失踪し、呆然とする小村が、同僚から「小さな箱を北海道に運んでほしい」と依頼され北海道へ赴きます。中身の分からないその箱が、後に物語全体の鍵を握るとは、この時点ではまったく想像もしていませんでした。旅の途中で出会うシマオ(唐田えりか)との関係は、どこかロマンポルノ的な香りを漂わせ、予想外の展開に引き込まれました。

しかし、この路線で物語が進むかと思いきや、第二話では一転して舞台が2011年の東日本大震災直前の福島へと移ります。阪神淡路大震災で家族を失った三宅(堤真一)と、生きる意味を見失っていた順子(鳴海唯)の物語で、明日がないのに明日があるような――そのアンビバレントな余韻が、静かに胸に残るエピソードでした。

第三話の舞台はさらに時が進み、コロナ禍が始まった2020年。新興宗教の二世として「神の子」として育てられた善也(少年期:黒川想矢/青年期:渡辺大知)の葛藤が描かれます。そして第四話では、舞台が2025年へ。元信用金庫職員で、現在はビル警備員として働く片桐(佐藤浩市)が主人公のお話。のんが声を担当する「かえるくん」が登場し、最も物語がドライブするエピソードとなっており、ここで第一話に登場した「小さな箱」の謎がついに回収されます。

最終的に本作のテーマは「日本人論」にあるのだと感じました。“謎の箱”も、空虚な日本人の内面を象徴するメタファーと合点しました。バブル崩壊後、二度の大震災とコロナ禍を経て、自信を失った日本社会の現状を象徴する作品と見ると、バラバラに思えた四つの物語が一貫したテーマで貫かれていることに気づかされました。
もっとも、その構成が明確になるのは物語の終盤であり、それまではやや中だるみを感じる部分もありました。全体としては重層的で見応えのある作品でしたが、もう少しコンパクトにまとめた方が、より引き締まった印象になったのではないかと思いました。

そんな訳で、本作の評価は★3.0とします。

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鶏

1.0映画全体としてはイマイチ何だかなという

2025年10月7日
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怖い

村上春樹さんの原作は読んでいます。
ドラマも1作は観ました。映画全体としては、イマイチ何だかなという感じでした。
私は、井川遥さんが少し苦手です。
演技がイマイチに思えてしまうこともあるけれど、業界全体で「趣のある年配の女」と決めつけて起用しているようで、そのステレオタイプの起用に辟易しています。

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ねこたま

4.5絶望の隣には希望がある

2025年10月7日
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1995年は歴史に深く刻まれる大災害と大事件が立て続けに起きた。当時私は名古屋に居住しており大災害が起きた1月17日は早朝に新幹線で東京に出張に行くところだった。移動途中、地震が起きた事はわかったがスマホもない時代だったので最初は詳細がわからなかった。東京に着いたら関西が大変な事になってるとのことで、名古屋にとんぼ返りする事になった(新幹線はこだまの運行だけになってた)。名古屋の事務所に戻り、被災地へ向け何か助けることができないかということで、弁当工場をフル稼働させ、おにぎりを大量に製造してもらい支援物資として送ったりしていた。そして、大事件が起きた3月20日は、里帰り出産をした妻と3月の初めに生まれたばかりの娘に会う為、日比谷線の地下鉄に乗り妻の実家に向かっていた。サリンが撒かれた時間とはズレていたので難は逃れたが、。このようにして、私は阪神・淡路大震災も地下鉄サリン事件も直接には関わらなかったが一生忘れることがないであろう記憶がある。
原作は未読だが、村上春樹は「戦後の日本で1番不吉だった時、人々がどこで何を考え何をしていたのか」をこの本で書きたかったのだという、。なので、NHK土曜ドラマ「地震のあとで」の放映時は何となく自分自身の事も少し投影しながら見ていた気もする。
しかしながら、ドラマはかなり不可思議な展開だったので、何となく消化不良に陥っていた。
そんな中での映画版の登場である。岡田将生が友人から預かった箱の中身はやはりわからなかったが妻から三行半を突きつけられた手紙の通り、彼も箱の中身も「からっぽ」なのだろう。鳴海唯は自分自身が「からっぽ」であると自覚し家出をしたが同じく「からっぽ」になって久しい堤真一と焚き火を見つめ自死を仄めかしたが、眠りについた後には何もなかったように朝を迎え、その日の午後、大震災に直面するのだろう。渡辺大知は神の子でも何でもない事は自覚している。外野フライを捕球する望みも叶えられないのだから神など必要ない筈である。彼もやはり「からっぽ」なのだが、無人の夜中の野球グランドで飛び跳ねる姿は決して絶望してる訳ではない。初老の佐藤浩市はカエルくんとの30年前の出来事を忘れる程「からっぽ」の存在になっていたが人知れず東京の大災害を食い止めるカエルくんを支援した。この2025年の第4章は原作とは違うオリジナル脚本とのことである。
ドラマ版から映画版に変わる中でこの4つの物語は編集の妙により、細い縦の線で繋がっているように見えた。私の消化不良もかなり解消されたようである。
「何があろうとなかろうとも世界には希望がある」という映画であった。

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アベちゃん

1.5ごめんなさいごめんなさい

2025年10月7日
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村上春樹は好きですし訓覇圭や井上剛や大江崇允の実績と実力は知ってますし役者は一線級かつ好きな役者ばかりだったんですが、…あううう

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LukeRacewalker

4.5家族に優しくしようと思った

2025年10月6日
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泣ける

知的

斬新

そうか、自分という人間が存在できるのは、相手が自分を認識しているから。
もし、この世に自分を認識する人が1人もいなかったら、自分は存在しないのも同然なんだ。

この映画の4つの物語はそれぞれ最後に、人や神やかえるによって、自分の存在を確かめ始める、再生の物語ですね。

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ポンちゃん

2.0ハルキスト御用達。私は関係ないので呼ばないで。

2025年10月6日
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村上春樹の短編集が原作の邦画。昨年、アニメ作家のピエール・フォルデスが監督・脚本を手がけた『めくらやなぎと眠る女』というアニメ作品を観た。本作は、ほぼ原作が重なるものとなる。まあ、本作を観て『村上春樹は映画化には向かない』という事実を再確認した。『ノルウェイの森』や、村上の主題なのか疑問とってしまう『ドライブ・マイ・カー』を観りゃ解るだろう。というか、映画にしちまうと、特徴的な暗喩や比喩やエロティックな描写で、読者を倒錯させる村上の作品が、実は中味がスカスカで10行で語れてしまうことを何百ページも費やしているということが歴然としてしまうのだ。村上ファンの『活字で夢を見ている』のを醒ましてしてまうのは可哀想だ。

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t2law

2.5個人的にはやっぱ2話までかなー・・・

2025年10月5日
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カエルくんの存在は気になるし、めっちゃ興味をそそるし、それだけで観賞したような作品でしたけど、2011が終わると自分の中ではあとは惰性で眺めていたような・・・
カエルくんが気になって─と言ってもテレビで一回見ているわけだし、出オチ感がハンパなく、ただの着ぐるみにしか見えず、いっそのことミミズくんとの大バトルをコテコテのCGでもってやっちゃえよなんて酷い妄想など・・・
面白くしたいのか、悲哀やメッセージ性を持たせたいのか、どっちつかずな印象でした。

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SH

3.0第4話の混乱が映画自体をダメにした。

2025年10月5日
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素晴らしいところとスベってるところがまぜこぜになっている、そんな感じがした。複雑な気持ちである。
まず、素晴らしいところ。原作の「神の子どもたちはみな踊る」は6編からなる短編集である。映画(と、それに先立つNHKのドラマ)は4編をチョイスしている。すべて1995年の阪神大震災が関連するが、直接的には被災者、被災地は登場せず、離れた土地の人々のこころの諸相が描かれる。2000年に出版されているので当然ながら、東日本大震災もコロナも現れない。4編の(取り上げられなかった2編も含めて)時間は阪神大震災の直後である。
主役たちは、基本的に、暴力の被害者であったり、いままさに暴力に直面しようとしている者たちである。この暴力というのは、肉体的、精神的な虐待はもちろん、性的なまなざしであったりネグレクトであったり宗教的な抑圧であったり、様々なカタチがある。これらの被害を受けた主役たちは、こころの均衡が崩れ、強い喪失感や自己否定や遺棄感などを持っている。村上は、阪神大震災とそれに引き続き発覚したオウム真理教の犯罪が、人々の弱さやキズと呼応する姿を描いている。つまり圧倒的な負のパワーによる暴力は遠く離れたもののこころにもシンクロするのである。
でも、そのような現象は1995年だけのことではあり得ない。2011年の東日本大震災と原発事故、2020年からのコロナ禍も、圧倒的な負の力をみせつけた。村上の仮説が正しければ、同じように暴力の被害者が影響を受けるはずである。端的に言うと弱いものが狙われる。
長くなってしまったが、この映画の優れたところは第二話と第三話の時代設定をそれぞれ2011年、2020年に変えたところにある。つまり天災、人為を問わず、圧倒的な負の力が人々のこころをねじ曲げる姿に普遍性を持たせたところにある。人々は影響を受け、でもか細く抵抗する。だから第一話から第三話までは原作を超えた同時代性と説得性を持たせることに成功した。第三話「神の子どもたちはみな踊る」で渡辺大知演じる善也がグラウンドで踊るところ、これはおそらく彼の心の奥底から来た自然の律動に身を任せたということなんだろうが、少しわかりにくいがさほど問題ではない。
問題は第4話の「かえるくん、東京を救う」である。これは2025年、つまり現代に話を置き換えている。
ここで、脚本家は片桐とその分身であるかえるくんを、この30年のいわば狂言回しとして位置づけしようとしているようにみえる。だからパラレルワールドのように1995年に神戸にいる片桐が登場したり、おそらく時間的経過を象徴する回廊が登場したりする。映画的な解を求めようとした結果なのだろうがすべて蛇足であり作品には混乱しか与えていない。
最後の30分間で全てをおじゃんにした、ということなのだろう。

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あんちゃん

1.0時間とお金を返しなさいレベルだわぃ🤣

2025年10月5日
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期待は全くしていなかったのですが、それさえも下回る作品ってなかなかないっすよ😮‍💨

しかも2時間半の長尺に、豪華一流俳優陣(唐田えりかは入りません😁)と、時間と役者さんの超、超、超無駄使い😖

当然(笑)、寝落ちしましたし、危なく二度寝しかけました😓

頭痛は催さなかったので、内山某監督作品(また出た😁)よりはマシと言う事で、プラス0.5しましたが、それにしても無駄使いも甚だしいくらいに怒りが湧いてきました😤

それにしても、声だけなのに、能年玲奈(敢えてそう書く😅)は、別格の存在感を放っていたのだけは、関口さん…じゃなくて、膳場さん、アッパレあげてください(アッパレ〜🥳)

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おたか

3.0心に刻まれる「クエイク」の余波

2025年10月5日
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難しい

■ 作品情報
村上春樹の短編小説集『神の子どもたちはみな踊る』を原作とし、1995年の阪神・淡路大震災以降の異なる時代と場所で生きる四人の物語が交錯するヒューマンドラマ。監督: 井上剛。脚本: 大江崇允。主要キャストは、岡田将生、 鳴海唯、渡辺大知、佐藤浩市、橋本愛、唐田えりか、吹越満、のん、堤真一、錦戸亮、井川遥、渋川清彦、津田寛治、黒崎煌代、黒川想矢。

■ ストーリー
主要な登場人物は、4つの時代にそれぞれ配置されている。1995年には、妻に「空っぽだ」と言われ突然失踪された営業マンの小村が、喪失感を抱えながら友人の依頼で謎の箱を釧路へ運ぶ道中で不思議な話に触れる。2011年には、家出少女の順子が、焚き火を愛する中年男性との交流を通じて自身の内面を見つめ直す。2020年には、信仰深い母に「神の子ども」として育てられた善也が、不在の父の存在に疑問を抱き、自己のルーツを探求する。そして2025年には、漫画喫茶で暮らす警備員の片桐が、東京を壊滅から救うために地下の「みみずくん」と戦うという巨大なカエルの依頼を受けることになる。

■ 感想
正直なところ、全体を完全に理解しきれたとは言えない作品です。本作は、それぞれ異なる人生を歩む4人の主人公に焦点を当て、4つの独立したエピソードで構成されています。個々のエピソードには確かに興味を引かれる要素が多く、非常に上質な雰囲気が漂っています。それぞれの物語がこの先どう展開していくのか、続きが気になる場面も多く、単体としてはおもしろく感じられます。

しかし、これら4つのエピソードを繋ぐ核心がイマイチ釈然とせず、結果として全体的なまとまりや深みに欠ける印象は否めません。タイトルにある「クエイク」という言葉は、単なる地震そのものだけでなく、人生を大きく揺るがす出来事、つまり「心の揺れ」を指しているのかもしれない、と感じます。

その揺れによって生じる迷いや葛藤、後悔といった感情が、漠然と誰かを求める姿や、あるいは別の選択をしたかもしれないもう一人の自分を夢や幻として生み出す様子を描いていたのかもしれません。それが、焚き火おじさんやカエルくんだったのかもしれません。燻り続ける思いが、彼らの心の中にずっと存在していたということでしょう。

総じて難しい作品で、おもしろかったとは言えませんが、そこまで悪くもなかったかなという印象です。考察の余地が多く、観る人によってさまざまな解釈が生まれる、そんな不思議な魅力をもつ作品です。

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おじゃる

1.5タオルも宙に浮かんでるよね

2025年10月5日
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悲しい

単純

驚く

1995年の阪神・淡路大震災以降、それぞれ別の時代・場所で喪失感を抱える4人の話。

カエルくん…からの、1995年阪神・淡路大震災を背景にその5日後に妻が突然家出し離婚した男が、後輩からの預かりものを持って釧路へ…と始まって行く。

なんだか異様な空気感のお出迎え2人とドライブで、ん?オカルト?旅のお世話ってそういうこと?
なんて思っていたら2011年…これはまた震災の年だけど、流木集めるオッサンと元家出少女?
そして今度は2020年…地震じゃなくてコロナ?とか思ったら全然関係ないし、寧ろ2011年回想だしカルトだしアイデンティティだし。
最後は2025年、ネカフェ暮らしの警備員からのカエルにミミズに…。

喪失感という繋がりはあるけれど、話し自体には繋がりのない尻切れトンボな4編を並べた群像劇風のオムニバスですか?

しかもカエルを救世主みたいにいうなら、震災に纏わることを2つも絡めちゃ話しが違うでしょ。

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Bacchus

2.0めくらやなぎと眠る女

2025年10月5日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

岡田将生主演の一編目は、昨年観たアニメーション『めくらやなぎと眠る女』、
そのままで、不気味・不穏な空気感もそのままなのだが、
村上春樹のこの世界観は、実写よりもアニメーションが向いている気がした。

四編目の佐藤浩市主演作で、『めくらやなぎと眠る女』における片桐とかえるくんの
その後のストーリーなので、私としてはこれが一番面白かったかな。
佐藤浩市の老けた片桐の演技が素晴らしいし、かえるくんの声を演じている のんが
実に素晴らしかった。のんの声でかえるくんを見ることができただけで満足。

1本の映画としてまとめてはいるものの、基本はオムニバスなので、
短編4本を観ている感覚。

エピソードもアフター・ザ・クエイクながらも、直接的な災害の表現はさほどなされない。
不思議な人間ドラマが中心。

のんがかえるくんじゃなかったら、たぶん評価1にしていた。
この世界観が好きじゃないときついかもしれない。

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ひでちゃぴん

2.0一番大事なのは、忘れるという能力ですよ。全部覚えとったらおかしくなるでしょ。

2025年10月5日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

数年前、『めくらやなぎと眠る女』というアニメ映画があって、ようするにこの映画はそれの実写版ってことかな。それにしちゃ、出来が良くない。アニメはどこか哲学的なセリフとストーリー展開をみせて、なにかしら自分の中に思慮が芽生えたのを覚えている。それに比べて、これはどうだ。製作がNHK。音楽が大友良英ってのがNHKらしいっちゃらしい。たしか少し前(か、昨年)に連続ドラマでやっていて、録っておいたデッキがオシャカになってしまって見ず終いだったのが悔しかったのだが、そのドラマの出来がこれだったのなら見なくてよかったと思った。
オムニバス的にいくつかのエピソードが続くが、どこにつながりを見出せばいいのか。ぶつ切りの各章を、どう消化して次を見ればいいのか。何が言いたいのかさっぱりわからない。トラウマ?、空っぽの中身?、影?、分身?、突然失ってしまう何か?、再生の物語?どうもブレていると思えた。
「あなたがいないということは僕がいない。そう、僕はあなたの影なんです」と言う。なるほど。もしかしたら、僕にも影(もう一人の自分)がいて、誰かにとってのカエルくんのように、僕にとっての何か/分身がいるかもと考えるのはどうだろう。それは、カエルくんのようなへんちくりんな姿をして現れるかも知れないし、もしかしたらもう、生存する一人の人間として僕の目の前に現れているのかもしれない。そうだ、つい先日「人は自分の鑑ですね」と僕に語りかけてきたあのオバサンが、そうだったのかとも思う。

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栗太郎