「被害者の方はこの作品を観て何を感じるか」それでも私は Though I'm His Daughter はなてんさんの映画レビュー(感想・評価)
被害者の方はこの作品を観て何を感じるか
麻原の三女、麗華さんは「優しい父、松本智津夫」と「地下鉄サリン事件を起こした麻原彰晃」という2つの事実を未だに上手く相対化して考えられていないように感じた。
時間が経つにつれ、「優しかった父」への思いが彼女の中で強くなっていくことで、益々もう一つの父の顔のことは心の隅に追いやろうとしているようにも思えた。
彼女が自分の魂を救うためには、もう一つの父の姿をしっかりと見つめ受け入れる他に無いと僕は思った。
作中で気になった点として、彼女が本作の中で「父の犯した罪に対して、私が謝るのはおかしいと思う」と話していたが、これは被害者やその遺族の方達との断絶を生む考えで間違っているのではないか。
例えば、自分の親が交通事故で誰かを傷付けたとすれば、その家族が被害者の方に対して「父が大変なことをしてしまい申し訳無い」という意思表示をすることは相手の気持ちをねぎらったり、心の距離を縮めるためには必要だと考えるからだ。
この映画では三女、麗華さんの置かれている心無い人達による差別に苦しめられているいる様子が次々と映し出されていて、それでも下を向かず頑張って前に進もうとする麗華さんの姿は健気で心から応援したくなる。
しかし、恐らく現在もサリン事件の後遺症で今も苦しんだり仕事が出来ずにいる人もまだいることだろう。その人からすればこの映画で麗華さんの息苦しさを知ったとしても、(貴女も辛いかもしれないけれど、私の方がもっと辛い)という印象を持つにしか至らない人が多いのではないだろうか。
「被害者と加害者」この両者の関係はお互いの置かれている境遇に対しての共感が無ければ、その溝は決して埋まらないだろうとも感じた。
僕の映画の見方からすれば麗華さんの言動からサリン事件の被害者に対する共感が明確に感じられない以上、「麻原彰晃の骨の話」や「筋トレのコンテスト」の話を聞かされても、被害者の方からすれば(そんなのどうでもいいよ)というトピックにしかならないようにも思えた。
監督は上映後のトークショーの場で、三女、麗華さんと和歌山カレー事件の長男と同じ「加害者の家族」として話されていた。
林真須美の長男さんも加害者家族として酷い差別やいじめを受けて幼少期を送ったものの、現在は自分の母親の冤罪を信じ、母のいわれなき罪を晴らそうとして活動している。
このように和歌山カレー事件の場合はまだ林真須美さんの冤罪の可能性があるという現在進行系の話であり(オウム真理教が犯した犯罪事件と同列にするにはどうかな)とも感じた。
またトークショー内では監督も同席した担当弁護士も松本智津夫氏のことを「松本智津夫さん」という呼称で話されていたが、こういった点から製作者側が加害者側に軸足を傾け過ぎていると感じ、被害者の人の心象を悪くするかもしれないなと思った。