劇場公開日 2025年7月19日

「いま必要なこと、大事なこと、明るく駆け抜けること」また逢いましょう 健部伸明さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5 いま必要なこと、大事なこと、明るく駆け抜けること

2025年8月20日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

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核家族という言葉が死語になるほど少子化が進んだ昨今、「介護」を描く映画は我々すべてに現実を突きつけ、他人事ではないと思わせる。
それもそのはず、映画の原案となった本『生の希望 死の輝き 人間の在り方をひも解く』の著者・伊藤芳宏は、ずっと医療に関わり、個人診療所に、大規模デイケア施設を併設し、運営している。根底がリアルなのである。その人生哲学ともども、作中の院長・武藤雅治(田山涼成)のモデルであろう。施設に通う/住む人たちひとりひとりに聞き取りを続け、その半生を物語として互いに共有することで、周りや次代に伝える意味が浮かび上がり、自然と生きる活力にもつながっていく。
同時に介護士の報酬が、仕事の大変さに比べてつり合いがとれていないことや、絶対に避けて通れない下の世話の現実も描かれる。

タイトルが「会」ではなく「逢」であることにも、制作陣の意志が込められている。前者はあらかじめスケジュールを決めて実行する会合を意味するが、後者は偶然や運命による意味のある出逢いをあらわす。日々これを意識して過ごすことで、素通りが出逢いに変わる。さらにはクライマックスの「みんなしぬ」という、真面目とおふざけが半々でペーソスに満ちた歌に、死との出逢いや、死後や来世までをも含むニュアンスがあり、悲しさを突き抜けた悟りの世界へいざなう。

そんな社会派作品であるにもかかわらず、エンタテインメントの輝きを失っていないところは、脚本の梶原阿貴や、本作が劇場映画デビュー作となった西田宣善監督の手腕が大きい。そしてちょっと世間の常識からは外れているかもしれないけれど、確実に「ああ、いるいる、こういう人!」と思わせるキャラクターを、それぞれ演じる見事なキャスティング。みなどこか社会不適合で、コミュ障で、ひねくれてて、でも心の奥底では理解してもらいたかったり、自分も気づいていない本心を吐露したかったりで、愛すべき面々である。

東京でスランプに陥っている漫画家・夏川優希(大西礼芳)の元に、いきなりの連絡が入る。父・宏司(伊藤洋三郎)が転落事故で頸椎損傷したというのだ。
親ひとり子ひとり。優希は太秦に近い京都の故郷に戻り、半身不随の父の介護をせざるを得なくなる。
しかし父もまた、そんな自分に不甲斐なさ情けなさを感じ、会話もない進展しないぎこちない二人暮らしが始まる。

そんな状況が、父のデイケア通いとともに徐々に打破されていく。この「徐々に」というのがポイント。
施設のベテラン職員・向田洋子(中島ひろ子)は、常に明るく率先してレクリエーションを考えていくが、どこか意識高い系の空回り感がある。
洋子の別れた夫は、脇役を地味にこなす俳優(田中要次)。
このふたりの高校生の娘ルイ(神村美⽉)は、母とは反りが合わないが、優希には興味を示して異なる一面を見せてくれる。
主に宏司のケアマネジャーを担当する野村隼⼈(カトウシンスケ)は、仕事以外はなかなか不器用で異性とのおつきあい経験もあまりない。
施設の利用者のひとり東田梅子(梅沢昌代)は、若い頃の栄光が邪魔して時々言動が鼻につく。
若くして車椅子生活になった加納ゆかり(田川恵美子)は、人を寄せ付けず自分の殻にこもっている。
そんな人々の関係が、出逢いと少しの関わり合いによって、新たな地平へと向かっていく……

しかし主演の大西礼芳には存在感がある。そこにいるだけで惹きこまれる。
鋭い頬骨の線。通った鼻筋。大きな口。
妖精を思わせるアーモンド型の大きな目の奥に、底知れぬ感情が宿る。怒り、悲しみ、悲しみ、嫉妬?
表情を見ているとなぜか胸が苦しくなる。

今回は漫画家役ということで、作中の漫画も販促ポスターのイラストも大西自身が手掛けた。
レクリエーションで歌う場面もあるため、ピアノ演奏も歌唱も吹き替えナシ。何という才能だろう。
そんな大西が、すべてのしがらみを振りきった笑顔で、飛ぶように駆けるメインビジュアルは、我々の行くべき先への道しるべとなっている。

いま見るべき映画である。

健部伸明