「【第二次世界大戦時、傀儡国家満州国に国策のため渡った岐阜県白川町黒川の開拓団で起きた性接待の事実を明らかにした強烈な反戦ドキュメンタリー。高齢になった被害女性達の声と、壮絶な生き様には涙が出ます。】」黒川の女たち NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【第二次世界大戦時、傀儡国家満州国に国策のため渡った岐阜県白川町黒川の開拓団で起きた性接待の事実を明らかにした強烈な反戦ドキュメンタリー。高齢になった被害女性達の声と、壮絶な生き様には涙が出ます。】
ー 今夏、戦後40年という事もあるからか、戦争映画が多数シネコンで上映される。戦争を知らない私たちにとっては、反戦思想を学ぶ事が出来てとても良い事だと思う。
今作もその一作である。-
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・当時、貧しかった岐阜県白川町黒川人達は国策に乗り、開拓団として傀儡国家満州国に渡る。既に敗色濃厚で、軍隊は撤退しつつあったのに・・。劇中で語られるが、彼らは”人の盾”として派遣されたのである。
・現地民が住んでいたボロイ住居に入り(という事は、現地人から当然恨まれる。)、生活を始めるもあっと言う間に、敗戦濃厚のため現地人と、ソ連兵に怯える日々。
そこで、開拓団の男達が下した決断が、未婚の18歳以上の女性達をソ連軍の幹部に”性接待”の相手として差し出す事であった。
当時の事を克明に語る女性達の言葉が、哀しい。”お母さん”と泣きながらも、開拓団を護るために行わされた事。
・だが、もっと哀しかったのは命からがら戻った岐阜での、マサカノ日本人たちからの差別と偏見に満ちた態度と言葉だったという事実。
ある女性の手記には”日本に帰ってからの方が哀しかった。”とある。
証言をする女性の中には、顔を映させない方もいるのである。
ある女性は、岐阜の更に北部である、今は観光地のひるがの高原に移住して、酪農家として生きて来た。彼女の言葉”満州の事を思えば、辛くはなかった。”
■今作の途中から、50代の男性が登場する。彼は被害女性達の家を何度も周り、証言を得て、それまで像しかなかった黒川の鎮守の森に、岐阜県白川町黒川の開拓団で起きた出来事を克明に記した記念碑を作ろうと奔走するのである。
そして、漸くその碑が出来た時に、彼は涙を流しながら女性達に詫びるのである。彼が生まれる前の出来事なのに・・。凄い男性だと思う。立派だと思う。
彼の詫びの言葉を聞いて女性達の表情は変わるのである。
特に、それまで顔を出さずにインタビューを受けていた女性が、顔を出してくれたり、それまで笑顔が無かった女性に笑顔が戻ったり・・。
<今作のタイトル「黒川の女たち」の意味が分かったのは、最後半である。
被害者の女性達が生き永らえたお陰で、多くの子孫が出来、その中には3人の女性達の孫もいたのである。彼女達は祖母たちの生き様を知り、彼女達のお陰で自分達がいる事を知るのである。
一人の女の子の孫が幼い時に、祖母に書いた葉書に書かれていた言葉も、優しさに溢れていて、涙が出そうになった。
そして、彼女達は自分達の幼子を、被害者の女性達に会わせるのである。その時の被害者の女性の涙の笑顔も、実に沁みた。涙が出たよ。
今作は、第二次世界大戦時、傀儡国家満州国に国策のため、渡った岐阜県白川町黒川の開拓団で起きた性接待の事実を明らかにした強烈な反戦ドキュメンタリー映画である。
最後に印象的な言葉を記してレビューを終えます。
■次に生まれるその時は、平和な国に産まれたい。>
こんにちは。
深夜のドキュメンタリー番組で取り上げられていたので観ましたが…悲しい事実でした。差別は何処でもありますがこの差別は特に。戦争での悲しい事実は無かった事にしちゃいけませんね‼︎
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