「「ロミオとジュリエット」について思うこと」カーテンコールの灯 Freddie3vさんの映画レビュー(感想・評価)
「ロミオとジュリエット」について思うこと
地域のアマチュア劇団での活動を通じて主人公が落ち込んでいた自らを再生させ、壊れかけていた家族の絆を取り戻してゆくストーリーです。
主人公は建設作業員のダン。何やら、いらいらしてアンガー•マネジメントができなくなってる模様。素行不良の高校生の娘にも手を焼いています。そんな彼に地域のアマチュア劇団がいっしょにやらないかと声をかけます。ダンは「ロミオとジュリエット」のロミオを演じることに……
ダンが娘のデイジーといっしょに映画『ロミオとジュリエット』を(たぶん配信で)観るシーンがあるのですが、ディカプリオが映っていてどうもロミオを演じてる模様。そのとき私は「あ、これ観てないな。そう言えば『ロミオとジュリエット』の映画って観たことあったっけ」。ということで、帰宅してから、この 映画.com でチェックしてみたのですが、ひょっとしたら遠い昔にTVの洋画劇場かなんかで1968年版のオリビア•ハッセーがジュリエットを演じているのを観てるかもしれないな、ぐらいで、他は観た形跡がまったくありません。十代の頃に文庫本でシェークスピアの戯曲を読み漁ってた時期があったので、ロミオとジュリエットの悲恋のお話の内容は知ってはいるのですが、私としてはこのお話は正直言ってあまり好みではありません。特に偶発的に結果的な心中になってしまう結末は悲劇としては深みがなく、新たな恋に舞い上がった二人が暴走して取り返しのつかない失敗をしただけのお話のようにも思えてきます。ちょっと無理筋の仮定になりますが、彼らが携帯電話を持っていて連絡を取りあっていたら、最悪の事態は避けられていたんですね。そこへ行くと、シェークスピアの悲劇の傑作『ハムレット』はもっと本質的なところにおいて悲劇で、ハムレットやオフィーリアがスマホを持っていても悲劇は解決しません。ある時点からハムレットはオフィーリアからの電話には出ないし、LINEもブロックしたでしょうね。
なんで長々と『ロミオとジュリエット』の話をしたかというと、この物語の主人公のダンも芝居の稽古中にロミオとジュリエットの結末に納得できずに、これではロミオを演じることはできない、結末を変えてくれないか、と言い出したからです。まあ、彼の場合はその結末だと彼の家族に降りかかったある悲劇を想起してしまって演じ続けることができないという理由があったからですが。
このあたり、芝居の演目としてのロミオとジュリエットとダンの実人生に起きた彼の息子に関する悲劇がうまくリンクしていてなかなか巧みな脚本だと思います。でも、基になってるのがロミオとジュリエットの話ですから、ダンの息子とその恋人の話は若気の至りなどという言葉ではすまされないほどの取り返しのつかないことをしてしまっていて胸が締めつけられるような感じです。ロミオとジュリエットは話がシンプルなので応用が効きやすいと思うのですが、応用時には注意が必要なのかもしれません。
何はともあれ、アマチュア劇団には娘のデイジーも参加し、ダンは息子のことを仲間に告白し、ロミオとジュリエットも結末を変えることなく無事上演され、喝采を浴びます。ダンとその家族も危機を乗り越えたようです。ほっこりとしたいい映画でした。
ラストでは劇団のメンバーは今度はコメディをやろうと言って解散します。次はシェークスピアの喜劇『夏の夜の夢』はいかがでしょうか。精神的に立ち直ったデイジーが友だちを何人も劇団に引き入れてわちゃわちゃとラブコメディを展開してくれそうです。