劇場公開日 2025年9月12日

「Drive My Car Again」Dear Stranger ディア・ストレンジャー ジュン一さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0 Drive My Car Again

2025年9月13日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

怖い

難しい

ニューヨークの大学で教鞭を執る日本人助教『賢治(西島秀俊)』の研究対象は「廃墟」。
その原体験は、「1.17」にある。
震災で家族は皆亡くなり、自分だけが生き残ったことに
罪の意識を抱えている。

妻の『ジェーン(グイ・ルンメイ)』は中華系のアメリカ人。
人形劇団のプレイングディレクターも、
今は四歳の息子『カイ』の世話と近所に住まう父の介護、
母が経営する雑貨店のサポートに追われ劇団は休止状態。

ある日、幼い息子が誘拐される。

それを契機に、隠れていた夫婦の感情のすれ違いが露呈するプロットも、
実際はそれ以前から関係の軋みが各所に見られる。

廃墟となった映画館を定期的に訪れる『賢治』や、
家に持ち帰った人形と密やかに戯れる『ジェーン』の姿はその証左。

夫婦が今の住居に越した経緯すら、
互いの利便が優先されたとの不満を持つ。

それが事件を契機に表出したに過ぎない。

事件は誘拐犯が死亡し、息子が無事に保護されたことで
一旦の解決を迎えたに見えたが、
警察は四歳の幼子に疑いの目を向ける。

結果は『賢治』の贖罪的な行為に繋がるも、
科学捜査はどこへ行ったんですか?との疑問が頭をむくむともたげるほどの
無能な捜査ぶり。

一見有能そうに見えた刑事は、
全てを理解した上で『賢治』の表面的な罪滅ぼしに手を貸しているのか、と
穿った見方をしたくなるほどの意味不明な行動。

息子のことになるとエキセントリックな態度をとる『賢治』。
が、捜査への協力をあからさまに拒否したり、
証拠らしきものを見つけても独断的に行動したりと、
あまりにもアンビバレンツ。

共感の欠片も持てぬ人物造形。

廃車同然の自家用車に乗り続けるのは
「廃墟」についての想いの延長とともに、
自身の心中の荒廃をも象徴しているよう。

『ジェーン』にしても、
何故か重要な手掛かりを警察に渡さない。

普段の息子を溺愛する態度と、
あまりにも裏腹に見える。

身近な存在でも、
言葉によるコミュニケーションが不全で
時として衝突するのは共同生活の常。

それをどうにか折り合いをつけるのは
継続する課題も、
心の奥底に潜む闇が阻害する。

シンプルなテーマを
持って回った表現で却ってわかりにくく描く。

一方でモチーフはありきたりで、
斬新さはない。

中途挟まれる人形劇のシーンも、
何を象徴しているかさえわからない。

三拍子揃った独りよがりの一本だ。

ジュン一
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