「歴史には「真実」よりも「ストーリー」の方が大切なのかもしれない」ベートーヴェン捏造 tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
歴史には「真実」よりも「ストーリー」の方が大切なのかもしれない
演劇とは違って、映画の中で、日本人が西洋人を演じるとなると、違和感ばかりが先に立って、内容が頭に入ってこないことが多い。
その点、この映画では、日本の中学校で、音楽教師が生徒にベートーヴェンのことを話して聞かせるという体裁を取っているので、そうした違和感がほとんどなく、「この手があったか!」と膝を叩いてしまった。
内容的には、だらしなくて癇癪持ちのベートーヴェンと、融通が利かなくて空気の読めないシンドラーの交流が笑いを誘う序盤、ベートーヴェンの人生を巡って、伝記を捏造するシンドラーと、真実の姿を伝えようとする勢力との闘いが面白い中盤、シンドラーによる捏造を見破ったセイヤーが、シンドラーと対峙するというスリリングな展開に引き込まれる終盤と、三部構成のそれぞれに異なる味わいがあって楽しめる。
ここで、何と言っても異彩を放つのは、ベートーヴェンの伝記を捏造することが、世の中のためになると信じて疑わないシンドラーのキャラクターで、そこに浮かび上がるのは、罪悪感など微塵も持たず、自分は正しいことをしているのだという強い信念と、狂信者のような使命感と陶酔によって支配された人物像である。彼にとっては、何が「真実」なのかということよりも、素晴らしい音楽を作り出した人物は、素晴らしい人格者でなければならないという「ストーリー」こそが重要なのであり、確かに、歴史は、こうした人々によって作り出されてきたのかもしれないと思えるような説得力を感じることができた。
さらに、この映画で面白いのは、ラストの、セイヤーに関する音楽教師と生徒とのやり取りを通じて、教師が、シンドラーによる捏造を批判するどころか、それを支持していると思わせるところだろう。そこには、全ての「真実」を暴露することは、果たして「世の中の利」になるのだろうかという問いかけや、「真実」こそが「正義」だとするSNS社会に対する疑問といった、強いメッセージ性を感じ取ることができるのである。
その一方で、冒頭の「伏線」の部分等を使って、中学校のどの教師が、ベートーヴェンの物語の誰を演じているのかを、もっと分かりやすく説明してもらいたかったし、どこか憎めないキャラクターの古田新太が演じたせいか、ベートーヴェンが、それほど酷い人格の持ち主に見えなかったところにも、少なからず物足りなさを感じてしまった。
特に、ベートーヴェンの音楽家としての実像がよく分からなかったのは残念で、例えば、偉大な芸術家ゆえの傲慢さとか尊大さのようなものや、同時代の音楽家達への対抗心や嫉妬心のようなものが描かれていたならば、より生々しくて人間臭いベートーヴェン像を作り出せたのではないかと思えるのである。
ただし、実際に、そうしたことがなかったのであれば、それこそ捏造になってしまうのだが・・・
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。