ベートーヴェン捏造のレビュー・感想・評価
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シンドラーのその気持ち、わからなくはない…。
バカリズム脚本だけれど、オリジナルではなく原作があるのでバカリズム色は少し抑えめ。
ところどころのセリフとか間とかリアクションでらしさはあるので、そこでクスッと笑ってしまった。
そこまで評価が高くなかったので期待していなかったけれど、これは…推しという存在を持ったことがある人は、主人公の行動を否定しきれないんじゃないかな…。
主人公シンドラーは、厄介オタクの極みみたいな奴なんだが、推しの綺麗な部分だけを世に残してあげたいという気持ちはわからなくはない。
例えば演技が好きな役者さんがいたとして、その人の酒癖が悪くて私生活だらしなくて…なんて知ったところで誰が幸せになるのか。
確かに真実ではあるけれど、別に知らなくても良い真実で、彼のプロフェッショナルな素晴らしい演技だけを見続けたかった人にとってはノイズでしかならない。真実を知った以降は、その人の演技を見るたびに(あーこの人酒癖悪いんだよなー)とか思ってしまって、純粋に見れなくなる。
何か犯罪を犯したなら裁かれなければならないので、真実を暴かないといけなければならないとは思うけれど、そうじゃないのなら正直綺麗なまま見させてほしいと思う。
なので私は芸能人の不倫とかも報道しなくて良いと思っている派。
シンドラーがしたことは確かに捏造ではあるんだけれど、一部の私のような人を守ってくれたんだよなと思う。
この作品を見て、世の中に残っている歴史書や伝記は、誰かの視点を通して書いている限り、その人の主観が入っているので、美化されたり盛られたりしている可能性がほとんどなんだろうなと思った。
もしかしたら私が知っている歴史上のエピソードも、誰かの捏造なのかもしれないなー。
レモンサワーの罠とレビュー捏造⁈
祝日前の夜、レモンサワー片手に鑑賞しました。子どもの頃、映画館でスナックや飲み物を手にする人たちをまるでセレブのように憧れてみていました。そのささやかな夢を今日密かに実現できて、とても幸せです♡
まず、本作はコメディでもパロディでもありません。バカリズム脚本と聞くとつい笑いを期待してしまいますが、今回は史実や原作への忠実さとリスペクトが軸になっています。
「ドイツ人のベートーヴェンを日本でどう描くか」という難題に対して、「現代日本の中学生が想像したウィーン」という独自の設定を採用。登場人物を生徒が通う学校の先生が演じるというアプローチにより、親しみやすく、違和感なくベートーヴェンの世界を観客に届けられています。ここに脚本バカリズムさんの巧みな視点が光ります。
物語の中心はシンドラー(山田裕貴さん)のベートーヴェンへのまっすぐすぎる愛です。はじめは健気に映るその純粋さも、次第に「キモさと狂気」に変化して感じられるのが、この映画の肝といってよいでしょう。
古田新太さん演じるベートーヴェンも、この世界観に見事にマッチしており、「実際は本当にこんなベートーヴェンだったのかもしれない」と思わせる説得力があります👏
天才はしばしば変態です。捏造される前も後も、ベートーヴェンは天才であり変態です。そして彼を支えたシンドラーも同じです。誰もが知る名曲を生み出した偉人が、このような二面性をもった普通のおじさんだと考えたら、少しだけ身近な人に感じられるのかもしれません。
映像表現もとても印象的でした。舞台劇を思わせるLED背景演出は、生徒の想像の世界という設定をより的確に描いており、実写撮影よりベストな選択に思えました。
憧れの劇場アルコールは、私には少しハードルが高かったです…。思いの外並々と注がれたレモンサワーの罠に完全にやられて、気がつけば現実と想像の間を行ったり来たりしていました。
だから
⚠️このレビューは半分捏造です🙇♀️
シンドラーがベートーヴェンを愛するあまりに伝記を偽ったように、私もまた“映画愛”ゆえにレビューを半分捏造しています😅
情報や想像で足りない部分は、自分なりの愛ある妄想で補っています。
「捏造=想像=愛」
こんなレビューのカタチも、今作品ならではの映画鑑賞の楽しみ方としてお許しください🙇♀️
🎵今宵の締め
今日はレモンサワー片手にベートーヴェンと妄想旅行、そんな夜も悪くない😎
*星数は影響なきよう、レビュー平均にしていますので悪しからず。
果たして捏造は是か非か
捏造の是非。それがこの映画を見終わった後に考察し、自分の意見で議論したくなるポイントだと思うのですが、果たして主人公シンドラーが何のために捏造したのか。その是非は?
人の行動って動詞や述語が大事だと思います。「何を」が主語で名詞で、「どうした」が述語で動詞。その人のために説教しても、どんな話であれ「攻められた」ことに腹を立てて逆ギレする。
シンドラーの捏造に対し、ジャーナリストのセイヤーが「ウソをついた」ことに腹を立てて責め立てる。そりゃあジャーナリストにとって、嘘は許せない。じゃあ、シンドラーがしたことは「嘘をついた」ということか。
確かに「嘘をついた」と思う。でも違う言い方も出来る。「演出をした」とも云える。「運命の扉を叩いた」と言えば面白い。格好いい。彼も音楽を学んだ芸術家である。芸術ならば飾り立てたり、削って整形しなおして、美しく仕上げるのが本領。まずそこがジャーナリストとシンドラーとの違い。
もう一つ、「護った」とも云える。過去の筆談のノートを焼き捨てて隠蔽し、書き足して捏造した。それは彼の面白からぬスキャンダルな過去を世間から伏せるため。誰にでも墓穴まで持って行きたい黒歴史はあるでしょう。
しかし、亡くなったベートーヴェンの意向はどうだろう。捏造に奔走するシンドラーの傍らに感謝の意を述べて立つ亡きベートーヴェンの亡霊は、ヤンデレ・シンドラーが描いた妄想ではないか。「護るために敵を刺す」と自分から言い放つほどのヤンデレマネージャー・シンドラーをベートーヴェンは本当に認めたのか。シンドラーの独りよがりな「ベートーヴェン像」を世間に押し広めただけではないのか。
それはもう、ベートーヴェンこそジャーナリストでもない芸術家であるし、黒歴史は誰だって隠したい。ベートーヴェン本人からみれば、「ちょっとそこは違う」と言いたいところはあっただろうけど、面白くないことはかくして欲しいのは当たり前。
それにもう一つ、シンドラーには絶対の自信があったと思う。それは、チケットの売り上げを着服したと、ありもないことを責め立てたヴェートーベン、それに逆らわずに「さようなら」と言い残して立ち去ったこと。ここに何故か大きな信頼関係を感じました。互いにそれが嘘だと知っている。判りきっているけどシンドラーは何も言わずに去ったし、何も言わずに立ち去ってくれることをベートーヴェンは知っていたのではないでしょうか。それはもう、ベートーヴェンの甘えだと思う。だから、戻ってきたシンドラーと信頼関係を取り戻したのもそのためで、老後に遠慮なく甘えることの出来る相手、それがシンドラーであったと思う。
つまりはまあ、ベートーヴェンの意向通り。ただし、やっぱり嘘は良くないですね。良くないからこそ、こうした「暴露映画」が面白い。まあ、面白かったから感謝すべきでしょうか。「利は無い」と生徒はいったけど、お陰で本は売れるし映画化もされているし。
まず、映画の在り方も判りやすくてよかったです。ベートーヴェンといえば音楽室の肖像。この捏造の話なら、アレ抜きには語れない。学校の音楽室を舞台に、なんだかドライな生徒に構って貰いたがってる寂しそうな先生のやりとりも何だか面白い。肖像については、Youtubeで山田五郎先生が解説をしていたはず。どんな話だったかな。後で見返そう。この映画を機に再生数が増えると良いですね。
そもそも「なんで日本の役者で撮ったの?」って思った。見始めは「チコちゃん」かなんかのチープな再現ドラマっぽく見えたけど、なんか漫画的で非常に面白かったし、いろんな役者さんが偉人を演じているのも楽しみ。フランツ・リストもなかなか美少年だったから、もうちょっと活躍してほしかった。再現ドラマの冒頭で理想と現実、双方のベートーヴェンを出しているの良かった。それだけで何の映画かを象徴していた気がする。
そんなわけで見終わってみればしっかり構成された面白い映画だったと思う。最近、邦画が面白いな。これからも楽しみです。
ベートーヴェントリビアと、ビジュアルに似合わず真面目なメッセージ
西洋の歴史上の人物を日本人が演じるって……出オチのコメディか? なんて、大した期待もせず(すみません)観に行ったらどうしてどうして。笑えるのはもちろん、ちゃんと物語に引き込んでくれるし結構考えさせてもくれる、おふざけと真面目のバランスが絶妙な映画だった。
日本人が演じることの理由づけは、冒頭できちんとなされる。これ全て、音楽の黒田先生から話を聞いた中学生野村くんの脳内イメージなのだ。だから校長先生がベートーヴェンになっていたり、担任の先生がセイヤーだったりする。
そしてこういった設定は、物語の真実味を絶妙にぼやけさせる。1800年代パートはあくまで「かもしれない」話なんですよ、という線引きが作品世界の内側でなされている形だ。LEDウォールを使ったバーチャルプロダクションの背景も、よい加減でリアリティを薄めている。関監督はウィーン現地の取材もしたそうだが、バカリズムから「(現地ロケだと)後ろ(背景)が本物で手前(人物)が偽物ということになる」と言われ、上記のスタイルに決めたそうだ。
ノンフィクションノベルを原作にしたこの映画が、仮にもし西洋人をキャスティングし、現地ロケもしたりして、現代パートなしで作られていたらどうだろう。映像に説得力があり過ぎて、観客が「大筋これが事実なのだ」と疑問なしに受け入れてしまいがちになるのではないだろうか。
シンドラーとセイヤーの対話についての黒田先生の説明に対する、野村くんの「それは先生の想像ですよね」という言葉が、意外と本作の核心なのかもしれない。「セイヤーがシンドラーの嘘に気づいていたことにした方が面白い」と考えた黒田先生の思惑を、自分の頭で考え、疑問を持った野村くんは看破した。この姿勢はシンドラーの手の込んだ嘘に対峙したセイヤーと相似形をなしている。
「偉大な作曲家として、この方がかっこいい」「この方が面白い」物事を見たいように見よう、見せようとする欲望に人間は負けやすい。だが真実を見分け、物事を正しく理解するには、希望的観測と事実とを峻別する理性が必要だ。
玉石混交の情報が溢れる現代にも刺さるそんなメッセージが読み取れてしまうこの映画、見た目に似合わず真面目なのかもしれない。
こういったややメタ的な要素だけでなく、ベートーヴェンとシンドラーにまつわる逸話自体がまた面白かった。
よく考えると割と重かったり殺伐としていたりするエピソードが多いのだが、この作風なので楽しく見ることができた。台本もキャストの演技も全部日本のコメディドラマかコントのようなノリなのだが、見ているうちに何故か、実際のベートーヴェンってこんな感じだったのかもなー、小汚くて手がニュルッとして……まあ人間だし……という気持ちになってきた。
シンドラーにしても、あーこういうヤンデレな信者ならそういうことやりそうだよなといった感じの納得感があり、話が進むにつれ日本人キャストの違和感はなくなっていった(しかしそのタイミングで遠藤憲一やイノッチが出てきて、違和感復活で笑ってしまった)。
セイヤーが実は最初の面会後に、まさに人生をかけてシンドラーの著書の真偽を調べていたことには驚かされ、2度目の対面シーンの緊張感が一気に高まった。面会時の穏やかな顔つきから疑いの眼差しへと一転する染谷将太の表情の変化はさすがの見応え。この辺はもう普通に人間ドラマとして見ていた。まあ、セイヤーが嘘に気づいてシンドラーを追求したというのはそれこそ想像に当たる部分なのだが……確かにこの方が面白いんだよなあ……
映画館の音響で様々なベートーヴェンの名曲が聴けたのもよかった。悶着のあった伝記とは違い、200年の時を超えてなお本物として残り続ける音楽の力。この感動を生んだベートーヴェンは、小汚くてわがままなおっさんだろうがやはり偉大なアーティストなのだ。
誠実なルポルタージュ本を笑いと哀愁の娯楽映画に。“脚本家”バカリズムの新境地
文筆家・かげはら史帆による「ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく」はノンフィクション本に大別されるものの、小説形式で中心人物シンドラーの内心を描写するパートも含まれる。「ルポルタージュ」という言葉は近年目にする機会が減った気がするが、フランス語由来で「報告文学、報道文学」などの意味を持つこの外来語が指すジャンルがよりふさわしいだろうか。シンドラーがベートーヴェンの会話帳を盗み出すことを決心するシーンや、米国人研究者セイヤーとシンドラーが対決するシーンなどは、小説風に書かれた原作の描写がかなり忠実に映像化されている。
バカリズムはこの5年ほど脚本家としての活躍が目覚ましく、映画では「地獄の花園」「ウェディング・ハイ」、ドラマでは「ブラッシュアップライフ」「ホットスポット」といったコメディ作品で人気を博してきた。この「ベートーヴェン捏造」も基本は喜劇映画として楽しめるが、主題に関わる巧みな意匠も認められる。
目をひくのは、原作にはない現代日本のパートによって、“語りの多層構造”に新たなレイヤーを加えたこと。そもそも物語の主人公であるシンドラーは、ベートーヴェンの秘書を数年間務めた経験と、難聴の作曲家のために自分や面会者等の意思を伝える際に書きとめた会話帳をいわば一次資料として、ベートーヴェンの伝記を執筆した。つまり、ベートーヴェンの言動や名曲に込めた意図を語る人物だ。しかし先述のセイヤーや後年の研究者らから、シンドラーが執筆した伝記本には捏造が多く含まれる可能性が高いと批判されたことを伝えるのが、かげはら史帆のルポルタージュ。ここでもシンドラーによる捏造とそれをめぐる騒動について語るレイヤーが加わっていた。その内容を劇映画化する際に、バカリズムは中学の音楽教師(山田裕貴による二役)が男子生徒にシンドラーの話を聞かせるという、オリジナルの語りのレイヤーを重ねた格好だ。
この新たな語りの層の効果として、教師の話を聞いて生徒が想像する物語世界という体(てい)で描くことにより、19世紀の欧米人を日本人俳優が演じることを観客が無理なく(いやむしろ、おかしみを感じつつ)受け入れやすくなるメリットがある。だがそれだけではない。ストーリーが人から人へと語り継がれる過程で、語り部が聞き手の興味をひくために事実を大げさに盛ったり、さらには無いことを有ったかのごとくでっちあげたりするのはままあること。そうして虚実ないまぜで面白くなった物語こそが語り継がれる価値を持つという真理が、本作に隠されたメッセージではないか。そんなことを考えさせられた。
時代劇さがわざとない
着眼点の面白さ
前知識なしで見てはいけない
アマプラにておすすめに出てきた。
ノンフィクション小説の映画化という前提なく観てしまった。
バカリズムなのでウェディングハイみたいに面白い爆笑映画を想像していた。
全然面白くなく映画化する必要があるのかと思った。
コントみたいな安いお笑いシーンがより映画を安くつまらなくしている。
ミセスの人もなぜ出演してたか謎。。
小汚くて癇癪持ちのおっさん
2025年公開の「ベートーヴェン捏造」を見ました。
かげはら史帆の原作を、バカリズム脚本、「地獄の花園」「かくかくしかじか」の関和亮の監督で映画化した作品。
ベートーヴェン(古田新太)の伝記を書いた、秘書であるシンドラー(山田裕貴)の物語。
シンドラーは耳の不自由なベートーヴェンとのやりとりを記した会話ノートを改ざんすると言う方法で、彼の理想とするベートヴェン像を後世に残していく。
『小汚くて癇癪持ちのおっさん』のベートーヴェンを、民衆が望むような英雄に仕立てていくまでを、ほとんどシンドラーのモノローグで描きます。
以前「不滅の恋」を見てちょっと興味があったので見てみてました。
古田新太と山田裕貴のやりとりはほとんどコメディで面白かったのですが、著名人の伝記なら多かれ少なかれこのようなことはあると想像に難くなく、改ざんが知的興奮にまでなっていないように感じました。
ベートーヴェンに興味のない方は見ないで宜しく宜しかろうと存ずる。
主杖は他に、染谷将太、生瀬勝久、小手伸也、野間口徹、遠藤憲一、西田尚美、神尾楓珠、井ノ原快彦、泉澤祐希、前田旺志郎、小澤征悦、前野朋哉 他
真実、にする為の魔法ですよ
掛布さんに全く寄せなかった古田さん・・今回はベートーヴェンに見えた^^!
自宅レイトショー『ベートーヴェン捏造』 Amazonプライムビデオ
2026.1.26
公開時気になるも配信待ちしてた作品
バカリズム脚本に山田裕貴主演に豪華な俳優陣が続々と歴史上の音楽家等を演じる歴史コメディ
学校の先生が、1人の生徒にベートーヴェンについて話すんですが、最後の生徒の感想と先生に言い放つ言葉がど正論
某作品で1mmも掛布さんに寄せなかった古田新太のベートーヴェンは、ベートーヴェンに見えましたw
バカリの割には真面目で遊び心の少ない佳作
音楽界のナポレオン
豪華キャストで送る、バカリズム脚本の一大エンターテインメント!!
考察厨が盛り上がってるような、
オタクが自分の解釈を押し付けてるような、
そんなノリがただようパパゲーノを、山田裕貴さんが的確に演じてます。
爆弾にせよ、山田裕貴さんの演技力がバケモンすぎる笑
めちゃくちゃ面白かったです。
多分、パパゲーノが愛していたのは真実のベートーベンなんかじゃなく、自分で作り上げた理想のベートーベンだったんだと思います。
でも、誰でも自分の推しは美化したくなるもの。
もしステイサムがインターネット詐欺してたら悲しくなるし、
スタローンがボコボコにされてるとこみたら悔しくなると思う。
映画の中の理想像を追い求めるのと、パパゲーノが舞台の上のベートーベンを追い求めたのは、あんまり違いはないのかもしれない!
バカリズム節はいつもより少なめだったような気もしますが、ポテチ食いながらガハハ!と笑いながら観れたので、OK!
受験の影響で観れてませんでしたが、この「ベートーベン捏造」で、2025年公開映画で、観たかったやつは全部網羅できました笑
面白い!
ベートーヴェン捏造
――人はいつ、シンドラーになるのか
教室という空間は、不思議だ。
そこでは「事実」よりも先に、「誰がどう語ったか」が世界を形づくる。
音楽教師が語るシンドラーの物語は、最初から虚構だったわけではない。
彼はシンドラーになりきり、情熱をもって語った。
それを聞く中学生は、語りの内容以上に、語り手そのものを材料に想像を膨らませていく。
結果として、生徒の頭の中に立ち上がるシンドラーの顔は、音楽教師の顔になる。
中学生にとって世界の大半は教師でできている。
校長、担任、音楽教師――
彼らの振る舞い、声色、立ち位置が、そのまま「大人」や「権威」のテンプレートになる。
生徒が想像した登場人物像は、すべて彼自身の経験と無意識の投影にすぎない。
にもかかわらず、生徒は言う。
「でもそれって、全部先生の想像ですよね」
その言葉は正しい。
論理的で、まっとうで、少しだけかわいげがない。
音楽教師は一瞬、肩を落とす。
だがこのやりとりで、一本取られたのは本当に教師だったのだろうか。
実際に映像として描かれていたもの――
それはすべて、生徒の想像だった。
ここで立場は静かに反転する。
生徒は、真実を守る側「セイヤー」になったつもりでいた。
だが勝ち誇ったその瞬間、彼は別の役を引き受けている。
自分こそが正しいという物語を編み始めた、次の「シンドラー」に。
人は誰もが、無意識のうちに捏造を行う。
悪意からではない。
理解したいからだ。
納得したいからだ。
そして、信じたいからだ。
映画界で言えば、黒澤明はどうだろう。
偉人伝に描かれる英雄たちはどうだろう。
私たちはどれほど無防備に「英雄譚」を受け取っているのだろうか。
ベートーヴェンもまた、英雄でなければならない存在として想像され続けてきた。
たとえ史実が違っていたとしても、
「そうであってほしい」という願いが、事実を上書きしていく。
音楽教師は、ベートーヴェンに憧れていた。
彼の作った音に、ただ酔いしれていた。
だからこそ、英雄的な人物像を信じたかった。
それが嘘であっても、音が真実なら構わない――
そんなピュアで些細な想いが、彼の底にはあった。
その想いを、たまたま音楽室に現れた生徒に吐露しただけだった。
生徒は俯瞰する。
正しさの側に立つ。
歪みを指摘する。
だがその正義もまた、彼自身のイメージによって形作られている。
生徒にとって、正義を執行するセイヤー像が「担任の教師」だったことは重い。
校長のイメージ、他の教師のイメージ。
私たちは知らないうちに、人を型にはめ、物語に押し込めていく。
大谷翔平は、本当に称賛一色の存在でしかありえないのか。
英雄とは、こうあるべきだという各々のドグマによって、
今日も更新され、再構築され続けているのではないか。
生徒が当てはめた「顔」は、ただの想像にすぎない。
だがそのことに、誰も気づかずに生きていく。
それこそが、人間なのだろう。
捏造は、いつも悪から生まれるわけではない。
多くの場合、それは善意と憧れの副産物だ。
だからこの作品は、怖くて、そしてとても面白い。
CMや出だしの雰囲気からコメディ期待してはいけない
いろんなPRや冒頭での雰囲気からコメディタッチでドタバタ劇が始まるかと思いきや、そうではなく 史実に基づいたベートーヴェンを神格化した裏の人物の企みが淡々と言葉多く語られていく話。
背景の当時のヨーロッパ風景建築物なども張り付けただけのものという感じでお金は全体的にかかってなさそう。
音楽好きが知ってる内容だとしても、もっと振り切ってデフォルメして面白可笑しくするほうが良かった。例えばベートーヴェンが早々に死んで退場するので、そこからの見どころを捏造だけにしたいならシンドラーの私生活をもっと出してそれと織り交ぜながらどんどん暴走していく過程にしたフィクションで仕上げたほうが面白いと思った。
と、ここまで書いたあとで思い返すと、結局バカリズムはこの、史実を淡々と伝えることがいかにつまらないか、ということをこの映画で教えたかったのかと気づいた(おそらく)
私もバカリズムに、シンドラーになることを勧めてしまった。
彼に一本取られたかもしれない。
語り過ぎのパパゲーノ❤
あの「シュトレーゼマン」と「チアキ」の話よりも汚くてかっこ悪い。それが小細工なしなので、逆に傑作に感じる。ただし、狂言回しが多すぎる。
「運命」と主題の如く語られるのは日本だけ。
「その方がドラマチックで面白いだろ」
「多分、昔も今も先生の様な人によって
❤歪んで❤伝わるのでしょうね。」
笑う他ない。
「そうかもな」
「コーヒーご馳走様でした」
「誰にも言うなよ」
「言わないですよ。理にならないんで」
追記
パパゲーノは語り過ぎの戒めも受けますが、所謂、生きる象徴の様に語られる。
僕は
絶望の淵から生還したカールの姿を、あのオペラの救いのあるシーンに重ねられたと考える。
「語りすぎ」云々だけではなく、「死の誘惑から生還する者」という、より深い文脈での比喩だったと思っている。
「その方がドラマチックで面白いだろ」
曝露本より何倍も麗しい‼️
シンドラーはその生涯がベートーヴェンの押し活だったのかも、
もしかしたら、そうかもしれませんね。
《捏造》という言葉があまりにインパクトが強いので、
シンドラー(演じるは山田裕貴)は、凄い悪人で
イケナイ人・・・みたいにその後の訂正されたベートーヴェン像を
捻じ曲げたとの通説だけれど、シンドラーって人はベートーヴェン信者で、
《褒めよ讃えよ》って事は、ベートーヴェンが今で言う
“推し”・・・大好きな人・・・ベートーヴェンの『新約聖書』とまで言われる
32のピアノソナタ(悲愴、月光、熱情)、
9つの交響曲(第五の“運命“第六の“田園“そしてかの有名な“喜びの曲“が
壮大に歌われる合唱付きの第九、)
ピアノ協奏曲6曲(第五番《皇帝》が特に有名・・・大好きです❤️、
そのシンドラーのベートーヴェンの楽曲が“大好き“ってところが、
あまり浮かんでこないんですよねー。
確かに劇伴(BGM)に曲は多用されていましたが、イマイチ使い方が下手。
第九の合唱はもう少し長く聴き惚れたかったし、運命も、田園も
5〜6分は聴きたかった。
ベートーヴェンって偉大すぎて、
〉お風呂に入ってない・・・とか、
〉口汚い・・・とか、
〉性格悪い・・・とか、ケチとか、
そんなのベートーヴェンの音楽となんの関係もないじゃん。
ベートーヴェンの価値はその創作した楽曲にあるのであって、
人格も容姿も食べ物嗜好も、全く関係ないもの
■この映画、ハッキリ言いますと、
あまり面白くないです。
一回も声を上げて笑わなかった(クスリッともしなかった)
バカリズムに合わない企画・・・みたいですよね。
やたらと18○○年年○月と、年代が出てきて、その年に何をした、
カニをした、誰それと誰それが、あー言った、こう言ったと、
いちいちシチ面倒臭い。
そして決定的に詰まらないのは、シンドラーとベートーヴェンに
人間的魅力を感じない事。
ベートーヴェンの内面が描けてない事。
《ベートーヴェンがただの小汚い爺さんの訳があるるかい‼️》
〉勝手にメロディが湧いてきた⁉️
苦悩して思索して創造して創作したに決まってるジャン‼️
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆♡☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
映画はベートーヴェンの晩年のおはなしです。
ベートーヴェン(1770〜1827)の晩年の1822年、つまり52歳の時に
シンドラーは秘書に雇われる訳です。
役立たずと罵られて2年でクビになる。
そして最晩年の1826年の暮れに肺炎になったベートーヴェンに呼ばれて
4ヶ月間看病して1827年3月26日に亡くなるまで誠実に見送るのです。
(そして遺産は、そのほとんどを甥のカールに贈られて、シンドラーは、
例の問題の【会話帳】や【手書きの自筆譜】、手紙などを貰った。
(まぁ、要するにシンドラーはベートーヴェンの伝記を書くのに
必要なものは全部貰ったとも言えます。
(書く気は満々、すでに野心は見られますね)
そしてその死後20年の1844年まで話しは続いて行く。
構成としては、現代パートで、
中学校の音楽教室の黒田先生(山田裕貴のふた役)が生徒の野村くんに
昔、シンドラーという秘書が楽聖ベートーヴェンを美化した
ベートーヴェンの伝記を執筆して、それが捏造(でっちあげ)だった・・・
ことの一部始終を話して聞かせる・・・と言った構成になっている。
第一にベートーヴェンが癇癪持ちだった・・・というけれど、
坂本龍一サマだって、すごっこく怒りっぽくて、いつ癇癪を起こすか
ビクビクしたって、大貫妙子さんが言ってますが、
それで坂本龍一の価値が下がりますか?
下がらないでしょ!!
この映画がどうして面白くないか?
その理由は、
人間が描けていない。
古田新太(ベートーヴェン役)は品のないただの平凡なお爺さんざし、
シンドラーの山田裕貴は爆弾の類家の“いやみたらしくて“
“不敵で““複雑な内面“を、あんなにリアルにカッコ良く演じたのに、
対するシンドラーは成熟してない子供みたいな青年にしか見えない。
シンドラーの野心や醜さそして狡さと言った内面が描けていない。
終わりの方でやっと登場したアメリカ人のセイヤー役の染谷将太。
シンドラー最大のでっち上げ、
《会話帳の都合の悪い箇所を書いた会話帳を、全部で400あるうちの
シンドラーが250冊を焼却処分した事実を突き止める功労者だけど、
結局は突き止めた後のリアクションは無し‼️
決定的に面白くないのは、「アマデウス」のモーツァルトとサリエリ。
この二人のキャラとは比べ物にならないくらいキャラが薄い。
モーツァルトは躁鬱が激しく奇声を挙げたり、ともかくお喋りで
行儀が悪くて多動性と思うほど活動的なモーツァルト。
モーツァルトの才能に嫉妬して毒殺したとか?しないとか?の、
老人の宮廷作曲家サリエリ。
演じた二人が本当にキャラ立ちが物凄い。
対する山田裕貴のシンドラーはクソ真面目だけど悪知恵が働く程度だし、
古田新太のベートーヴェンはどこからみても音楽家(作曲家)に見えないし、
二人ともキャラが薄いですよね。
原作者のノンフィクションライターの“かげはら史帆さん“の本は、
学術書みたいな内容の史実に沿った本らしい。
今回の脚本はバカリズムというより、バカ真面目リズム。
もう少し史実に嘘を盛って料理したら面白くなった気がします。
バカリズムさんがバカ正直なので、
シンドラー像をもっと
“粉飾“して“捏造“したら笑えたのに、
そう思います。
あとビジュアルも、赤毛につけ鼻・・・特殊メイクとかして、
翻訳劇の面白さをコテコテに演出したら、楽しかったかも・・・
元はと言えば、ベートーヴェンさん自体に恋愛歴も結婚歴もない、
エピソードが少ない人・と言えるのもありますね
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