「意外性への固執」ストレンジ・ダーリン 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
意外性への固執
imdb7.0、RottenTomatoes96%と85%。
6章とエピローグで成り立っているが非線形に進む。男と女がお互いを狩る話で、仕掛けの核心はプレデターは女のほうであり男じゃないということ。
いじわるな言い方をすると、前後する時間軸と男じゃない、ことを除けばたいしたことはない。
批評家ウケがすこぶるいい映画で、見てみたら確かに批評家ウケがいい感じの映画だったことで、そんな醒めた感想を持ってしまった。
むろん(わたしのように)つねにRottenTomatoesの批評家と自分の感想を比べてみるようなひねくれた観衆でなければ、予測不能な楽しさを提供する映画だと思う。
批評家評には絶賛がならんでいて、初期タランティーノの躍動とか、リンチやヒッチコックへのオマージュとか、今年最もスリリングな~とか、Willa Fitzgeraldが巧い、などと口々に褒めているが、中には『あるいは人生で何本か映画を見たりニュースを見たりしたことがある人なら最初の 5 分以内に予想がつくでしょう』と述べ、Rotten評を下している批評家もいて、同意するところがあった。
ただし、意外なことになるだろうと予測しながら見る映画は、その意外性にたいして、あたかもじぶんがそれを予想していたという気持ちなるものだとは思う。
プロット的にアレクサンドルアジャのハイテンション(2003)を彷彿とさせるが、あんなにどきどきはしない。なんだろう。ぜんぜんどきどきしなかった。その理由はおそらくだが男側にKyle Gallnerを充てていることで映画が積極的に観衆を騙そうとしていることに由縁すると思われる。つまりプレデター気質の男性役に適合するKyle Gallnerを見た時、観衆は「かれは悪い奴だろう」と予測する。ただし映画をよく見る人がKyle Gallnerを見れば「かれは悪い奴と見せかけた被害者だろう」と予測する。非力かつナイーブに見えるWilla Fitzgeraldが悪辣でタフなのも、映画をよく見る人にとっては、逆に予測範囲内だった。結局映画は最初から「この映画は意外ですよ」と言ってしまっていたようなものだった。
顧みて、6章の順番を351426エピローグとしてあるのも、観衆を欺く目的だったわけであり、そう考えてみると、あんがいこけおどし感のある映画だったと思う。ただし映画は悪くなかった。
知らなかったのだがジョヴァンニリビシは撮影監督もやるそうでこの映画を35ミリで撮ったのも誰あろうジョヴァンニリビシだった。
