見はらし世代のレビュー・感想・評価
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「進化と消滅そして再生」
今、渋谷の街には高層ビルが乱立し、いまだに再開発しているところもある。それ以前の渋谷は地上7階ほどの百貨店やどうとも形容できないビルやむきだしになった地面があった。再開発とは街の進化であるとともに古き物が捨てられ消滅することを意味する。
東京生まれの団塚監督は今27歳。子どもの頃から渋谷の街を見ていれば、この変貌ぶりに一番気付いているのは監督自身であろう。そして彼らZ世代は高層ビルから街を見下ろす、まさに「見はらし世代」なのだ。この映画は渋谷の再開発という題材をとおして家族の在り方を撮っている。
10年前、蓮は両親と姉、家族4人で海辺へバカンスに行った。しかし初日に父(遠藤憲一)が仕事の都合で仕事場に戻ると言い出し母(井川遥)と口論にはなるが一人東京へ帰った。そして3年後母は亡くなり、10年後、父は有名なランドスケープデザイナーとなって世界をまたにかけ活躍しているが、蓮(黒崎煌代)と恵美(木竜麻生)とはすっかり疎遠になっていた。
蓮は久しぶりに父が東京に戻ってきていることを恵美に話す。蓮を演じる黒崎煌代の声は低く、くぐもっていてぶっきらぼうな話し方が蓮の無口で引っ込み思案なキャラクターを明確にしている。蓮は父に会いたいという気持ちをもっているが恵美はまったくの無関心である。もう父との縁は切れたとひどく素っ気ない。蓮は胡蝶蘭の配達を仕事にしており偶然父の展示会場に胡蝶蘭を届けに行ったさいに父を窓越しから見る。蓮と恵美の会話、蓮の仕事ぶり、父を見ている蓮の姿の映像が、何か無機質的に一瞬静止し単なる一枚の絵のように映る。動いていない、生きていない、虚無が覆う映像が印象的で、父と蓮・恵美の深い断絶を見事に表現している。それでも蓮は再度父と会い恵美を含めて紹介したい人(菊池亜希子)がいるから二人に会ってほしいと言われ恵美には内緒に指定された場所へ行く。すると幻のような驚くべきことがおこるのだ。
この幻が登場するシーンから私は映像化されている場所を見ているのか、どこかほかの場所を見ているのか混乱してくる。恵美はさっきまで蓮と一緒に渋谷にいたのに、父の恋人と軽トラックに乗って海辺にいて別荘に入る。この映像表現はなにか。時空の超越か、渋谷にいた蓮と恵美は幻影なのか混乱が増幅する。父と幻は蓮と恵美を見ていない。
父はバカンスを捨てたことで世界的なランドスケープデザイナーになったが家庭を崩壊させた。新たなものを手に入れるためには今までのものを捨て去らねばならい。まさに渋谷の街の再開発と同様だ。しかし幻の言葉は優しさにみちている。この幻の登場から映像は不可思議な時間が止まっているようにゆっくりと進んでいく。
この幻は父と蓮と恵美に何をもたらしたのか。家族の再生。いやそんな甘くはいかない。父は幻に理解され許され涙する。しかし蓮や恵美は断絶から容易に解放されない。ただ恵美の横にいる幻からバトンを受けそうな新しき者、父の恋人が仲介者となりなんらかの化学変化がおこるのか。幻の出現は進化のために捨てられ消滅したものが、この家族の再生をうながしているように、寄り添うことなく、しかし冷たくなく蓮と恵美と父の恋人の前に姿を見せたように感じるのだ。
高層ビル群の間をキックボードに乗って颯爽と走る若者たちの姿は生気と活気にあふれていた。蓮と恵美もこのように新しい街のなかで消滅したことを幻にまかせ家族という枠を大上段に構えず高層ビルから見はらすように大きな視点をもって生きていってもらいたいと思いながら高層ビルが乱立する渋谷の映画館を後にした。
家族のやりなおし、を願うのはやっぱり父親
日本人だからなのか、家族を振り返らず仕事や酒・ギャンブルに没頭して、反省をするという父親像は、これまでもずいぶん描かれてきた 本編でもあったが、誰しも結婚をするときは理想の家族・家庭像を描いているはずなのに、子どもの成長期にその理想が損なわれてしまい、あとになって取り返しのつかない現実に反省する父親 しかし放置された子どもの方は本作でもそうだったが、そんな父親を侮蔑・軽蔑しているだけで、取り返せない時間を反省している父親の姿は滑稽だったりもする 成功しようが、失敗しようが家族を捨てた父親であるはずなのに、その再生を願う気持ちが息子・漣に残っているのが観る者にとって儚い希望を感じる 父親役の遠藤憲一さんは私と同世代で、37年前「メロドラマ」という作品(にっかつがポルノをやめて、一般映画ロッポニカを立ち上げた第一作)に、チョイ役で出ていた あの強面を生かしたチンピラ役だったが、本作のように強面にもかかわらず弱さを持つ父親役などに最近よく起用されている この遠藤さんをはじめ、活躍をしている中高年の男性には、他人事ではない気持ちを抱かさせる作品なのではないだろうか
成功や繁栄の裏には、多くの犠牲があり、それが家族だけではなくその街で暮らしていた住民やホームレス、人々の優しさも壊してきた渋谷という誰でもが知っていて、ついこの間完成した新しいその街を描きながら、そこに家族の問題が昔からずっと横たわっているのが、悲しくも人間らしいと思った
(10月23日 なんばパークスシネマにて鑑賞)
見はらしはどう
刺さる刺さる オサレな感想言えればどんなに良かったかw 無理を飲み...
令和の小津映画は分かるが、脚本・構成が今イチ
話題の団塚監督の見晴らし世代を観た。
テーマは令和版家族再生の物語で一部映画専門家からは小津安二郎東京物語の令和版だとの声もある。
なるほど、渋谷の都市再開発と家族再生をテーマにした作品だなと言うのは分かる。団塚監督は若手監督だが、よくチャレンジしたなと感じた。また、遠藤憲一、井川遥の演技はさすがだし、福田村事件以来久々観る木竜麻生は演技が素晴らしかった。木竜麻生は今後も楽しみ。
ただ、黒崎煌代の演技は主役だしもう少し感情表現を見せてほしかったし、脚本・構成も分かるけど今イチだしラストあのシーンはいらない。ツッコミどころが多すぎる。今の時代の家族はこの作品のとおりかなと思ったが、現実は複雑。また、祖父母世代は介護が必要な人もいる。今の令和の家族はこうですよと強調しすぎ。
ラストはいらない。シーンは何か観客に訴えかけるシーンが欲しかった。注目作品だっただけにがっかり。
矛盾とすり替え
ファーストシーンから、映画のリズムに引き込まれました。
あらすじや主演もノーチェックで見たので、
ある違和感から、ものすごくゆっくりとじわじわズームしていき、家族の物語であることがわかる。
その後も要所要所に印象深い構図をしっかり残していき、後半へと再び繋がる流れが見事で唸りました!
スタイリッシュな建物や空間を意識させる構図が多いのは、建築家の物語だからかと思っていましたが、鑑賞後のトークで街を取り巻く群像劇でもあると知り、ラストにも納得がいきました。
この映画は世の中に溢れる矛盾とすり替えを突いてくる。
お祝い専用の花屋は殺伐としているし、
誰もが集える公園を作る為に人を排除する。
自分の仕事を正当化する為に、目的と手段のすり替えが必要なように
姉が一生許せないのは、父親ではなく自分自身なのだろう。
でも、、突き詰めた結果、母親のような極端な手段を選択してしまう危うさもあるから
すり替えられない時は、根本的な問題解決に向かう前に戦線離脱するのもアリ。
良くも悪くも物事から距離を置き、解像度を低く保つことに慣れてしまっている。
タイトルにはいろんな意味が込められていると思いますが、私はそんな風に捉えました。
街ってそれぞれ個性があって面白い。
人が街を形作っているようでいて、実は街が持つ個性に人が吸い寄せられている。
巨大な生命体のような気もします。
それで言うと都市計画は明らかに集まってほしいターゲット層ありきでデザインされている。
私が上京してきた頃は、飲んだ帰りに1人で宮下公園を歩くのは怖い感じだったので、MIYASHITA PARKの芝生がスタバ片手の若者で埋め尽くされている光景には驚きました。
金網で囲われたスゲボ場や運動施設を使うのには申し込みが必要だし、23時には閉まっちゃうし…きちんと管理が行き届いた施設ですね。
コンセプトの狙い通りの場所になるのか?
今後どんな風に成長していくのか楽しみです。
カンヌ監督週間出品とのことで、そもそも公開が楽しみな作品でしたが
PFF2020/2023入選の寺西涼監督が音楽を担当されているとのことで期待値UP!
話し声が聞こえるようなオープニングから面白くて興奮しましたが、中盤の展開で「だから寺西監督なのか!」と、ものすごく納得しました。
チャネルが合う瞬間と言いますか、寺西監督のテーマとリンクしている。
PFF2021入選の蘇鈺淳(スー・ユチュン)監督も少し出演されているとのことでしたが、ガッツリ印象深い役で驚きました。
違和感を口にすることで、誰の為に何をしているのか?目的と手段のすり替えを指摘する、とても重要な役どころでした。
素晴らしい才能が結集した『見はらし世代』
今後この世代が作る映画が楽しみです!
ひとりよがりな映画
再開発された宮下公園、ミヤシタパークか主な舞台になって、ある家族の物語が展開されるのだけど、もうご都合主義が満載で、私には無理でした。
何が言いたいんかい?!
再生できなかった家族の再出発物語?再開発反対?
都市というコミュニティと家族というコミュニティを並走して描いていくのだが、人間描写が浅く、刺さってこない。
ドキュメンタリー風を狙ったのか、どのカットも不必要に長く、テンポが悪い。
訳のわからない電球話から母親の再登場。
最後はループに乗った、知らないカップルが蕎麦の話をして終わる。思わせ振りでさえない、観客置き去り。これが若い世代に受けるんですか。ええかげんにせいよ!
オモロイやんw
はじめ本作の存在を知ったのは
吉岡里帆ナビゲートのURのラジオ番組だった。
団塚。の名称を聞いて僕が思ったことは
え〜やだなぁ。あのオッサンの親族?
独りよがりなカッコつけた映画じゃないの!?
だ。
が、観ないでごちゃごちゃ言うのは違うよね。
と観に映画館へ
ぶっちゃけ観てて痛快。観に来て良かったである◎
カンヌでの評価も好評で受賞した。のも
わからんけど
きっとこの世代からハッキリと引導を渡すような
作品が出てきた!と言うことに対する賞賛
だと思うのだw
もっと広く見はらして社会への働きかけを
結果として残してこなかった世代の一部だけが
楽しく幸せを感じる世界の在り方に対して
可笑しいよ!ってね!
まぁ知らんけど僕はそう言うメッセージとして本作を
観ました。痛快痛快オモロかったわ〜
物や場所を雄弁に語らせる事は難しい、?
物や場所が、時に人よりも雄弁に語る時がある。
そういう映画は少なくない。
じゃあこの映画は?
もっと「宮下パーク」の持つ歴史や時間を描ければよかったのか、
はたまた描きたい人物たちと場所との関係性か、描く量のバランスか、
何か色んなことが足りてない気がしました。
物や場所が、時に人よりも雄弁に語る時がありますが、
この映画はそれに頼りすぎてはいませんか?
映画理論や編集、観客に頼りすぎて、人を描くことから逃げてませんか?
ループのりながらそばの話するラストは怒り心頭でした。どれだけ観客のこと馬鹿にするんだろうと。変な怒りですよね。勿論、馬鹿にしてるわけではないはずだけど、なんだろう、お金払って2時間みてるのに面白さのかけらも貰えなかったからそう思ったような、物語をまとめるつもりの無いスタンスに「そうは言ってもさ」と悲しくなったからか、
とりあへずカンヌという称号がその怒りの原因の一部をつくってることは確かです。(まじカンヌって何なん)
面白くなかった。
今日みた感想はその一言に尽きます。
怒りが収まらず、余計な事追記させて下さい、↓
想像してしまっただけなので、当てはまらなければ私を鼻で笑ってどうか見逃して下さい
もし、もし同世代の監督たちと、この映画の面白さを語り合ったり、俺たちを理解できないあいつらの事なんか忘れて作りたいものをつくろうぜ、
なんて話しているのであれば、本当に救いようが無いと思います、
何でしょうか、ここ数年の、海外で賞を取る日本人若手監督作品の品のなさと思いやりのなさは
スパハピもナミビアもねおそらも奥山由之もみんな全部つまんない!!!!!!クソ国がっ
賞なんてどうでもいいから面白い映画作ってくれよ頼むよ映画ってエンタメだろ?エンタメに生かされてきたんだろ、エンタメ作ってくれよ頼むよ
再開発と再構築
レビュー評価が両極端なので、正直どうなんだろうと、観るかどうか迷ったけれど、自分は嫌いじゃなかった。
別荘での導入部が、どちらにもイマイチ共感できないまま、いきなり10年半後に戸惑ってしまった。
ワンカットがちょっと長めかなぁと思うところはあるものの、ストーリーも、インディペンデント系の邦画によくあるポヤーンポヤーンと何の楽器で演奏してるか分からない劇伴曲も、けっこう好みだったりする。
わりと吹っ切れちゃってる姉と、反発しながらも父親を諦めきれずにいる弟の対比が良い。
レストランのシーンで、は?とはなったけど、奥さんの想いが伝わって、家族、夫婦、親子のかたちが再認識できたのは良かったかなと思う。
ラストシーンは全くもって意味が分からない、なんで蕎麦?
急に出てきて「主演です」みたいな振る舞いの女の子は、大手芸能プロダクションからねじ込まれたのか、はたまたLUUPのプロモーションなのかと邪推してしまうほど、謎のシーン。
ミヤシタパークって、ヒューマントラストシネマの向かい側だから、よく見るけど入った事はない。東京に住んでた頃はなかったし、おっさんには不似合いすぎる。
今の渋谷が嫌いなわけではないけど、人が多すぎて移動がしんどい。
東急文化会館やシネマライズ、シネセゾン渋谷、シネアミューズとかあった頃の渋谷の方が好き。
見晴らしの良い景色の影に存在するもの
様々なものが無駄なく美しく融合され、洗練された
みはらしの良い景色の裏には、必ず影がある。
そんな街の風景と家族の有り様を対比させて描いている。
音楽やセリフ自体も少なく、ときに(挑戦的な)長い間を挟みながら、
カメラ固定で引きの構図を多く使って、
広い視点から空間、映像で空虚感や関係の歪みを表現しているかのよう。
無口な主人公の黒崎さんの役柄は、それをさらに強調していて、
とくに父親に対面したときの内面に静かに怒りを貯める表情、
ラスト近くの2元的にも意味のとれる黒崎さんの笑顔は象徴的。
影を無理に明るく照らして、詳らかにして
議論して、何かを解決しようとしなくてもいい、
時々でも影(亡き者、失われたモノ)の存在に想いを馳せるだけでいいんだ、
そんなことを語りかけているように感じた。
ラストへの積み重ねが丁寧で好感が持てる秀作
家族を顧みず、仕事一筋に生きてきた父・初(遠藤憲一)と、妻・由美子(井川遥)、長女・恵美(木竜麻生)、長男・蓮(黒崎煌代)の四人家族の物語でした。
初は業界でもそれなりに名の知れた建築家のようで、本作では渋谷・宮下パークをデザインしたという設定。しかし、仕事を優先しすぎたあまり家族との時間を犠牲にし、その結果、家庭は徐々に崩壊。最終的に由美子の死によって家族の絆は完全に断たれてしまいます。物語の主軸は、由美子の死後から数年後、恵美と蓮が成人した現代を舞台にしていました。
まず印象的だったのは、生花店の配達員として働く蓮と、いまだ成功の道を歩み続ける初との対比でした。特に蓮の不遇を際立たせたのが、生花店の上司(吉岡睦雄)との確執です。店のコーポレートカラーと合わないと言って蓮の黄色いウエストポーチを注意する上司の態度や口調は、誰の神経をも逆なでするほどで、吉岡の演技が見事でした。やや高めの声のトーンや、反論を許さない無感情な表情が実にリアルで、思わず拳を握りたくなるほどの嫌味な存在感でした。最終的に、初の展示会に花を届けた際のトラブルをきっかけに蓮は店を解雇されてしまいますが、その一連のやり取りが非常に生々しく、蓮の鬱屈とした心情を非常に良く表していました。
また、何気なく登場したシーンが、後に大きな意味を持つ構成も見事でした。
一つ目は、恵美の受験勉強に使われていた英単語帳。「indispensable(必要不可欠)」という単語が、終盤で家族の絆を象徴する言葉として再登場する場面には深い余韻がありました。
二つ目は、初の「変わらなさ」を示すセリフ廻し。かつて別荘から急遽仕事に戻ろうとした際、由美子に対して放った「水掛け論」という言葉が、現在の部下に対しても繰り返されることで、彼が妻の死や家族崩壊を経ても何一つ変わっていないことが如実に印象付けられていました。
三つ目は、劇中のテレビ番組に登場する「落下する電球」。かつて家族で訪れたドライブインで、何度取り付けても落ちてしまう電球がワイドショーで取り上げられ、その後本作最大の山場で大きな役割を持つとは想像もしませんでした。亡き由美子を除く三人が再びそのドライブインに集い、電球が落下する瞬間に物語は一転、まさかのファンタジー展開へ。そしてこの展開を通じて、初の中に反省と贖罪の念が芽生え、その姿を見た蓮もようやく心の整理をつけることができました。
ラストに至るまでの丁寧な積み重ねが、この突如のファンタジーを自然に受け入れさせてくれる力を持っており、それこそが本作最大の魅力だと感じました。
俳優陣も見応えがありました。蓮を演じた黒崎煌代は、序盤ではややぎこちなさを感じましたが、彼の内面が描かれていくにつれ、そのぎこちなさがむしろ役の不器用さに重なって自然に見えてきました。彼の他作品での演技も気になるところです。
遠藤憲一は言うまでもなく安定した存在感で、井川遥演じる由美子は、苦悩と優しさを湛えた妻の姿を繊細に演じ切っていました。特に、ファンタジーの場面で再登場したときの屈託のない笑顔には、ただただ心が癒されました。往年の”癒し系”は健在でした。
そんな訳で、本作の評価は★4.0とします。
見はらし世代って、、木を見ず森を見るって事かなぁ?
仕事優先で離婚した父と、詳しくは語られてないがあんまり良い死に方してない妻と残された子供2人の話。
そりゃ父を恨むだろうなぁ、けど経済的な援助はされてるだろうから、酷い荒れ方はしていない。成功した父親が家族の修復を試みる気持ちもわかるが、やはり滑稽でしかない。
再登場の妻があんまり恨みやこだわりが無い所が笑える、、、妻が1番の見晴らし世代なのか?
役者達は皆達者で安定感がある。黒崎君の声が凄く低くて初めよく聞こえなかったww
父の女性の好みが大変よく羨ましい、やはり成功者になるって魅力ある人間って事かしら。
父の仕事柄引き絵も多く見晴らしのよい映像である。
リアルとファンタジーの扱い方が日本映画には珍しくドライに描かれていて確かに目新しく感じた。
誰1人として見晴らしのきく若い登場人物は現れず、イミフな最後のシークエンスが1番見晴らし世代をかんじたわwww
コーヒーは二人分
世代交代
この映画の団塚監督(26歳)は、私の子供たち(31歳・30歳・28歳)よりも年下ということで、どんな作品を作ったのだろうという興味で鑑賞。
結果、素晴らしかった。
やはりみずみずしい感性で、映像も斬新なものが多く、演出やセリフも(私(59歳)には)独特だった。
日本映画の未来は明るい、と感じた。
主演の黒崎煌代くんは声が低くて大きくて良い。声だけでも芝居ができそう。
遠藤さんや井川さんも良かった。
お姉さん役は最近よく見る木竜麻生さんが演じ、「いつか無重力の空で」や「秒速5cm」とは全然違う魅力を放った。
これら家族が変わっていく様子が、渋谷の街がどんどん変わっていく様子とあわせて映し出されていた。
ちなみに「もしがく」では1980年代の渋谷が再現されているが、私には懐かしさを感じる景色も、団塚監督にはどんなふうにうつるんだろう。
「渋谷の再開発」と「家族の再スタート」をチラ見
監督の天才が伝わった。
都市の再構築、家族の再生がテーマで、予告で遠藤憲一さんが建築家なのかくらいで観に行ったら、またまた監督のトークショーがあってとても良い映画体験になりました。
映画は主役がだれかわからなくなるとか、遠藤憲一さんが答えに窮するとすぐに「水かけ論」というとか、語り口は不器用。
人物描写も利己的でなんでこんなに共感できないんだろう?まてよ、もしこの条件だったら腹落ちするなと、考え直しラストまで。
トークショー。監督が登場。26歳。主役、黒崎煌代くんだったのか。監督の顔が似てる。
トークショーで質問付きってなかなかないのですが、親ほどの年齢の観客の質問に堂々と答える。なるほど、日本最年少カンヌ出品とな。
タイトルの意味は?
家族の再生はどこで表現した?
など、映画メディア並みの質問。
印象に残ったのは、役者が現場で台本にはない泣きの演技をして良かったので採用したという、若さなりの自然体の演出の話。変わりゆくモノを描きたかったという真っ直ぐな精神性。わからないことはわからないという素直さ。
監督の天才が伝わったので、おじさんの「条件」についての質問はのみこんだ。
日本の映画界の今後は明るいですよ。
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