劇場公開日 2025年7月25日

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「変化する世界から取り残される男の「孤独と破滅の物語」」音楽サロン nontaさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5 変化する世界から取り残される男の「孤独と破滅の物語」

2025年12月5日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

映画を観終えたあと、しばらく席を立てないほどの陶酔と没入感のある映画だった。映画を通じて流れるインドの古典音楽が頭を離れない。
90年台に流行したレイブパーティは多分こういう感覚をくれるものだったのではないだろうか。インド古典音楽は、反復性の強いトランス音楽と似たところがある。大きな違いはリズム感がなく、拍子が不明瞭なこと。ただそれだけに陶酔感が強くなる感じがした。

この映画は、これまで見たサタジット・レイ監督の2つの傑作「ビッグ・シティ」「チャルラータ」とはかなり違った方向の作品だ。この2作は女性が力強く自分らしさに目覚めて成長し、男女の対等なパートナーシップを結ぶにに至る、明るく希望に満ちたドラマだった。それに対して、本作の男性主人公は成長も変化もしない。ただ、時代の波に溺れて破滅していく。
前作2作とは違った意味で、こちらも大傑作だ。絶望というより、耽美的な世界に浸らせてくれる。また劇場で見る機会があれば、何度でも見たくなる映画である。

物語はとてもシンプルだ。
1920年代のインド・ベンガル地方で、かつては名家として栄華を誇った大地主ロイが主人公。しかし、時代の変化で、地主としての生活は、経済的に成り立たなくなっている。近隣にすむ新興成金ガングリーが彼の地位を脅かしている。妻も使用人たちも、もうギリギリまで来ていることに気づき、彼に対策を求めている。でも、彼は無策なまま、これまでの封建領主の暮らしを続けていく。

簡単に人は変われない。それまでの生き方を変えないで、破滅していくのもまた甘美なものでもあるのかもしれない。世界が終わる音を静かに聞き続けるような映画なのだ。

新興成金のガングリーは、資本主義の流れにいち早く乗り、巧みに富を増やしている。ガングリーが西洋音楽を騒々しく鳴らす場面が象徴的だ。伝統と近代が対比される場面でもある。ロイは西洋音楽を耳ざわりな騒音としか感じられず、耳を塞ぐ。
私自身も、それまでの美しいインド音楽に比較して、なんと暴力的で、単純で、つまらない音楽だとしか感じられなかった。
それくらい、本作で流れるインド音楽は魅力的だ。撮影当時のインドの一流ミュージシャンを起用しているのだそうだ。そして、映像もあまり切り替えられず、演奏シーンは長々と映されるから、没入感がすごいのである。

この映画の没入感は、サタジット・レイ監督が一つのバックボーンとしているインドの美学、ラサ理論によるものでもあるのだと思う。これは、なんと紀元前のウパニシャッド哲学から教えだ。これは「芸術とは、作品のことではなく、観客の内部に生まれる美的情感である」という考え方だ。その美的情感とは、個人個人違うものではなく「普遍的なもの」。インド美学では、普遍的な美的感覚を引き起こす強度があるものだけが、芸術だと認められたのだ。
サタジット・レイはこのラサ(=情感)を操る名手なのだと思う。だからこそ、100年前の遠い国での時代の変化に取り残される物語、そこで演奏される聞いたこともないインド古典音楽の美しさ、それらを現代日本の僕が味わうことができるのだと思う。

この映画を見てからの数日は、インド古典音楽を聞いてばかりいる。幸いなことに、現代のサブスクにも、この映画に登場するようなインドの名手たちの演奏がたくさん見つかった。
インド古典音楽は、瞑想をしているようで、世界への感度が上がるような感覚がある。これらの音楽を聴きながら、本作の主人公ロイの孤独と破滅の世界を思い出しつつ、VUCAと言われる現代の変化に対応するだけではない、これまで生きてきた確かな自分というものを思いだしてみるのもまたいいのではないだろうか。

nonta