エディントンへようこそのレビュー・感想・評価
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マスクからの差
心に深く傷が刻まれる覚悟を持って観よ。
テーマ性てんこ盛りでやや散漫気味だったかも
「ミッドサマー」、「ボーはおそれている」のアリ・アスター監督が、「ボーはおそれている」に続いてホアキン・フェニックスを主役に向かえた作品でした。コロナ禍が始まった直後の2020年5月、アメリカはニューメキシコ州の小さな町・エディントンで巻き起こる騒動を描いていました。コロナ禍におけるマスク着用の是非をはじめ、SNSで繰り広げられる炎上騒動、陰謀論、人種差別とそれに連なるBLM運動、古くからアメリカ社会に根深く言い伝えられる少女へのレイプ問題、大資本によるデータセンター建設の是非などなど、アメリカを中心とする現代世界が抱える諸問題をごった煮的にぶっこんだお話でした。
過去のアリ・アスター監督作品と比べると、「ミッドサマー」は完全に創作ホラーという感じであり、「ボーはおそれている」は病を抱える主人公の妄想と捉えれば現実のお話とは言えるものの、自分からはちょっと距離がある作品という印象だったのに対して、本作は完全に自分が住んでいる現実社会の延長のお話なので、逆に冷めた目で観てしまった感じでした。
また、今年5月頃にたて続けに上映された各国のコロナ物(「未完成の映画」(舞台は中国)、「季節はこのまま」(舞台はフランス)、「フロントライン」(舞台は日本))と比べると、コロナは端緒に過ぎない点が特徴でした。前述の通り、SNSの炎上とか陰謀論、人種差別なども盛り込んでいた結果、ちょっとテーマ性が散漫になってしまった印象もありました。
そんな枠組みの作品でしたが、主役のホアキン・フェニックスの演技は相変わらず素晴らしく、また彼の妻役だったエマ・ストーンの病がかった演技も流石であり、役者の演技は満足の行くものでした。
そんな訳で、本作の評価は★3.8とします。
パンデミックかと思いきや。
アリアスターの映画の中で一番退屈だった
話がとっ散らかり過ぎて
陰謀論批判をしたいのはよくわかった。ただ、そればかりが前面にですぎて観客を置き去りにしてる。
陰謀論もいろんなのを詰め込みすぎだ。完全に消化不良。「データセンター」の件は不必要だし、そもそものマスクの件はどこにいったんだ?
大体白人が先住民から土地を奪った話とブラックライブズマターの話って関係あるか?あの抗議はいったい何を抗議してんのかわけがわからん。
構成上の一番の問題はホアキン・フェニックスと撃ち合うのが「外部勢力」という点。いや外部が入ってくるのはいいんだよ。だけど、外部勢力は煽動する役になってあくまでも街の人同士が撃ち合う展開にしないと。この手の陰謀論の嫌な点は普通の人が煽動されて残酷なことまでやっちゃう点にあるんだから。
あと前半がとにかく退屈。ここはもっと短くすべきだし、ホアキン・フェニックスをもう少し好感の持てる人物として設定すべきだ。ダメなとこもありつつ共感の持てる人物がどんどん酷い状況になって足掻く、ここが面白いんだろ、この手の話は。
細かいこと言うと奥さんのことを暴露するところ、あれは先に奥さんが家から出ていってヤケクソになってぶちまけるとしないと。あれじゃ単に嫌なやつになり観客の心はさらに離れてしまう。
ラストも冗長。死んで終わりでよかったし、少なくともあの兄ちゃんが調子に乗ってるとこで終わればよかった。キレが悪すぎる。
おもしろかった…のか!?
■ 作品情報
コロナ禍でロックダウンされた小さな町の選挙戦が大事件へと発展していく様子を描いたスリラー映画。アリ・アスター監督・脚本。アメリカ作品。主要キャストはホアキン・フェニックス、ペドロ・パスカル、エマ・ストーン、オースティン・バトラーなど。
■ ストーリー
2020年、コロナ禍でロックダウンされたニューメキシコ州の小さな町エディントンは、閉塞感と不安が充満し、住民たちの不満は頂点に達していた。マスク着用に反対する保安官ジョーと、IT企業誘致で町を立て直そうとする市長テッドは、マスクを巡って意見が対立する。ジョーはテッドに反発し、突如市長選への立候補を表明する。この選挙戦をきっかけに、町にはフェイクニュースと憎悪が渦巻き、SNSは炎上する。一方、ジョーの妻ルイーズは、カルト集団の教祖ヴァーノンの扇動動画に心を奪われ、陰謀論に傾倒していく。 町は疑念、論争、憤怒が渦巻き、暴力と陰謀が真実を覆い隠す事態へと発展し、破滅の淵へと進んでいく。
■ 感想
予告編を目にすることはなかったのですが、ホアキン・フェニックス主演ならばと劇場へ足を運びました。市長選をめぐるドタバタとした騒動を描く作品かと思っていたのですが、そんな生ぬるいものではなく、予想を裏切るまさかの展開に最後まで驚かされます。
コロナ禍で人々が疑心暗鬼になり、異なる主義主張がぶつかり合う状況から、主人公ジョーが市長に立候補するまでの流れはそれほど違和感なく、共感できる面もあります。ギスギスした人間関係が反白人至上主義運動へと発展していく様や、人々の分断を憂うジョーの心情も、理解できなくはないです。
そこに愛する妻の心が離れていく描写が重なり、ついにジョーの暴走が始まるのですが、ここからがまさに予測不能の怒涛の展開です。市長選の行方など軽く吹き飛んでしまうほどの狂乱ぶりで、もはや前半とは全く異なる作品を見ているような感覚に陥ります。それでいて、ラストは市長選の設定にきちんと答えを出しつつ、非常にシュールなオチをつけているのが印象的です。
正直なところ、おもしろかったような気もするのですが、コロナによる人々の分断、アメリカの人種差別問題、SNSの功罪、殺人事件、隠蔽工作など、テーマがとっちらかっている印象も受けます。舞台となる土地柄や社会背景に対する予備知識が不足していて深く理解できなかったため、そう感じたのかもしれません。
しかし、ホアキン・フェニックスの熱演は相変わらずすばらしく、彼が画面に映るだけでその場の空気が伝わってくるような、圧倒的な存在感があります。彼の演技を見るだけでも、この映画を鑑賞する価値は十分にあると思います。
なんだかなぁ…
重厚でエキサイティング
コロナ禍でロックダウンされた小さな田舎町で小競り合いから巻き起こる大炎上を描いたスリラー。アメリカらしい街並みや激しい銃撃シーンや爆破シーンなど重厚でエキサイティングな内容が見どころでしょうか。
2025-181
70点ぐらい。陰謀論
2020年コロナ禍のアメリカが舞台で、当時の陰謀論を絡めて話は進んでいきます。
当時すごくTwitterで盛り上がってましたよね、コロナは人工ウイルスとかQアノンとか…
僕も陰謀論にハマったクチなんで、懐かしくて熱中して観てました。
当時の陰謀論に詳しい人は、より楽しめると思う。
ディープステートだとか人口削減だとか、かなり切り込んでて、
エマ・ストーンの口から、小児性愛者という単語まで出てくる(笑)
ちなみに、エマが出てた『ラ・ラ・ランド』の主要キャストじゃない某人物は小児性愛者という噂。
今作エマ・ストーンは思ったより活躍が少なくて、ホアキン・フェニックスが主役ですね。
これ1本じゃ完結しません、続編があるみたい。
細部まで考察したいし、もう1回観たい。
いろんな部分をずっと語っていられる作品
コロナ禍の頃のアメリカ。様々な人種やルーツのある人たちが、微妙な距離を保ちながら暮らしているニューメキシコ州の、架空の田舎町エディントンが舞台。広大な乾燥した大地が広がっていて、経済的にも厳しいであろう市の状況の打破を、野心家の市長はIT企業のデータセンター誘致で図ろうと画策している。その中で、起きたコロナのロックダウンが、人々の関係に決定的な分断と対立を生み出していってしまうという話。
予告では、「選挙戦」ということが強調されていたが、それは「分断・対立」の象徴に過ぎず、アメリカという国の中で起きていることを、コンパクトにこの小さな街で起こすための仕掛けという感じだった。
映画で描かれる「分断」は、残念ながら、これからも続きそうだということを、不気味に伝えてきて、観ているこちらを「ホラーな気持ち」にさせるし、安心して感情移入できる登場人物が誰もいないので、ずっとゾワゾワする。
そういう部分で好みが分かれそう。
ただ、他者との分かり合えなさや、そもそも立っている前提が違い過ぎて、全くコミュニケーションが取れないという経験をしたことがある人にとっては、ズシーンと鈍く響く部分がある作品だと思う。
<ここからガッツリ内容に触れます>
・今作が何よりもホラーな点は、前半にも書いた通り、登場人物たち同士の間で、面と向かっているのに、まともな対話が成立していかないところ。互いに発話はしているのだが、噛み合っていかない。同じ世界に存在していながら、時折「この人は全く違う時空に生きているのでは?」と思わされるような発言が飛び交うSNS空間のようだ。
・例えば、象徴的なのは、エディントンでも起こるBLMのデモ。ジョーが叫ぶ通り、デモをここで起こすこと自体、エディントンの現実とはかけ離れているのだが、デモに参加している人の内側には「ネットで得た情報をもとにした、揺るがない正しさ」があるので、自分たちに同調しない黒人の保安官補をなじるし、デモを止めようとするジョーたちのことを、弾圧者とみなしていく。
・今作でも描かれているように、エディントンでのBLMデモのきっかけは、気になる女の子の気を引こうとした、とある少年のリポスト。ヒステリックに叫ぶ少女や少年たちに、ジョーが「授業で教わったばかりか?」といった声をかけるが、彼らの叫ぶ中身は単純な決めつけで薄っぺらい。そこに自分の人種的なアイデンティティに関わる浅い自己弁護を乗っけているだけで、とにかくお話にならないのだが、数は力となり、力には、よからぬ思惑の者たち(混乱に乗じて掠奪行為を起こす者や、プライベートジェットでやってくる白人至上主義者たち※)もすり寄ってくる。※追記:自分はそう思っていたが、アンティファという人もいるので真偽不明…
こうした一連の描き方は、リアルが、ネット空間に乗っ取られたような気持ち悪さだった。
・こうしたことの原因は、「フィルターバブル」などと散々指摘されている通りで、ネット情報は間違いなく偏るということを知識としてはわかっていても、ネット依存の状況からは抜け出せないことを、今作ではジョーの姿を通して描くし、最後にはドーンと光り輝くデータセンターを映して、その状況は今後も続いていくことを暗示して終わる。
・陰謀論にハマる母や妻を引いた目で見ていたはずのジョーも、結局ネットに頼って、選挙戦では根拠のない誹謗中傷動画を感情のままにアップし、妻を失う。
・結局、ネットはビジネスなんだということが、現職市長側の、選挙ビジネスの会社がガッチリ入り込んで作成した「家庭内不和も逆手にとった見事なプロモーション動画」との対比からも明らかだが、それすらも、暗殺という単純な暴力でひっくり返されるというのは皮肉。
・面前で対立候補から平手打ちされるという屈辱を受けたジョーが、そうした暴力に走ったきっかけも、象徴的だった。彼が先に手をかけたのは、誰にもつぶやき(ツイート)を聞いてもらえないアルコール依存症のホームレス。ジョーは、人々に話を聞いてもらえない自分の惨めさを彼に重ねて、惨めな自分を葬るように、彼を葬ったのではないかと思った。
・見えない遠くから、または暗闇から撃つ・撃たれるというのは、まさに匿名性に乗っかったSNSでの攻撃そのもの。一体誰と戦っているのか、誰に反撃すればよいのか分からずに、闇雲に機関銃をブッ放すジョーによって、とばっちりを受ける先住民のシェリフというのも、SNSの状況のカリカチュアの一つだろう。
・はっきりとは描かないが、現市長が民主党、対するジョーは銃所持肯定の共和党というニュアンスを匂わせたり、エプスタイン事件を思わせる未成年者の性的虐待からのサバイバーを名乗る教祖を登場させたり、現場に居合わせたことをきっかけにインフルエンサーになってしまったお騒がせ少年とかまで盛りだくさんだが、ちゃんと「今」を、一歩引いて描けていると思った。
・全く何も語れなくなってしまい、アイコンとして義理の母に使われるジョーと、淡々と射撃訓練を続ける黒人の保安官補の姿が心に残る。
不調和音の世界へようこそ
いつもなのだが、この監督の作品は消化不良感がどうしても付き纏う。そう観ると不調になるのだ…
出だしから裸足のホームレスの戯言を聞かされ、主人公の保安官の喋りは説得力も無くまた絶えず落ち着きも無く、そして登場人物の誰にも感情移入出来ないまま物語りは進む。当初は眠くなるような展開が続き途中から一気にトップギアに入るのだ。
その理由も原因も釈然としないまま物語りは進む。この監督は上記の事など全く気にしないのだ。あのプライベートジェットに乗っていた奴らは何者だったのか⁉︎ あのテロリスト集団なのか?エディントンは世間の有りとあらゆる不穏な空気を集め暴発する。
そして保安官の悪事も裁かれないまま話しは進む。一方で人間の裁きは無いものの監獄より辛い仕打ちを受ける。愛する人からは見放され愛さ無い人によって介護されると言う仕打ちも受け続けるのだ。それは死よりも辛い事だろう…。。まさしく恐ろしい、、、、
【追記】
最近の米国映画は皮肉屋監督達がシニカルコメディにするケースが非常に多い様に思う。コメディにしない迄も其れを謳っているケースが非常に多い。もっと映画の楽しさや素晴らしさを全面に出し感動させる作品を創って欲しい。しかし一方でハリウッドの急激な衰退も危惧されている今日この頃(ワーナーの買収問題も…)。
チット、難しいな 求めてるものが でも 俺は最近 にわか映画ツウ だから平均点❗️
有料パンフ🈶勿論 購入。
A24の 物凄い強度の 袋 ビニールが ついてくる。
もう,どんだけ強度があるんだよ💢 ってくらい 強力ビニール
もはやA24の伝統になりつつある。
俺 最初の10分後から30分くらいほぼ寝てた😪
すごい👍誘眠作用で どんな強力な睡眠薬より効いた❗️
あと そのせいではなく コレで何を表現したいんだと思った。
『ボーはおそれている』とも違うんだよね
一応 動きはわかるわけ アクション的でもあるし
『ミッドサマー』とも違うんだよね
極めて具象的 不思議ちゃん感は無い。
有料パンフ🈶には その31ページにおいて 監督の製作意図 が要約されてます。
本作に関しては、有料パンフ🈶必須❗️と思う。有料パンフを読みこなせる精鋭たちのための作品。
でも 有料パンフ自体は非常に文字配列が読みやすい。是非購入して31ページ読んでください❗️
でも、なんだか 俺的には良くわからないのだよねぇ。
平成前半に『部屋とワイシャツ👔と私』 という歌謡曲が日本で流行ったけど
俺的には
『風邪説 と 田舎風景 と 私』だけでした。私の主観のみ残った 陰謀論と 各種運動 ITは弱かった印象が。
だって 小さめの器とはいえ 観客@5人 ポツネンと ほぼほぼ貸し切りで 自分と向き合い 映画と向き合いました。
あっ オシッコトイレ🚽3回行った。多分 本日の単独日本記録であることは相違ない😤😤😤
死に至る病
どちらかというと〝疲れる〟映画
それなりにエグい問題作なのだろう、という感じは受けるのだが、なぜか刺さってこない。
KKKだとか差別主義者に対する強烈な皮肉が効いている映画であることもよく分かるし(実はそう見せかけてまったく違うことを言っている可能性もあるのだろうか)、情報拡散は発信者や受け取る側の感性でどうにでも解釈できて、しかも強い思い込みにまで繋がることの怖さも分かる。
でも、自分にとってはそこまで止まりで、鑑賞後、時間が経ってもあまり印象が変わらない。
では、もし実際にKKKに属していたり、傾倒している人たちが見たらどう受け止めるのだろう。誰かからの影響であったり、ネット情報からの受け売りで、自分はとてつもない勘違いで差別主義者になってしまったのではないだろうか、と自分の思想を客観的に振り返ったり、懐疑的になるきっかけになるのだろうか。
日本でも今、中国に対する敵愾心のようなものを煽る風潮が強まっているが、無自覚に乗っかってしまい、「そうだそうだ、もっとやれ!」みたいに短絡的に、冷静さを失っている人が増えているような気がして、なんとなく嫌な感じの怖さを覚える。
無自覚なままでも、ある種の高揚感は快楽中枢にも影響をあたえるので、結果的に暴力的な行動を抑制できなくなることがある(小学生が始めは仲良く遊んでいるのに、興奮してきて、おもちゃの取り合いのあげく手が出てしまうことがあるのと本質的には変わらない)。
こんなふうに理屈っぽく考えなければ、テーマらしきものも浮かんてこないので、どちらかというと疲れる映画なのだと思う。
思想と陰謀の渦、今のアメリカ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️ 7.0
民主主義は個人主義へ、個人主義は利己主義へ、利己主義はもはや一人のものでなく、共感を求め、SNSを通じて他人を巻き込んでいく。それぞれの人がそれぞれの正義を持って突き進んでいく。何が真実かも分からずに。エディントンという片田舎はアメリカ分断の縮図だ。
アメリカ人は熱く、時には過激だ。激しく変わりゆく世の中の狭間の混乱の中で、相反する思想を持つもの同志が掲げる正義の対立は常に過激的に起こっている。それは我々日本人には病的に見えるが、エディントンで起きたことは、今のアメリカでは充分に起こりえる、いや、もう起きている。保安官ジョーは、ブラック・ライヴズ・マター(BLM)は、エディントンの外で起きていると言っていた⁉️
Why Eddington is the movie America deserves in 2025? I am sorry few Japanese does understand this movie.
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