エディントンへようこそのレビュー・感想・評価
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価値観の相対化が分断をあおる現代のノワール西部劇
アリ・アスター監督が娯楽性を保ちつつ、現代の問題へのチューニング精度を一気に高めたことは嬉しい驚きだ。監督の過去3作は、謎の呪いで家族が崩壊する「ヘレディタリー 継承」、北欧の楽園のような村を訪れた若者たちが地獄を見る「ミッドサマー」、不安症の中年男が母の葬儀に向かう途上で災難に見舞われる「ボーはおそれている」。これらはいくらかの現代性を含みつつも、オカルト、カルト宗教、不条理な展開といった要素により、大半の観客から自分には直接関係のないフィクション、娯楽作として鑑賞されただろう。
だが最新作「エディントンへようこそ」を観て揺さぶられる感覚と感情の切実さは、アスター監督の過去作とは大きく異なる。本作を端的に形容するなら、パンデミック期のノワール西部劇。主人公の保安官ジョーは喘息持ちのため厳格なマスク着用ルールに反対し、情緒不安定な妻ルイーズと陰謀論者の義母にも悩まされている。ロックダウンを実施しマスク着用を義務付けた市長テッドと反目し、ジョーが次期市長選出馬を決めてからは、SNS動画のフェイクニュースで中傷するなど対立が激化。市長の息子が加わるブラック・ライブズ・マター(BLM)の抗議デモ、ルイーズに接近するカルト教祖、遠くから来た武装テロリスト集団などもからみ、かつての静かな田舎町エディントンに混乱と暴力と破壊の嵐が吹き荒れる。
往年の西部劇と言えば、町の住民と秩序を守る保安官は絶対的な善、住民の生命や財産を脅かす無法者や“蛮族インディアン”が絶対的な悪だった。だが、“世界の警察”を自認していたアメリカがベトナム戦争で失敗し、ニクソン大統領が違法行為で辞任し、CIAによる反共イスラム勢力への支援が中東や西アジアの問題を一層複雑化して911テロの遠因にもなり、自分に不都合な情報をフェイクニュースと言い放つトランプが2度大統領に選ばれたこの半世紀ほどを経て、もはや絶対善のリーダーなど誰も信じなくなった。誰かにとっての正義は、別の誰かにとっての悪。つまり善悪などの価値観は相対的なものだということを、大勢が受け入れるようになった。また価値観の相対化には、「自分の考えが正しく、異論はみな間違い」という偏ったメンタリティを助長する負の面があり、それが分断をあおる現状もある。
脚本も担うアリ・アスターは、考え方や利害が相容れないキャラクター(または勢力)たちの間で緊張が高まり、やがて対決を迎えるという往年の西部劇のフォーマットを下敷きにしつつ、コロナ禍、陰謀論、フェイクニュース、カルト、テロリスト、BLM、社会の分断などなど、あまたの現代的な題材をごった煮のごとくぶち込み、怒涛のストーリーテリングで観客を圧倒する。エディントンで巻き起こる騒動の多くは、マスク論争を筆頭に、私たち自身や身近に起きたこと、昨今の報道で見聞きしたことと重なる。だからこそ、ジェットコースターに自ら乗り込んで体験するかのごとく、不安、恐怖、衝撃、余韻がよりリアルに、切実に感じられるのだろう。
make America normal again…
病めるアメリカといえば「タクシードライバー」ですが、未だにと云うか、さらに病んでるアメリカ描いてどうするよ、が、私の印象です。
パンデミック
偏り続けるソーシャルメディア
陰謀論
人種間の隔たり
銃の所持
話し合うことより論破すること
そんなアメリカの病巣が、呼ばれてないのにやって来る。善良な(あるいは、善良だった)保安官たちの身に降りかかる。彼らがスナイパーライフルで撃ち抜こうとするものって、何だろう?。
アメリカを、再びまともに…
この映画は、そんな思いで創られたのか、それとも自虐ネタで、自らを嗤いとばそうとしたのか、どちらかしら。ラストは、果てしなき負のループを暗示してましたけどね。ブラックユーモアにしても、ブラックが過ぎて、お先真っ暗です。「シビル・ウォー」同様、それがA24といえば、それまでですが…。だからこそ、みんなで観てね。そして、誰か、何とかして。
真実と虚実を考える
ホアキン劇場
眩暈がしてくる
コロナ渦 三密避けてたのを 思い出しました。
前日あまり寝れてなくて…
残念! 前日あまり寝れていなくて途中で少し気を失ってしまった。ただ最初の1時間ぐらいはとても楽しく鑑賞できていたので、体調が万全の時にもう一度鑑賞するつもりです。
個人的にはこういう“てんこ盛り系”大好きです。コロナ禍の窮屈な生活や人間関係によるストレスがSNSによって増幅されていき、地域社会や人種を分断し、最終的には殺し合いまで発展してしまう。「そんなことあるかよ!」というツッコミを入れたくなる気持ちはありつつも、そこにアリ・アスター監督ならではのユーモアや皮肉が絡んでくると不思議とすんなり受け入れられてしまうんです。
自己主張や顕示欲が強い人がSNSという自己メディアを無責任かつ戦略的に活用し始めるとどのような結末が待っているのか……映画の展開は大袈裟ですが、これは決してアメリカだけの話ではなく、確実に日本を含む世界でも十分通ずる内容、現在も進行中の物語だと思います。自身の価値観は本当にそう信じているのか、それともいつの間にか何者かによって洗脳された賜物なのか、考えればキリがないですが、こうした点についてもう少し自身の考えを整理してからもう一度観に行きたいと思っています。
なんか普通。
嫌いではない
最後まで観て!やっぱり
アメリカへの憧れを全部ふっとばしてくれる映画
ついついアメリカというと
摩天楼立ち並ぶオシャレで先進的な国を
イメージしてしまうけど
それはほんの一部の話で
実際ほとんどの土地は草も生えない
ただのだだっ広い広大な土地です
そんな中にぽつんとあるエディントンは
まさに等身大のアメリカ
ホームレスまでも正当性を主張する国
新しい概念や最先端の技術も
たくさん生み出してきた国ですが
それは本当に上澄みで
ゴミのような議論とアイデア出しが大半の日常
大統領やビルゲイツならつゆしらず
本当に正しい意見なんて一般人に必要?
全員が主張する国にとって必要なのは議論ではなく
結果とポジショントークと顔のよさだけです
かわいい女の子に近づきたいだけ
出世したいだけ
奥さんを辱めた復讐をしたいだけ
主張は方便で、本心はいつだって人間的
白人女性の
「私は偽善者よ!あなたがこちら側に立つべきなのよ!」
には思わず笑っちゃいました
もう、むちゃくちゃだ
まっとうに見えた主人公までも
都合が悪くなったら「問題を起こすのは黒人」
という方便に頼ってしまう始末
恐ろしい国、アメリカ
もちろん揶揄や誇張こそしてありますが
今のアメリカにあるのは差別ではなく
方便であることを浮き彫りにしたすごい映画
日本に住んでると
なんとなく空気を読まないといけないことに
疲れちゃうときもあるけど
基本それなりに真っ当だから
みんなほんとうにえらい
日本に生まれてよかったと
心の底から思いました
Eが確かに変だ。
かなり変な映画だったので、レビューを書く気になかなかなれない、。
怪作ばかりのアリ・アスター監督だがアメリカは皆んなが皆んな自分勝手で救いのない国であることを、小さな街の小さな出来事の連鎖(最後は大きな事件)に全部詰め込んでとてつもない混沌の世界を作り上げてしまった。って感じでしょうか?
監督は「銃をスマホに持ち替えた西部劇」であると表現してるように、全編にわたって象徴的にスマホのスクリーンが登場する。もはやスマホは現代人の身体の一部になりそこから媒介するものが日常を作り出し、世の中をも動かしてしまう(それはよく分かる)。
保安官のジョーはコロナ禍で虐げられた人の味方で正義感から市長選に出たと思いきや自分の妻の秘密を暴露してまで選挙を有利にしようとしたり、怒りからライバルの現市長と息子を殺害する暴挙に出て更には部下に罪をなすりつけようとする。妻も義母も街の人々も登場人物の誰にも共感出来るとこなど何もない。おまけに後半は謎のテロ集団?との銃撃戦に突入してしまいぐちゃぐちゃの展開に、。ラストの終わり方は意味深だが伝えたかったのは何なのか?普通の人の私には理解が追いつかなかった。
評価はどうしていいかわからないので並にしておきます、。
タイトルは楽し気だけど💦
そう言えばマスク警察とか電車内でマスク無着の人に怒鳴ってるおじさんとかいたなぁ
そんなコロナ禍アメリカの小さな町で巻き起こった奇怪なスリラー
「何でそうなる💦」痛烈過ぎる爆発的なストーリーについて行くのに苦痛さえ感じた
雄大な景色やどこか西部劇を彷彿させる町並み
ホアンキン・フェニックスの徐々に暴発していく鬼気迫る怪演には目も精神も引きずり込まれたけど…
アメリカ社会が抱える人種や銃問題
ストーリーの鍵にもなるソーシャルメディア
誰もが不安や不満を抱えながら自己愛や
自己正義に縛られ自身をコントロール出来なくなっている人が増えている現社会
現実の歪みをアリ・アスター監督が自ら炎上させた野心作にも思えなくもなかったが
「なんで?」「あれは?」?なばかりな結末も腑に落ちなかったし人にはオススメは出来そうにないですねぇ
たまたまにしてもクリスマスシーズンに似合わないしね💦
病んだ妻役エマ・ストーンの登場シーンがもう少し欲しかったなぁ
もはやアメリカに「西部劇」は存在しない。
本作は、もはや現代アメリカには「正義としての暴力」を支える物語が存在しないという冷酷な事実を、西部劇文法をというアメリカ映画の古典的文法をあえて用い、それをことごとく意図的に解体して主張していく。
保安官、辺境の町、無法者、決闘、街は救われる、という西部劇の典型的記号を配置しつつ、現代が舞台の本作では善悪の対立も、正義の決闘も、救済のカタルシスも成立させない。ことごとく裏切ることで現代アメリカの問題点を浮かび上がらせる。
主人公は秩序を守ろうとするが、理念を語らず、敵を名指しせず、自らを物語化しない。その沈黙は倫理的ではあるが、分断と過激化が進む社会においては致命的な弱さとなってしまう。語らない者は中立ではなく「怪しい存在」と見なされ、やがて主張ある者たち――過激派、扇動者、物語を操る者――ここでは義母であり、妻であり、妻の相手、に利用され排除されていく。
後半の展開は、確かに理解不能な面がある。ただこの理不尽な暴力は欠落ではなく意図のように感じる。誰が敵で、なぜ狙われるのかが最後まで曖昧にされることで、観客自身が「理由なき敵意」に理不尽に晒される感覚を追体験させられる。
あえて答えを与えないことで現代社会における暴力と正義の空洞、その中で沈黙する者の敗北を身体感覚に刻ませる。理解できないのではなく、理解不能であること自体がこの映画の正解であり完成形なのだと思う。
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