エディントンへようこそのレビュー・感想・評価
全171件中、121~140件目を表示
映画会社のキャッチコピーって本当にそう思ってる?
アリ・アスター監督の作品はいつも気持ちをどこに持って行かれるのかとワクワクするのが楽しい作品と思う。(あんまり真面目に向き合わないほうがいいかも、映画という娯楽だし)
そういう意味ではとても楽しめた。見終わった後友達とわちゃわちゃ言ってる時点でいい映画だと言える。(面白かったねの一言で終わる映画は内容もすぐ忘れてしまうし、観たこと自体も忘れる)
ただ、小さな町の騒動が全米を揺るがす的なキャッチコピーはどうかと思う。元々BJMがあり、それを受けて街に騒動が起きたわけだし、最終的に全米に波及したわけでもないし。
映画会社はどう思ってこんなキャッチコピーを付けたのか?JARO案件じゃないの、もはや。
迷路?
中盤以降に唐突に出てきた集団…説明も目的も正体も不明で 登場して...無言で退場。
なんだったんだろう...難解だ~
この監督の手法なのか...これ、なに見せられてるんだろ?迷路かなwww
現実世界こそ究極の悪夢。アリ・アスター健在。
「ヘレディタリー」から「ボーはおそれている」までの3作品で一旦は終わって新しいジャンルに手を出すのかなと思っていた。。。
だが、悪夢は。。。まだ終わらない。笑
アリ・アスター健在。「ヘレディタリー」以降嫌っていたがここまで徹底して同じテーマを姿を変えて描いていく姿勢に逆に好感を持つようになってきた。
コロナウィルスが流行った2020年のアメリカの田舎町エディントンを舞台にSNS、陰謀論、BLM、権力争いで町がパニックと殺戮の場と化す様子をダークユーモアと社会風刺たっぷりに描く今作。今までオカルトやカルトや精神世界でのアブノーマルなテーマを描いてきたアリ・アスター監督が「現実ネタにしよっ!」と手を出したテーマがコロナウィルスだった。
「ボーはおそれている」から短期間で作り上げたこともあってそろそろやばいぐらいの駄作がくるかもしれないと身構えていた。プロモーションも控えめだったし。でも安心して。いつも通りのアリ・アスターだよ。笑
アリ・アスターの沼は毎回考察しがいがある。
表向きにはコロナウィルスがテーマだがやはり今回も「支配」、「洗脳」と「母」、「女性」がテーマだ。登場人物一人一人が自分だけの歪んだ現実の中を彷徨っている。
ただ、精神疾患を持つ者を弄ってくるあたりだけはいまだに好きにはなれない。アリ・アスターの映画はどこか黒魔術に似ている。見たらハマってしまう、一緒に地獄行きの闇のグループ儀式に付き合わされているのだ。気づかないで何となく見るとつまらねーってなってしまう。よく見てほしい。最初から全て流れがちゃんと決まっている、いつものやつだ今回の全てを操っている一見見えない恐怖とは何なのか?映画を通して描かれるある会社に注目してほしい。
やたらと太陽がクローズアップされているのも気持ち悪いと思った。町の名前が「エディントン」というのもどうもおかしい。というのも架空の町だが。。。何故?その名前なのか?調べた結果やっぱり全てちゃんと意味があった。どうもアーサー・エディントンという世界的に有名な天文学者から名付けた臭いのだ。Wikipediaで彼の経歴について調べてみると実に面白い。
私達が日頃から決めつけている「現実」や「正義」とは何なのか?もしかして私達は見えない大きな力に操られている、カルトの一員にされているのかもしれない。アリ・アスターは常に不安を抱えて生きてきたのだと思う。彼の中にある疑問や不安は今回そのまま我々にも投げかけられた。
このパラノイア的世界観に迷い込もう。全く悪趣味な監督だよほんと。「ボーは恐れている」から短期間でここまで面白い作品作るとは。すごいエネルギーだ。
鑑賞は複数回をおすすめする。
ところで日本の皆さん?あなたたちも変な個人崇拝に走ったりSNSで「正義」振り翳して暴れたりしてませんよね?ちゃんと周りが見えてますか?大丈夫ですか?アメリカの悪口言う前に少し考えてみましょう。おっと。誰か来たようだ。
気持ち良くない鑑賞後感はアリ・アスターならでは!
徐々にカオスな状態へ突入し、最後はぐしゃぐしゃになっていくのは
アリ・アスター節と言って良いと思う。
とくにジョー(ホアキン・フェニックス)が最後半で機関銃を後退りしながら
撃ちまくるシーンは何故か笑えた。実に絵になるシーンでもありインパクト大。
そして、頭にナイフを突き立てられて死んだかと思いきや死んでない。
この死んでないところが実に悲しいというかせつないというか
むしろ死んでいたほうがジョーにとっては幸せなのでは?と思うくらい悲しい。
そういう終わり方だ。
前半は割とジョーに感情移入できちゃう流れで、
妻ルイーズ(エマ・ストーン)を自分の選挙活動のためにスキャンダル的なダシに使って
愛想を尽かされてヴァーノン(オースティン・バトラー)のところへ行ったり、
中盤、テッド(ペドロ・パスカル)を殺して、どんどん自らの政治思想というより、
もう個人的な感情で動き出すジョーになってからが、本作のおもしろいところだと思う。
ジョーがコーヒーを吐き出すシーン、コロナに罹患した表現だと思う。
その後、明らかに体調が悪そうなので、観客もなんとなくわかったはず。
マスク、頑なにしてないから。でも喘息持ちだから理解できたりはする。
スマホとSNSも悪意を持ってFeaturingされている。
現代社会への警鐘というわけではないだろうけど、風刺になっているとは思った。
パンフレットは大島依提亜さんデザインだけあってオシャレだし、
宇野惟正さんによる監督インタビューも面白い。買って損はないと思う。
なんかちょっと難解…
意味が分からない?それがどうした?最高です。
ずっと楽しみにしていた作品だったので、
久しぶりの公開初日に鑑賞。
週末の夜なのにお客さんは10人ちょい。
逆にこの人数がアリ・アスターの新作を本当に楽しみにして来たんだと思うとリアリティがある人数で嬉しくなる。
アメリカの過去や現在に渡る、ありとあらゆる闇や陰謀や差別やあれやこれやを全て同時に噴出させたようなカオスな街エディントンでの出来事が、コロナ禍において化学反応を起こして様々な場所で引火して行く。
前半、というか中盤過ぎまで陰鬱としたロートーンなシーンも多く、油断すると時折意識が遠のいてしまいそうになった。しかし!その貯めに貯めた前フリを全て回収しながら、すべてをぶち壊して爆発行く後半の爽快感たら無い!!終始画面を見つめながらニヤついてしまった。
ホアキンフェニックスもエマストーンもペドロパスカルも皆素晴らしい存在感。
評価が分かれる所は理解しますが、映画、が好きな人には本当に好きな作品である気がします。
だから私は絶対に劇場の大画面で観る事をオススメします。
p.s
作品を観て、よく分からなかった、というコメントを散見するのですが、全てを分かる必要なんかあるのでしょうか?私もこの作品を観て、細かい所なんて何がどうなってるのか正直分からなかったです。だけどどこか爽快で、音楽も素晴らしくて、なんかよく分からんけど最高に面白かった!それでいいのではないかな、とよく思います。
だから日本のフライヤーやポスターは説明書きだらけで、スーパーのチラシの如く、いつもカッコ良く無い。壁に貼れないものばかり。
観客に媚びた説明台詞ばかりに馴れてしまった人には、このような作品は意味不明なのかも知らない。けど個々の他人が表現する物など元来意味不明だと思うし、それをまた分かる範囲で個々に楽しめば良いんじゃないかな、と個人的に思います。
こういうどこか私的な感覚?で突っ走ってる作品とその監督が大好きなので、これこそが映画、と思いずっと応援しています。
乱文失礼致しました!
【”小さな諍いがドンドン拡大して・・、そして因果応報。”今作はニューメキシコの架空の町エディントンで繰り広げられる反人種差別運動や陰謀論を背景にした、アリアスター節全開のシニカルコメディなのである。】
■コロナ禍の中、マスクをしないことをテッド市長(ペドロ・パスカル)にパトロール中に窘められた保安官のジョー(ホアキン・フェニックス)は、昔、妻ルイーズ(エマ・ストーン)がテッドと付き合うも、直ぐに捨てられた噂を信じており、部下のマイケル(マイケル・ウオード)を巻き込み、市長選に出馬する事を決意する。
市境の土地にIT企業誘致を進めるテッドに対抗し、ジョーは誘致反対派を巻き込み、交流サイトでの誹謗中傷合戦に持ち込もうとするが、テッド優性の状況には変わらず、焦ったジョーはナント!妻ルイーズとテッドの噂を交流サイトに上げてしまうのである。
それに激怒したルイーズが母ドーン(ディードル・オコンネル)の影響も有り、愛想をつかして家を出て、カルト教団の教祖バーノン(オースティン・バトラー)の下に去った事にジョーは逆上し、ナント!テッド市長と息子エリックが家にいる時に、ライフルで射殺するのである。ナントマア。
だが、彼はその凶行の犯人を、マイケルにしようとするのである。
◆感想<Caution!内容に触れているかな?>
・序盤は、コロナ禍の中、マスクをしないことで揉めていたテッド市長と保安官のジョーの関係性の悪化していく様が、悪魔的ですらある展開である。
テッドは、妻ルイーズの事も有り、テッド憎し!の思いで突っ走って行く姿は、狂気すら感じさせるのである。
ー 狂気じみたオカシナ人を演じさせたら、笑顔一つ見せないホアキン・フェニックスが、ピッタリなのである。-
・物語は、ニューメキシコの架空の町エディントンで繰り広げられる反人種差別運動(BLM)や陰謀論を背景にして、ドンドンエスカレートしていくのであるが、その様が”ノンストップ・クルエルムービー”なのである。
テロ組織はやってくるは、マイケルは何者かにより逃亡しているし、ジョーの犯行を隣町のネイティブアメリカンの警察官バタフライ(ウィリアム・ペルー)に、ホワイトボードに書いた”E"の文字と犯行現場に残された”正義なくして、平和なし。”と赤いペンキで書かれた綴りの”E”と同じであると気付かれたり・・。
・”どう考えたらあのような恐ろしき展開になって行くのか、ホント、アリ・アスターの頭の中を叩き割って見てやろうか!”と思っていたら、ナント、保安官のジョーは”ゲホゲホ”と咳き込みだし、ナント、謎のテロ組織の連中に、本当に頭に刃を突き立てられるのである。
■そして、ラストシーンは、シニカル過ぎるのである。
ジョーは車椅子生活になり、物も言えない生ける屍になっているのである。そして、ジョーが”表向き”反対していたIT企業誘致を祝う会場には、新市長であるジョーが車椅子で座っているのである。彼は義母ドーンの操り人形であり、テッドの選挙参謀であったウォーレンの操り人形でもあるのである。
そして、その状況をスマホで撮影しているのは、死んだと思われていた顔中に怪我をしているマイケルなのである。
ー 生ける屍のジョーをベッドに寝かせた義母ドーンがそのベッドに入った後に、男が入って来てそのベッドにドーンと寝る中、仰向けに寝るジョーの姿を映すショットも、相当にシニカルなのである。凄いなあ、嫌だなあ、因果応報だなあ・・。ー
<今作はニューメキシコの架空の町エディントンで繰り広げられる反人種差別運動や陰謀論を背景にした、アリアスター節全開のシニカルコメディなのである。>
■今作には、様々な要素が盛り込まれているようで、もう一回観ようかなあ、と思っているのだが、マア観ないかなあ。
アメリカ!
詰め込み過ぎで途中で迷う
コロナ禍のパンデミック、市長選、IT企業誘致、BLM運動、性暴力、SNS、陰謀論、カルトなどアメリカが抱える多くの不安を保守色が強いニューメキシコの田舎町を舞台にしていっぺんに詰め込み、じわりじわりと煽るアリ・アスターならでは気持ち悪い作品。
あまりに多くの題材の説明や布石を前半に打たないといけないため、物語が動き始める後半までは眠気との戦いで何度も気を失いかけた。
ある事がきっかけで、主人公が抱えるそれらへの溜まりに溜まった不安と不満が堰を切ったように一気に爆発し、結果として全て自分の思いとは真逆になる皮肉はまあ面白いが(市長にはなったけど・・・)、意外性や感動は一切ない。
襲撃してきたテロリストをはっきりさせないのは嫌いじゃなかった。
現代アメリカが抱えるそれぞれの不安や問題のメタファーとして描かれているので、観る人によって変わって来ると言う事なんだろし。
主役の保安官を演じるホアキン・フェニックスは近年どの作品でもだいたい不安いっぱいで気の毒な役ばかりなので、名優なんだろうがいい加減もっと違う顔を観たいと思う。(個人の見解です)
エンタメとはかけ離れてはいるが、多分アメリカの人達には心に重く残る作品なのかな?
射撃の腕前凄いし、生命力エグ過ぎて驚く。
こんなもんか…
爆笑と胸糞悪さが同時に襲ってくるコメディー/ポリティカルスリラー
一番の笑いどころは、事態がどうしようもないことになった直後に、全く脈絡なく外部のテロリストグループが乱入してくるところ。二番はガンショップからフルアーマー・ホアキンフェニックス!。陰謀論、人種デモ、パンデミック、データセンター建造を巡る地方政治に加えて痴情の縺れと、とにかく現代社会に存在しうるあらゆるトラブルを一か所に集めて点火する、まさにカオスの祝祭。当事者のアメリカ人には笑えないかもだが、ここまで徹底されると製作者の底意地の悪さに笑うしかない。結局お前が一番美味しいところかっさらっていくのかよ!?もう一段はっちゃけてもらって町ごと灰塵と化してくれてたら満点だったのに…。そういう安易なカタルシスを与えてくれないのもまた性格が悪い。ホアキン・フェニックスがさんざん鼻面を引き回された挙句、邪悪な「母」の支配からは結局逃れられない…という大筋は前作「ポーは恐れている」と実は一緒の話?
全く面白くない
対岸の火事エンタメ
今だからこそ揶揄れるコロナ禍のあれこれ・アメリカ社会のあれこれを、前半は比較的真面目(?)に・後半は面白おかしく観せてくれたな〜という感じ。
アリ・アスター監督作の中では1番観やすい作品だった。(それゆえに物足りなさを感じるファンも多そう)
『アリ・アスター作品といえばこう!』みたいなものにこだわっていると、肩透かしを喰らうから要注意。
肩透かしを喰らって気持ちよくなれた方とはお友達になれそう。
主人公が銃器店から出てくるのを待ってる間、おそらく誰もが「これ絶対ランボーやるやつじゃん」と思った(期待した)はず。
コロナ禍をテーマにした作品ではあったけれど、あくまで「あの時のアメリカ社会」とか「アメリカの抱える問題」を観ている感覚だったので笑えた。そして、それを笑う自分の悪趣味さをアリ・アスターに見透かされているようでなんだかとても居心地が悪い。
1番印象に残ったのは、
「黒人もヒスパニックを嫌っている」的なセリフ。
白人と黒人との対立にすら入れない、それ以外の人種がある。白人からも黒人からも下に見られ疎まれる人種が。
もし自分がアジア圏を出たら、そんな人種差別問題は決して他人事じゃないんだよなあ…。
平和な日常のありがたみを妙に痛感させられた。
年末(気が早い)にいい映画を観られてよかった。
ゼーゼー言ってるホアキン・フェニックスのせいで、自分まで熱がある気がした。帰り道はマスクをした。
アリ・アスターが現代社会に警鐘を鳴らす
アリアスターはアメリカに何を言いたい?
嘘から出たまこと。兎に角、主張 × 主張のカオス状態で、現実社会の...
“コロナ禍”と言う背景だからこそ、解らなくもないストーリー
『ヘレディタリー 継承』を劇場で初めて鑑賞して以来、監督作品のみならず製作に名を連ねる作品も観続けているアリ・アスターの新作。或いは、普段映画を観る機会が少ない人にもその名前だけは“独り歩き”しているくらい日本でも有名になったような気がしますが、、本作の公開規模は思ったほど大きくはなく、それは私の単なる思い込みか?かく言う私はチケット購入に半日出遅れ、TOHOシネマズ日比谷は好みの席が売約済みだったため今回は日本橋で鑑賞です。
時は2020年5月、COVID-19のパンデミックによってロックダウンとなったニューメキシコ州エディントン(架空の町)。収束の見えない“未知の疫病”に対する恐怖や不安、そしてネット閲覧時間の激増によりそこで拡散される“如何わしくもデカい声”に翻弄され、人々の心理のそこかしこに“火気厳禁”な不穏さを秘めています。そしてその“ファイヤースターター”となるロッジ(クリフトン・コリンズ・Jr.)の奇抜な言動、、いや、確かに当時日本にも「ばらまこう」とニュースになった人がいたな。。と、それは兎も角、暴れるロッジを取り押さえるべく呼ばれた保安官・ジョー(ホアキン・フェニックス)ですが、彼自身もまた持病を理由に“マスク否定”を公然と貫く姿勢は公人らしくもなく、結局、そんな彼の独りよがりで浅はかな言動に引きずられるようにして、徐々にエディントン全体に波及し始め、狭い町は一気に混沌化していきます。
前作『ボーはおそれている』に続き、主人公ジョーを演じるのはホアキン・フェニックス。その印象が強く残っているため、鑑賞前は「今回もまたぶっ飛び過ぎていないか」とやや心配もしておりましたが、自分も経験をしてそれなりに思うところがある“コロナ禍”と言う背景だからこそ、解らなくもないストーリーは意外に取っ付きやすいと感じました。勿論、特に前半における「皆がそれぞれ言いたいことを言う」カオスな状況に、対立構造が分散・拡大しすぎて集中力を削がれそうになりますが、中盤、不意に“引かれたトリガー”をきっかけに悪夢は現実となり、そして突拍子もなく展開して最早映画のジャンルさえ変わって見えるほどの印象。ただ、その“突拍子のなさ”の程度がこちらの予想を程よく上回るレベルのため、決して置いていかれることなく最後まで楽しめます。
と言ことで、アリ・アスターとしては比較的“人を選ばない”内容で観やすい作品だと思います。ただ逆に言えば、これまでの作品に比べると“突き抜ける”ような特徴に欠け、やや物足りなく感じる方もいるかな、とも。また決して共感とは程遠い内容に対し腹を立てる方もいるかもしれず、、安易にお勧めはしづらい作品でありますが、不真面目な私としては傑作とは言えないまでも充分楽しめた作品でした。
(アリ・アスター+ホアキン・フェニックス)✕A24=クセ強でクセになる
公開初日@TOHOシネマズ六本木ヒルズ。
いやはや、久しぶりのアリ・アスター。
そして、もはや「専属俳優」のホアキン・フェニックス・・・って、AVじゃないんだからねw
前作の『ボーはおそれている』はロッテン・トマトで「神経症的オデッセイ」と評されたらしい。Wikipediaによると「日本公開時のキャッチコピーは「ママ、きがへんになりそうです。」だった」とある。確かに私も「監督、客のきがへんになりそうです」と言いたかったのを憶えている。
さて『エディントンへようこそ』だ。
予告編では単に“EDDINGTON“だったので「〜へようこそ」は余計だと思えるが、配給は原題通りに地名だけをきっぱりと置くことに不安を覚えるらしい。
しかしこちらはエディントンを目指す観光客でも何でもないので「ようこそ」と言われても違和感しか残らない。
---------------------------------------------
それはさておき。
アリ・アスターは今度はどんな時空間の歪みを見せてくれるのか。
予告編を観た限りでは、コロナ禍のさなか、小さな田舎町でマスク着用の是非を巡って分断が進み・・・、という、なんだかふつうの社会派ドラマに見えたのだが。
蓋を開けてみたら、確かにきっかけはコロナだった。
ところがそこに、あの国の持つ壮絶で根深い社会問題がこれでもかと積み重なってゆく。
白人vs黒人vsヒスパニックvs先住民の確執、保守的な中高年vsブラック・ライブズ・マターの若者たち、保安官vsアンティファ、陰謀論とカルトに染まる人びとと家庭崩壊、かつて銅の採掘で栄えながら寂れてしまった街、再興するためのデータセンター誘致計画の推進派と反対派の対立、そしてこれらの問題への対処を巡って紛糾する町長選・・・。
こうしたアメリカにありがちな、同じような問題のいくつかを抱えたコミュニティも、現実にあることはあるとは思う。
アリ・アスターの脚本が秀逸なのは、それらの問題をエディントンという架空の小さな田舎町にあり得ないほど「全部入り」でブチ込んでしまったことだ。
しかも最初からそれは露呈していない。
一見ゆるゆるとした田舎町の水面下で徐々に熱せられ、住民たちにとっての「些細だけれど現実的で切実な問題」に変換され、問題同士が絡み合う。一つの綻びが次の問題の導火線となる。
ここに、ジョー保安官(演: ホアキン・フェニックス) の妻(演: エマ・ストーン)の夫婦関係と、同居して間もない陰謀論者の義母とのストレスフルな日常が重なって、ジョーを追い詰めていく。
この、ごく個人的なストレスが、町に潜在する数々のストレス源によってじわじわと加速されていくプロセスの見せ方がすごい。
やがて、正気と狂気の狭間をふらふらと蛇行するような精神状態のジョーが、ライブ配信で決定的な一線を超える。
そこからの常軌を逸した展開は実にスピーディで、エンタメ度の高さとスリルを感じた。
しかしアメリカの極左テロリストたるアンティファは、プライベートジェットで乗り込んでくるのか? すごく潤沢な資金力だなw ←ってそこじゃない。
アンティファの登場と最終決戦は、ここまで来ると荒唐無稽さの頂点を迎える。もはやジョーの悪夢の中の出来事にしか見えない。
そしてラストで含みを持たされたのは、ジョーの陰謀によって町長とその息子の殺害犯に仕立て上げられ、アンティファの爆弾で吹っ飛ばされながらも一命を取り留め保安官補に復帰したマイケルの存在だ。
傷だらけの顔となったマイケルが砂漠で淡々と銃撃の練習をしているシーンは、植物人間状態になりながらも次期町長となったジョーの行く末を暗示させる。
エンドロールに掛かってロングショットで浮かび上がる、完成したデータセンターの仰々しくも安っぽいネオンサインはとてもシュールに見えた。
テック企業に牛耳られているアメリカ社会への皮肉なんだろうか。
---------------------------------------------
この作品で、アリ・アスターは「わかり合えなさ」と「分断」と「破綻」を徹底的に描いた。
それも『シビル・ウォー』や『ワン・バトル・アフター・アナザー』とは違って、パロディの風味がキツい、非常にクセの強いトーンでだ。
そのキツい匂いが、鑑賞後もまとわりついていて困惑する。
予想はしていたが、相変わらずクサヤのような作品を作ってくれるものだ。
こうなると、じゃあ、次は何を作るのか?と気になって仕方がない。
全171件中、121~140件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。
















