エディントンへようこそのレビュー・感想・評価
全179件中、81~100件目を表示
コロナ禍の 陰謀論で分断されたラストベルトの設定は良いけど
コロナ禍のマスク対立・BLM・ネイティブアメリカン問題等盛り沢山弐した映画だが盛り込み過ぎ(いかに分断されているかの背景描写なのかもしれないが)
・保安官が市長と息子を殺害する程までに至ったの感情の遷移(過去に自分の妻を捨て侮辱したからだけ??)
・よく分からない外部勢力(テロ組織?)が介入してきた保安官(その仲間)を標的にする理由
・田舎町の拳銃店にランボーに出てくるようなマシンガンが置いてある違和感
・そしてそのマシンガンでの外部勢力との派手な銃撃戦
・保安官を救った市長の息子の友人が成り上がった(救った現場をSNSに上げ英雄視されたから??)
・脳天を2度もアーミーナイフでぶち刺された市長(コロナ陽性状態になってたであろう)が奇跡的に半植物人間として生き残って妻の母親?に介護されてる
・妻の母親?がデータセンターだかの偉いさんになってる
全てに「何故?」が付く
一度観ただけでは分からない細かい描写(伏線)があるのか?自分の読解力がないのか?
自分にはストーリー構成が雑過ぎて全く面白くなかった
(もう一度観たら感想が変わるかもしれないが)
パンデミックかと思いきや。
アリアスターの映画の中で一番退屈だった
なるほど炎上スリラーではある
アリ・アスター監督作は『ミッドサマー』『ボーはおそれている』に続き三回目の体験。
今回も結構面白かった。
ただ、色々詰め込みたかった気持ちは分かるがちょっと長い。全体的にもう少しカットして120分以内にできた気はする。特に前半の立候補するまでのあたり。
- 市長選で争いが激化して互いに殺しあうような展開を予想していた。実際は保安官フェニックスが市長を殺してその罪を黒人部下になすりつけようとする展開だった。完全犯罪サスペンスコメディみたいな展開だった。
- しかもそれからさらに進むと後半では謎のヒットマンと銃撃しながら逃げる展開になりなかなか先が読めない感じになるのが良かった。
- しかもラスト、保安官は市長にはなれたが身体がまったく動かず車椅子で要介護の体になり。介護士に風呂に運ばれる場面でチンコが映りこのスタイルの映画ならそれもいいんかと学ぶ。元妻は逃げたカルト教祖男との間に子供をもうけその映像を観てうなることしかできないという。さらに陰謀論大好きな義理母が介護してくれるものの介護士の男とイチャつかれる夜。そして濡れ着を着せられた上に殺されかけた黒人部下は(おそらく主人公を殺す為に)ずっと銃撃の訓練を続けている、というラストカット。この皮肉だらけのラストは監督のこだわりを感じた。
- 結構登場人物が多くて説明する必要があることも多いから、結構、前半、最初のほうはやっぱり長い。この街がどういう街で、市長が誰で、保安官はどれくらいのポジションかとか。コロナ禍の今どういう状況かっていう説明に時間をかけてる感じがするんだよな。それで結構時間を使ってて、だから最終的な上映時間が長くなった感じがやっぱりある。
- あの終盤の暗闇の追いかけっこで、主人公を攻撃してきた奴は、結局誰だかは示されないってことなんだよね。なんかネットでも調べてみたんですけど、やっぱり明確にされているわけではなくて。まあ、ここはまあ、ぼかされていると。で、まあ、思うにやっぱりこれは、結局どういう形であれ暴力で人を殺す奴は、何かしらの暴力の連鎖を引き起こして、自らが相手の顔が見えない暴力で追い詰められるんだよ、と。そういう話なんだな、とは思った。
- 市長対保安官の戦いが続く予想だったから、保安官がすげえ長距離から射撃の腕で、速攻で市長を打ち殺したのちょっとそんな暗殺者展開かよって笑うところで。子供もついでにぶっ殺すのもちょっと笑ったわ。市長宅からモノを盗んで落書きまでして自分以外の犯人を仕立てようとする工作のセコさ。
- バーで酒をあさっていた浮浪者まで撃ち殺してしまう保安官!あの浮浪者を殺したのは自分は単にイライラがたまったからだと思っていたが「コロナなんてねえよ!」という主張の為にコロナにかかったっぽい邪魔者を排除する意味もあったんだな。死体を川に流してこれが後半になんかの伏線になるかと思いきやならず!しかしコロナにかかっていた浮浪者と接触したことでマスクいらねえ派だった保安官がコロナにかかっちまった!という展開を作っていた。
- 奥さん女優が綺麗だと思ったけど、エマ・ストーンだとは分からなかったから、まあ、演技がうまいんだな。しかしこの妻は陰謀論好き母の影響を受けて胡散臭いカルトにハマっていく夫保安官にとっては悲しいポジションだった。
- 映画が終わってから、改めて、日本公開の際の「全てを焼き尽くす炎上スリラー」というキャッチフレーズはうまいなと思った。まあ、あの、SNSで炎上もあるけれど、主に後半の展開は物理的な炎上という意味で、うまいこと言ったなと。ゴミ箱燃やしからの黒人警官さらい燃やしから「NO PEACE」の火文字をドローン空撮までする手際の良さは面白かった。あそこら辺は映画感があった。
- あの「こっちの管轄だ」って言って、主人公を疑ってたあのふとっちょの警官は、何かの民族かと俺は勝手に思ってた。後半で逃げてる時、町の民族資料館みたいなところを通ったこともあって、市長が殺されたのが何かの先住民族の地域だったから、そこの警官が白人警官である保安官フェニックスに怒ってんのかなと思ったけど、全然そんなの関係なくて、あのふとっちょの警官は、単に正義感の強い熱心な捜査官だってだけだったらしい。終盤に攻撃してきた奴らも先住民族関連の奴らかと思った。観る人によってあの終盤の謎の暴力集団が色々な組織に見えるようにしてあるんだな。
- 最後に保安官を助けたかたちになったイケメン青年ブライアンもしょうもない野郎で。デモに参加するのも好きな女にモテたいだけでラストに保安官を助けたのも、たまたま逃げる保安官を見つけただけで、正当防衛で保安官の命を助けたかたちになりラストは他の町で彼女を作ってSNSの人気者になっちゃいました!という人生。SNSの人気者になるような奴は結局主義主張は実はどうでもよくて単に目立ちたくて運がいいだけのクソ野郎なんだぜ!という監督からのメッセージだと受け取った。
- 最後に市長になってから序盤から町民に反対されていたデータセンターが出来上がり。あれも死人が出て新市長は半身不随の中、唯一巨大資本の象徴であるデータセンターだけがしっかりと完成しました、という皮肉なんだな。しかも今後も火力発電や風力発電の計画まであり反対してた住民の声は全く届かない未来が見えるレベルの。
この映画はコロナ禍のアメリカで何があったか多少は知識があることが前提で作られている。かつ皮肉だらけで構成されている。そこを面白いと思えるといいんだけど。
個人的にはかなり面白かったんだけど、なんだかスッキリしねえ〜と思う人もいるのも分かる。
主人公の怯えまくり銃撃戦を見るに、わざとスッキリさせないことを楽しんでる監督だよね。
話がとっ散らかり過ぎて
陰謀論批判をしたいのはよくわかった。ただ、そればかりが前面にですぎて観客を置き去りにしてる。
陰謀論もいろんなのを詰め込みすぎだ。完全に消化不良。「データセンター」の件は不必要だし、そもそものマスクの件はどこにいったんだ?
大体白人が先住民から土地を奪った話とブラックライブズマターの話って関係あるか?あの抗議はいったい何を抗議してんのかわけがわからん。
構成上の一番の問題はホアキン・フェニックスと撃ち合うのが「外部勢力」という点。いや外部が入ってくるのはいいんだよ。だけど、外部勢力は煽動する役になってあくまでも街の人同士が撃ち合う展開にしないと。この手の陰謀論の嫌な点は普通の人が煽動されて残酷なことまでやっちゃう点にあるんだから。
あと前半がとにかく退屈。ここはもっと短くすべきだし、ホアキン・フェニックスをもう少し好感の持てる人物として設定すべきだ。ダメなとこもありつつ共感の持てる人物がどんどん酷い状況になって足掻く、ここが面白いんだろ、この手の話は。
細かいこと言うと奥さんのことを暴露するところ、あれは先に奥さんが家から出ていってヤケクソになってぶちまけるとしないと。あれじゃ単に嫌なやつになり観客の心はさらに離れてしまう。
ラストも冗長。死んで終わりでよかったし、少なくともあの兄ちゃんが調子に乗ってるとこで終わればよかった。キレが悪すぎる。
おもしろかった…のか!?
■ 作品情報
コロナ禍でロックダウンされた小さな町の選挙戦が大事件へと発展していく様子を描いたスリラー映画。アリ・アスター監督・脚本。アメリカ作品。主要キャストはホアキン・フェニックス、ペドロ・パスカル、エマ・ストーン、オースティン・バトラーなど。
■ ストーリー
2020年、コロナ禍でロックダウンされたニューメキシコ州の小さな町エディントンは、閉塞感と不安が充満し、住民たちの不満は頂点に達していた。マスク着用に反対する保安官ジョーと、IT企業誘致で町を立て直そうとする市長テッドは、マスクを巡って意見が対立する。ジョーはテッドに反発し、突如市長選への立候補を表明する。この選挙戦をきっかけに、町にはフェイクニュースと憎悪が渦巻き、SNSは炎上する。一方、ジョーの妻ルイーズは、カルト集団の教祖ヴァーノンの扇動動画に心を奪われ、陰謀論に傾倒していく。 町は疑念、論争、憤怒が渦巻き、暴力と陰謀が真実を覆い隠す事態へと発展し、破滅の淵へと進んでいく。
■ 感想
予告編を目にすることはなかったのですが、ホアキン・フェニックス主演ならばと劇場へ足を運びました。市長選をめぐるドタバタとした騒動を描く作品かと思っていたのですが、そんな生ぬるいものではなく、予想を裏切るまさかの展開に最後まで驚かされます。
コロナ禍で人々が疑心暗鬼になり、異なる主義主張がぶつかり合う状況から、主人公ジョーが市長に立候補するまでの流れはそれほど違和感なく、共感できる面もあります。ギスギスした人間関係が反白人至上主義運動へと発展していく様や、人々の分断を憂うジョーの心情も、理解できなくはないです。
そこに愛する妻の心が離れていく描写が重なり、ついにジョーの暴走が始まるのですが、ここからがまさに予測不能の怒涛の展開です。市長選の行方など軽く吹き飛んでしまうほどの狂乱ぶりで、もはや前半とは全く異なる作品を見ているような感覚に陥ります。それでいて、ラストは市長選の設定にきちんと答えを出しつつ、非常にシュールなオチをつけているのが印象的です。
正直なところ、おもしろかったような気もするのですが、コロナによる人々の分断、アメリカの人種差別問題、SNSの功罪、殺人事件、隠蔽工作など、テーマがとっちらかっている印象も受けます。舞台となる土地柄や社会背景に対する予備知識が不足していて深く理解できなかったため、そう感じたのかもしれません。
しかし、ホアキン・フェニックスの熱演は相変わらずすばらしく、彼が画面に映るだけでその場の空気が伝わってくるような、圧倒的な存在感があります。彼の演技を見るだけでも、この映画を鑑賞する価値は十分にあると思います。
なんだかなぁ…
重厚でエキサイティング
コロナ禍でロックダウンされた小さな田舎町で小競り合いから巻き起こる大炎上を描いたスリラー。アメリカらしい街並みや激しい銃撃シーンや爆破シーンなど重厚でエキサイティングな内容が見どころでしょうか。
2025-181
70点ぐらい。陰謀論
2020年コロナ禍のアメリカが舞台で、当時の陰謀論を絡めて話は進んでいきます。
当時すごくTwitterで盛り上がってましたよね、コロナは人工ウイルスとかQアノンとか…
僕も陰謀論にハマったクチなんで、懐かしくて熱中して観てました。
当時の陰謀論に詳しい人は、より楽しめると思う。
ディープステートだとか人口削減だとか、かなり切り込んでて、
エマ・ストーンの口から、小児性愛者という単語まで出てくる(笑)
ちなみに、エマが出てた『ラ・ラ・ランド』の主要キャストじゃない某人物は小児性愛者という噂。
今作エマ・ストーンは思ったより活躍が少なくて、ホアキン・フェニックスが主役ですね。
これ1本じゃ完結しません、続編があるみたい。
細部まで考察したいし、もう1回観たい。
いろんな部分をずっと語っていられる作品
コロナ禍の頃のアメリカ。様々な人種やルーツのある人たちが、微妙な距離を保ちながら暮らしているニューメキシコ州の、架空の田舎町エディントンが舞台。広大な乾燥した大地が広がっていて、経済的にも厳しいであろう市の状況の打破を、野心家の市長はIT企業のデータセンター誘致で図ろうと画策している。その中で、起きたコロナのロックダウンが、人々の関係に決定的な分断と対立を生み出していってしまうという話。
予告では、「選挙戦」ということが強調されていたが、それは「分断・対立」の象徴に過ぎず、アメリカという国の中で起きていることを、コンパクトにこの小さな街で起こすための仕掛けという感じだった。
映画で描かれる「分断」は、残念ながら、これからも続きそうだということを、不気味に伝えてきて、観ているこちらを「ホラーな気持ち」にさせるし、安心して感情移入できる登場人物が誰もいないので、ずっとゾワゾワする。
そういう部分で好みが分かれそう。
ただ、他者との分かり合えなさや、そもそも立っている前提が違い過ぎて、全くコミュニケーションが取れないという経験をしたことがある人にとっては、ズシーンと鈍く響く部分がある作品だと思う。
<ここからガッツリ内容に触れます>
・今作が何よりもホラーな点は、前半にも書いた通り、登場人物たち同士の間で、面と向かっているのに、まともな対話が成立していかないところ。互いに発話はしているのだが、噛み合っていかない。同じ世界に存在していながら、時折「この人は全く違う時空に生きているのでは?」と思わされるような発言が飛び交うSNS空間のようだ。
・例えば、象徴的なのは、エディントンでも起こるBLMのデモ。ジョーが叫ぶ通り、デモをここで起こすこと自体、エディントンの現実とはかけ離れているのだが、デモに参加している人の内側には「ネットで得た情報をもとにした、揺るがない正しさ」があるので、自分たちに同調しない黒人の保安官補をなじるし、デモを止めようとするジョーたちのことを、弾圧者とみなしていく。
・今作でも描かれているように、エディントンでのBLMデモのきっかけは、気になる女の子の気を引こうとした、とある少年のリポスト。ヒステリックに叫ぶ少女や少年たちに、ジョーが「授業で教わったばかりか?」といった声をかけるが、彼らの叫ぶ中身は単純な決めつけで薄っぺらい。そこに自分の人種的なアイデンティティに関わる浅い自己弁護を乗っけているだけで、とにかくお話にならないのだが、数は力となり、力には、よからぬ思惑の者たち(混乱に乗じて掠奪行為を起こす者や、プライベートジェットでやってくる白人至上主義者たち※)もすり寄ってくる。※追記:自分はそう思っていたが、アンティファという人もいるので真偽不明…
こうした一連の描き方は、リアルが、ネット空間に乗っ取られたような気持ち悪さだった。
・こうしたことの原因は、「フィルターバブル」などと散々指摘されている通りで、ネット情報は間違いなく偏るということを知識としてはわかっていても、ネット依存の状況からは抜け出せないことを、今作ではジョーの姿を通して描くし、最後にはドーンと光り輝くデータセンターを映して、その状況は今後も続いていくことを暗示して終わる。
・陰謀論にハマる母や妻を引いた目で見ていたはずのジョーも、結局ネットに頼って、選挙戦では根拠のない誹謗中傷動画を感情のままにアップし、妻を失う。
・結局、ネットはビジネスなんだということが、現職市長側の、選挙ビジネスの会社がガッチリ入り込んで作成した「家庭内不和も逆手にとった見事なプロモーション動画」との対比からも明らかだが、それすらも、暗殺という単純な暴力でひっくり返されるというのは皮肉。
・面前で対立候補から平手打ちされるという屈辱を受けたジョーが、そうした暴力に走ったきっかけも、象徴的だった。彼が先に手をかけたのは、誰にもつぶやき(ツイート)を聞いてもらえないアルコール依存症のホームレス。ジョーは、人々に話を聞いてもらえない自分の惨めさを彼に重ねて、惨めな自分を葬るように、彼を葬ったのではないかと思った。
・見えない遠くから、または暗闇から撃つ・撃たれるというのは、まさに匿名性に乗っかったSNSでの攻撃そのもの。一体誰と戦っているのか、誰に反撃すればよいのか分からずに、闇雲に機関銃をブッ放すジョーによって、とばっちりを受ける先住民のシェリフというのも、SNSの状況のカリカチュアの一つだろう。
・はっきりとは描かないが、現市長が民主党、対するジョーは銃所持肯定の共和党というニュアンスを匂わせたり、エプスタイン事件を思わせる未成年者の性的虐待からのサバイバーを名乗る教祖を登場させたり、現場に居合わせたことをきっかけにインフルエンサーになってしまったお騒がせ少年とかまで盛りだくさんだが、ちゃんと「今」を、一歩引いて描けていると思った。
・全く何も語れなくなってしまい、アイコンとして義理の母に使われるジョーと、淡々と射撃訓練を続ける黒人の保安官補の姿が心に残る。
不調和音の世界へようこそ
いつもなのだが、この監督の作品は消化不良感がどうしても付き纏う。そう観ると不調になるのだ…
出だしから裸足のホームレスの戯言を聞かされ、主人公の保安官の喋りは説得力も無くまた絶えず落ち着きも無く、そして登場人物の誰にも感情移入出来ないまま物語りは進む。当初は眠くなるような展開が続き途中から一気にトップギアに入るのだ。
その理由も原因も釈然としないまま物語りは進む。この監督は上記の事など全く気にしないのだ。あのプライベートジェットに乗っていた奴らは何者だったのか⁉︎ あのテロリスト集団なのか?エディントンは世間の有りとあらゆる不穏な空気を集め暴発する。
そして保安官の悪事も裁かれないまま話しは進む。一方で人間の裁きは無いものの監獄より辛い仕打ちを受ける。愛する人からは見放され愛さ無い人によって介護されると言う仕打ちも受け続けるのだ。それは死よりも辛い事だろう…。。まさしく恐ろしい、、、、
【追記】
最近の米国映画は皮肉屋監督達がシニカルコメディにするケースが非常に多い様に思う。コメディにしない迄も其れを謳っているケースが非常に多い。もっと映画の楽しさや素晴らしさを全面に出し感動させる作品を創って欲しい。しかし一方でハリウッドの急激な衰退も危惧されている今日この頃(ワーナーの買収問題も…)。
もはや才能の終焉を感じる!
A24作品 アリ・アスター監督の最新作
「エディントンへようこそ」を早速観ました。
本作は、コロナ禍の”パンデミック”」という現実の危機を背景に、民主主義の脆さと群衆心理の危うさを風刺的に描いてます。監督は観客に”恐怖は感染する”という現代的テーマを突きつけています。
単なるスリラーではなく、現代社会の鏡像としてのフィクション劇。エディントンの混乱を笑いながらも、自分たちの社会の姿も同様に起こる事だと感じ獲るでしょう。
---MC---
保安官ジョー役:ホアキン・フェニックスさん
ジョー妻ルイーズ役:エマ・ストーンさん
市長テッド役:ペドロ・パスカルさん
カルト集団教祖ヴァーノン役:オースティン・バトラーさん
-------------
豪華な顔ぶれですね。
良い映画に成るかと期待はしたのですが、前作”ボーはおそれている”で 意気消沈したので今作に掛けたと思いますけども そこそこ内容で終わった感じします。
中盤過ぎまで、コロナ禍マスクについての あーだ、こーだの議論や
外出せず家にいるから皆SNSやり過ぎて疑心暗鬼に成っている所は
日本でも同じだったと思います。
ですが展開は怠いし 重いし。見ていて楽しくはありません。
終盤、集会の大爆音で音楽成ってるのを一旦止めたジョ-。しかし係がまた音量を戻して・・・又止めて。そして頬を数発叩かれて、ジョ-の中で何かが切れる。
ずっと甲高い音 シュィ--------ンって音が頭の中でしてたけど、
寄った店の中で浮浪者がバーのお酒を無断で飲んで暴言吐いてる所で彼が銃で打ち抜く。 ズド---ン ・・・・・ ココから惨劇が始まる。
市長もろ共 息子も殺して、罪を仲間の保安官(黒人)に仕立てようと画策したり
もう見ててハチャメチャ。
仲間の保安官(黒人)が夜に大爆発ですっ飛んだ所から 更に見ていて面白くなってきました。銃器店から凄い武器をぶっ放して 殺し屋?と対峙する所ですね。
終盤は中々面白かったです。場面の見せ方が監督らしい、本領発揮って感じしましたが なに分話流れがそんなに面白くはない。そこだけは難点。
コロナ禍のSNS情報に皆 振り回されっぱなしで 何が真実でフェイクなのか。
その辺りを今更ですが風刺しているのが笑えます。
ちょっと公開時期がズレてて 2年程前に公開されてたら案外ウケたかなと思いますね。
今回もホアキンの下半身脱がされてて。なんで監督作は こうも見せたがるのか そこがホント聞いてみたい。(*ノωノ)
ご興味ある方は
是非 劇場へ!
チット、難しいな 求めてるものが でも 俺は最近 にわか映画ツウ だから平均点❗️
有料パンフ🈶勿論 購入。
A24の 物凄い強度の 袋 ビニールが ついてくる。
もう,どんだけ強度があるんだよ💢 ってくらい 強力ビニール
もはやA24の伝統になりつつある。
俺 最初の10分後から30分くらいほぼ寝てた😪
すごい👍誘眠作用で どんな強力な睡眠薬より効いた❗️
あと そのせいではなく コレで何を表現したいんだと思った。
『ボーはおそれている』とも違うんだよね
一応 動きはわかるわけ アクション的でもあるし
『ミッドサマー』とも違うんだよね
極めて具象的 不思議ちゃん感は無い。
有料パンフ🈶には その31ページにおいて 監督の製作意図 が要約されてます。
本作に関しては、有料パンフ🈶必須❗️と思う。有料パンフを読みこなせる精鋭たちのための作品。
でも 有料パンフ自体は非常に文字配列が読みやすい。是非購入して31ページ読んでください❗️
でも、なんだか 俺的には良くわからないのだよねぇ。
平成前半に『部屋とワイシャツ👔と私』 という歌謡曲が日本で流行ったけど
俺的には
『風邪説 と 田舎風景 と 私』だけでした。私の主観のみ残った 陰謀論と 各種運動 ITは弱かった印象が。
だって 小さめの器とはいえ 観客@5人 ポツネンと ほぼほぼ貸し切りで 自分と向き合い 映画と向き合いました。
あっ オシッコトイレ🚽3回行った。多分 本日の単独日本記録であることは相違ない😤😤😤
ホアキン・フェニックスのかわいそうシリーズw
A24製作、アリ・アスター監督、ホアキン・フェニックス主演…もうおもろいの確定なところに更に、ペドロ・パスカル、エマ・ストーン、オースティン・バトラー!こりゃ凄い!
んで、実際凄かったわけですが、もはやホアキンの独壇場といったところ。「ジョーカー」だの「ボーはおそれている」だの、可哀想な役どころがハマっていましたが、本作もまさにそれ。あれよあれよと言う間に破滅の沼にはまっていく様は観てて辛くもあり、痛快でもあります。
本作の見どころは保安官のフラストレーションゲージが溜まっていく過程と、その爆発。パーティー会場でビンタ(しかも2回w)された時に「あ、キレたな」って分かった後はもう一直線でしたね。頑張って隠蔽しようとしてましたが、雪だるま式に狂気に飲み込まれていき、もはや誰と戦っているのか、何と戦っているのかわけわからんことに。
コロナ禍がストーリーのメインかと思いきや、またしても〇〇至上主義の話。アメリカ人てホントこういうの好きよね…。皮肉を込めて扱っているのかも知れませんが、あんまりやりすぎると却って分断を煽っているように見えてしまいます。取り扱い注意なテーマです。あと、SNSの使い方に対する風刺もあったかな。
自業自得なところはあったけど、味方がいないのは本当に可哀想でした。まぁ、部下に濡れ衣着せるような奴だから仕方ないか…。でもネトラレエンドはさすがに酷すぎる…。ちなみに私はコメディとして観ました。とにかく可哀想なホアキン保安官がおもろかったです。
死に至る病
どちらかというと〝疲れる〟映画
それなりにエグい問題作なのだろう、という感じは受けるのだが、なぜか刺さってこない。
KKKだとか差別主義者に対する強烈な皮肉が効いている映画であることもよく分かるし(実はそう見せかけてまったく違うことを言っている可能性もあるのだろうか)、情報拡散は発信者や受け取る側の感性でどうにでも解釈できて、しかも強い思い込みにまで繋がることの怖さも分かる。
でも、自分にとってはそこまで止まりで、鑑賞後、時間が経ってもあまり印象が変わらない。
では、もし実際にKKKに属していたり、傾倒している人たちが見たらどう受け止めるのだろう。誰かからの影響であったり、ネット情報からの受け売りで、自分はとてつもない勘違いで差別主義者になってしまったのではないだろうか、と自分の思想を客観的に振り返ったり、懐疑的になるきっかけになるのだろうか。
日本でも今、中国に対する敵愾心のようなものを煽る風潮が強まっているが、無自覚に乗っかってしまい、「そうだそうだ、もっとやれ!」みたいに短絡的に、冷静さを失っている人が増えているような気がして、なんとなく嫌な感じの怖さを覚える。
無自覚なままでも、ある種の高揚感は快楽中枢にも影響をあたえるので、結果的に暴力的な行動を抑制できなくなることがある(小学生が始めは仲良く遊んでいるのに、興奮してきて、おもちゃの取り合いのあげく手が出てしまうことがあるのと本質的には変わらない)。
こんなふうに理屈っぽく考えなければ、テーマらしきものも浮かんてこないので、どちらかというと疲れる映画なのだと思う。
皮肉が空回り
この間見た「果てしなきスカーレット」もそうだが、センスにあぐらをかいて内容が杜撰な作品を撮る監督がいる。
●前半の人物背景や社会情勢がわかりにくい。説明もそこそこに展開していくからだ。
特にアメリカの空気感やノリを描いているので、日本人には掴みづらい。
●主人公がキレて殺人を犯すわけだが、そのバックボーンが弱すぎてピンとこない。
平凡な男が突然と狂気に走るインパクトを狙ったのだが、そこに作り手の「ほら、そうくるとは思わなかったろ?」みたいな、なんというか嫌らしい下心を感じてしまう。
まあそうなんだけど、そこにいたるまでの背景の配置が上手くない。
●アメリカ社会を皮肉るのならもっと緻密に計算された脚本が必要なはずで、今作みたいに異様な世界のゴリ押しだとまったくノレない。
全体的に空回ってスベってるとしか言えない。
「ボーはおそれている」からの本作。アリ・アスターはアメリカの細田守になるかもな。
思想と陰謀の渦、今のアメリカ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️ 7.0
民主主義は個人主義へ、個人主義は利己主義へ、利己主義はもはや一人のものでなく、共感を求め、SNSを通じて他人を巻き込んでいく。それぞれの人がそれぞれの正義を持って突き進んでいく。何が真実かも分からずに。エディントンという片田舎はアメリカ分断の縮図だ。
アメリカ人は熱く、時には過激だ。激しく変わりゆく世の中の狭間の混乱の中で、相反する思想を持つもの同志が掲げる正義の対立は常に過激的に起こっている。それは我々日本人には病的に見えるが、エディントンで起きたことは、今のアメリカでは充分に起こりえる、いや、もう起きている。保安官ジョーは、ブラック・ライヴズ・マター(BLM)は、エディントンの外で起きていると言っていた⁉️
Why Eddington is the movie America deserves in 2025? I am sorry few Japanese does understand this movie.
全179件中、81~100件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。















