「ぶっ壊れたアメリカ全部見せます、なスリラーコメディ」エディントンへようこそ つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
ぶっ壊れたアメリカ全部見せます、なスリラーコメディ
新型コロナウイルス感染症、という全人類が難題に直面させられた2000年を舞台に、「どうしてこうなった」を描き出す、割と社会派な本作。
日本とアメリカではあの時起こったことにかなりの差があるようにも思えるが、それはきっと国民性の差なのだろう。
マスクの着用を巡る対立から始まるエディントンを襲った一連の出来事の中で、「どうしてこうなった」を紐解く鍵があるとすれば、それは「自分の正義を他人にも強制する」姿勢のマズさだ。
そこに、修正第一条まで持ち出して感染対策に異議を唱え行動する強靭すぎる精神が重ね合わさり、英雄的行動が重要視される国民性も手を貸して混沌の火種が爆発するのである。
あとは実名でSNSを利用しちゃうのも意味わからんよね。これも多分国民性。
具体的な例を挙げると、まずはマスク無しで買い物をするシーンということになるだろう。マスクは苦しい、との理由でノーマスクで買い物に来る客とそれを助けるジョー、不満げな他の買い物客、マスク着用を説得する市長という構図だ。
ノーマスクの客はジョーを「英雄」と表現してSNSへ投稿。この投稿だけ見たら、ルールを守って行動している方が悪者、というあべこべな状況である。
もちろん、基礎疾患でマスク着用が難しい人はいるし、そういう人が買い物するためにはどうするか?は考えなくちゃならない。でも、ジョーの行動には「ルールを守っている側はどう感じるか」という視点が欠けている。
もう一つ、BLMに感化されて活動しているサラも中々のヤバさだ。
ジョージ・フロイド氏の事件が感受性の高いティーンエイジャーに与えた影響のデカさは分かる、サラが自分も活動したいと思うのも自由だ。だが、保安官補佐のマイケルが黒人だという理由だけで「あなたはこちらに参加するべき」というのはクレイジーな主張である。
それもまたマイケルの立場や気持ちを軽視した発言なのだ。
その集大成が同じく集会に参加していたブライアンが両親に語る「白人による支配を防ぐ」的な発言であり、「おまえはバカなのか?」と父親に言われるシーンである。
正直、「どうしてそうなる?」が連発されるので、お父さんも絶賛しちゃうんじゃないかとハラハラしたが、わりとまともなお父さんで良かった。
誤解のないように言っておくが、白人が支配する世界を望んでるわけじゃないよ?
でも黒人が権利を主張するのと同等に白人だって権利を主張して良い、という平等性が失われてるなら世界は全く良い方向に進んでないってことだろ、ということ。
一事が万事こんな感じで、極端から極端へ行動が振り切れてしまい、頑張れば頑張るほどぶっ壊れていく様が今のアメリカとめちゃくちゃ重なっていくのだ。
映画はジョーが主人公なので、壊れていくアメリカは壊れていくジョーと重なる。
感情的に壊れてくれればまだ良いのに、ジョーの壊れ方はある意味冷静で、「エディントンにコロナは無い」という持論の出発点を守ろうと感染の疑いがあるホームレスを射殺し、選挙で勝ちの目が無くなったとみて市長を狙撃し、自分は症状に苛まれてもマスクもせずにウロウロする。
ジョーだってわかっている、自分の支離滅裂さを。わざわざ検査を受けに行ったのだから。
アンティファに市長暗殺の濡れ衣を着せ、注目されることで本当にアンティファがエディントンを襲撃するくだりは、大量破壊兵器を口実に軍事行動を行って報復テロのターゲットとなったアメリカを見ているようだった。
ちょっとわかりにくかったけどね。
映画の中では実際にアンティファに襲われてるわけだけど、ほとんどずっと乱射するジョーしか映らない画面が続き、居もしないテロリストと戦っているようにも見えてくる演出が最高である。
アリ・アスターによる、壊れたアメリカのフルコースを前に、観客はこの料理をどう消化するのか?という映画だったように思えた。
結局アメリカ自身がこの宿題に答えることはできないんじゃないかな?
他人の目を気にし過ぎる国民性である日本人から言わせてもらえれば、「もっと相手のことを考えてあげれば?」「もっと慎重に行動すれば?」に落ち着くんだけど、多分無理だろうから。
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