「アリ・アスターが広げたハイコンテクストな風呂敷」エディントンへようこそ ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
アリ・アスターが広げたハイコンテクストな風呂敷
アリ・アスターにしてはコメディタッチなのが意外だったが、後味はやっぱりアリ・アスター……エンドロールで胸の中が薄灰色の雲に覆われた。
中盤まではコロナ禍のアメリカの田舎町の様子が淡々と描かれる。マスクについてのやり取りなど、日本もアメリカも大差ない。周囲の人間の描写が断片的になされるが、点と点が繋がらない段階なのでやや冗長に感じる。ホアキン演じるジョーの家庭環境には同情するが、主人公なのに今ひとつ感情移入出来ない。なんか適当に市長選に立候補して、部下に選挙活動手伝わせたりするし。
ジョーがホームレスを撃ち殺してから、ようやく気持ちが物語の波に乗った。
この物語では、現実に存在するいくつかの対立軸が描写される。コロナ禍におけるマスク。陰謀論。人種間の対立。
社会問題を映画のテーマにする場合、大抵はいずれか片方の主張に正義の色付けがなされる。ところが本作ではそういった偏りがほぼないように見えた。
監督がやりたいのはいずれかの主張に軍配を挙げたり解決策を提示したりすることではなく、対立そのものを俯瞰して滑稽なものとしてこき下ろすこと、分断を深めてゆくアメリカ社会の愚かさを浮かび上がらせ、馬鹿らしいこととして嗤うことなのかもしれないと思った。
「お約束」を避けた展開が、意外性を生むと同時にこちらをモニョらせる。
主人公のジョーは「この町にコロナはない」と言ってノーマスクを主張するが、結局感染してしまう(途中から咳をしたりコーヒーの味がわからなくなって吐き出していたりした)。殺人を犯し、その罪を部下になすりつけようとした後は、正体不明の暗殺者に追い回され瀕死の重傷を負わされる。こうした彼の受難は因果応報として描かれているのかと思いきや、ジョーは半身不随とはなるが生還し、思惑通りエディントンの市長になる(ここで、取って付けたような解決ムードの感動的な音楽が流れたのは笑った)。
彼の殺人行為は裁かれない。プエブロの捜査官がアルファベットの書き癖から彼が犯人だと見破り、ジョーの卑劣な行為への裁きを期待させるが、彼はジョーと暗殺者の撃ち合いに巻き込まれて死んでしまう。
ジョーを襲った暗殺者たちは、あまりにプロ集団過ぎてアンティファと言うには違和感を覚えたが、その正体についての明確な説明はないままだ。
唯一まともで善良な人間だったプエブロの捜査官(次点はジョーの部下2人、それ以外の登場人物は皆どこかおかしい。でもアメリカに実際いそうだから怖い)の死。ジョーは妻ルイーズをカルト教祖ヴァーノンに寝取られ、自分とのセックスを拒んでいた彼女がヴァーノンの子を宿すという屈辱を目の当たりにした。
爆発から生還したかつての部下のマイケルは暗い荒野で射撃の練習をする。もしかしたらジョーによって濡れ衣を着せられたことに勘づき、復讐の準備をしているのかもしれない。
正義が葬られ、最も身近な人間関係にさえ繕えない分断が残ったまま物語は終わる。
正直、風呂敷が畳まれていない感がある。ラストに未解決の事項を残したり顛末をボカしたりして観客に考えさせる、という手法はよくあるが、それが効果を発揮するのは匙加減次第だ。観る側の好みとの相性もあるだろうが、私にとって本作はとっ散らかったまま終わったという印象が拭えない。
人種差別、アンティファ、BLMなどアメリカの社会問題が羅列されるが、それらの要素について監督なりに紐解くことなく絡まったまま差し出されたような気分だ。このとっ散らかって何も解決してない感が近年のアメリカなんですよと言われてもそれは報道など現実の情報からわかることで、監督がその現実をどう咀嚼したかをもう少し踏み込んで見たかった。作品で描かれた社会の空気を体感しているアメリカ国民なら、また違った感想になるのかもしれないが。
俳優陣は皆素晴らしくて、ホアキンの必死な中に微かにコミカルさの漂う演技などは人間味にあふれていてとてもよかった(人を殺し出してからは全く共感出来なかったが)。演技面での満足感と脚本面での消化不良のアンバランスが悩ましい。
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