ザ・ザ・コルダのフェニキア計画のレビュー・感想・評価
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ウェス・アンダーソン監督の最新作!劇場がシュールな笑いに包まれる!
「君のフィナーレを見届けたい」
▼感想
Filmarksに招待頂きました!ありがとうございました!
ウェス・アンダーソン監督の最新作。前作「アステロイド・シティ」が難解だったから構えてたけど、今作は分かりやすいテーマになっていた。作品全体にシュールな笑いが散りばめられていて、色んなシーンで笑った!
主演のベルチオ・デル・トロ演じるザ・ザ・コルダはどこか憎めず味のある人物だった。それとひどい目にあうとちょっと笑ってしまう。スカーレット・ヨハンソンやベネディクト・カンバーバッチも存在感があった。特にカンバッチは見た目のインパクトも強烈!
セットのかわいい色づかいや章ごとにまとめられたストーリー構成、自分のウェス監督の好きな要素もちゃんと前面に出ていた。今作でウェス監督の作品がこれからも見たくなった!
▼お気に入りのシーン
ザ・ザ・コルダとヌバルおじさんの喧嘩のシーン!
このシーンはドタバタ感に笑ってしまった。笑
一段と画面から溢れかえる「情報量」と「異質さ」に眩暈を覚える
ウェス・アンダーソン監督の作品が大好物だ。毎回こちらの想像力を易々と超えてくる。あまりの異質さに「これは一体なんだ」と目が釘付けになる。それを考慮に入れても、今回は一段と異質感がハンパなく、新鮮な驚きというより、置いてけぼりをくらったような軽い眩暈を覚えた。
それはなぜだろう…。ひとつには、画面からあふれかえるゴダール作品並みの情報量のせいだろうか。各ショットにこめられた情報量はいつにも増して過密状態。たとえば、ラスト近くに至ってもなお、厨房に一見無造作に山積みされた酒瓶の1本1本が自己主張してきて視線を奪う。で、観ているこちらは、(さながら鈴木忠志の芝居のセリフみたいに)「消化不良のため、ではなく、消化過剰のためにどんどん流れて出てくる」ようなキモチに陥ってしまうのだ。
もうひとつの理由として考えられるのは、本作の劇中に天国の審判(?!)シーンが何回か挿入されることだ。厳格に様式化されたスタイルで描かれるそれは、衣装デザインなどともあいまって、「いま自分が見せられているのはセルゲイ・パラジャーノフの映画のワンシーンではないのか」と一瞬錯覚を覚えるほど。ついでに言うと、ここにはフェリーニやベルイマン作品のような宗教色も仄かに漂う。
三つめの理由としては、ベニチオ・デル・トロ演じる主人公が、過去作には類をみない悪党(?)キャラ——莫大な資産と血族を守ることに固執する傲慢不遜な男であるということだ(「悪党」という点では『犬ヶ島』の小林市長などもそうだが、主人公扱いではなかった…)。
うさん臭い大実業家であり、武器商人でもある彼が画策する「フェニキア計画」のこともあって、本作は独自の切り口によるWS版『メガロポリス』か(?!)などとヘンに気を回すも、さにあらず。見終わってみれば、これは「巨万の富を築く代償に家族を長年犠牲にしてきた男が、父娘関係を取り戻そうとする」という話だった。これはシェイクスピアの「リア王」やディケンズの「クリスマス・キャロル」などを引き合いに出すまでもなく、きわめてクラシックな文学的テーマの一つであり、今回、どストレートに古典回帰をみせたことに少々驚かされた。
四つめの理由は、本作の劇構造が、近年のウェス作品に比べて拍子抜けするくらいシンプルだったことが挙げられる。物語を幾重にも入れ子構造にするのではなく、主人公たちの行動をストレートに追っていくのだ。
その結果、前面にぐんと迫り出してきたのが、ウェス・アンダーソンの真骨頂ともいうべき表現スタイルそのものだ。尋常ではないシンメトリーな構図へのこだわり、厳格な「法則」に則ったキャメラワーク、緻密さと省略と飛躍の絶妙なコンビネーションによるストーリー展開…などがそれにあたる。
なかでも今回は、お眼鏡にかなった名作絵画やアートな調度品・小物の数々が画面を埋め尽くす——物語や登場キャラに向ける観客の関心が削がれるのも厭わずに。ふとヴィスコンティや小津安二郎作品のことが頭をよぎるくらいに…。その結果、各ショットはより重層さを増す。で、前述したように「情報量過多」の印象へとつながっていくわけだ。
ここで特筆しておきたいのは、ルノワール、マグリット、ヤン・ウェーニクス、ティルマン・リーメンシュナイダーらのホンモノの名画たちが今作のスクリーンを飾り、名優たちと拮抗してバツグンの存在感を放っているということだ(エンドロールにその詳細はクレジットされる)。
…というわけで周辺情報をダラダラ書き連ね、多彩な出演者のことまで触れる余裕がなくなってしまったが、端的に言えることは、本作がWAファンの間でも好き嫌いがハッキリと分かれそうだということ。それでも媚びることなく、これを撮り上げた監督のチカラには色んな意味で感心させられる。そしてもう一つだけ、本作は劇場のできるだけ大きなスクリーンでご覧いただくことを強くオススメしておきたい。細部まで味わい尽くすために。
自分はといえば、とても1回で消化し切れないある種の異質さ・難解さに、一層の興味を掻きたてられた。少なくとも、あと2、3回は観ずにいられない。そんなキモチにさせてくれる作品だった。
以上、試写会にて鑑賞。
父と娘の和解
政治神学的なテーマを据えた普遍的寓話
「グランド・ブタペスト・ホテル」など、シンメトリーな構図、ポップでアートな彩色でユーモアや架空の国・組織・ユニークなキャラクターの登場人物の舞台設定で人間ドラマを描いてきたウェス・アンダーソン監督。この新作では、古代フェニキア文明があった地域(現在のレバノン、シリア、イスラエル南部)を下敷きに、西側大国や資本家による中東介入、分割・占領の歴史を寓意的に描き出している。これにより、イスラエル・パレスチナをはじめとする現代の中東情勢、とりわけパレスチナ人への抑圧や西欧諸国の政治的・経済的算段を批評的に映し出しているとも解釈できるブラックユーモアな仕上がり。アンダーソン監督らしい視座で政治神学的な国家建設と契約神学を重要なテーマに据え、登場人物たちの思想的対立や倫理的ジレンマなど深みのある普遍的寓話を描いている。
架空の都市国家フェニキア1950年
武器商人の父と修道女見習いの娘
物語の舞台は1950年代、独立した複数の都市国家からなる架空の国「モダン大独立国家フェニキア」。主人公アナトール・“ザ・ザ”・コルダ(ベネチオ・デル・トロ)は兵器産業、航空産業、インフラ産業を手掛ける国際的実業家で、秘密裏の貿易も営んでいる。暴利、脱税、価格操作、賄賂など悪事の疑念の声が絶えないヨーロッパ屈指の大富豪。身辺には危険が付きまとっていた。
乗っていた自家用ジェット機爆破など6度の暗殺未遂を生き延びた“ザ・ザ”は、「モダン大独立国家フェニキア」全域に及ぶ海運・鉱山・鉄道事業の3つのインフラを整備する大規模な「フェニキア計画」に着手していた。そのプロジェクトの後継者の選定を決心をする。3人の妻とは死別。息子たちは9人いるが、修道女見習いで6年ぶりの再会となる一人娘のリーズル(ミア・スレアプレトン)を唯一の相続人にすると決めた。ただ用心深く“試用期間”を経て正式に決めると告げた。
リーズルは、周囲から“ザ・ザ”が母を殺したと聞かされ、疑念を持っていた。また父の“悪だくみで得た財産”にも嫌悪感を抱いていたが、それを資金に“大いなる善行”ができるならと思い申し出を受け入れた。“ザ・ザ”は、リーズルと家庭教師ビョルン(マイケル・セラ)を伴い、資金調達と計画推進のため大独立国家フェニキアへ向かう。
だが、“ザ・ザ”の事業を阻止するグループが市場を操作し、“ザ・ザ”膨大な資金減少に陥る。さらに刺客、裏切り者たちが次々現れ、ビジネスパートナーたちとの駆け引きや“ザ・ザ”の一族との絡み合いの中で数奇な過去まで明かされていく。“ザ・ザ”の命を狙っていたのは誰なのか、巨大プロジェクトの行へは、リーズルとは家族としての愛情と信頼関係を修復できるのか…。
映像美と寓話的演出で
政治神学的テーマに挑戦
映画中の地図には「ネブカドネザルの谷」「ソロモン海岸」「ヤロブアムの山麓」など旧約聖書に馴染みのある架空地名が並び1949年の年号が登場。48年5月はイスラエル独立に伴い第一次中東戦争が勃発。翌月、国連決議を双方が受け入れるなど幾度かの休戦を経て49年7月に停戦協定が結ばれた後の分断状況を暗に示しているのか。これらは、イスラエル建国と周辺アラブ諸国の対立開始のタイミングを想起させ、「歴史にもしもはない」一方で、西洋列強の意図的再編成を風刺的提示とも解せる。
また、アンダーソン監督の演出には現実離れした幻想的なシーンが登場するが、本作の後半では、神(ビル・マーレ―)が仲介者として登場し、宗教的対立の中で誰の解釈が正当性を有するか、と根源的問いを立てる。これはユダヤ教・イスラム教・キリスト教の聖地をめぐる争いそのものへのメタファーともいえる。“ザ・ザ”の娘リーズルが「奴隷に賃金を支払うこと」を提唱する挿話なども、パレスチナ人労働者の人権回復や基本的人権を無視した経済支配へのアンチテーゼか。いわば観る者への「帝国的理論からの解放」と「非抑圧者の人権回復」への問いが投げかけられている。
本作は、神学的政治哲学的な問いをエンターテイメントに昇華させた稀有な作品。聖書の視点からは、神の主権と人間の自由の緊張関係、共同体形成における契約の意義、個人の良心と公共善のバランス、といったテーマが深く刺さってくる。
ウェスアンダーソン好きな方におすすめ
ウェス・アンダーソン好きならマスト
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