「何を描きたいかは理解できるが韓国国民にしか心情は伝わらないのではないか?」ハルビン あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
何を描きたいかは理解できるが韓国国民にしか心情は伝わらないのではないか?
まず、本作への批判として、史実と異なる、捏造である、というものがあるがこれは言い過ぎだと思う。つまり本作はアン・ジュングンという韓国人にとっての義士の姿を通して独立運動への思いを語っていきたいという目的で制作されている。つまり個人像なり国家観なり歴史観なりを定めた上で様々な史料をつなぎあわせたフィクションであるわけでそれが許されないのならば「竜馬がいく」だって「坂の上の雲」だって否定されることになってしまう。
さて本作で注目すべきところは、ハルビンでの暗殺そのものではなくその前後にある。
最初の方で、大韓義軍が咸鏡水道に進出して日本軍と戦うところがあるが、そのような大掛かりな武力衝突は記録されていない。また劇中でムサンでの戦いがあったことも触れられているが(コン夫人の夫が戦死する)ムサンは慶尚南道なので南部で戦闘があれば当然記録が残っているはずだがそれもない。
要するに1909年の段階で朝鮮の独立を目的とした交戦集団が組織的に存在していたかどうかということである。もちろんアン・ジュングンの「大韓参謀中将」という肩書もそこに依っている。これらはアン・ジュングン自身の伝記(「獄中記」)に由来している。
そして、アン・ジュングンの処刑後に、チョ・ウジンが演ずるキム・サンヒョンに対して森中佐が接触を命ずる「キム・グ」という人物だが、この人は「金九」。1919年に上海で設立される大韓民国臨時政府の首班である。つまりアン・ジュングンをつなぎ目として独立運動が継承されていることを表現している。
だから、この映画の主題は、独立運動ないし抵抗運動が日韓併合以前の相当早い段階から民族の意思として「組織的に」始まっており、1945年に日本が連合国に敗れ韓国が独立するまで連綿と続けられたという歴史観にある。アン・ジュングンはキーマンの一人ではあるものの決して単独の活動家とかではなかった。彼はあくまで独立運動の組織の一人であったということである。
多分、韓国社会においても、アン・ジュングンはもちろん、初期の独立運動についてよく知らないという若い人が増えているのだと思う。そこを思い起こさせるための企画という意味合いが強いのだろうが、その心情は日本人としてはやはり共有できないなというのが正直なところです。
映画の他の部分については主題を伝えたいという気持ちが強すぎて、ドラマ演出にしてもモンゴルやラトヴィアでのロケ映像にしても皆、中途半端な印象を受けた。
最後に、韓国人の役者が喋る変な日本語だけど、朝鮮の人が聞くとああいうふうに聞こえるのだと思う。特に今回は軍人の会話が多いのだけど、妙に抑揚のない感じね。あれが冷淡で無慈悲な印象を与えるのでしょう。だから作り上げたいイメージとぴったりなので意図的にそうしているんだと思いますよ。
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