「一級のサスペンス映画、歴史劇として見るなら「要注意」」ハルビン 椿六十郎さんの映画レビュー(感想・評価)
一級のサスペンス映画、歴史劇として見るなら「要注意」
伊藤博文暗殺に至る「手に汗握るサスペンス」反日義兵の指導的地位に有るアン・ジュングンは、捕虜の釈放問題で仲間から嫌疑を掛けられる。その汚名を払拭するには何としても日帝の首領伊藤を撃たねばならない!しかし、仲間の中にも日帝の密偵の気配が・・・。舞台はウラジオストク、満州鉄道の車内、そして襲撃現場!裏切り者は誰か?武器の入手は出来るのか?襲撃方法は?・・・更に、義士アン・ジュングンを演じるのは、「私の名前はキム・サムスン」「シークレット・ガーデン」「アルハンブラ宮殿の思い出」なんと言っても「愛の不時着」のヒョン・ビン!何の文句が有ろうか?伊藤博文(リリー・フランキー)以外は韓国訛りの変な日本語・・・何て事は韓流ドラマでもう慣れっこ!実在しない森少佐の執拗な「アン・ジュングンはどこだ???」のリフレインが次第に心地よくなる。舞台も、美しく凍った豆満江(勿論、別の場所だろうが)、レトロ感溢れる満鉄の客車、ラトビアで撮ったロシアの町並み、そして史実ではあり得ないモンゴルの砂漠!・・・と、カメラマンの腕の見せ所も満載!
サスペンスやアクションとして見るのなら十分楽しめるが・・・但し!歴史劇として見るなら要注意で有る。砂漠のシーンだけで無く、登場人物も含めてかなりの部分でフィクションが入っている。やっぱりこれを、「伊藤博文暗殺事件」として見るのなら、しっかりと勉強する事をお勧めしたい。私も、ソウル南山にある「安重根義士記念館」(場所は何とあの「キム・サムスンの階段」を登り切った場所・・・分かる人にはワカル!)に行ったが、その「英雄視」ぶりは半端ない!昔、千円札になっていた伊藤を殺した人が、一方では義士として讃えられるには余程の理由が有ったと言うことだ。
日朝(韓)のボタンの掛け違い。遡ること、明治維新が成った直後、朝鮮と日本の間に起きた「書契問題」にそのルーツは有るのだろう。江戸時代、日本と朝鮮との関係には通信使の来訪は有ったが、直接には対馬藩が窓口となり日常的な国家間の交流は無かった。それが、明治維新を契機に正式な外交関係を持とうと日本側が文書を送ったのだが、それを受け取って貰えなかったと言う事件が「書契問題」だ。理由は、文書に「皇」の文字や「勅」の文字が有ったからだ。清国の冊封を受けていた朝鮮にとっては、この文字が使えるのは清国だけだと云う言う事だ。確かに、これを事大主義と言う事は出来るが、これが中華圏の国家存立の方法であった。更にやはり未だ朝鮮は、鎖国を解いていないと云うことも理由として挙がった。遠くない昔、砲艦外交によって国を開いた日本では、同じ方法をとってまで朝鮮を開国させようという機運が高まり「征韓論」にまで発展した。その後、江華島事件で事実上の「砲艦」による条約締結があり。その次に起こる、日清(朝鮮の脱冊封化=独立)・日露(大韓帝国の利権の所在を問う)の戦役では、朝鮮・・・後の大韓帝国を入れる事も無く、下関・ポーツマスの条約が成立するに至る。朝鮮は日本の意志によって冊封国から独立国、独立国から保護国へと変質し、常にそこには伊藤博文という存在が有ったのだ。
伊藤は、日韓協約締結時にこう言っている。
「現に韓国人未開なりといえども、之を侮辱し之を 瞞着(まんちゃく)するは、決して我が陛下の大御心にあらず、宜しく之を指導してその発達を期せざるべからず。今や列国環視の際なれば、若し之を侮辱するが如き事あらば、直ちに我が国威を失し我が国家の不利益言うべからざるものあらん。故に予は新条約の遂行に㐁巡せざりしと同時に、韓人の境遇に対して真に胸中万斛ばんこくの涙なき能はず。諸君も宜しく深く陛下の大御心の存する所を奉戴ほうたいし、能く韓人を保護し、之をして存立せしめざるべからず」
これでも何と不遜な態度と思うが、自身が統監となって弾圧をしても義兵運動は止まず、人心の掌握は出来ず、大韓帝国皇帝の高宗自らが協約の無効を世界にアピールするに至る。その後、三次協約で性懲りもなく内政への関与を深めるが、その時はこう言っている。
「要は最初に韓国の独立を承認したるは日本にして韓国人にあらず。韓国が今の如く自ら独立する能わずんば日本はその承認を取り消すに至ることあるとも、韓国は何等の異議を挟むを得ずと言うにあるなり」
「世界の大勢を見よ。いかなる強大国といえども今日は未だ一国をもって世界の太平を維持する能わず。・・・これ同盟国の必要なる所以にして、もし一衣帯水を隔つる韓国に他国の一指を染むるを許さんか、日本の独立を危うする恐れあり。日本は断じて韓国の日本に背くを許す能わざるなり。しかれども日本は非文明、非人道の働きをしてまでも韓国を滅ぼさんと欲するものにあらず。韓国の進歩は日本の大いに望む所にして、韓国はその国力を発展せしむるため勝手の行動をなして可なりといえども、ここに唯一の条件あり。曰く韓国は常に日本と提携すべしという事これなり」
伊藤は、この時点ではまだ統監としてやっいけると思っていたようだが、同時にこうも言っている。
「韓国に関する条項は本条約中に規定し、之に加うるに本野公使の稟議の如く公文を交換して、[将来の発展]なる語は[アネキゼーション]迄も包含する旨を明らかにするを最も得策なりとす」という意見を述べ、「韓国の形勢今の如くにして推移せば、年を経るに従って[アネキゼーション]は益々困難なるに至るべし。故に今日において我が意思の在る処を明らかにし、予めロシアの承諾を得置かざるべからず」
アネキゼーションとは「併合」の事である。これが伊藤の対韓国政策である。これに対して、義兵の一人として一矢報いたのがハルビンでの事件である。勿論、これを暴挙と見るか義挙と見るかは色々な考え方が有るとは思う。
最後に、伊藤の師匠にあたる吉田松陰の言葉を記しておこう
・今急いで軍備をなし、そして軍艦や大砲がほぼ備われば、北海道を開墾し、諸藩主に土地を与えて統治させ、隙に乗じてカムチャツカ、オホーツクを奪い、琉球にもよく言い聞かせて日本の諸藩主と同じように幕府に参観させるべきである。また朝鮮を攻め、古い昔のように日本に従わせ、北は満州から南は台湾・ルソンの諸島まで一手に収め、次第次第に進取の勢を示すべきである。
・朝鮮と満州はお互いに陸続きで、日本の西北に位置している。またいずれも海を隔て、しかも近くにある。そして朝鮮などは古い昔、日本に臣属していたが、今やおごり高ぶった所が出ている。何故そうなったかをくわしく調べ、もとのように臣属するよう戻す必要があろう……。
(以上「幽囚録」より)
伊藤リリーのお師匠さんの吉田松陰まで登場したので、安重根が心の中で何を考えていたのかを知るため、彼が獄中で書いた『東洋平和論』もどうぞ!
そもそも合すれば成り散ずれば敗るること、万古不変の理である。
現在の世界は東西に分かれ、人種も別々である。
相互競争は茶飯を行うがごとく、兵器研究は農商業より盛んである。
新発明たる電気砲、飛行船、潜水艇、これらはいずれも人を傷つけ、物を害する機械である。
青年を訓練し、無数の貴重な生命を戦役の場に駆り立て、いけにえのごとく棄て、血が川となり、肉が地となり、絶える日がない。
生を好み死を厭うのはみな常の情である。
(中略)
しかし、最近数百年の間に、欧州諸国は突如として道徳の心を忘れ、
日々武力をこととし、競争心を養い少しも憚ることがなくなった。
その中でもロシアはとりわけ甚だしい。
その暴行残虐は西欧東亜に及ばぬところなく、悪が満ち罪が溢れ神人を共に怒らせ、故に天は東海の小島たる日本に機会を賜い、此の如く強大な露国を、一挙に満洲大陸の上において打倒せしめた。誰がこのことを予測できただろうか。
(中略)
日露開戦の際、日皇の宣戦書には、
「東洋の平和を維持し、大韓の独立を堅固にする」と述べられていた。
此の如き大義は青天白日の光線に勝りて明らかであり、韓清の人士は智愚を問わず一致して心を同じくし、感服し従ったのである。
(中略)
ああ、何たる思いがけぬことか、勝利の凱旋の後、最も近しく親しい仁すべき弱き同種たる韓国を抑圧し、満洲長春以南を租借地と約定したゆえ、世界の人々の胸には疑念の雲が忽たちまち生じた。
日本の偉大な名声と正大な功勲は、一朝にして蛮行の露国より甚だしきものと変遷したのである。
(中略)
東洋の平和、韓国の独立という語句は、既に天下万国の人の耳目を経て、金石のごとく信ぜられ、韓清両国の人民は、これを肝胆へと刻んでいる。西勢が東へ侵入する現在の禍患に際し、東洋の人種が一致団結しての、力の限りの防御が、最上の策であろう。たとえ童子であっても理解している。しかし何故日本は此の如き追い風の中で、同種の隣国を顧みず、剥奪し、友誼を断絶し、漁夫の利を待つようなことをするのか。
(中略)
故に東洋平和の義戦はハルビンにおいて開戦し、決戦が旅順口にて定まった後、東洋平和の問題が提起された。
諸君、深く審察すべきである。