「歴史ものではなく、あくまでもスパイ活劇ものとして楽しんでください。」ハルビン レントさんの映画レビュー(感想・評価)
歴史ものではなく、あくまでもスパイ活劇ものとして楽しんでください。
本作に関しては歴史ものではなく、あくまでスパイ活劇ものとして楽しむのが正しい鑑賞法。
安重根に関してはどうしても伊藤博文との関係から興味をそそられる人物であり、またこの時代の歴史に興味があり何冊か関連本を過去には読んでいて、その中には日本人作家による素晴らしい作品から捏造された内容のものまで数多く読んでいるだけに今回の映画化にはかなり期待して鑑賞した。
しかし蓋を開けばかなり大味の作品で歴史的事実はかなり無視されて脚色された娯楽作品であることに少々落胆した。劇中はほとんどが暗殺活動を内容としたものだが伊藤暗殺は安重根がほぼ単独で行ったことで組織的犯行ではない。爆薬の調達などの事実もないはず。安が日本の捕虜を解放したのは事実だが。
この物語は日韓激動の時代のものだけに歴史的意義のある内容のものを見たかった。
撮影はとにかく素晴らしい。特に冒頭の凍結した豆満江を徒歩で渡る安重根の姿は予告編で見ていただけにいやがうえにも期待が膨らんだ。
他にも砂漠のシーンやハルビンの町を模したどこかの国で撮影された映像もすべてが一級品である。それだけに内容が伴わなかったのが残念ではある。
共に東洋の平和と祖国を想い闘った二人の志士。かたや幕末期に尊王攘夷運動において勤王の志士として活躍した伊藤博文。かたや自国の独立のために義士として命を懸けた安重根。
この二人には相通ずるものがあった。ともに自国を憂いそして自国を取り巻くアジアの平和を願うという。それが立場や民族の違いから皮肉にも互いに憎み合う関係に。
東学党の乱で義士として活躍した安重根はかねてから東アジアの中で先んじて近代化を果たし西欧列強に対抗しうる力を得た日本を支持していた。日清戦争での天皇の詔勅による朝鮮の独立確保やアジア平和という大義名分を信じていたのであろう。
しかし日露戦争後、それが詭弁だと思い知らされた彼は義兵闘争へと向かう。謳われたアジア平和は日本のための平和でしかなく朝鮮は日本の属国として取り込まれる運命でしかなかった。
日清戦争後に宗主国清から独立を果たし大韓帝国となったのもつかの間、次第に不平等条約による外交権剝奪を皮切りに保護国化が進められ韓国軍の解散にまで至り、独立国として手足をもがれていったのだ。
思えば日本が日米修好通商条約などの不平等条約に苦しめられていた構図がそのまま日韓関係で再現されることとなったのも皮肉なことではある。
ロシアによるシベリア鉄道建設で朝鮮がロシアの手に落ちれば、凍らない港を確保したロシアによる日本への脅威が危ぶまれる。当時陸軍を率いていた山縣有朋は朝鮮半島こそが日本にとっての利益線であるとの考えから何としても自国の影響力を及ぼしたかった。
自国を侵略から守るためには他国を侵略するもやむなしというのが当時の日本の戦略的方針であった。
日露戦争に乗じた日本軍駐留を利用しての恫喝による強制的な第二次日韓協約締結の不当性に異を唱えた皇帝高宗はハーグ平和会議に密使を送ったが、その訴えは帝国諸国により黙殺され、逆に激怒した伊藤が高宗を退位させその息子純宗を据えて傀儡とした。またそれ以前には日本軍の謀略による王妃閔妃暗殺事件も起きていて、朝鮮の民の日本への反発はより大きくなった。
それでも安重根は天皇を信じ、伊藤こそが天皇の意思に背く者として、彼を討つことに執念を燃やす。
伊藤さえ討てば日本は朝鮮を独立国と認めるはず、そしてアジアは日中韓すべてが協力し合う関係になり西欧列強に対抗しうる存在になれると信じていた。彼が劇中で日本人捕虜を殺さなかったのもそう信じて疑わなかったからだ。
これは彼が逮捕後、獄中で書き終えることのなかった東洋平和論に書き記されている。彼の日韓パートナーシップという思想は今の時代にも通ずるものだ。
だが日韓併合は伊藤暗殺の三か月前にすでに確定していた。安重根の思いは虚しい願いでしかなかったのだ。安には日本で伊藤の後を継いだ山縣有朋が今後の朝鮮半島を武断政治で牛耳ることになるなど思いもよらなかったであろう。
安重根は逮捕直後こう答えている。このまま伊藤の思うがまま日本による植民地支配を続けていけば朝鮮だけでなく日本もまた滅ぶだろうと。これが後に無謀な日米開戦を起こし自滅してゆく日本を予想していたとまではさすがに言えないだろうが、なんとも示唆に富んだ言葉ではある。
確かに伊藤とて、初代統監として韓国の国権を奪いはしたがそれは日本本国の意思を体現したに過ぎない。むしろ彼は最後まで朝鮮の独立に固執していた。しかし本国からは軟弱外交と非難され、最後には併合も認めることとなる。
もとはといえば長州藩の文人と知られる伊藤は武断政治の山縣有朋とは対照的な人物。彼が併合を望まなかったのは一説には朝鮮の地を愛していたのではないかとも言われている。実際に彼が朝鮮の地を想い詠んだ詩も残されている。
それだけに本作では朝鮮半島植民地支配への道筋を作り上げた先兵のような描き方をされているのが残念でならない。もちろん彼が行った行為は客観的に見ても朝鮮の人々には許しがたいものではあったが。しかし彼の複雑な立場や心境も描かれていたらなおよかった。伊藤博文も間違いなく安重根義士と同じ志を持った勤王の志士であったのだ。女好きだけがたまに傷だったが。
そしてこの安重根についてはこの暗殺を成し遂げた後にこそ、そこに見るべき物語があるのだが。すなわち、彼の逮捕後の拘留や裁判過程を通して日本側の人々との交流にこそ。
ここで日本側は彼がどれだけ的確にアジア情勢を理解していたか、そしていかに義士として誇り高い人物であったかを法廷の場で知ることとなるのである。
逮捕された安重根を取り調べた担当者は日本が今後併合を行うであろうことを彼が見抜いていたことに驚かされるのである。彼にはだまし討ちは通用しないと。三国干渉に準ずるがままに日清戦争で獲得した遼東半島を清国に返還させられた事実を上げて、日本が西欧列強に逆らい朝鮮を植民地支配するなどありえないだろうとの言葉に対しても、安はすでに西欧諸国とは話がついていると見抜いていたのだ。
なかには暗殺現場にいた伊藤の従者であった田中なる人物は当時こう証言している。この状況で正しい行為を行ったのはまちがいなく安重根であると。自分の国が侵略されたとき、どういう行動をとるか、その模範が安重根の行動であると。
純粋に国を想うその高潔な志の彼に敬意を払う日本人は少なくなかった。それがゆえに彼らは安に揮毫を求め、それが今も日本には数点が残されている。
また日本の著名人の中にも安重根を支持する人間は多い。大逆事件で天皇暗殺の罪をかぶせられた幸徳秋水など。総理経験者の石橋湛山などはこの日韓併合をあからさまに批判していた。
そして安重根が処刑される際に身に着けていた純白の朝鮮服は彼のいた監獄の日本人の所長栗原貞吉が妻に縫わせたものだという。彼は安重根に尋ねた、自分にできることはないかと。それで彼から朝鮮服を頼まれて縫わせたのだという。他にも日本人の中からは彼に対する死刑を免れさせる嘆願書がいくつも出されたという。日本の要人である伊藤を死に至らしめたる張本人たる安重根への減刑を嘆願したのがまさに日本人だったという。彼は漢文の書を幾通もこれら日本人の関係者に揮毫したという。
それだけ安重根は義士として多くの人々に感銘を与えた人物だったのである。
かつて韓国で安重根の記念館が建設されるときに時の日本の政権の官房長官である人物は安重根はテロリストであり、そのような記念館は許しがたいと発言したという。しかしえてしてテロリストという言葉は都合よくつかわれる。
侵略者にとっての反抗分子は常にこう呼ばれる。かつては南アフリカでアパルトヘイトと戦ったネルソン・マンデラもテロリストと呼ばれた。かれはイスラエルの占領政策に苦しむパレスチナ支援も訴えた。
テロリストという言葉はとても便利な言葉である。それは聞く者を思考停止にしてしまうから。テロリストイコール悪であると。
しかし間違いなく国の未来を憂いて自らの身を犠牲にするものはテロリストではなく義士というにふさわしいのだろう。
本作はそんな安重根の裁判の状況や死刑までの彼の姿を追うことなく終わりを告げるのが残念でならない。できればこの題材を扱う作品を作り直してもらいたいくらいだ。
ちなみにこの伊藤博文を暗殺したのは安重根ではないという説もいまだ有力である。やはり伊藤に随行し、自身も被弾した貴族院議員室田義文の証言によれば、伊藤の解剖に立ち会った際に銃痕が上から撃たれたものであるというのだ。肩から下脇腹へと抜けたような。これだと駅舎の二階から撃たれたということになる。
安重根以外の真犯人を思わせる証言だ。まるでJFKを思わせるような。ただいまとなってはそれを立証するのは困難だが。
こんばんは。
とても読み応えのある、勉強になるレビューでした。
レントさんのレビューで知った事も多く、又自分でも調べてみたくなっています。
特にお書きになっている拘束後の安重根のエピソードが興味深かったです。
色々考えてしまいました。。
伊藤博文は銃撃されてからも少し会話が出来ていたとのこと。
3発当たった、と言っていたらしいですね。
とても衝撃的でした。
"歴史的意義ある内容として見たかった"
そうですね。
私も思っていた内容と少し違っていましたが、それでも観て良かったと思いました。

