旅と日々のレビュー・感想・評価
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やっぱり、つげ義春は素晴らしい
漫画誌「ガロ」の全盛期を支えた、天才つげ義春の「海辺の叙景」と「ほんやら洞のべんさん」の二作品を原作として、映画化したもの。
両方の作品とも、異質の2人が出会い、だんだんコミュニケートしていく様が面白かった。だから「旅と日々」という題名をつけたんでしょう(非日常と日常)。
「海辺の叙景」では、都会から来た影のある若い女性役を、河合優実が演じた。
寒天を、天草を海で採ってきて家で作っていたことを思い出した(私の出身は和歌山の串本)。
今回ポイントの一つと思っていたラストの、女が「いい感じよ」と言う、漫画だと見開き1ページで大胆につげさんが描いたところは、残念ながらつげ漫画の圧勝だったかな(まああの絵の迫力は映像化できないでしょう)。
また、宿の主人べんさん役は堤真一だった。最後の方でべんさんがスランプの脚本家に「おめえはベラベラとよくしゃべるのう」と言ったのが、脚本家がスランプを脱出できそうで良かった。
旅行好きのつげさんらしく、大した目的もない、でも意味の多い景色がたくさん出てきて、なかなか渋い作品だった。つげさんもカメラで、風景を盛んに撮っていたらしい。(ちなみに私も旅も写真を撮るのも大好き。街道(東海道とか長崎街道など)を1日二十キロ位歩き、風景とかをパシャパシャ撮りまくる。大体8秒に1枚位。)
あえて言えば、べんさんの言葉が方言がきつく僕の耳では聞き取りづらいところがあった(そのほうが異質感が強まるんだろうけど)。
あと河合優実のビキニ姿が眩しかった。
つげ義春の2作品がもとになっているらしいが未読。 前半はうつらうつ...
つげ義春の2作品がもとになっているらしいが未読。
前半はうつらうつらしてしまった…
それくらい音と映像が心地良かったというのはあるけど、一瞬居眠りしても問題ないくらいには何も起こらない。
場面場面はすごく良かったけど、なんだか掴みどころがなくて、なんでもない時間を撮ってるようですごく非現実的というか、違和感みたいなものがずっとあった。
当たり前なんだけど、いかにも作り物を観てるなという感覚というか…私は全然入り込めてなかったということなんだろうな。
確かに旅には出たくなるし、頭を空っぽにはできた。
後半の堤真一とシム・ウンギョンの2人のやりとりはじわじわ来るおかしみがあって良かった。
あと、夜のシーンが映画館で観ても本当に真っ暗。ライターつける瞬間は好きだった。
つげ義春作品
多分、映画の時代設定も1960~1970年代なのでしょう
映画が始まって最初に驚きました。画像のサイズは3:4くらいで昔の16mmフィルム映画を見ているような感覚です(私の見た映画館だけということではないでしょう)画像も現在の4K 8Kと言った鮮明なものではなく、何となくピントの甘いフィルム映画風の画面です。若い人が見れば「新鮮な感覚」と思うのかも知れませんが、優先席に躊躇なく座れる年齢の私からすれば1960~1970年代製作の映画を見ている感じになりました。多分、映画の時代設定も1960~1970年代なのでしょう。
今の時代によくこんなレトロな映画を作ったと思います。○○映画祭では評価が高いのかも知れませんが、制作者の思い込みによる自己満足的な映画ですので、一部の映画マニアの評価だけでしょう。
今に配信で安価(もしくはCMが付くけど無料)で見ることができるようになるかと思います。それから見ても十分です。
いくら「感じる」映画だと言っても、もう少し理解したかった
序盤は、韓国人の女性が脚本を執筆する様子と、それを基にした映像作品とが交互に描かれて、ずっと、この二重構造が続くのかと思っていると、やがて、韓国人の脚本家の物語だけになる。
つげ義春の原作は知らないし、河合優実が、相変わらず「雰囲気」を出していたので、どうせなら、夏の海辺で出逢った少年と少女の物語でありながら、「孤独」を描いているというこの映像作品を、もっと観ていたかったと思ってしまった。
主人公の脚本家は、急死した評論家の形見分けでカメラを手に入れたことで、雪国へと旅に出るのだが、そこで宿泊することになった旅館がユニーク過ぎて笑ってしまう。まるで、時代劇に出てくるような古い家屋の囲炉裏端で、若い女性が、旅館の亭主と雑魚寝することなどあり得ないだろうが、文明から隔絶された古民家での宿泊体験を「売り」にすれば、案外、需要があるかもしれないと思えなくもない。
そうか、脚本家が、この旅館を舞台にした物語を書くことによって、宿泊客を呼び込む話なのかと予想していると、2人で近くの豪邸に鯉を盗みに行った挙句に、旅館の亭主が警察に捕まるという展開になって、呆気にとられてしまった。韓国人の脚本家が、どうして日本で仕事をしているのかといったことや、旅館の主人が、どうして豪邸に住んでいる元妻と別れてしまったのかといったことも、最後まで明らかになることはない。
結局、何を描きたかったのかが、さっぱり分からなかったのだが、主人公のモノローグにあったように、「言葉から逃げること」が旅の真髄であるならば、旅を描いたこの映画も、評論家が言っていたように、「考えるのではなく、五感で感じる」べきなのだろう。
そういう意味では、雨が降る海の冷たさや、雪深い山里の寒さ(俳優の息が白い!)は、確かに感じ取ることができたのだが、それでも、もう少し、物語の感想を言語化したかったと思えてならない。
圧巻の長回し
劇的なことは起こらないけど
映画内映画&トークショーが既視感
自分の書いたものに自信がない韓国人女子の脚本家が、雪深い民宿に迷い込んで、宿の主人と過ごすうちに、普通なことや常識を取っ払ったところに人生のおかしみがあると気付く映画。
映画内映画の上映会、トークショーがおもしろい。おもしろいのは、脚本家が自信ないって言ってるだけあって、よくわかんない青春ドラマの内容と、それを見せられてる学生。いつものボクらがスクリーンの中にいる。一人だけ、めちゃくちゃ刺さりました!って感動してる。
最近、トークショー付きの映画鑑賞にあたることが多いけど、よくわからない映画でもなんか納得させられてしまう。
民宿のシーンではトンチンカンな主人に笑いもおきてた。でもこの映画は、圧倒的に多かったおじさん客じゃなくて、若く悩み多きクリエイターの人が見ると、なんかほっこりできる内容かと思った。
河合優実&三宅監督は大好きですが………
セリフの少ない「静謐」な映画。見る人の感性で評価が分かれる映画です。
・つげ義春の「海辺の叙景」「ほんやら洞のべんさん」を原作に映画化した本作はロカルノ国際映画祭グランプリ受賞。「ケイコ目を澄ませて」「夜明けのすべて」に次ぐ、三宅唱監督の最新作品。
・主人公「李」(シム・ウンギョン)は仕事である脚本の執筆に行き詰まり、心機一転、雪国へ旅立つが、宿は事前予約していなかったため断られ続け、最後に残った山奥の宿に泊まることとなり、その宿の主人べん造(堤真一)との出会いと交流を通じて徐々に心を癒していくというストーリー展開になります。
・まず映像がきれいでした。河合優実登場の「海辺の叙景」の場面では河合の服装や海の「青さ」を強調、「ほんやら洞のべんさん」では雪の風景を中心にした「白さ」の美しさが映えます。
・また河合が海の中に入り、波間にゆれるシーンはカメラも一緒に揺れており、海に入った臨場感にあふれています。
・スクリーンが通常よりも横幅が狭い「スタンダードサイズ」状態で上映されており、「映像を集中して観なさい」という三宅監督の意図が感じられます。
・人物描写としては、登場人物の背景や感情表現は少なく、観客に委ねていますが、主人公「李」(シム・ウンギョン)に対する暖かいまなざしが感じられるところは、三宅監督映画に共通する特徴と言えます。
・べん造(堤真一)のコミカルな演技はどっと笑いがでておりました。
・この映画の「映像の綺麗さ」「静謐さ」「セリフの少ない演技で感性に訴える」という作りは、映画評価はおおいに分かれると思います。私は3.5とします。
五感を刺激される三宅ワールド
風の音、波の匂い、雨のしぶき、深雪の静けさ。
映画に限らず、絵画にしろ音楽にしろ、優れた芸術作品というのは、その表現方法如何を問わず、五感を刺激するものなのかもしれない。
三宅唱監督は、映画の中で五感を刺激することのできる稀有な作家だ。
私たちは、その映像世界に気持ち良く身を委ねることができる。
それが、『旅と日々』がロカルノ国際映画祭で「日本映画の最高峰」と評された所以なのだろうと思う。
シン・ウンギョンと河合優実は、本作でも感嘆する演技を見せてくれる。ちょっとした仕草や視線、台詞の間、そんな表現により、作品に引きずり込まれる。
つげ義春の世界観を表現することは、本当に難しいことだと思う。漫画だからこその描かれ方を、映画という別の媒体で表現し直すという難しさ。
三宅監督がつげ義春を描くと聞き、なるほど良い映画になりそうだな、とは思っていたけれど、本当に期待どおりだった。いや、期待以上に、新しい三宅作品を観ることができて、多幸感でいっぱいだ。感謝したい。
つげ義春の映像化は至難の業
つげ義春の漫画を映画化して成功したものがあるだろうか。
「無能の人」「リアリズムの宿」「雨の中の欲情」「ねじ式」「ゲンセンカン主人」。
評価の高い作品もあるが個人的には全て失敗に終わっていると思う。
画風とコマ割りで紡がれる表現を抜きにしての世界観だけでは、つげ義春的なものにしかならないのではないか。
原作でないオリジナルをつげ義春的アプローチでないと映画にはならないと思う。
本作もその無理がたたって三宅唱監督の良さが消えてしまっていると感じる。
個人的にあまり好みでなく、いつも違和感を感じるシム・ウンギョンが唯一つげ義春世界を体現していたのは、その違和感ゆえ漫画的な存在になっていたからだと思う。
ちょっと、イヤかなり残念な結果だ。
西村昭五郎監督、斎藤博脚本の日活ロマンポルノ「不純な関係」で、つげ作品「紅い花」にまつわる酒場シーンがあるが、映画の中でつげ義春を感じるにはこれしかないのかも知れない。
ホントに映画らしい映画を久しぶりに観たよ
つげ義春の「海辺の叙景」と「ほんやら洞のべんさん」の二つが原作。同列に並ぶものと思っていたが「海辺」の方は李(シム・ウンギョン)が脚本を書いた映画内映画という設定。冒頭に上映される「海辺の叙景」では若い男(高田万作)と若い女(河合優美)が浜辺で話したり台風が近づく海で泳いだりする。女の方は他の男女に攫われてきたニュアンスもあり、指を怪我していたりして訳ありではあるが、一切の状況説明はない。河合優美は状況で芝居する人なのでお手上げでいつもより心もとなくみえる。
「海辺の叙景」は大学の講義で上映される。蓮實重彦を連想させる教授からはじめ概ね好評ではあるのだが、納得のいかない李は旅に出る。だから映画の後半、原作で言うと「ほんやら洞」のあたる部分は映画探しの旅でもある。李は脚本家であるので、彼女にとっての映画はまず言葉である。彼女は美しい究極の表音文字であるハングルでシナリオを書く。ても彼女自身も言っているように言葉は意味を持った途端に陳腐化する。だから脚本家は言葉を次々と編み出し先に先に進まなくてはならない。その行動の形が旅ということなのだろう。ほんやら洞では、彼女は部屋の中を見て、べんさんの過去を予想する(妻や子に逃げられた中年男)、でもべんさんの行動はその予想を上回るものだった。ここにきて原作を二つ積み重ねることによって、非ドラマというか無ドラマともいうべきつげ義春の原作が、おおいなる奇譚として、つまり圧倒的に映画的なドラマとして提起される。我々は、李に仮託されていた本作の実際の脚本家三宅唱の実力を思い知ることとなる。
三宅唱の仕事は脚本だけではない。この映画はスタンダードサイズであるが、撮影深度が深く、映像に無限に続く奥行きがある。また構図が実に垢抜けており、ショット一つ一つにタメがある。
惚れ惚れする映像テクニックに巧妙な脚本、抑制の効いた役者の演技、観客の生理に合った長さ。
どこをとってもこれは映画である。最も映画らしい映画といって良い。例えば「爆弾」などと比べてみれば良い。あれは映画館で観るテレビドラマに過ぎないことがよくわかる。
間と余白の使い方が上手い印象の三宅唱監督。今回の作品はかなり静かな...
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