旅と日々のレビュー・感想・評価
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風が吹いている、言葉を求めている
2025年。三宅唱監督。①夏の終わりの島になんとなく来ている若い女は、海辺に一人でいる若い男と出会う。何気なくお互いの境遇を話し合う二人。別れが迫った日、二人は台風で荒れた海へと泳ぎ出す。②という映画の脚本を書いた女性は仕事に行き詰っている。旅に出た東北地方の雪国でようやく見つけた民宿は変わった男が1人で経営していた。仕事も進まないなか、何気ない男との話のなかで、錦鯉の養殖をしようという話になって。
①も②もつげ義春原作の物語を元にしている。二つの物語のつなぎ方がすばらしい。旅をする女性の映画(フィクション)を作った女性が実際に旅をする(現実)という構図。フィクションをなぞる現実。言葉で世界をつくりあげることと、身体で体験すること。しかも、フィクション世界のなかの人物(河合優実)も妙にリアルな身体性をもって迫ってくる。また、フィクション世界でも現実世界でも海の波、山の木々、川の流れが、常に風に吹かれて揺れており、ここにしかない物質性を表している。ひとまず、身体/物質の映画だといえるだろう。「自然」の撮り方がすばらしいってことだ。
一方で、フィクションと現実をつなぐ脚本家は言葉を求めている。脚本は書こうとして書けないが、日記のようなモノローグが語られる。その文章が的確で胸に響く。①も②も人物たちに交流が生まれるのは、なにかが起るからではなく、なにげない会話からだ。つまり、言葉/会話の映画でもある。「人間関係」の撮り方がすばらしいってことだ。
三宅監督の作品「ケイコ 目を澄ませて」でも「夜明けのすべて」でも、言葉あるいは書くことが重要なテーマになっていた。この映画もまたその系譜にあるといえるだろう。
いい映画を見た。
鯉は美味しいのだろうか
リアリズムの宿
言葉の誕生によって私達は多大な恩恵を受けてきましたが、それと引き換えにもう世界を言葉を介してではないとみれなくなってしまっています。赤ちゃんや数十万年前の人類のようにありのままに世界を見る事ができなくなっているわけですから、そう考えると恐ろしいのですが恐ろしいと思っていないで日々過ごしているのでそれはまた別の意味で恐ろしいと思います。
芸術というものは基本、この厄介な「言葉」というものを取っ払って世界をこちらに提示するというのが任務だと私は思ってます。絵も音楽も、言葉を使って作り上げる小説でさえ同じだと思います。
つげ義春の漫画の面白さを私には到底説明する事はできませんが、私「俺あの場面めっちゃ好きなんだよね」友人「めっちゃわかる俺もちょー好き」私「な、だよな」みたいな話にはなります。
主人公の女性が書きたい脚本とはまさにそういうもので、言葉の檻からどうやって逃れることができるかという事と格闘しています。孤独がテーマとか〇〇がテーマとかそんな矮小化されたものは作りたくないと思っているのです。しかし自分の脚本作品は〝それっぽい何か〟にしかなっておらず落ち込みます。
そしてあることがきっかけで彼女はカメラを手に入れます。弟の方の佐野史郎が言うように写真を撮るという行為がなんか楽しい、というのは人によってはシャッターを切る瞬間言葉から解放されているからではないかと推測します。そんな新しい武器?を持ち旅に出ます北国に。そしてあるカットで私の脳裏に国境の長いトンネル、、、という文章が反射的に浮かんでしまい言葉に支配されている事を痛感し、彼女の問題は私の問題にもなってきます。
この辺りから話は後半に入って行き、最後までいい緊張感を持ったまま本当に面白く観れました。
堤真一とのやり取りの中で主人公が自分達の経験した事をメタ的にみているという内容の事を話すると、おめえよく喋るなというような事を堤真一が言います。そのセリフが私にとってこの作品のパンチラインでした。そしてこのセリフを書ける三宅唱監督、やっぱり凄いとと今回も前作同様確認させて頂きました。尺も私には丁度良い。
これはヒーリングムービー 眠気との戦い
よかったです。
映画と関係なくて申し訳ないのですが、シム・ウンギョンさん、今話題の伊東市田久保元市長にしか見えませんでした。
暗闇を抜けたら、暗闇は電車のトンネルで線路沿いに雪に埋もれた墓(人の生活)が続く。
いいですね。
そこはかとない可笑しみが楽しい
つげ義春の「海辺の叙景」と「ほんやら洞のべんさん」を原作とする映画。
作者の分身かと思われる人物が登場する以外に共通点のないこの2作品をどうつなぐのか、
と思ったら、上手かった。
* * *
脚本家である李さん(シム・ウギョン)が
監督からの依頼で「海辺の叙景」映画化の脚本を書く、
という場面から始まり、
その映画が30分ほどで終了するとそこは
大学の映画製作にかかわる学科の授業あるいはイベントらしく、
監督と李さんが舞台で学生からの質問を受ける場面――これは意表を突かれた。
そこで李さんは学生から感想を聞かれ、
「私は才能がないなと思いました」とか言っちゃう。
脚本を書いた三宅監督がそう言わせてると思うと、なんか面白い。
実際には、その「映画内映画」の後半は、
画も台詞もまさに原作そのもので、
つげ風味満載だったんだけれど。
そして河合優美の色っぽさについての
魚沼先生(佐野史郎)の述べた感想は、
おそらく三宅監督の感想だったんだろう。
ちなみに原作の舞台は千葉県らしいが、
映画は神津島で撮ったみたい。
* * *
後半(というかメイン)の舞台は、
原作では新潟の魚沼あたり(魚沼先生という名前が原作リスペクトのしるしか)
だが、映画では山形らしい。
短編27ページの原作の本筋は変えず、
行間を膨らませた約50分もまた、とくにその間合いが、
まさしく原作の世界だった。
1967年の作品で、なおかつ
戦前の漫画(たとえば「のらくろ」)のような言い回しがしばしば出てくる原作の台詞が、
シム・ウギョンさんがしゃべると、とってもハマって聞こえたから不思議。
そして、
そこはかとない可笑しみが楽しく。
そういうわけで、
とっても楽しめたのでありました♪
自分には高尚でした。。
「ケイコ目を澄ませて」「夜明けのすべて」「新聞記者」は各々お気に入りなのですが、この作品は個人的にピンとこなくて、後半は寝てしまいました。その後週刊文春の映画評見たら、評論家各位から絶賛されており、映画賞も獲得されており、相性なんだなと思いました。前半の河合優美パートは良かったのですが、河合優美がお気に入りだからなのでしょう。
東北弁
「ケイコ目を澄ませて」「夜明けのすべて」の三宅唱監督最新作ということで
主演がシム・ウンギョン、「サニー永遠の仲間たち」高校時代のイム・ナミですよ~
「新聞記者」でも流暢な日本語を喋っていましたが、今作でも独特の存在感
話自体はドラマティックな展開はなく、淡々と進んでいき、観る人によっては退屈な話ですが…
河合優実はいつも素晴らしいのですが、個人的に目を引いたのは堤真一
後半、東北旅行に出掛けたシム・ウンギョンが宿主!?の堤真一とのアーダコーダ展開が今作の白眉
映像が暗くあまり顔がわからないなか、堤真一の東北弁(ズーズー弁)が結構ハマっていて違和感がなかったデスヨ~(エンドクレジットで堤真一だと解ったくらい)
シム・ウンギョンの日本語と堤真一の東北弁の会話がなんともいえない可笑しさで、そこだけ一人笑っていましたよ(゚∀゚)
今作地味な話ですが、映画好きには刺さる作品かと…
最後に、冬の東北の景色はどこ行ってもあまり変わらないんだな、と思った次第(あくまで東北出身者の意見)
田舎のシンプルな鍋においしい里芋2個だけ入ってたみたいな作品
2025年劇場鑑賞313本目。
エンドロール後映像無し。
ちょっと内容が薄すぎてネタバレ無しで感想書くの難しそうなので、エンドロール後情報だけ見たい方向けにネタバレ注意にせず、下の方にネタバレ感想書きます
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最初に韓国語で何やら書いていて、その通りの設定で何やら始まったので、これは劇中劇だなとは分かるんですが、内容がうっすくて、河合優実の雨の中のビキニだけエッロいなぁ、と思っていたら、その劇中劇を観ていた佐野史郎演じる評論家か何かにこれは頭使うんじゃなくてエロいのを感じる映画ですねと言うし、脚本家役のシム・ウンギョンも私は面白くないと思いましたと言うし、じゃあまぁそういうの作ろうと思って作ったんだから合ってるのか、と思いました。これがないとこの後の行動に繋がりませんから。ただ、面白いのがこの劇中劇がつげ義春の原作だと本編で言う事で、しかもこの後も別のつげ義春原作なので、つげ義春作品の中でつげ義春作品が出てくるという、メタ表現になっているのが斬新でした。まぁでもエロいのは河合優実の持つ力で(ナミビアの砂漠も悪い夏もやたらエロかった)監督の手柄はキャスティングしたことだけだからね!
後半パートはいよいよシム・ウンギョンと堤真一のパートになるのですが、なんか全部予告で見たシーンだな、という印象で、うっすい話だからか、という感じでした。それでもオチは予告にはなくて、そのオチで噴き出してしまったので、そこだけは良かったです。河合優実のビキニとこのオチがこの映画の救いですね。
自らの救いを求める物語
『ケイコ 目を澄ませて』や『夜明けのすべて』の三宅唱監督作品で、シム・ウンギョン主演というだけで、始まってから登場人物の一人が「河合優実っぽいな」と思ったらやっぱり河合優実だったというくらい事前知識を持たずに出かけてきた。
シム・ウンギョンは『サニー 永遠の仲間たち』(2011年)や『怪しい彼女』(2014年)以来目を離せなくなった女優だが、気づけば『新聞記者』(2019年)を契機に日本の映画やドラマに欠かせない存在になっていた。
その彼女が演じる脚本家の李は自らの才能に疑問を抱き始めており、自分の作品を使った大学でのワークショップの後で恩師に悩みを打ち明けたところ「旅でもしてみたら」との助言を受け、ひとり東北の山村に当てもなく出かけていき……。
大きな事件が起きるわけでもなく、ほんのちょっとした冒険があるくらいで、普段の「日々」を淡々と描きながら、その日々の中で感じる漠然としたモヤモヤを「旅」の中で解消しようとする物語でもある。
前半の劇中劇における夏の神津島の海岸シーンと、後半の冬の山形辺りの雪景色シーンの対比によって、艶かしくもどこか死の影を感じるような不安定な精神状態と、旅先で日常生活の物質世界から(そして「ことば」からも)解放され、穏やかになっていく気持ちの対比が描かれているように思える。
そんな世界観を際立たせているのが、アスペクト比が3:4で(言い換えれば、正方形に近く)になっているスクリーン・サイズで、あたかもそこで展開される情景を覗き見しているかのような錯覚を観客に与えて没入感を増幅させている。
2024年の『雨の中の慾情』に続くつげ義春原作漫画の映像化作品だが、つげ作品の不条理的な独特の世界観に半世紀の時間を超えて注目が集まるのは、やはり多くの人々が不安定な社会の中で閉塞感を感じているからなのだろうか?
たまには立ち止まり寄り道。
仕事に行き詰まり数日の旅に出る韓国人脚本家・李の話。
旅には出たものの宿泊先の予約は取っておらず、市街地のホテルは満室と断られ、市街地から少し離れる宿を紹介され向かってみるが…。
作風的にはかなり静かめな作品、李脚本家が書いた脚本を映画化し観終わった後の監督と脚本志望と関係者を交えての感想会?質疑応答?での女性脚本家志望の言葉が印象的。
“自分の書いた脚本は思った様に映像化されたか?”って質問、これって何にでも言える事だと思うけれど、思った様に映像化されてないと思う脚本家、こういうイメージで撮りたかったけど撮れなかったと思う監督さんって必ずしもいると思う。
この部分ってやはり経験知ですよね、こう撮ったらこう見えた、こう撮ったらこう見えるとか。…少し静かめな作品だけど味はあったし、泊まった宿先では共犯にされるし寝れないしで少し笑えて。
作品内の作品に出てきた渚演じた河合優実の画力、濡れた姿も魅力的で印象的だった。
疲れた人ほど刺さる映画
三宅唱監督自身がインタビューで“疲れた人ほど刺さる映画”と自画自賛していたが、“疲れている”のは監督自身と首相就任以来飛ばしまくっている高市早苗ぐらいのものではないだろうか。リベラルの台頭でワークバランスが声高に叫ばれる昨今、この映画を観るコアな層になるであろう(三宅監督と同世代の)ミレニアル世代には、あまりあてはまらないキーワードのように思えるからだ。
90分足らずでサクッと鑑賞できる尺には好感がもてるものの、なにかが物足りない。『海辺の叙景』と『ほんやら洞のべんさん』というつげ義春原作の2つの短編漫画を1本の映画にまとめているのだが、当初の構想では『蒸発』というつげの短編漫画をもう1本追加する予定だったとか。多分予算の関係で断念せざるを得なかったのだろうが、舌足らずの感はいなめない。
前半は、都会生活に疲れ帰省した青年(高田万作)と、一人旅の若い女(河合優実)とのセンチメンタルかつどこかエロティックな出会い。後半は、その劇中劇のシナリオを担当しているコリアン脚本家李(シム・ウンギョン)が仕事に行き詰まりを感じ、温泉街のはずれに位置するおんぼろ宿を訪れて執筆意欲を取り戻す、といった2部構成になっている。
強風に煽られたミニスカートからのぞく河合優実の太股がなんとも艶かしく、大雨の中海に入っていく(原作漫画では自分でデザインしたことになっている)水着姿の河合優実からは、今時のお花畑ラブロマンス映画ではまずお目にかかれない“昭和エロス”が漂っている。絡みと呼べる絡みは一切ないのだが、ばあちゃん手作りの“蜜豆”を二人してほおばり合うシーンなどは、つげ義春の確信犯的演出であろう。
うってかわって後半の“ほんやら洞”のくだりでは、明らかに場違いな宿泊客李とまったくやる気のない宿主べん造との噛み合わないトークが見処で、最後は「どうにもなんねぇこどは、どうにもなんねんだ」ですませてしまうべん造に、かえって心をホッコリさせられる李なのだ。そして本作で描かれることのなかった『蒸発』は、漫画制作に行き詰まりを感じていたつげ義春の閉塞感と現環境からの“蒸発”願望がベースになっているという。
ようするに、脚本家兼映画監督という現在の職業に行き詰まりを感じているであろう三宅唱監督の、“空っぽになりたい”願望をつげ義春の漫画に仮託させた作品なのはないか。1984年生まれの41歳映画監督がミドルクエイジ・クライシスに陥った、ということなのだろう。役者がストレスを感じない居心地のいい撮影現場に定評のある三宅唱監督だが、役者やスタッフがためこんでいたストレスを三宅監督が吸収して、逆に監督自身が疲れきってしまったのではないだろうか。三宅監督のことが、とても心配になるのである。
他人の抱えている心労やストレスなんて所詮肩代わりしてやるなんてことはできないのだから、ほっときましょうよ。“どうにもなんねぇことは、どうにもなんねぇ”精神でボチボチいきましょうや、ねえ監督。
原作のつげ義春の漫画は、大学生の時漫画雑誌「ガロ」で見て、強く引き...
原作のつげ義春の漫画は、大学生の時漫画雑誌「ガロ」で見て、強く引き付けられました
つげ義春を説明すれば、漫画では稀有な、シュールな表現で物事の本質を伝える作家でしょうか
この映画を楽しむのに、つげ義春の漫画を読んだかどうかは全く関係なく、見た人に感動を与えてくれます
山・雪・風・島・海の迫力のある映像が素晴らしいです
若い男女の初々しさに感動します
今話題の俳優河合優実のキャラクターが、演じる少女から大人になった女性にぴったりです
変わった設定で、異国で住む外国人(韓国人)を主人公に物語が進められますが、
韓国語が生で語られ、ハングルがノートに書かれることで主人公がリアルに伝わります
主演俳優の演技が素晴らしいです
山形弁って、あんなに聞き取りにくい?
脇役も素晴らしいです
警察官の男女2人の演技が滑稽で秀逸でした
妙に怖いユーモア?
私は旅が嫌いですが、そんな私でも旅に行きたくなる事は無さそうな変で楽しく怖い映画でした。映画の最初から最後まで怖くて妙に笑える場面の連続でした、土左衛門の話しから凍りついた錦鯉まで、これ笑って良いのか?ってエピソードの連発でした。エンドロール観ていて原作「つげ義春」の文字あり、それほど詳しい漫画作家ではないけど多少の知識はあり納得でした。
登場人物達が旅で訪れる夏の島や雪国の風景はとんでもなく素晴らしく圧倒されましたが、解放感は皆無でとても日本的で狭苦しくも感じました、あの遥か先に見える水平線までたった4キロメートルしか無い様に。
しかし三宅監督は間口が広いですね、こちらの間口を試される様ですわ。傑作ですわ。
旅のある人生
三宅唱監督、シム・ウンギョンというワードと予告編の河合優実のみ確認し、初日に鑑賞。
なんとなく予想できていたことだが、物語に大きな起伏はない。特別大きな出来事は起こらないし、魂のぶつかり合いがある訳でもない。
一定の波長でスタートし、そのままゴールまで突き進んだ、そんな感覚。
脚本家の紡いだ話が上映されるという、劇中劇の構図は悪くないなと思ったが、心揺さぶられる物語だったか、というとNoである。
ただ、旅に出て、一期一会の出会いや、見知らぬ風景に身を置くこと。そこで見聞きしたもの、感じたものが、自身の血肉となり、新たな自分を形作っていく、というのは分かる。良きにつけ、悪しきにつけ、旅から何かを得ることで、人生は潤っていく。
この年末はバックパック背負って出かけよう。そう思った。
作家の矜持と哀しみと可笑しさ
私は原作は未読だが、つげ義春の短編漫画「海辺の叙景」、「ほんやら洞のべんさん」を原作に撮り上げた映画。
「海辺の叙景」を上映後、脚本家の李を演じるシム・ウンギョンは学生からの質問に「私には才能がない」と答えて、自らの悩みを吐露する。
私はここで、ウディ・アレンの「スターダストメモリー」を思い出した。
「スターダストメモリー」も創作に悩む、監督の苦悩を描いており、作家やクリエイターの矜持や苦悩をシリアスにならずとも、シニカルな視点で表現されていた。
それにしても「海辺の叙景」の河合優実の存在感に圧倒する。
情欲とは違う、日常における無意識のエロティックが「海辺の叙景」には描かれており、海辺の湿った空気感と気怠さが表現されていた。
事実、観客は河合優実に釘付けになる。
そこから学生のセミナーにシーンが変わり、これが「海辺の叙景」が作品であったことに気づいた。
私は混乱した。
確信犯的な演出だったかもしれない。
「海辺の叙景」から、セミナーでの学生への質問に、「自分には才能がない」と答えるシム・ウンギョン。佐野史郎演じる関係者に宥められる。しかしこの関係者が急死。挨拶に向かうもこの関係者の弟役がまたしても佐野史郎。
双子の兄弟であった。
このシーンにも観客を簡単に理解させない、モヤモヤ感を意図的に感じさせたと感じた。
「才能」への苦悩を解消する為に旅に出るシム・ウンギョン。
そしてここからが「ほんやら洞のべんさん」
宿を予約せずに旅に出てしまい、案の定どこも満室。
やっと探してたどり着いた宿。
この宿の主人・べん造を堤真一が演じている。
この作品の前半「海辺の叙景」の導入部はわかりづらいのである。
河合優実に引っ張られたのであった。
学生のセミナーの質疑応答で私は理解した程であった。
しかし「ほんやら洞のべんさん」は自然に入っていく。旅に出るシム・ウンギョンが宿を探すシーンから「ほんやら洞のべんさん」に自然に導入されるので違和感を抱かなかった。
宿の主人・べん造を堤真一が演じているが、不思議な男であり、雪山での一人暮らしと家族との別れで一人暮らし。
ぶっきらぼうだけど繊細さを感じる食事。
静寂な雪山に佇む宿に、響くイビキ。
人や日常生活は相反する中で生きていて、矛盾の中に人間は存在する。そんなことに気づいた。
途中で子供に会うも、変わらずの親子関係であるが、抱っこだけは拒否されてしまう。
可笑しさと哀しみは表裏一体である。
全編通して鑑賞すると、この作品は実験的作品とも言え、不思議な時間を過ごした感がある。
そしてこの実験的作品が洗練され、新たな世界を見出した時、世間はどのように評価するのか。
その時代を待ちたい。
つげ義春ワールド 的な 何も起・・・・普通感はなかなか良い。
つげ義春さん映画は 『無能の人 竹中直人監督』以来だけれども
図書館で漫画全集借りたし 一部コミック購入した 独特の世界観がたまらない。『ねじ式』の漫画は最高ですね。
そんな つげ義春さんが ご存命で 数々の勲章的な受賞 旭日なんやら賞 とか存じ上げず。
もう雰囲気がいいんだよね つげ義春さんの漫画。俺は大好き❤ 自然体 日常。
ただし 俺は高度成長期生まれだから つげ義春さん現役世代では無い。
本作は なかなか つげ義春ワールドで良い。
何にも起こら無いカモ🦆な ただ その 心象というか情景を味わう作品カモ🦆スクリーンで味わって‼️
有料パンフ🈶は有能で満点💯完読
そこで『ホテルのインバウンド』的なヒントが出てて 開眼。
スマホも📱その他もいろいろ無いけれども つげ義春さんの1960を現代にしてるかもな
① 宿屋というか民家
②お風呂どうする
③女性が一人で❓
とか 邪念は払いなさい。作品に集中するのです 命令口調ですまん。
ちなみに前の列のカップル👭は、明るくなった後
『宿泊料どうするの いくらくらい❓』
って語ってました
少なくとも PayPay クレカ💳は使えないカモなぁ。スクリーンで確認を。
でもねぇ テレビで 『ぶらり途中下車の旅』とかやってるけども
人間 なかなか ぶらり途中下車 無計画は 実行できません そういう意味でファンタジー&自然体
韓国の女優さん主人公は 大健闘。日韓 韓日親善❗️
でも 堤真一さんが素晴らしい👍
あっ 有料パンフにロケ地マップ 海🌊&雪❄️☃️乗ってます。
でもね 俺的に最高に良かったのは 少女の河合優実さんの 生々しい😍無機質な エロス😍でした。
不思議ちゃん作品 是非スクリーンで確認して❗️
可笑しみがじわる、美しく静かな作品
久々に満員に近い入りで、単館系映画を観る。シャンテシネの背の低い椅子は、周りの観客の挙動が視界に入るのだった。最初はいちいち目についたが、途中から集中できて気にならなくなる。自分が慣れたのか、俳優さんの演技の力か、物語の力か。
つげ原作ということで、難解かもと覚悟して鑑賞したが、シュールな表現はなくただ淡々と具現化された映像。
冬のパートはセリフをかみしめると、いろいろ想像が広がる。
「いっぺ、お客さま来てもらえる」 宿の主人は世捨て人ではないのか。経済的に潤いたい気持ちはあるのね。でも他力本願か。
「背、伸びたか?」 まあまあ頻繁に顔は合わせてるのね。ということは、ちょいちょいこの家に来てるの?
「お庭」 元妻。元夫とはだいぶ離れた環境にいるセリフ。
「すごい熱」 本当に? 本当なら警察が病院に連れて行ってくれる関係性って近いね。本当じゃないなら、やんわりと署に連行する口実か?
などと想像しつつの89分。
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