旅と日々のレビュー・感想・評価
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タイトルなし(ネタバレ)
シムウンギョンさんの居方が与えられた動作をしているように見えてあまり好きではなかった。
こう見えるでしょ?という意思を感じてしまった
あまり好みではないんだとも思う
それにより
作り手の韓国映画の憧れさえ感じてしまったのだから
いくつかの映画を見たようなまとまりのない冒頭
それは人の脳内に似ているようにも感じた
河合優実さん素敵だけど
スタンダードだったため、想像ができてしまって
その感じは少し見飽きたようにも思う
もっと違うの見たかった
ただ、テイストはすごく好きだ
堤真一さんはいいなぁ、、、、
ただ生活をし生きている感じが
なしてここさ来たの?
不思議に引き込まれる
開始10分ぐらいでこれはまずい、寝てしまうかもと思った。
環境映画か?みたいな。
でも段々と引き込まれていく。
不思議な魅力のある映画。
起承転結は無い。
これといった大きな事件も起こらない。
ほぼ何も起こらない。
しかしシム・ウンギョンさんがとてもいい。
彼女がそこに座っていてセリフを言うだけで、何故か映画になる。
素晴らしい女優さんだと思う。
生きてそこにいる人、という感じがするのだ。
映画はエンターテイメントだったり芸術作品だったり、常にそのどちらかに比重が偏るような気がするが、これはそのどちらでもなくでも映画は成り立つという映画(語彙力・・・すみません)。
観て損はないと思う。
ちなみに、キャストも知らずに観に行ったので宿屋のオヤジさんが堤真一さんだと多分残り30分ぐらいになるまでわかりませんでした😅
夜な夜な
「ケイコ 目を澄ませて」「夜明けのすべて」の三宅監督というところに注目して鑑賞。
コンパクトな尺も良いねと思いながら観ましたが、まさかここが落とし穴になるとは…。
序盤からめちゃくちゃ間を取っていたのでこれは苦手なタイプだ…と早々に苦手意識を持ち、2つの原作を組み合わせて1本の作品になっている割には前半と後半で全く違うものになっているのも悪い意味でギャップがありました。
前半パートは脚本家の描く物語が映像になっており、風景はとっても綺麗なんですが、セリフ量の圧倒的な少なさと河合優実さんの歩く様子を淡々と見せられる河合さん頼りな演出になっていてまずさを確信しました。
脚本家の描くストーリーの殴り書きの途中なので、起承転結を求めるのは酷ではあるんですが、変わり映えしなさすぎてちょっとウトウト。
後半パートでは筆が進まない脚本家が雪山の温泉街へ向かうカンヅメを求めにいく話ではあるんですが、アポなしで温泉宿取れるわけないだろうというツッコミは置き去りにするかの如く、変わり者の宿主との素っ頓狂なコメディが始まるのですがこれが自分とは合わなかったです。
方言が何言ってるか分からないのはまぁ良いとして、掛け合いの平坦さが全く好みではなく、その後の展開も犯罪一歩手前の行動をしておきながら放りっぱなしでエンドロールへ向かっていくので、この旅の中で脚本家は何を得れたのか、そもそも旅していたのか?と疑問に思いっぱなしでモヤモヤしました。
警察周りもなんだかファンタジーでのめり込めず。
あといびきがリアルすぎてゾワゾワしました。せめて2〜3回くらいで終わらせて欲しかった…。
堤さんが出てるという情報を知らなければ分からないくらい田舎の人に溶け込んでいるので、それは大収穫だったなと思いました。
評価は割れてるのでピンかパーかなとは思いましたがここまでパーとは。
三宅監督の次回作はどうなるのか、予測不能です。
鑑賞日 11/8
鑑賞時間 17:05〜18:55
なんだかよく分からない、でも観て良かったと思える作品
面白かったぁ〜!
夏バージョンの劇中劇の旅先の海辺のシーンは、
どこか、日本の純文学のような、
昭和初期の作品のような⋯
また、現実世界でも、
人との出会いと別れを描くことで、寂しさと温かさを感じる
少しノスタルジックな雰囲気に胸がジンワリしました。
逆に、雪深い山村のシーン、
雪の白に覆われた色彩の少ない画面は、モノクロ映画のようで、
韓国語のセリフの字幕具合が、どこかフランス映画のようで⋯
とても好みの雰囲気でした。
また、宿屋でのシーンは、
真面目に生きている中に、ユーモアの欠片が散らばってて⋯
カチカチの黄金に輝く錦鯉、まさにそれ!で、かなりツボりました!!
思い出しても、笑ってしまう⋯。
雨の海や、雪深い山村や、映像は寒そうなのに、
心は温かくなるホッコリ作品でしたー。
わたしは、大好きです!
ひとり旅に出かけたくなりました。
補足1
つげ義春さんの漫画へのリスペクトから出来上がったと、
鑑賞後にパンフレットを読んで知りまして、
俄然、漫画を読んでみたくなりました。
補足2
雨の海で泳ぐ河合優実さんと、髙田万作さんの唇も、
宿屋で話す堤真一さんと、シム・ウンギョンさんの吐く息の白さも
とにかく本当に寒そうで、俳優さんって、たいへんねーと思ったりもしました。
味わい深い
映画館がとても寒くて、映画の中も寒々しい。これから訪れるだろう冬を思わせて切ない気持ちになる。夏は夏で暑すぎるし、冬は寒くてつらい。その上今年は雪が深そうで、げんなりする。
劇中劇の河合優美の海水浴も寒そうだ。本当に夏に撮影したのだろうか。
たどり着いた民宿がとんでもなくて、客間がない。つげ義春の原作がそうだったのだろうけど、断熱材など当然なくて、板塀と障子のすぐ外が雪だ。お風呂はどうしていたのだろう。五右衛門風呂だろうか。布団もきれいじゃなさそうだ。魚料理はおいしそう。宿賃はいくらだったのだろうか。そういうものであるとして覚悟して泊まる必要がある。
おじさんに子どもがいて、しかも近くに住んでいて険悪な関係ではないことに、なんだか安心する。
おじさんはその宿を舞台にした映画を作ったら客が殺到すると夢を語る。しかし客が殺到したら対応できないだろう。人を雇ったり増築したりするつもりなのだろうか。クレームも増えて心を病むことだろう。
外国人感覚
三宅監督の変化球に脱帽。この手があったのか。
三宅唱監督作品はケイコ目を澄ませて、夜明けのすべてに続いて3作品目。
今回はつげ義春の原作を映画化したとのことでどうなるかと観たが、なるほどこの手があったのかと唸らされた。
ケイコ目を澄ませて、夜明けのすべての三宅唱監督のイメージで観ると面喰らう。
雪、田舎、旅館、と明日にでも旅に行きたいと思わせる内容で情景が目に浮かんだ。
さすが、三宅唱監督。見事。
どこかホン・サンス風かと思わせた。
ただ、ケイコ目を澄ませて、夜明けのすべてをきっかけに三宅監督のファンになった方からすれば戸惑うかもしれない。
ザ・インバウンド映画
僕はこういう映画が一番嫌い。
映像美と役者の演技だけで、あと日常を描きました、だけでほんと中身がない。
現に感想はそればっか。あとはエロチックか。映画の中でエロチックって自分で
言っちゃってるし。
日常を淡々と描くことは悪いことじゃない。ただ、あの宿、本当に堤さんが日々一人で
暮らしてるんですかね。朝何時に起きて、何をしてどう毎日やっているか
考えたんですかね。あの脚本家は、本当にスランプで苦悩してるんですかね?
日本にわざわざやってきて、なんで脚本家になって、どんな仕事をしてきて、
忍者の脚本ってどんなのかとかちゃんと考えたんですかね?
生活感があるっぽい感じにしているだけで、その人を感じさせる描写や小道具、演出が
なさすぎる。挙句に、ほとんどセリフで語っちゃってる。酷いのは、田舎のおじさんとの
会話があんなにスムーズに行くのは、単なる作り手のエゴだ。テーマはなに?って聞く?
キャラクターが全然作り込まれてない。そもそもカメラの意味はなんだった?
何度も席を立とうと思ったけど、そういうことは一度もしたことがないのでやめました。
外国の方は、日本の風景、生活、素晴らしいって思うかもしれないが、日本人からしたら
薄っぺらさがものすごく鼻につく映画でした。
王様の耳はロバの耳。僕はちゃんと言いたい。
日常に潜むユーモアは、真剣に人々の間を埋める緩衝材なのかもしれません
2025.11.11 一部字幕 イオンシネマ京都桂川
2025年の日本映画(89分、 G)
原作はつげ義春の漫画『海辺の叙景』『ほんやら洞のべんさん』
行き詰まった脚本家が言葉から遠い世界に旅をする様子を描いたヒューマンコメディ
監督&脚本は三宅唱
物語の舞台は、都内某所
つげ義春の漫画『海辺の叙景』の実写化に挑んだ脚本家の李(シム・ウンギョン)は、その上映会が行われる大学にて、学生たちと一緒に完成した作品を観ていた
その後、映画監督(松浦慎一郎)とともに質疑応答のために登壇することになった李だったが、魚沼教授(佐野史郎)や学生たち(安光隆太郎、トロツキー・マックレンドン、嶋貫妃夏)の質問を受けて、「自分には才能がないな」とこぼしてしまった
劇中映画は、ある夏の日に人気の少ない島に辿り着いた女・渚(河合優実)と青年・夏男(髙田万作)を描いた作品で、教授は「エロティックでセクシー」と評し、学生からは「わからない」と言われてしまっていた
その後、教授と話すことになった李は、そこで旅に出たら良いと言われてしまう
李は韓国をルーツに持ち日本で生活してきたが、徐々に言葉を覚えていくたびに、不思議だと思えていた日常に閉塞感を感じていた
今では「言葉に追いかけられている」という感覚があって、「言葉から遠いところ」という漠然としたイメージを持つようになっていたのである
映画の後半では、言葉に追いかけられていた李と、言葉足らずの宿屋の主人・べん造(堤真一)との交流を描いていく
劇中映画が嵐の夏で、現実は大雪の冬という構図になっていて、彼女は寡黙な世界では多弁な存在だった
あれだけ言葉から遠いところを渇望していたのに、今度は自分が言葉で相手を追い詰めている
そんな感覚の中、李はべん造が抱える悲しみにふれ、また事件に巻き込まれてしまうのである
劇中映画に限らず、執筆した脚本のテーマを言葉にできない李が描かれ、彼女は数々の言葉によって日常が退屈になっていた人物だった
それでも、個々の事象を言葉で定義できても、一連の繋がりとか、言葉が映像になった瞬間に起きることなどを言語化できていない
それは「韓国語ではできているけど日本語ではまだできない」のかはわからない感じだが、おそらくは韓国語でも無理なんだと思う
そう言った資質がありつつも言葉に追いかけられているという表現を使うのは、ある種の言葉にしなければダメだという職業的な強迫観念なのだろう
映画では、べん造が作品の定義を語るのだが、そこには「人間の悲しみとユーモア」という言葉が登場する
物語には必要な要素であるとべん造は言うのだが、李にはいまいちスッと入ってこない言葉だった
だが、映画の後半は「この言葉を映像にした」という感じになっていて、ある意味、映画の後半で物語の主人公の悩みを解決している、というふうにも思えるのである
いずれにせよ、かなりゆるいテンポの作品で、特に劇中映画はそれを意識しているのかかなりゆったりした内容になっていた
前半の動きがあるのに遅いというのと、後半の動きがあまりないのに速いという感覚が交差して不思議な感覚の映画だったと思う
劇中映画の教授の感想に共感する人も多いと思うのだが、女性が書いた脚本を男性が映像化するという構図があの感想を生み出しているように思える
このあたりの感覚の妙とか、言葉を捉えて映像にする能力というのは個々の観念によると思うのだが、それを共有するのはとても難しいことだと思う
それは言葉をたくさん知っているからできるということではなく、相手が持っている言葉に対するイメージをいかに想像できるかなのだろう
映像を観て言葉に起こすと人それぞれであるのと同様に、その逆も然りということで、それでも人のコミュニケーションは成り立つというところが面白い
後半はおそらく無音にしても面白さが伝わる内容になっているので、映像から想像を発揮して物語を補完できる能力というのは、人に備わっている特別な能力なのかな、と感じた
70点。上手く表現できてると思う。
昔のことだけど、ライブハウスで働いていたロック好きの先輩に『ねじ式』を教えられ、つげ義春の作品集を買ったので原作の漫画は読んでいます。
本作のベースになっているのは『海辺の叙景』と『ほんやら洞のべんさん』という短編です。
原作は2つとも短く別々の話なので、別々の話が2話入ってるのかなと思ってたら、上手く1つにまとめてあってアレンジで膨らませてあります。
『ほんやら洞のべんさん』に出てくる主人公は日本人の男性で漫画家だったけど、アレンジで韓国人の女性で脚本家になってます。
その脚本家が書いた物語が、原作だと『海辺の叙景』にあたる話で、劇中劇という形になってます。
この『海辺の叙景』パートには河合優実さんが出てますが、彼女の気だるそうなアンニュイな感じが作品に合ってて、とても良かった。
主人公の脚本家を演じるのは韓国の女優シム・ウンギョンで、監督の大ファンだった彼女が、作品に出たいと言ったらしく、それが実現したとのこと。
つげ義春に韓国?と思わないこともなかったけど、邦画が好きじゃない自分が、海外の人が出てるから観てみようとなった、本作を観たキッカケでもあります。
予想してたより良くて、昭和感みなぎる原作の世界観を上手く表現できてると思うし、なつかしい日本の原風景みたいな美しい画がホント素晴らしい♪
終わり方も終わりの画も良かった。
昭和を生きた人には特に響くと思う、郷愁に胸を打たれる映画です。
もう1回観ます♪
コントラストの可能性
日本に住んでいる韓国人の若い女性脚本家が、ノートに鉛筆で、脚本を書いているシーン。あまり筆はノっておらず、苦しみ、迷いながら書き進める。次第にノートの文字と、描かれた映像が往復してゆき。
夏の浜辺。初対面の20代前半の男女が、海を眺めながら、他愛もない話をする。なにか意味ありげな自然風景の映像がたびたび挟まる。一日共にし、互いが自然と、明日も海に来る流れを感じ取る。翌日。台風が接近し、大雨のなか二人は浜辺で出会う。男女は大雨でズブ濡れになった服を脱ぎ捨て、大荒れの海へ飛び込む。
その映像を観ている学生の後ろ姿が映る。上映後、監督と脚本家の女性が登壇し、学生からの質問を受ける。しかし、質問にうまく答えられない。彼女は自信を失っていた。講演後、女性は教授に脚本が書けないことを打ち明けると、教授に「仕事は適当でいい。旅に行ってみては。」と言われ、背中を押された。直後、教授は亡くなる。その後、教授の家を訪れた脚本家は、生前教授が集めていたカメラを一つ受け取り、生前の言葉を胸に、旅に出る。
冬の田舎。大雪の山間部。宿を予約せずに来てしまったため、山奥の宿に泊まることになる。そこは宿というよりも民家のようで、中年男が一人で暮らしていた。宿の男と、脚本家の女性の数日間の共同生活。男に脚本家であることを伝えると、二人で新しい物語を考える。日々、何をするわけでもなく時間だけが過ぎてゆく。ある晩、男は「裏の池にいる錦鯉を見に行こう」と、女性を連れ出す。
というような、あらすじである。とても不思議な映画。というのが率直な感想だが、それだけではあまりにももったいない。
冒頭のシーンから印象的である。脚本家が文章を書くと、次のそのシーンの映像が流れる。それを何度か繰り返し、導入とする演出は今まで見た事がない。フィクションの中のフィクションのような。多次元空間のような。この構造が所々に現れる。これがクセになり、この映画の魅力の一つである。
その導入からつづく前半部は、明らかにフランス映画を意識した考えさせる描写が続く。男女の他愛もない話は、他愛もないはずなのに、どこか意味ありげに引っかかり、残り続ける。小舟で漁に出ると、赤子を抱いた女性の死体が引き上げられた。女性は白くなり、鼻や口には藻が詰まっている。死体が引き上げられたところは、タコの棲み家で、タコに食い荒らされて赤子は白骨化した。という話や、ここから見える地平線は何キロ先にあるか。という話。そんな中、海や山、様々な動植物の映像や、そこに住んでいた住民の生活風景のモノクロ写真がたびたび挟まる。その他にも解けない謎がいくつかある。なぜ、少女の左手の中指に、包帯が巻かれていたのか。少女の母親らしき女性が外国人だが、少女からはそのような節は感じられない。夢の中と現実の境のような、よくわからない世界が続く。
しかし、このよくわからない世界は、ある一瞬で現実に引き戻される。それは、映像を観ている学生の後ろ姿が映るシーンである。ここで、ハッとさせられる。映像を観ている人を観ているのである。これが先ほど書いた、フィクションの中のフィクションのような構造と重なる。なんとも不思議な、気持ち悪い感覚に陥る。そして、上映が終わった後のシーン。教授がまず感想を伝える。「難しそうで、エロティシズムを感じた。」と。結局、このエロティシズムとは、単に服を脱ぎ捨てた女性の水着姿であり、それ以上でもそれ以下でもない。非常に薄い感想で、フランス映画を見た、多くの人が抱く感想と重なる。きっとこのような感想が、脚本家の女性のスランプに拍車をかけたのだろう。
対して、後半部は実にわかりやすく、日本の大衆映画のような作りになっている。上映中に、何度も客席から笑い声が聞こえてきた。それが何よりの証拠である。前半部を夢の中のような世界とするならば、後半部は、現実の世界と言えるだろう。
私が、この映画の最も重要だと思った点に、コントラストがある。それは様々に形態を変えて現れる。わかりやすいところで言えば、前半部と後半部のコントラストである。夏と冬。海と山。夢の中と現実。フランス映画と日本映画。そしてこのコントラストは、脚本家の女性の心理描写や心、気持ちの変化を如実に表現しており、実に効果的である。前半部は、夢の中のような、ぼんやりとした世界。雲に覆われ、どんよりとした空。台風や大雨。このような描写から、自分を見失い、スランプに陥っていた女性を、表しているのではないだろうか。対して後半部は、常に一面の銀世界。そして、女性は常に黒い服を身にまとう。黒い服単体では、悲観的に考えてしまうかもしれないが、白と黒はコントラストの中でも最上級である。旅を通じて、自分を再び見つけ、脚本に向き合う女性を、表しているのではないだろうか。このように、いくつものコントラストが様々な方向に絡みあって、映画を形作っている。
この映画で最も評価できる点は、とっつきづらいフランス映画を、その体裁を保ちつつ、日本映画と組み合わせることで、とっつきやすいものにした事である。相対すものを並べることによって、単体では感じ取ることの難しい空気感や雰囲気といった、より、その本質に近い、深い部分について感じ取りやすくなる。この技法は後にも先にもこの映画だけなのかもしれない。
じわじわ生きている喜びを感じる。
これって月山だよね…
夏の神津島のパートは、脚本家の行き詰まりを描くには
どうしても必要だった。
河合優実の華奢なのに豊満なビキニ姿とタラコ唇にあてられた、
自称世界一不幸な男性は大雨の海に死んだにちがいない(たぶん)
そして、この作品をセクシーと評価した恩師(たぶん)の死を目の当たりにした脚本家は、
死人が赴く山といわれる冬の月山(たぶん)にふらりと旅にでてしまう。
これは森敦の小説月山がベースになってるよね。最近読んだから、ピンときた。
ただ、直感的に思ったことなので、正解かどうかは分からない。
だが、この映画に正解があるとはおもえない。
個人個人が好きなように解釈すればいいように思った。
でも、不思議に癒されたというか、肩の悪霊が祓われたというか、
なんか変な感じで、すこし、心が上向いたから☆4つ
前後半を別作品で見てみたい
前半の劇中劇が素敵です。うーまたしても河合優実さん(誉め言葉です、念の為)と思いつつ気持ちよく見入ってしまいます。できることならここだけで一本にしてほしかった。
かといって後半が劣っているわけでもなく、途中ややだるい展開もありますが、宿とその主人(途中まで気づかなかった堤さん)が登場してからはコントのような展開も挟みつつ、まあいろいろあるけど頑張ろうと素直に思えました。こちらだけで一本でも全く問題ないです、両方見に行きます。それにしてもあの宿はいつの時代想定なんだろうな。原作(未読だけど1967,8年の発表らしい)の頃ならまああっても不思議ではない、くらいかもしれない。ただ作品全体の雰囲気は、多少古さをのぞかせるもののそんなに現代と遠くかけ離れた感じは無いのだけれど。
一方で気になったこと。両方いいと思う一方で、じゃあなんでこのセットで一本なの?というのが最後まですっきりしなかった。母国語でない言語で仕事する脚本家というのも違和感を感じた。シム・ウンギョン演じる脚本家が微妙なつたなさを残した日本語で宿の主人と嚙み合わない会話を続けるのはとても印象的なのだが。
夢の中を、たゆたうさかな。
人間の悲しみとユーモアを噛み締めました
スタンダードの画角の中で展開される映像とパフォーンマンスは非常に素晴らしくて、例えストーリーが地味で派手さもなくて面白くないように見えたとしても、自分は好きな作品です。
確かに前半のつげワールドパート?のところはかなりきつかったけど、それを眺めるウンギョンさんからちょっと面白くて、その後の様々なやりとりが実に面白いと自分は思います。その最たるは佐野さんと堤さんで、ウンギョンさん含めこの3人が素晴らしかったです。
へー旅好きなんだーと思ってからは結構笑いっぱなしでした。旅好きらしからぬ数々に─そしてその目的が崩壊して─やっぱめっちゃオモロいです。
さぁこれからと思った途端に終わってしまったという印象だったので少し残念でした。もう少し長くても、自分は、大丈夫でしたけど・・・まぁねー
全204件中、101~120件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。













