旅と日々のレビュー・感想・評価
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この監督だから、という期待を持って
観たい映画を選ぶ基準の中で、監督をあげられる方は多いと思う 三宅監督というだけで期待値は上がるし、海外の映画祭での評価を聞けば、なおさら注目度はあがる
原作があれば、その原作のファンやイメージに作る側も観る側にも「期待」が高まる
もちろん評価や興行成績に迎合して欲しくない、という監督ファンの方は多いであろう
しかし本作、11月2つのまったく異なる話をつなげることで、本来なら生じる「矛盾」が昇華されていたと思う
脚本家の人生観、彼女を取り巻いている人々が彼女に及ぼした影響、他人の人生ではあるのだけれど、観ている者に「他人事」で終わらせないものがあるようにも思う
佐野さんや堤さんの安定感、こういった映画で存在感のある足立智充さんもよかった
(11月13日 イオンシネマシアタス心斎橋にて鑑賞)
うーん
映画に求めるもの
それによって評価が分かれる作品だと思います。
今ヒットしてる多くの映画に共通する派手なアクションや映像音響表現などがある訳でもなく、恋愛要素や世界の命運を分けるようなストーリー展開がある訳でもない、ある意味非常に地味な作品だからです。
言ってしまえば文芸作品という枠に入ると思いますが、それもちょっと違和感があります。
なぜなら個人的にはこの映画、ユーモアに溢れていて終始退屈することなく主人公であるシム・ウンギョンさん演じる脚本家と少し不思議な旅をしている気分に心地よく浸ることができたからです。
劇中劇に出演している河合優実さんも非常に魅力的で、独立した作品として観たくなるような印象的なセンテンスとなっています。
監督の前作が夜明けの全てという人気作なだけに、趣が異なる本作は評価が上がりにくい気がしますが私はこういう作品も好きだし観てよかったと心から思いました。
意識していないだけで、日常にはこんなに素敵な景色、音があるんだと思...
意識していないだけで、日常にはこんなに素敵な景色、音があるんだと思った。いつもはイヤホンつけて、スマホで道を調べながら歩くけど、この映画を見た帰り道は、そんな邪魔なもの身に付けず、歩いた。
また見たくなる気がする。もっと大人になったら解釈が変わってきそう。
もっとずっと見ていたかった
これは面白かった。かなり好きな映画だ。
観終わって、おだやかなものに満たされ、少しほんわかしている自分がいた、、ラストは雪の景色なのに。
原作のつげ義春の漫画「海辺の叙景」「ほんやら洞のべんさん」を知らなくても十分楽しめるが、知っていればなお面白い。かなり面白い。
漫画とは人物や設定を変えてあるものの、画面の空気感や構図、会話や時間の流れ具合から〝つげ的〟なものが立ち昇り、つげ義春ファンなら何度も「むふふ」となるだろう。逆につげ作品にはまったく惹かれないし面白いと思わないという人には、さして何も起こらない退屈な旅の映画、と映ってしまうかも…?
映画は序盤の青い「海編」と白と灰褐色の「雪国編」に分かれ、「海編」は劇中劇的扱いになっている。その対比も鮮やかで面白いが、海辺でも雪国でもさりげなく挿入される俯瞰のロングショットがいい。最近はこういう画がなかなか観られない。そして内心(うひゃっ)と嬉しくなったり、(おぉっ)と一瞬の興奮を呼ぶようなシブいショットがいくつもあるのだ。
撮影は三宅監督の前二作『夜明けのすべて』『ケイコ、目を澄ませて』でも組んだ月永雄太氏で、本作でもかなりいい仕事をしている。とくに「海編」の雨降りで暗く荒れた海を少年が泳ぎ、水着のまま傘をさした女がそれを見ている場面……「雪国編」の重く湿ってすべての音を吸い込むような夜の雪景色……は印象深く、室内でも暗さを厭わずに光源(照明)を感じさせない自然な画面が心地よかった。
俳優陣もいいぞ。主演シム・ウンギョンは『サニー 永遠の仲間たち』『怪しい彼女』からのファンだし、不器用ながら持ち前の人のよさとユーモアがにじむ好演。「海編」の河合優実はいまいちばん目が離せない女優だ。つげ作品には、少女なのか大人なのか正体不明でふしぎに色っぽい女性が登場するが、雨の中水着姿で黒い傘をさす河合ちゃんは、まさしくつげさんの世界の住人になっていた。
シムさんも河合ちゃんも、私はもっとずっと見ていたかった。それだけ自分には心地よい時間が流れていたんだと思う。つげ作品を読むとまどろむような白昼夢を見ているような気分になることがあるが、鑑賞中もじつは、一緒に行った気の合うシニア男女3人ともすこし眠気に襲われている(^^);; それは断じて退屈とは違う気持ちよさのせいである笑
あ、ぼろ宿の主人べん造の堤真一もすごくいいぞ。正面からの表情はほとんど撮られていないが(たぶん意図的に)、庄内弁?もハマり、可笑しさのなかにもほのかな哀しさをにじませ、好演。適役でした。
自分が観た日は上映後三宅監督とシムさんのご挨拶とQ&Aタイムがあり、最後に手を上げた私の質問にも丁寧に(現場でのアドリブや偶然撮れたショットの話も)答えてくれました。
否定と再生!
前半は退屈だった。つげ義春の「海辺の叙景」が劇中劇として映像化され、入れ子になっている。日本人離れした肢体を持つ若い女優さんが美しい。しかし、何も起こらず、不安が渦巻くばかり。ところが、原作を脚本化した韓国人の李さん(シム・ウンギョン)が、映画を志す学生に、この映画のことを問われて「私には才能がないな」と言う。え!これって、この映画の否定ではないか。ベートーヴェンの交響曲第9番の第4楽章で、前の楽章を「このような調べではなく」と言うみたいに。じゃあ、次に「合唱」の「喜びの歌」に相当する部分は始まるのだろうか。
李さんは、後半、山形県らしい雪に覆われた山奥の一軒家にたどり着く。まるで、斎藤清の版画に出てくるような情景が今の日本で残っていたなんて。この部分は、同じつげ義春の「ほんやら洞のべんさん」を元にしているようだ。私たちは、つげ義春ならば、東北の鄙びた温泉を期待するが、映画作家はわかっていて、それには応じない。ここでも、何かが起こるわけではないが、李さんは、その後、宿の主人ベン造(堤真一)に「久しぶりに、楽しいと思いました」と言う。
これまでスランプだった李さんは、大学ノートのような真っ白の帳面に、一字一字、鉛筆でハングル文字を刻む。その時、彼女の顔は、それまでと違って、一瞬、輝いているように見えた。
創作の旅
スランプに陥った脚本家・李が新作のアイディアを求めて一人旅に出る…というドラマであるが、映画前半は彼女が書いた作品を劇中劇で再現するという入れ子構造の構成になっている。
その劇中劇は、孤独な若い男女が海岸で出会う…という話で、若い女を演じた河合優美の何とも掴みどころのない浮遊感を漂わせた演技が絶品で、実を言うとこの物語の方をずっと見ていたいほどだった。孤独な者同士の傷のなめ合いと言えばいいだろうか。陰鬱としたドラマではあるのだが、印象的な幕引きを含め、この後二人がどうなっていくのか、もっと観てみたかった。
映画は中盤から現実に戻って、一人旅に出た李と雪が降り積もる山村に住む孤独な中年男・べん造の話になっていく。
李は急逝した師の形見であるカメラを持って、取材のために見知らぬ寒村を訪れる。ところが、ホテルはどこも満室で、仕方なくべん造が切り盛りするオンボロ小屋に宿泊することになる。
ここでは李とべん造のやり取りがユーモラスで中々に楽しめた。ぶっきらぼうで偏屈なべん造を演じた堤真一の役作りも堂に入っている。一見すると彼だと分からず新鮮に観ることが出来た。
ただ、ここで前半で描かれた劇中劇と何か相関するかと思いきや、特にそういったプロットはない。そのため何となく前半と後半で2つの作品を強引に一つにまとめてしまった…という印象を持った。
強いて述べるなら、この2本は迷えるヒロインが夫々に異なる結末を迎える…という点に違いを見出せる。
劇中劇の方は、河合演じるヒロインは迷いを抱えたまま終わる。それに対して、本編のヒロイン・李は表現者としての壁を乗り越えて再出発する”意志”を見せて終わる。劇中劇を李の心情の投影だとすれば、この対比は彼女の成長を意味しているという見方が出来よう。
本作はつげ義春の漫画『海辺の叙景』と『ほんやら洞のべんさん』の2本を原作にしているということである。自分は原作を未読であるが、どうせなら夫々を1本の作品として観てみたかった…というのが正直な感想である。
尚、後半のオフビートなテイストには、同じつげ義春の漫画を映画化した山下敦弘監督の「リアリズムの宿」が想起された。これも映画監督と脚本家を主人公にしたロードムービーである。現実と夢の狭間で彷徨う人々に対する温もりに満ちた眼差しが両作品に共通している。
もう一つ、本作の主人公・李を原作と異なる韓国人の女性に設定したのにも、何かしら意図が込められていると想像する。
彼女は日本語を流ちょうに話すが、シナリオは韓国語で書く。そのあたりに異国の地で作家として生きることの難しさが透けて見えるが、彼女のバックストーリーはほとんど語られない。ユニークな設定に脚色した割に、それを活かすような場面が少なかったことは少し物足りなく感じられた。
心のスクラップアンドビルド
映画に何を求めるのか
つげ義春の漫画がそうであるように、この映画も映像(場面々々、あるいは特にストーリー性もない起こった出来事)を見て、何らかのイマジネーションを掻き立てられたり、自分の古い記憶や昔の心象風景を呼び覚ましたりすることで快感を得るもので、そういったものが特にない人(まだ若い人)にはちっとも刺さらないだろうなと。刺さるも刺さらないも元々映画にそういったものを求めない人もいるしね。映画に何を求めているかでつまらなかったり面白がれたり、人それぞれなんだろうなと。当たり前ですね。
寂れた汚い旅館の親父も普通の映画(漫画)なら、久々に現れた客(映画の脚本家)に哲学的なことを一発ぶちかますところなんだろうけど、この親父はそんなことは言わないしやらない。つげ義春ワールドではあくまでも人間臭くて(ダメ人間です)なるほどなと笑ってしまった。昔読んだつげ義春の漫画を思い出した。
「日本の原風景」
旅は普段の日々の大切さに気づかせてくれる
河合優実ちゃんが好きやから、河合優実ちゃんがぶらぶら歩いてるの6時間くらい見せられても平気やけどなんやろこれて思てたらそういうことか。
ま、思いがけずビキニ姿が見られたからびっくりした。
今年の主演女優賞は、シム・ウンギョンで、主演男優賞は堤真一やな。ないか。
三宅唱監督の作品は、テレビドラマ演出の人が作るカメラの前に俳優を何人か立たせてセリフ喋らせるって感じじゃなくて、画面の外の世界や登場人物の背景までも想像できるような、映画観た〜って感じがして好き。
この映画も淡々としてるけど、ずっと見入ってしまう(河合優実もシム・ウンギョンも堤真一も出ていなかったらどうだろうか)。
つげ義春は読んだことないけど、映画化された作品を観る限り、ちょっと苦手かな。
なんの目的もなくこんな旅に出たくなった。
海辺でボーっとしてたら、河合優実歩いてこないかなぁ。
睡魔との闘いの89分
期待値とのせめぎ合い
杉咲花さん、髙石あかりさん、広瀬すずさん、河合優実さんの出演作は自動的に観ます(すずさんの宝島はタイミング合わずで観てないけど)。そんな河合優実さん出演で、三宅唱監督作品、しかもロカルノ映画祭グランプリとくれば、期待値は高くならざるを得ません。
河合さんは、今回も趣きある演技。ただ、河合さんが演じる役としてはぴったりかつお馴染みで新味はなし。突然の水着姿にはもちろんありがとうの気持ちですが…。
女性脚本家の旅パートは、まず佐野史郎さんの生きてたんかい!え、違うんかい!で騙されて、なんとなくコメディかな?って思ってからの宿難民で山奥侵入。
堤真一さん(恥ずかしながらエンドロールまで堤さんとは気づいてませんでした)の東北訛りとシム・ウンギョンさんの韓国訛り日本語の交流が味わい深いと感じました。
季節、ローケーション、年齢、言葉数などなど、前半パートとの対比を意識して観て、何か感じた気がしていましたが、忘れてしまいました(汗
三宅監督直近の「ケイコ目を澄ませて」、「夜明けのすべて」という一級品ストーリーを期待しちゃうと肩すかしくらうかも。日々は旅で、旅の日々の「旅と日々」を他と比較せず観るのがよきと結論づけました。
ロケ地を知りたくなる映画で、映画館を出てすぐ検索。ロケ地紹介のブログを読みました。神津島いいっすね。東北産の人間には懐かしい響きだけども、自分の田舎の言葉とは明らかに違うあの言葉は庄内弁なのですね。満室だらけだった温泉宿に泊まってみたいです。
なんだか非常に散漫な感想で恥ずかしいのですが、なんとなくそういう映画だった気がしています。嫌いじゃないけど、勝手に期待値上げてたために⭐︎4つはつけられず
鯉泥棒
本サイトの粗筋が前後で繋がらないな、と思ってたら、劇中劇なのね。
この劇中劇が、河合優実をもってしても退屈だった。
背景も語られない2人の男女がなんとなく出会って、なんとなく一緒に過ごすだけ。
しかも意味もなく台風の中で泳ぐという、事故にでも遭ったら迷惑極まりない行動に出る。
主人公が「自分には才能がない」と思わなきゃなので、面白くするわけにもいかないのだが…
そんな作品を長々と、しかも部分的に見せられるのは苦痛でした。
後半は堤真一のべん造がなかなか面白い。
世捨て人風なのに、「ドラマになれば都会から客が〜」とか「幸せ=金持ちになる」とか俗っぽくて。笑
喋り方も妙にリアルで、これを堤真一がやっているというメタ的な楽しさがある。
話としては、ダラダラして、鯉泥棒して、べん造がパトカーで病院に搬送されただけ。
主役が韓国人というのは、故郷との物理的な距離とか、言語や文化の違いという意味で理解できる。
でも、国内の田舎と都会でも“近くなのに”という逆説的な描き方は出来たと思う。
わざわざ字幕を付けてまでの意味はあったかな。
また、最初の宿泊場所?食堂?はもっと現代的にした方がギャップが出たんじゃなかろうか。
「旅とは言葉と距離を置くこと」という一つの答えを中盤に出しちゃったのも勿体ない。
カットの美しさ(特に風景)とか、べん造の宿に着いて音が消える演出とか、いいところもあった。
けど正直、画を撮りたかっただけの部分が多過ぎる気がする。
頑張れべんさん!
河合優実最強
つげ義春の旋律
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