旅と日々のレビュー・感想・評価
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言葉の向こう側にあるもの
脚本家の主人公が、言葉で表現することの限界を感じ、自分には才能が無いと自信喪失するまでの、夏の海パート。
亡くなった恩師からもらったカメラをきっかけに旅に出て、言葉の向こうにある美しさや豊かさを知り、その力を信じることができたことで心を再生させていく、冬の旅パート。
自然の音と美しい景色、人との交流、その時の表情が、言葉に頼らなくても雄弁に語りかけてくると気付いた時、主人公は言葉だけの力で何かを作ったり、組み立てたりするのではなく、ありのままを見せることで伝わることがあると知ることができた。
この作品は、同じ気付きを主人公を通して、私たちにも気付かせてくれる作品になっているのが、観る側のコンディションによっては、退屈でつまらないと感じてしまうかもしれない。
ストーリーを楽しむというより、繊細な物語の奥にあるメッセージを受け取り、こちら側から汲み取ろうとする気持ちで観る作品だと思った。
言葉を離れて、旅せよ人よ
つげ義春の原作を知らずに映画を観た。パンフレットを読んで、これは想像以上につげ義春をフィーチャーするための映画だと思ったので、原作も買って読んだ。
短編2作をもとにして映画は作られているのだが、前半の李が脚本を書いた映画、という体裁の劇中劇が「海辺の叙景」、後半の李とべん造のパートが「ほんやら洞のべんさん」をもとにしているようだ。
観ている最中は、随分渋いロードムービーだなぐらいにしか思わなかった。ちょっと驚いたのは、佐野史郎のくだりぐらいだろうか(あ、佐野史郎きた! もう死んだ! えっまた佐野史郎??みたいな)。話の構造から、「カメラを止めるな!」を思い出したりした(本作は冒頭でネタバレしているが、劇中劇が長いので)。
ラストシーンのあと、李はインスピレーションを得ていい作品が書けたんじゃないかな、と漠然と思った。
原作を読んで、映画で李が言っていた「言葉から離れる」という感覚が、物語のテーマなのではないかという気持ちが強くなった。
言葉のくびきから逃れたい、という彼女の気持ちを想像しながら眺めた一面の雪景色、実際には私一人では絶対に泊まることのないであろうべん造の宿。うさぎ小屋に書かれたうさぎの名前、元妻の実家に鯉を盗みに行くべん造。そこここに散りばめられた微かな可笑しさや癒しや哀しさが、ちらちらと光って消えてゆくような、何かとてもデリケートなものを見ているような気持ちになった。
旅で非日常に身を置くことで言葉から離れる、ということが何となくわかる気がした。
一方で、正直よくわからないままの部分も多かった。
根本的な話だが、まず原作「海辺の叙景」と「ほんやら洞のべんさん」を組み合わせた意図がわからなかった。劇中劇の内容は、映画の中では李の作品(厳密には李がつげ義春の作品を映像化したもの)であるということ以外に、李の現実の物語との相互の影響というか組み合わせの妙がわからず、「海辺の叙景」である必然性を感じ取ることが出来なかった。河合優実のビキニ姿が盛り込めて、映画的にアクセントが作れた……くらいだろうか(レベル低くてすみません)。
パンフレットの三宅監督インタビューには「夏と冬を組み合わせることでそれぞれの魅力もより味わえるのではないだろうか」といったことを考えた、とある。映像的なコントラストは確かにあったが、それだけでは監督の意図を十分読み取れていない気もする。つげ作品の魅力を理解することが鑑賞の前提にある映画、という印象を受けた。
正直強烈に刺さる作品とまでは言えなかったのだが、原作にはコアなファンも多いだろうし、かねてから評価されている作品が原作なのだから、私の理解が及ばない部分があるのだろうと思う(弱気)。映画がきっかけで原作を一読しただけの段階で何が言えようか。
原作云々を一旦切り離して感想を言えば、ロードムービーとしてシンプルかつ本質的。迷いのある人間が、旅で異質な誰かと触れ合い、前向きに生きる力を得る。単純にそれがよかった。映像も美しい。
そして、言葉から逃れるという感覚を思い出させる、言葉の外側の感覚を研ぎ澄まさせてくれる。原作を知らずとも、そんな体験があるだけでも観る価値があるのではないだろうか。
ガンギマリした画の迫力と奥行き
映画の冒頭は確か東京のビル群だったと思うのだが、そこにはただビルとビルが重なり詰め込まれフレームに収まっていて、その画として決まりっぷりに膝を正した。そして後部座席で河合優実が寝転がっている自動車の窓から、ネットで覆われた崖の岩肌が映っている。それだけでもう前半「海辺の叙景」パートが醸すただならぬ空気が伝わる。さらにどっちに倒れてくるかもわからない河合優実の危うさが画面に置かれることで、大したことは起きないが--なんて前置きするのががバカバカしくなるくらいエキサイティングで目が離せない。4:3のアスペクト比は大きくうねる波を映すときにも効力を発揮していて、こっちは波のうねりに合わせてわあわあと狼狽えながら眺めていることしかできない。
トーンとしては打って変わってのんびりする後半も、雪景色の明るさとその向こうの暗さや、民宿の中の暗さと窓の外の世界の広がりが、しんしんと積もる雪のようにじわじわと押し寄せてきて、ずっとヘンな緊張感がある。ただそれがしんどいとか怖いとかではなく、わりとしょうもない人の営みと、併存している世界の境界線を登場人物たちと一緒に漂っているような、ほんのりした非日常感みたいなものはおそらく旅情にほかならず、シム・ウンギョンが帰っていく頃にはしょうがねえなあ自分もまあやれることをがんばりますかくらいには背中を押してもらえていて、とてもありがたい時間だった。
旅や人生の本質をとらえた宝物のような映画
率直に思った。なんと豊かで、自由で、私たちを普段とは違う思考の場にいざなってくれる作品なのかと。小難しいことなど何もない。しかし構造は驚きに満ち、無駄がなく研ぎ澄まされている。つげ義春の原作をベースにこれほど奥深い旅の本質に触れられるとは。旅、それはもしかすると「人生」とも言い換え可能なものかもしれない。加えて、シム・ウンギョンという人はどうしてこれほど面白いのだろう。彼女が物思いに耽るたび、熟考の末に脚本を書き出すたびに我々の心は静かにふるえる。そして、何気ない表情とセリフを通じてこの脚本家とにわかに重なっていく。まるで私たち、脚本家、彼女の劇中劇という3つの世界が並存して繋がっているかのよう。言葉から遠く離れてもすぐに追いつかれる世の中で、私たちはそれを振り切るように旅を続け、その果てに各々にとっての秘密の場所を見つける。あの入江や雪国の宿のように、私にとってこの映画こそがその場所だ。
旅は染みるね
私でも楽しめる良さ
冒頭のシークエンス。
硬質な文芸作品の空気感に「ついていけるか?」と不安になる。お目当ての河合優実は変わらず「この世の物ならぬ普通の子」で心を鷲掴みしてくるが、なんともインディーズな作風が私を弾き出そうとする(実はそこに意味があった)。
中盤から引き込まれる。
テーマはタイトルどおり。
韓国生まれの主人公は、東京での生活自体が旅であるが、思い立って雪国に向かい、そこで江戸時代の農家のような宿屋に滞在するはめになる。
堤真一が宿の主人を演じる。彼の日常と主人公の非日常が融合する、ここからが面白い。
こうした中規模な邦画らしく、日常に漂う「ユーモア」と「哀しみ」をほんのりと味わせてくれる。なぜ「 」を付けたかは見てのお楽しみ。
観賞後はなんとも瑞々しい気持ちで劇場を後にした。私のようなミーハーでも「今年のベストかな」と思える。もう一度見たい!
何度でも見たくなる映画
つげ義春を知らなくても、不思議な力に引き込まれてしまう。
雪国は大変です
海と雪の地を90分で巡れる幸せ
各方面から評価の高い三宅唱監督の作品を初めて観た。私にとってはウェス・アンダーソンと同様キネ旬で特集されていなければおそらくスルーしていたであろう、つげ義春の旅漫画2本をつなぎ合わせて構成したかなり地味で小さな映画である。夏の離れ島と冬の豪雪地帯というそれだけで絵になる舞台設定に都会で疲れた女とスランプ韓国人脚本家が旅をしてその地で出会った人と数日関わり行動を共にし会話をするちょっとしたエピソードだけで大したドラマもない男女間の期待もあんみつを食べるだけというこんな脚本を自ら書いてロカルノ国際映画祭で最高賞を獲る映画に作り上げる三宅監督はやはりただものではないのだろう。シム・ウンギョンも堤真一も河合優実もたしかに良くてこの魅力的なロケーションに放り込み彼らがしゃべり動くだけで十分映画足りうるというべん造が言う通り「幸せな気分さなる話はどうだ?」の答えがこれなのであった。
大切なのは「眼差し方」を変えてみること
「言語化」とか、「わかる」ということに関わる思考を、とても刺激される映画だった。
自分はこれまで「自分が感じ取ったモノ」には、「自分の中を掘り返して、ピッタリとした言葉をあてていかないと、その感じとったモノ自体がいつの間にか流れていってしまう」とずっと思ってきた。(レビューを記しているのも、そうした理由による)
ただし、「ピッタリした言葉」をあてられることなんてほとんどないので、本当は「言葉をあてようとする意識をもつこと」「言葉を探し続けること」が大事だと思ってきた。
だが、今作で李は「言葉に囚われている」とか、「日常とは、周囲のモノや感情に名前を与え慣れ合うこと」と言って、「言葉から遠いところに身を置きたい」とまで言う。
彼女が使っている「言葉」とは、なんだろう。自分が考えている「言葉」とは違うのだろうかと思いながら観ていた時、ある場面で、一つの答えが見つかった思いがした。
それは、彼女が旅に出ることを決める、走ってくる電車に向かって、アパートの中からカメラのシャッターを切るシーンだ。
李の表情を変えたのは、魚沼教授のカメラのファインダー越しに視た風景。つまり、物理的に「眼差し方」が変わるという体験だった。
「言葉」とは、つまり「眼差し方」なのだと思う。「旅」をしていても、日常の「日々」を過ごしていても。
「自分の中に、いつの間にか染み付いてきたモノの見方・考え方から遠いところに身を置きたい」というのが、彼女の姿を借りた三宅監督の願いだったのかもしれない。
今作は、つげ義春の2編が原作になっているとのこと。確かに、その味わいを感じるが、ちゃんと三宅監督らしい映画にもなっている。
自分は、「(映画は)ユーモアがあるものを見たい。ただし、いい映画は、人間の哀しさが描けているかどうか」というセリフを、とぼけた風情の堤真一に言わせたところが面白かった。
ちゃんと、ユーモアがあって、人間の哀しさが描けている映画でした。
こんな宿はいやだ 笑
時代は昭和の半ば頃か、スマホはおろか、テレビさえもない。だけど家電はある。
そして人々のやりとりに「戦争」の話が顔を出さないくらい戦後になった時期。
映しているスクリーンの画面まで、4:3のスタンダードサイズって、昭和の香りしかない映画にしたかったみたいです。
小難しいアート作品の脚本を書いたが、自分に才能のなさを感じて行き詰ってしまった脚本家李さん、気晴らしなのか現実逃避なのか、恩師の急死を機に一人旅で雪国に来るが予約していないからどこも宿はいっぱい、というか、昭和のころは女の一人旅はどこの旅館も泊めてくれなかったらしいです、自〇しにきたのでは、と疑われたらしい。それでやむなく、山越えするような辺鄙にもほどがあるところの一軒の宿を訪ねるが、これがまた。「宿」の体をなしてない。
「こんな宿は嫌だ」なギャグのネタを実写映画化したみたい。
隙間だらけで家の中で息が白い。家と言うより小屋。「宿」を標榜しながら内部は全然片付いておらず、主人が使った食器だの割れた茶碗だのその辺に散乱。お客が来たのに主人はシミだらけのぺっちゃんこな万年床に寝そべって乱暴なため口聞いて、一部屋きりで仕切りもないから李さんはせんべい布団敷いて囲炉裏のあっちとこっち、主人と同じ部屋で寝る。その上主人のいびきがうるさい。夕食にありつけたんだかどうだかわからないけど、とりあえず出たんでしょう、お風呂は五右衛門風呂かな。オツなもんだけどカラダ洗っているうちに凍えそう。「おもてなし」とかどこの外国の言葉なんだか。
こんなありえない宿屋なのに、自分をモデルに脚本書いたらどうかっていっちゃうんだご主人。有名になったらお客がわんさか来るし、ってそれ以前にせめて「宿屋」にしようか。
その上、真冬で大雪の夜中に、錦鯉盗みに客を同行させるって。。
だけど李さんは嫌がるでもなく、こちらのおもてなしを文句も言わずに受け入れる。
せっかく盗んできた時価数百万の錦鯉が寒さで凍ってしまって、数百万の焼き魚を肴に一升瓶から酒飲んで面白がってわははと笑っている。
ご主人、寒い夜中に歩き回って風邪ひいて高熱出して、不法侵入の捜査に来たパトカーで病院に行っちゃって、一人取り残されても怒ったりもせず、ご主人の万年床を畳んで掃除までして退出。
李さん、つくづく思うけど、アート系の小難しい映画は体質に合ってなかったんだよ。
あなたにはもっとフィットするジャンルがあるはず。とりあえず、書けるようになってよかった。
堤真一のダメご主人が憎めなくて可笑しい。
子供の年齢からすると「父親」としては老け過ぎじゃないかと言う気はしますが。
李さんとどこか通じるものがある。
河合優実主演の映画パートの李さんは、生真面目で自分を追究する悩めるカタいひとだが、「宿」での彼女は生真面目は生真面目なんだが、ご主人とのやりとりがいちいち可笑しい。のびのびしてみたら割とねじが緩めで別人みたいな人じゃないかと、自分でも思ったかも。
ここで数日過ごしたことで、思いがけなく素の自分を知ったのでは。
韓国人の李さん、言葉は言うまでもなく、日本的な人とモノに囲まれて、最初は新鮮だったんだろうが、知らず知らず緊張して日々を暮らしていたのでしょう。雪山のお宿も、私たちから見たら日本的な佇まいなんだが、半ば雪に埋もれていることで逆に日本色が薄れ、李さんが幼いころから親しんでいる韓国の風景と重なったんじゃないでしょうか。宿の亭主はダメダメおじさんで、立ち居振る舞いや口の利き方話す内容に気を遣う、緊張感ある相手じゃなし。李さん、どっとリラックスしてしまった。それで、心の武装が解け、かくあるべし、という縛りも解けて、本来の自分が顔を出したんじゃないですかね。
つげ義春原作の、ちょっとだけシュールでなんとなく温かい、不思議な味わいの映画でした。空気感が良いです。
前半の海の風景と後半の雪の風景、対照的だがどちらも良かった。
波のように寄せては砕けてカタチが定まらなかった李さんの「仕事」に対する方向性が、自分の本当の個性を突き止めて、雪のように、したいように掬って固めていけばいいのだと分かり始めたということだろうか、と思いました。考えすぎかもですが。
三宅唱さん、良き脚本、良き監督でした。
私はこの人の作品好きです。
私にはピント来なかった。
夏と冬のシーンが出てくるが、それは別々の話。海と冬山の世界のなかでほぼ二人の男女の会話。多くの方が絶賛された注目の映画。
私は旅で偶然出会った人とこのような話はしたことがないので、どうも中に入り込めなかった。
どうしましょう。。。
かっちりとした画づくりが印象的
都会のアパートの一室で、考えをめぐらしていた主人公が鉛筆で1行書く。するとそれが映像になり、後から1本の映画になっていることがわかる入れ子構造。つげ義春の2つの漫画作品を原作にしているが、主人公を脚本家にして、前半の創作パートと、後半の実体験パートをつなぐ構成が秀逸。
その中で印象的なのは、丁寧でかっちりとした画づくり。トンネルを抜けた海岸、夕闇の中の二人の長回し、雪原を横切る二人のロングなどなど。スタンダードサイズのせいもあって、50年代のクラシカルな雰囲気も感じた。
しかし、前半と後半をつなぐのに「脚本の才能がない」と言わせるのは、それまでの映像を自己否定しているようで、どうもピンと来ない。映像の力に比べて、脚本は無力に感じたということか。「言葉にとらわれている」という独白も、その後の旅の体験につなげるためのセリフにとどまっている感じ。言葉と映像をめぐる物語になるのかと思ったが、タイトルどおり素直に、人生と旅についての作品と受け止めればいいのだろう。
シム・ウンギョンのたどたどしい感じは、起用した狙いどおりなのだろう。河合優実のほのかで妖しげな色気、堤真一の山親爺ぶりが良かった。
後味は良いが、物足りなさも残ったのは、三宅唱監督の新作という期待の高さがあったためか。
何かに囚われる不安な人々を描くつげ義春の世界
夏の海の場面から始まる。若い男女が出会い、訥々と言葉を交わしてその交流が近づく。言葉が失速したりすれ違ったり、繊細な交流を河合優実と髙田万作が見事なタッチで演じている。やがて夏は不穏な空気と共にバランスを崩し、それは映画の一片であることが明かされる。上映が終わりシム・ウンギョン演じる脚本家の李は、質疑に応じて「私には才能がない」と溢した。なるほどこれは、「言葉といかに向き合って人は生きることを前に進めていくのか」と言う映画なのだと分かる。それに、つげ義春だし。李は「旅でもしてみれば」と勧められ、場面は一転して大雪の冬の田舎に変わる。ここにマタギのような人里離れて暮らすべん造という男が登場する。かなりステレオタイプに作られていたので最初はこの章も映画の一片か、李の思索の一部かと思ったが、何と現実であった。謂わば“言葉を探す旅に出た”李ににべもなく立ちはだかったのは、言葉を拒絶するただただ人当たりの悪い男だった。言葉探しに静かに奮闘する李を演じるシム・ウンギョンの健気で真摯な姿に大きな共感を覚えるが、彼女の旅はあえなく頓挫してしまう。作中の夏の映画の場面が余りにも繊細に言葉と対峙して心を掴まれてしまったので、冬の場面は梯子を外された感が強い。でもこれもまたつげ義春かとも思う。もしこのべん造という男を言葉にガッツリと向き合う俳優が演じていたならどうなっていただろうか…。柄本明さん…松重豊さん…年齢は関係ない、黒崎皇代くん。
自信のない脚本家の女性の創作世界と現実の旅。 創作の世界は息苦しか...
正直、もっと優実ちゃんが出ていると思った。
休みの日に映画館をハシゴして楽しみ、ラストにまったりと過ごした作品。
始まると『ん?こんな感じなの?』となっていたんですが、途中からはクスクスしてはほっこりの繰り返し。
そうそう。日が陰りだすと空も山も海も雪景色も何もかもグレーになるんよね。子どものとき思い出したわ。
吹雪くと人とすれ違うこともなく大した荷物も持たずにフラフラしている観光客なんて危ない危ない。
まぁ昔と違って田舎なんて外国人の観光客でホテルや旅館がいっぱいなんだし飛び込みでしかも冬に宿探しなんて無謀やね。
しっかしズーズー弁で誰なん?って思って気ぃ抜いていたらまさかの堤真一。笑けるわ。ここで?なしたの?暇なの?監督か誰かに弱みでも握られてそんなカッコさせられているの?といろいろ思ったわ。おもろいね。
そんなに構えないでふら〜っと旅するのも人生には必要なのかもね。
でも時間とおサイフといろいろ相談が必要なんで、近場の映画館で”旅“を楽しみますね。
つげ義春の漫画の映画化。なかなか尖った映画。で、ちょっと癒し系で、人生を温かく見つめるような映画。
つげ義春の漫画の映画化。なかなか尖った映画でした。
原作は、前半が「海辺の叙景」で後半が「ほんやら洞のべんさん」。
主役のシム・ウンギョン扮する脚本家が書いた映画が「海辺の叙景」という設定。で、「自分には才能がない」と自信喪失の中で、旅に出る。そこからが「ほんやら洞のべんさん」の話になる(原作では、漫画家の男だが、映画では女性のシム・ウンギョンの脚本家)。
前半の「海辺の叙景」は、河合優実がちょっとアンニュイで、ドキッとする色気を感じさせて、どことなくつげ義春の漫画に出てきそうな雰囲気がある。取り止めのない感じもつげ義春の漫画らしい。まるで映像のコラージュのような趣(いわゆるストーリーものではない)。圧巻なのは、夕景から暗くなるまでをワンカットで撮っているシーン。ほとんど人物の輪郭が見えなくなるまでの長回し。多分このシーンのために今回は、16ミリフィルム撮影ではなく暗さに強いデジタルカメラを使ったのでは、と思う。それと海の中のシーンもちょっと怖い。波と雨の中で泳ぐ二人のカットバック。で、唐突に終わる(というか大学で上映しているシーンに繋がる)。
見ている側は言葉にならない中途半端な気持ちのままに。
で、脚本家は旅に出る。ここからは、トンネルを抜けると「雪国」というベタだけど美しいシーンから始まる。「ほんやら洞のべんさん」の話。
こちらは、堤真一の素晴らしい怪演があり、楽しい話になった。ラストに熱が出て、警察に連れられて医院に行く事になるのは、映画のオリジナルで楽しい。
で、シム・ウンギョンの脚本家は帰ってゆく。スランプは脱したかどうかはわからないが、前向きな気持ちで帰っていったと思わせるラスト、タイトル「旅と日々」が出る。(ほのぼのとした音楽が流れる)
ちょっと癒し系で、人生の行ったり来たりする気持ちを温かく見つめるような映画。
映像は、シンプルで揺るぎない。風に飛ばされる帽子や暗い中での猫の動きが楽しい。音楽も良かった。
(劇場では、後半、大欠伸をする人がちらほらいた。そんなリラックスした気持ちのいい時間が流れていたのかもです)
何度か見直しながら、いろんな発見がありそうな映画。繰り返し見て、もっと味わい尽くしたくなる映画でした。
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