「裏切り者と思われる苦しさを乗り越える方法を見つけた。」フォーチュンクッキー Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
裏切り者と思われる苦しさを乗り越える方法を見つけた。
白土を集めて低予算で作った映画のように見えるが、この映画の意味することは大きい。ただ、アフガニスタンからで米国政府からの優先権のある移民(Special Immigrant Visas (SIVs)-永住権につながるヴィザ)の主人公ドンニャ(Anaita Wali Zada)に当てはまることだけではない。一般の移民や難民に当てはまることだけでもない。私達、人間、全部に応用できる生き方を示している。だから、とても興味深い映画である。
それに、米国が引き上げ、タリバンが侵入した時、引き上げ飛行機に乗れなかった、通訳もいたと。彼女だけ?が、乗れたようだ。これに対する罪の意識もあるようだ。また、家族の中で彼女だけが、米国機に乗り、逃げ出したことにより、家族の中に裏切り者がいるというように、カブールに残っている家族が思われていると思うこともトラマや罪の意識につながっているようだ。彼女はどこの国でも良かったアフガニスタンを抜け出したかったと言ってるが、彼女は米国に移民や難民として逃れたアフガニスタン人と楽しんでないのかというセラピストの質問に数人はいいけど数人は一緒にいて楽しめないと言っている。これも「裏切りもの」と思われることがついて回るようだ。近所に住んでいてよく話しているサリムに美しいことを考えることは罪の意識を感じるという。まだ恋をしたことがないのに、アフガンにはタリバン政権で人々が苦しんでいるのに、自分だけ恋をすることが後ろめたいと思っているようだ。1996年生まれで、若いのに、すでに背中に十字架を背負って生きているようだ。良心の呵責で不眠症になったのかもしれないし、PTSDの一歩手前なのである。
その彼女の生き方が、我々にも応用できるのである。それを説明したい。
彼女の周りの人々、同僚、深圳市出身で、サンフランシスコのフォーチュンクッキーの経営者リッキー、アパートの住人、サリム、ミラ(ミラの夫のスリマンは抜く)、レストランのウェーター、そして、セラピスト(無料で:Pro Bono:専門知識を活かした社会貢献活動)、アンソニーはドンニャにポシティブな影響を与え、彼女をサポートしてくれた。フォーチュンクッキーの経営者の女主人ですら、ブラインドデート相手だと思わせて、車でベーカーフィールドまで鹿の彫刻を取りに行かせたが、結果的には車修理工のダニエルに遭遇する機会をくれた。その中でも、セラピスト、アンソニーと経営者のリッキーのドンニャに対するアプローチはユニークで、ドンニャの心を少しずつ変えていった。このアプローチの仕方は助言をダイレクトに言葉(例:--した方がいい)でせず、遠回しに比喩を使ったり、哲学的で心理学的な方法のような気がする。例えば、アンソニーは『船は港に停まってれば安全だ。でも、船はそのために造られたものではない。』と、自分で書いたフォーチュンクッキーの言葉を読んだ。この意味を理解したドンニャは『Desperate for Dream......』をタイプして一歩前に進んだ。自分の思い悩んでいるマンネリ化した殻から一歩出た。リスクテイキングのようなものだ。
深圳市出身の経営者のリッキーは、ドンニャをフォーチュンクッキーライターに昇格?させた。彼女の才能を素早く見い抜いて、"virtue stands in the middle" と言って Aristotle(検索結果だと)の哲学をドンニャに延々と説明したのだ。彼女はこの深淵な意味をサッと理解したようでなかなか鋭い人だと思った。実を言うと私はこの意味に不可思議な反応を示しただけでなく、全く誤解していたのに気づいた。この意味はAI検索によると、
Courage: The mean between recklessness and cowardice.
Generosity: The mean between extravagance and stinginess.
Confidence: The mean between self-deprecation and arrogance.
Temperance: The mean between gluttony and abstemiousness.
でリッキーが延々と説明したのを"virtue stands in the middle" は一言にまとめたものである。ドンニャが新しいしことをするに対しての心構えをアリストテレスの哲学を使って要求したのだ。あっぱれ。そして、ニュー・アドヴェンチャーだと言ったし、ストレス解消用に頭皮をマッサージする道具をくれた。ただ「これしろ!あれしろ!』と言わず、に自分で考察する機会を与えて仕事をさせるのだ。ここで、自分で考えて、新しいことに挑戦することを生き方としてを学んでいる。
こういうシーンがいくつもあるのがこの映画の特徴である。ここで二つの例をあげたが、自分で考えて、一歩先を冒険することが新しい道を開き、人生を変えるだけでなく、自分の一生を左右すると言うことだ。それに、自分の話を聞いてくれるだけの人からはなんのアドバイスももらえないが、「話を聞いてくれて、間接的なアドバイスをくれる」のは人間を変えるね。社会共同体の言動行動にもすごいと思うが、ドンニャには感服する。
(蛇足)
もう一つ気になることがある。それはイスラムの国からきたドンニャの挑戦である。この挑戦はすでに、アフガニスタンにいたときにあったようだ。彼女は大学に行って通訳になり、自分でビザを申請して、自分一人で米国に入国したことはすでに膨大な挑戦である。アフガニスタンの世界からで、また米国占領時代で、タリバン侵入前だとはいえ、モスリム教であるわけだから、日本より、男女差、男女差別などがあると思う。ダリ語だろかパシュート語であっても、モスリムの世界は(シャリア法律)ミラとスレイマンの夫婦のように女は男のいうことをきく世界であるように思う。
しかし、ドンニャは独立している。一人で住んでいるだけでなく、ブラインドデートの準備をしているとき、ベッドの上で、持ち金をホテル代、食事代、ガソリン代と分けている。ホテル代(ダブルベッド)は明らかに自分は自分で払う意思があると視聴者の目には映る。アフガニスタンからきて、まだ、八ヶ月だというのに、自分でなんでもする姿勢は賞賛される。
ここで、アフガンの移民(多分難民)スレイマンに対して感情的になり暴言を吐くシーンがある。これについてちょっと触れる。スレイマンは妻のミラをドンニャと接触させるのを嫌う。スレイマンの見地からではドンニャは裏切リものなのだ。通訳として米軍に精通していたアフガニスタン人だから。挨拶もしないし、一言も口を聞けなかったスレイマンにドンニャが下から2階の彼の部屋に向かって、『I worked with the Enemy to ensure your security』と叫ぶシーンがある。この敵はアフガニスタンの駐留米軍のことであると思う。「セキュリティーを守った」は米軍とアフガンの仲介に入って通訳を務めたドンニャたちのことだと思う。だから、「これだけのことをしてやったのに、米国に来てまで裏切り者扱いするなんて、恥を知れ、このやろう!』と言ったのではないかと思う。助言を!
Socialjusticeさん、こんばんは。鬼の霍乱というものなのか、熱まで出たのでおとなしくしています。薬はやはり効きますね。今日、やっと医院に行く態勢になって薬を処方されました。
こんばんは。あまりにも自分がこの映画をきちんと見ていないこと、身に沁みました。そして次に見ようと思い予約しましたが体調辛くて行きませんでした(こういうこと、たまにあります)。残念。今度、次回、眠らず全部見たく思います
Socialjusticeさんのレビューとコメント、本当に参考になりました。やっぱりこの映画、結構大事な所で寝てたんだ~と気づかされました!今更ですがフォーチュンクッキー・ライター昇格のシーンも寝てました。あーあ、この映画見たことにならないですね😩
Socialjusticeさん、嬉しいコメントありがとうございます。
簡単な、と思われるThank youを彼女はよく、でも表面的でなく言っていて、それが素敵だなと思ったんです。それだけなんです。いいな、彼女は。これから幸せになれるよ!と願いました
途中で寝てしまった・・・。でもレビュー拝読できてありがとうございます!もし眠ってなかったら・・・、今から思っても。でも、にもかかわらず、いい映画でどんな場所に居ても、幸せを求めていいよ~と思いました

