アメリカッチ コウノトリと幸せな食卓のレビュー・感想・評価
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sprite survive
映画を見終わって、すぐ思ったことは主人公Charlie Bakhchinyan(監督脚本、主人公Michael A. Goorjian )の想像力・創造力などが、現在人である我々が投獄されたら残るだろうか?
当時を計算すると、1922年(アルメニア・ソビエト連邦)からスターリンの死、1953年まで約31年主人公(チャーリーorカロ)は獄中にいたわけだが、この間、主人公は砂、石、そして、口をきくことは看守やソ連軍や同胞とだけである。この中で、画家Tigranの差し入れて、絵を描きはじめた。それに独演をしたりしたわけだ。また、Tigran(Hovik Keuchkerian )や奥さんのマネごともした。二人の気持ちになって、アドバイスを与えたりした。その、アドバイスが絵だったり、黙示力もあった。エンターテーメントスキルもあるわけだが。体罰を受けても、食事が粗末でも、乾杯したり、アルメニア語を生活の中に入れて、一人芝居をした。獄中の環境が最悪でも、彼はこのクリエイティビティがあったからこそ、ここまで生きられたと思う。
たとえば、Z世代のある青年が投獄したとすると、まず、使えなくなるものはスマホである。膨大なインフォが隠されていると思うし、どの組織や仲間にもコンタクトされたくないから。これなしに、紙と鉛筆の世界に戻るわけだ。スマホに汚染されているとしよう。そうすると、鉛筆での動きはキツい。我々は主人公のようなクリエイティビティーをどう確保できるのだろう。明らかにサバイバルスキルである。肉体的にもメンタルも弱くならないためにも。生き抜くためにも。
まず映画の冒頭に字幕でアルメニアの歴史が説明される。『第二次大戦のあと30年世界に散って行ったアルメニア人がソ連政権の元に戻ってきた。スターリンはアルメニア人虐殺の生き残りの人々に、お金を出した。10万人のRepatrates (この場合アルメニアに戻ってきたアルメニア人)の中に三百十三人の米国アルメニア人がいたと。米国の市民権を拒否して、自国に戻って、自分のアイデンティティと文化をとり戻した。この物語はその中の一人の話である』と。映画の最後に、この映画は監督の祖父に捧げると。多分だが、これは監督の祖父の経験に脚色を加えて制作したもか?と思った。なぜかというと、1915年にアルメニアの主人公の家族がオスマン帝国の虐待に遭い、米国に難民化した。それは監督の祖父も同じであり、祖父は(主人公も)アルメニアのソ連体制に(Repatrates )戻ってきたから。
序幕で主人公のお婆さんが『Caro,Never lose your smile』と。おばあさんのいうことをよく聞いたね。大変だったのに。それに、この時、すでに主人公はイマジネーションのある子供だったんだね。
メインストーリーは1948年、アルメニア・ソ連の時代から始まる。第2次大戦後、妻を失った主人公は、故郷アルメニアに帰ってきたが(Repatrates )ソ連連邦から信用されず、スパイだと思われてしまう。ソ連は米国が反革命プロパガンダを広めるために送り込んだと思っている。事態をのみこめていない主人公とソ連側の軍人の会話は質の悪いコメディのようだった。たとえば、十本のネクタイをある軍人は欲しがっていると思ってる主人公。しかし、軍人は主人公に10年のシベリア行きを与えると。また、数人の同胞が刑罰を受けるんだが、その順番を先にさせてくれと頼む主人公。主人公はアメリカ英語でとても丁寧に頼むんだよね。おかしくて、おかしくて!
主人公は独房に押し込められるが、その生活で、小窓から 自分をエンターテインする方法を見つけたようだ。 Tigran(Hovik Keuchkerian )と奥さんの演劇を遠くから観賞している。会話の続きが毎日あり、遠くから見ているだけで、十分理解できるようだ。最初は演劇の観衆になったように振る舞うけど、その後は家族の一員になって、食事も一人で食べず、窓向こうの夫婦と一緒に食べるようになる。たのしそうだ。ター(Ta)という楽器を Tigran?が弾き始めた時、主人公はほとんど聞こえていないと思うが、目を閉じて聞いているのが良かった。こんなとこで生活しているけど、感慨深い顔つきをして聞いていたよ。食事にしろ音楽にしろ独房にいて一般人のアルメニア人の文化との接点を見出したんだね。文化を体験して、自分をその文化に置いてみるのもアルメニア文化を知る最高の方法だからね。コメディのようだけど、悲劇で、おばあさんの言った、微笑みを忘れないね。主人公のポジティブなスピリットが苦境を乗り越えたね。主人公はシベリアに流刑されずにアルメニアに残ることができたが、30年もの間、監獄の中で刑罰を受けた。
主人公のおばあさんが冒頭で歌っていた「gorani」の意味が『鳥』だと、ソナから教わったシーンもいいねえ。この歌はアルメニアのフォークソングだけど、Taronという地域の曲だと。これで、主人公が鳥に注目したり、地震でも鳥の卵を助けようとしたりした行動に伏線を貼ってるね。
この地域を検索する(私の検索が間違いなければ)と、現在はトルコだ。巨大な文明の発祥地、アルメニアの現在は小さな国になったけど、近隣の地域は過去にはアルメニアだったようだね。
ここで、おかしいと思ったシーンをいくつか書いてみる。
1)自分のことを正当?のアルメニア人だと思っている年配の刑務所仲間がいるが、彼はTrigonのことを身売りをしたスターリン派だという。Trigonこそ反スターリン派だと思うが。なぜなら、彼の芸術に理解を示さない、スターリンの独裁に対して、画家としての仕事を奪われ、監視塔で働いているから。そして、主人公のチャーリーにこっそり画材を送ったり、食べ物を届けたりして主人公の立場を理解してくれてる。でも、主人公チャーリーを命令で、殴らなければならなかった。その心の呵責で彼は、監視塔での仕事を辞めたように思う。ソ連体制で、果たしてそれができたかどうか知らないが。少なくても、ソ連のコマンダー、ドミトリー(Mikhail Trukin )の奥さんのソナ(Nelli Uvarova )とTigranの奥さんは姉妹だから。コネはあるよね。
2)自分のことを正当な?アルメニア人だと思っている男は刑務所の中で最高に引き立つし、監督はアルメニアの知名度を上げるためにも面白い存在を映画に入れたね。自分の国を誇りにしているのいいことだ。アルメニア人がワインを発明したとかいうが、検索してみたら、ジョージア人の説もあるようだ。古代文明の発祥地、メソポタミア文明(チグリス・ユーフラテス)の土地だから、はっきりアルメニア人と言い切れないものがあると思う。しかし、キリスト教を国教として最初に受け入れたのはアルメニア人だというのは史実となっている。エルサレムにも(モスリム、ユダヤ、クリスチャン、アルメニア使徒教会)があるからねえ。
3)ソ連のボス、ドミトリーのダブルスタンダードと権力の横暴には笑っちゃうね。西洋の物質への憧れ、それを持てない僻みや英語が少し話せる妻ソナから味わう屈辱。ソナの主人公に対する言動を伺っているのを知ってか、その嫉妬深さ。スターリンが死んでから、ニキータ・フルシチョフの大きな写真が飾られたが、ドミトリーの家族はその後どうなちゃうんだろうと思った。スターリン派の人の将来はフルシチョフの政策には結びつかないからね。
最後に、監督はなぜこの作品を作ったのか見当がつかない。パンデミック中の作品のようだ。勝手に考察すると、一つにはアルメニアの知名度の低さにアルメニア人だったら驚くと思う。ダイアスポラはユダヤ人や中国人のように世界中に散らばっているが、アルメニア人はおとなしい人々だ(偏見?)。そして、アルメニアというと主に、オスマン帝国の虐殺を思い出すし、その映画やドキュメンタリーは数ある。それに、メソポタミア文明。三代文明の一つだと言っても、イラン、シリア、トルコ、イラクなどと現在では幅広い国にまたがっている。文化のいいところだけを海外に出す(偏見?)、イスラエルや日本と違って、もっと幅広くアルメニア文化を啓蒙したいのではないかと思う。それを深くするには人間の喜怒哀楽がつきものだからこの映画をこのように、アルメニアで作ったと思う。-私見
牢獄の小さな窓から見える故郷
「飛んでお行き、小さなコウノトリ」それは息子の幸せを願う母の思い。
アルメニア人版「ライフイズビューティフル」と呼べるような作品。ホロコースト、いわゆるジェノサイドと聞くと、どうしてもユダヤ人を先に思い浮かべるけどアルメニア人も同じく受難の民であり、ユダヤ人同様ディアスポラを経験している。
本作も「LIB」同様に主人公はどんな苦境に立たされても決して笑顔を忘れずに希望を抱き続けた。
オスマン帝国によるアルメニア人虐殺を逃れた幼き日のチャーリー。彼を命がけで守った母は銃殺される間際まで彼を笑顔で見送った。「人生これから苦しい時もあるだろうけど、どんな時でも笑顔を忘れてはいけないよ。飛んでお行き、小さなコウノトリ」それは母が息子に込めた思い。息子を思い最後まで笑顔でい続けた母。
これはアウシュビッツに収容されながらも息子を思い、怖がらせないよう噓をつき通したあの父親の姿と被った。彼も銃殺刑に処せられる直前まで隠れてる息子の目の前でおどけて息子を笑わせた。生涯忘れられないシーンだ。
母の思いが通じたのか、大戦が終結し故郷に戻ってきたチャーリーは笑顔を絶やさない紳士となり、子供を助けたことから同じアルメニア人のソナと親しくなる。
しかし、彼女の夫のちょっとした嫌がらせと当時のずさんなソ連の体制も合わさり、チャーリーはスパイとして逮捕されてしまう。
暗い独房に収容されたチャーリー。幼いころに虐殺により唯一の肉親の母を失い、見知らぬ土地で生き抜いてようやく帰ってこれた故郷の地でスパイと疑われてよもやのシベリア送りになる直前まで。
このような悲惨な体験をしてきたなら、人間はへこたれてもおかしくはない。実際に彼の独房での所業に看守たちは彼が頭がおかしくなったのではと疑う瞬間もあった。
しかし、彼は狂ってはいなかった。彼はこんな絶望的な状況の中で小さな幸せを見つけていた。
暗闇が暗ければ暗いほど微かな光でも見つけやすくなるように、彼は絶望的な状況下で微かな幸せを見つけていた。それは独房の小さな窓から見える景色だった。
それは同じアルメニア人で看守のティグランが夫婦で暮らすアパートの部屋。長く故郷を離れていた彼にとってその光景は忘れていた故郷を思い出させてくれる光景だった。
そこで繰り広げられる夫婦の何気ない日々の暮らしを見つめていつしか彼は彼ら夫婦と同じ時間を過ごす。冷たい牢獄にいるはずの彼が暖かい空気に包まれ幸せな時を過ごせた。
仲睦まじい二人と自分とを重ね合わせ彼らの幸せがまるで自分の幸せのように感じられた。大勢の来客を招いた際にはアルメニア人の伝統的な食事の作法なども学ぶことができた。
彼は日々の強制労働や粛正による拷問のつらい日々でもその窓から見える景色のおかげで幸せを感じることができた。
夫婦が離婚の危機には彼が何とかして彼らをつなぎとめようとキューピットの役割まで果たした。文字通り地面にスノーエンジェルを描いて。
彼の存在に気付いたディクランは彼に感謝して、それから彼らの窓越しの交流が続いた。やがて夫婦に子供が出来てそれを自分のことのように喜ぶチャーリー。
しかし運命は彼らにさらなる試練を与える。粛清の拷問担当にティグランが選ばれたのだ。初めて言葉を交わせるほどに近づけた二人だったが、それは言葉ではなく暴力を浴びせる場面であった。
スターリン体制のソ連で逆らうことは死を意味する。チャーリーもそれを理解していた。殴られた方のチャーリー、殴らされた方のティグラン、二人は共に同じ痛みを受けた。
彼らはともに傷ついていた。同じ民族同士で傷つけ合わねばならなかった彼らのその姿こそソ連統一の名のもとに行われたスターリンの民族政策に翻弄された少数民族の姿だった。
同じ受難の民のアルメニア人同士、ようやく祖国に戻った彼らにとってソ連のスターリン体制は残酷であった。
しかし二人の絆は壊れることはなかった。ともに描いたアララト山の絵を見せ合う二人。それはまさに彼らアルメニア人の祖国の象徴でありアイデンティティの源。それが彼らの絆をより強いものとしていた。
ノアの箱舟が大洪水を逃れて辿り着いたとされるアララト山。ジェノサイドを経験しディアスボラを経験してやっと祖国にたどり着いた彼らも同じだった。
やがて別れの時が訪れる。ディクランたち家族は転居してしまう。そしてチャーリーもソナの計らいで釈放されることに。
故郷を探すつもりで祖国へ戻ってきたチャーリーだったが、彼はある部屋を借りてそこで暮らし始める。
その部屋の窓からはチャーリーが閉じ込められていた独房の窓が見えた。この部屋こそディクランたちが暮らしていたあの部屋だった。
チャーリーはここに故郷を見出していた。だから故郷を探す必要はもうなかったのだ。彼はここで家庭を築き幸せに暮らした。カーテンを閉めることはけしてなかった。
独裁者たちがいくら物理的に人の命を奪おうとも彼らの魂までは奪うことはできない。彼らの思いは受け継がれていく。たとえその人間が死のうとも失われず受け継がれていく彼らの意志。死んでも失われないものを魂というのならその受け継がれていく意志こそ魂と呼ぶんだろう。母の魂は息子に受け継がれ、彼は幸せを運ぶコウノトリとなった。
人生で忘れられない映画のワンシーン、「ライフイズビューティフル」の一場面を思い出させてくれた。
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