「夢を夢にしそうになった時、見直したい映画」コラテラル とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
夢を夢にしそうになった時、見直したい映画
アクションと二人の会話劇の組み合わせ。
トム様の演技力とアクションのファンとしては1粒で2度美味しい。
トム様以外にもたくさん魅力的で芸達者な役者さんのそろい踏み
+ 映像美・音楽と 無茶苦茶美味しい映画です。脚本が秀逸ですしね。
髭面・白髪・ちょっとお肥りになったトム様もすてき。
以下ネタばれ。
マックスの方が感情移入しやすいから目線がマックスにいきやすい(マックスが主役に思えちゃう)けど、監督が本当に描きたかったのはヴィンセントなのではないでしょうか。
「地下鉄で死んだ男が6時間たっても気づかれなかった。たくさんの人が彼の隣りに座ったのにも関わらず(思い出し引用)」映画の前半とラストに出てくる言葉。
最初の殺人で、撃ったら反動で窓から死体が飛び出してって、この殺し屋ダメじゃん、こんなことやってたらすぐ捕まっちゃうじゃんと、MIとかのトム様の手際のよいスタントを思い出しながら突っ込み入れていたけど。慌ててヴィンセントが飛び出して、周りの反応伺うと、人が落ちてきて車潰れるほどの衝撃・音なのに、誰も様子を見に来ない。オフィス街や倉庫街で人がいないわけじゃない。ヴィンセントが部屋訪ねる段階で、別室の人間がTV観ている様子が描かれていたけど、誰も「何があった?」と顔出しすらしない。銃音は消音かもしれないけど、車潰れた音は消音出来ないはず。マックスも騒ぎまくっていたのに。「地下鉄で死んだ男が〜」どころじゃなく「隣室で人が撃たれて落っこちたって〜気づかれない」。このロス=大都会の現状をさりげなく描いているのだろう。
だのに、ロスの夜景はあんなにも煌びやか。ひたすら美しい。
それでもなんか変だなと思う人々もいた。
途中で車が変形していることで呼び止める警官(他のTVなどにも出演している本物の警官だそうです by 監督の音声解説)。
他の町で3人殺して自殺したタクシー運転手の事件から、何かおかしいと捜査を始める警官(ラファロ氏:セクシーで格好いい)。でもマックスが助かったと思った途端、あえなくヴィンセントに殺される。
それで自暴自棄になりかけているマックスの前にコヨーテが現れる。
マックスにとっては、自分の中に眠っている野生・パワーの象徴。
ヴィンセントにとっては自分自身ではないでしょうか。ヴィンセントもコヨーテも「生きるために殺す」孤高の生き物だもの。
そして自らの手で行動を起こすマックス。興味深いのは、マックスが自分を奮い立たせる時に言うのがヴィンセントの言葉だということ。殺しを依頼した親玉と渡り合うときにも、事故った後捕まった警官をふりほどいてアニーを助けに行くときにも、ヴィンセントの言葉を言いながら、今までならやらないようなことをやらかしていく。
「人間なら誰でも持っているはずの何かがあんたには欠けている」とマックスに言われるヴィンセントは、淡々と人を殺していく。殺す相手の情報を事前に見ないのも、カタログで物を物色しているのと同じように見えて不気味だった。あれこれリサーチする程の思い入れもない。ただ体に二発頭に一発弾をプレゼントすればいいだけ。でもジャズマンを殺した時は命を弄ぶ、狩りをするような、本当に「欠けている」といういやらしさも見せて…。クイズに正解したら本当に助けていたのだろうか?
ただ食べるためだけに殺し屋しているのなら、マックスに逆キレされた時点でさっさと逃走して身の保全を図らなかったのだろうか。その後の依頼がなくなっても、指名手配になったとしても、生き抜く道はあったろうに。あれだけ、目立たぬように生きる術を身につけているのなら。アニーを殺しに行ってマックスに反撃された時点では、まだヴィンセントは優位に立っていたつもりなんだろう。正直マックス自身が自分がこんなにできるなんで思わなかっただろうし。狩りの相手が思いのほか手ごたえがあって嬉しい程度だったのではないだろうか。「俺はこれ(殺し)で生きている living んだ」。含蓄の深い言葉だね。
人を人と思わないヴィンセントに代表されるようなロスの人間模様が地として、そこに袖振り合うも他生の縁的人間模様が絡んでくる。アニーとマックス。
アニーとマックスもただの客と運転手。乗って、乗せて、ただそれだけで終わる状況なのに、マックスのちょっとしたプロとしてのこだわり、目的地までの所要時間を的確に図り、時間のロスを生じさせないがきっかけで(ヴィンセントにもこれで見込まれてしまうのだが)、会話をする二人。夢だった検事の仕事を吐きながらも全うしようとするアニーに、心のオアシスが必要だよと自分の大切な写真を差し出すマックス。そんなマックスの思いやりを受けて名刺を差し出すアニー。それだけといえばそれだけだけど、ここには心のやり取りが成立している。そんなアニーとマックスが生き残る。(人は関わりながら生きているんだよ、なんて意味ありげに感じてしまうのは説教臭くなって野暮か。)
そしてラストは夜明け。夜明けの街にヴィンセントは地下鉄で運ばれて行き、少しずつ明るさが増してくる街をアニーとマックスは自分達の足で歩いていく。台詞なし、BGMのみ。それがまたかっこいいし、心に染みわたる。
ヴィンセントが「今の状態から抜け出す勇気」を実際に示した時って、父親を殺した時なのかな? そんな人間の空虚さがとても出ていたと思う。怖くもあり、観ていると胸が締め付けられるほど切なく、悲しい。映画を観終わった直後はマックスに感情移入してマックスの存在が大きいのだけど、時間が経つにつれ存在感が大きくなってくるのはヴィンセント。
最初から最後まで、否、時間が経っても、美味しい映画です。
しかし、
<追記Ⅰ>
今もなお、映画に必要な技術(ヘリ操縦に、ヘイロ―ジャンプ、潜水術etc)を身に着けることに余念がないトム様ですが、
この映画では、銃の扱いを軍に倣い、人ごみに紛れて印象が残らないヴィンセントの役を演じるにあたり、宅配便の配達人を実際にやって、品物を受け取った人にトム様と気が付かれなかったという”訓練”?もなさっている。
若いころは、役柄に合わせて筋肉つけたり、落としたり(『インタビュー・ウィズ・バンパイヤ』で、それまでのイメージから、原作者からクレームついたのを、体改造+演技で、原作者が新聞広告で「イメージぴったり」と謝罪と称賛した話は有名)。
トム様の演技に「デニーロ・アプローチ」をしないという人いるけれど、常に、役柄に合わせて変化する役者だよ。ちゃんと見てよ。
<追記Ⅱ>
ヴィンセントは、何でマックスを拘束してタクシー使うんだ?というレビューをどこかでみたけれど。
土地勘ない都市で、制約のある時間内に何か所も移動するときは、その土地を知り尽くしているタクシーを使うのが便利。この映画が製作されたころ、スマホのナビなんてないし、しかも、電車やバスがくる間隔わからないし、終電もいつまで動いているのかもわからない。日本のように時刻表と同じ時間に来る国は珍しい。かつ、タクシーを捕まえられる場所もわからない。目標がいる場所が、駅の近くや繁華街じゃなくて、街はずれやスラムということもあり得る。呼んでも来ない場合があるし、呼んだら足跡残すし。
それにタクシーに荷物置いて身軽に仕事に行ける。物取りを本業としているタクシー運転手以外は、”普通”の場合は、客の荷物を触らない。
今は、スマホナビを駆使して、知らない土地でも移動できるから、ピンとこないんだろうなあ。時代を感じた。